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7661-7668: フローニンゲンからの便り 2022年1月10日(月)



No.3127 湧出_A Gush


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1148, My Journey of JKD

I’d like to devote myself to JKD training.

I hope to become an instructor in my future not because I want to become strong but because I want to share the wisdom of JKD with many people all over the world.

I really look forward to the self-trading in the afternoon.

I’ll learn as much as possible from each training.

Groningen; 13:52, 1/10/2022


No.1149, Spiritual Radiation

I went shopping a short while ago.

Because it was fine weather today, the Martini church was shining.

It was not only physical radiation but also spiritual one.

I witnessed the glorious spiritual radiation of the church.

Groningen; 16:34, 1/10/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の2曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7661. ロビンさんのプライベートレッスンから一夜明けて

7662. ステップの鍛錬に向けて/タン·サオとパク·サオの漢字から汲み取る意味

7663. 呼吸法から動的ストレッチへの流れ/夢の続きを思い出して

7664. 師父ロビンさんからの教え:拮抗・反発しないこと

7665. ジークンドートレーニング11(1/10/2022)礼法とプッシュ・ステップのトレーニング

7666. ピーター·アーツやアーネスト·ホーストとチームを組んでいたロビンさんについて/同伴者としての師

7667. ジークンドートレーニング12(1/10/2022)全体把握と滑らかなモーション

7668. ジークンドー用のシューズを購入して/截拳道の意味について


7661. ロビンさんのプライベートレッスンから一夜明けて


時刻は午前9時を迎えた。今の気温はマイナス1度だが、今日は1日を通して良い天気になるようだ。午後には行きつけのオーガニックスーパーに足を運び、食材を購入しよう。


ジークンドーのプライベートレッスンから一夜が明けた。昨日のレッスンの充実感そして喜びがまだ自分の内側に残っている。


昨夜も少しロビンさんとメッセンジャーでやり取りをしていた。それは道場のメンバーシップに関する事務的なものもあったが、いくつか動画を送ってもらった。それはブルース·リーの生前のインタビューと、レッスンの最初と最後に行うジークンドー固有の挨拶の動作をロビン先生が紹介している動画だ。


ブルース·リーのインタビューをこれまで聞くことがなかったのだが、インタビュー動画を見てみると、ブルース·リーは哲学を専攻し、哲学を実際に教えていたということだけあって、思索に裏打ちされた自らの言葉を持っている人物だと思った。


今手元には、“Tao of Jeet Kune Do”というブルース·リーの本があるが、それ以外にも彼が執筆した書籍が届く予定なので、ここからブルース·リーの思想をもっと探究していきたいと思う。


そして、ロビンさんの動画を見て、レッスンの最初と最後に行うこの動作については今日から練習したいと思った。引きの動画だったので、手や足の細部の動きがわからないところがあり、昨夜の段階で他の動画を調べてみたところ、いくつか良い動画見つかったので、それらを参考にしてこの挨拶の動作を早く習得したい。


ロビンさんはマーシャルアーツとジークンドーの振興に情熱を持って尽力している人であり、情熱のない生徒はこれまでロビンさんの方からもう道場に来ないようにお願いすることもしばしばあったとのことである。


そんなロビンさんのもとには、グループレッスンにおいてはウェイティングリストができているほど、多くの人たちがロビンさんのもとでジークンドーを学びたいと思うのも、やはりロビンさんの熱い思いに惹かれているからだろうか。


ロビンさんは、セレブを中心としたプライベートレッスンや少人数のグループレッスン以外にも、地域への貢献として、女性のための護身術講座でジークンドーを教えているそうだ。


オランダは安全な国だが、それでも性犯罪があることは確かであり、ロビンさんが生まれたアムステルダムは犯罪が国内では最も多い地域であり、そうした地域で育ったこともロビンさんがジークンドーを習い始めたことと関係しているのかもしれない。


今日からはこれまで以上にジークンドーのトレーニング量を増やそうと思う。もちろん無理のない範囲で行いたい。とにかく長くマーシャルアーツを実践していくことが大切なのだ。しかしながら、今はもっとトレーニングをしたいという思いが強く、その思いには無理のない範囲で忠実になろうと思う。


ロビン先生のYoutubeチャネルはオランダ語だが、全ての動画を視聴していこうと思う。昨日の段階でいくつか動画を見たところ、言葉はあまりわからなくても、色々と参考になることがあったのだ。今日の鍛錬もとても楽しみだ。フローニンゲン:2022/1/10(月)09:12


7662. ステップの鍛錬に向けて/タン·サオとパク·サオの漢字から汲み取る意味


今し方日記を書き留めたところだが、今朝方の夢についてまだ振り返っていなかったので、振り替えをしておきたい。少しうろ覚えになってしまっているところがあるが、覚えている範囲で書き留めておこう。


まずは夢の中の身体感覚を覚えている。夢の中で私は、おそらくマーシャルアーツのトレーニングをしていて、体が十分に動いていることの爽快感を感じていた。


自分の身体が動きたい方に動いていき、身体の伸びやかさを感じていたのである。そこから次に、見知らぬ女性と欧州のどこかの街の郊外の長閑な場所で立場話をしていたのを覚えている。彼女は日本人だったから、日本語で話をしていた。


そこから突然、飛行機に乗ろうとする場面が立ち現れた。空港の雰囲気は変わっていて、空港と自然が融合している不思議な場所だった。雰囲気として大変好ましく、癒しを得られるような場所の中に自分はいた。記憶がとても断片的になってしまっているので、また何か思い出したら書き留めておこう。


さて、改めて昨日のプライベートレッスンを振り返ってみた時に、今日からはもっとステップを徹底して行おうと思った。ロビンさんも、ジークンドーにおいてはステップが最重要であると強調していた。


昨日は、ステップ&スライドという最も基礎的なステップから始まり、そこからプッシュステップへ移行し、最後にペンデュラムステップ(振り子のステップ)を習った。最後のペンデュラムステップは、防御として相手から一気に間合いを取る際に本能的に行っている動作だったので比較的うまくできたが、プッシュステップがまだイマイチだったように思う。


ロビンさん曰く、自分の動きは少し飛び跳ねてしまっているような形になっているとのことだった。もう一度原則に立ち返り、左足の母指球を使って地面をプッシュする形で前への推進力を生み、右足を前に出すという動きを確認しよう。


そして、後に戻る際には、右足の上足底を使って地面をプッシュする形で後ろへの推進力を生んで左足を後ろに引くということを意識しよう。これについては午前のトレーニングで何度も練習したい。


ロビンさんとのトレーニングでは中国語も結構習う。それはジークンドーの創始者ブルース·リーが香港で生まれ、中国武術に親しんでいたことからすれば自然であるが、聴き慣れない中国語を学んでいくこともまた面白い。


ブルース·リーが最初に鍛錬をしていた咏春拳(Wing Chun)の技を昨日2つ習ったが、タン·サオとパク·サオも中国語の発音だ。また、先生は“Sifu”というらしく、ロビンさんは自分にとってのSifuである。


ロビンさんから習う場合は、英語表記かつ英語の音だが、せっかくなので中国語表記も調べ、漢字からその背後にある意味を汲み取るようにしてみよう。こうしたことができるのは、漢字文化の日本で育った日本人としての特権かもしれない。


早速調べてみたところ、タン·サオは「攤手」と表記し、パク·サオは「拍手」と表記する。パク·サオはロビンさんの説明にあったとおり、そして自分がやりながら感じていたように拍手をする際の手の形と確かに同じだ。


一方で、タン·サオの漢字は難しい。日本の常用漢字ではないと思われるが、調べてみたところ、「攤」という漢字は、「開く」、「伸ばす」、「広げる」という意味があるらしく、2つ目の意味としては「緩やか」という意味もあるようだ。まさに1つ目の意味は動作の形通りだ。


さて緩やかというのは、この動作においてどういう意味だろうか。動作自体は素早く相手の打撃を受け流すためにために使われるのだが、肩や肘をリラックスさせて緩やかに動かすという意味として解釈できなくもない。


このように、中国語の語源に遡ってみると、色々と面白い発見がある。ここから中国語の発音に関する動作や技を習う都度、自分でその漢字を調べ、そこから自分なりに意味を汲み取っていこう。きっとこれは技術の上達につながってくるはずだ。フローニンゲン:2022/1/10(月)09:38


7663. 呼吸法から動的ストレッチへの流れ/夢の続きを思い出して


先ほど、朝の呼吸法と動的ストレッチを終えた。今朝方もいつものように動的ストレッチから始めようと思ったが、ふと、呼吸法から始める方がいいように思えた。それはガットフィーリング(gut feeling)すなわち、直感である。


直感に従って、今日はバンダ、ナウリ、そして火の呼吸をまず行った。いつも動的ストレッチを終えた後に水分補給をして、そこからバンダに入っていくのだが、バンダは水分も腹に入っていないような状態で行う方がより行いやすい。それはナウリや火の呼吸に関しても同様である。


先ほどそのような順番で行ってみたところ、バンダとナウリによって体の外側ではなく、内臓をゆっくりと動かすことによって体の外側を動かす準備が整い、火の呼吸によって全身が温かくなることによって、そこから動的ストレッチに入っていく流れの方が好ましいことがわかった。明日からもこの順番で行っていこう。


動的ストレッチをしながら、今朝方の夢について思い出したことがあった。早朝に書き留めていたように、空港にいた夢があったのだが、その時にこれからベルリン空港に向かおうとしていたことを思い出した。


すでに旅の終盤に差し掛かっていることが旅程表から分かり、ここから一度どこか別の空港に行って、乗り換えをしてベルリンに行くことになっていた。フライトの時間までまだあったので、空港のラウンジに向かった。


空港では小中高時代の友人と行動を共にしていて、彼と一緒にラウンジで食事を摂った。ラウンジのビュッフェは品数が多く、とても充実していた。野菜も果物も新鮮そうであり、それはとても有り難かった。腹八分ではなく、腹五分ぐらいフレッシュな野菜と果物を食べてから、空港内をぶらぶらしようと思った。するとそこで夢の場面が変わった。


動的ストレッチをすることによって、夢の記憶が蘇ってきたことは面白い。ひょっとしたら、今朝方の夢は自分の身体の筋肉に記憶されていて、筋肉をほぐすことによって夢が再想起されたのかもしれない。筋肉記憶(マッスルメモリー)は、マーシャルアーツのトレーニングのみならず、学習の根幹を成す。


昨日寝る前に、ロビンさんとのプライベートレッスンの情景を再想起しながら、記憶で構築された意識世界の中で身体動作をイメージしていた。朝起きてすぐに、昨日ロビンさんから宿題としてもらった動作をしてみたところ、寝起きでも昨日よりも上達していて驚いた。


拳と平手を左右ずらして行うエクササイズは、本当に日常どこでもできる。階段を降りていくときなどにも当然できる。


ロビンさんから習ったことはとにかく反復をし、習っていないことに関しても予習としてDVDや動画を見ることを通じて自主トレーニングをしていきたい。フローニンゲン:2022/1/10(月)10:37


7664. 師父ロビンさんからの教え:拮抗・反発しないこと


“Sifu”は、中国語で「師父」と表記し、マーシャルアーツの世界においては、先生を意味する。師父ロビンさんとの昨日のレッスンの中で、護身上、大切なことを早速学んだ。


恐怖心や不安が芽生えると、人はなかなか体が動かないものであり、呼吸も止まってしまう。道端で、例えば誰かに腕を引っ張られたとき、ついつい私たちは引っ張られた腕をひっぱり返すようなことをしてしまうが、護身上、さらには生体力学的かつ物理学的にもそれは賢明な動作ではない。


相手に腕を引っ張られて、それをひっぱり返すというのは、単純な力比べになってしまう。自分の方が力が強ければまだしも、相手の方が力が強い場合には、その力に負けてしまうのだ。


仮にこちらの方が力が強くても、引っ張られた腕に対して、その力に反発するように腕をひっぱり返すというのはエネルギーのロスでもある。じゃあどうしたらいいかというと、引っ張られた方向に動くのだ。


マーシャルアーツの世界では、よく「居着くな」ということが言われる。これはその場で足を止めるなということだ。止まっている相手は標的になりやすいし、何よりも止まっていると動きにエネルギーを乗せることが難しい。


マーシャルアーツでは居着くことを避け、絶えず動きながら動作を行っていくことを原則とする。その観点に加えて、引っ張られた腕の方向に、すなわち相手に向かっていくと面白いことが起こる。相手が自ずからバランスを崩してしまうのだ。


昨日、ロビンさんの腕を引っ張ってこのエクササイズをしてみたところ、ロビンさんが自分の方向に向かって来ると、自分の体のバランスは勝手に崩れた。危うくその場で倒れ込みそうになったほどだ。


ここでのポイントは、おそらく護身術を習っていないと、相手の力に対して拮抗するような形で、すなわち反発する形で動作をしがちだが、まさに合気道に見られるように、力を拮抗させず、相手が発揮している力の方向に動くと、相手は自然と崩れるのだ。それによって、その場から脱出することができる。


ここで1つ、道端で強引に腕を掴まれ、引っ張られた時には、ついつい恐怖心が芽生え、足が止まってしまいそうなことを思った。この点に関しては、護身術のトレーニングの中で、恐怖心を乗り越える鍛錬をしていくことも1つだが、本当に悪意や殺気を持った人間に対してはどうしても恐怖心が芽生えがちなので、少なくとも鍛錬を通じて、無意識的に足が前に出ていくようにトレーニングを積み重ねていくことが大事なのだと思う。


そのようなシチュエーションにおいて、体が無意識レベルで自然と動けるように鍛錬していくこと、それが護身術のトレーニングの意義なのだ。


そのようなことを考えながら、先ほど立ち上がった時に、ロビンさんからもらった宿題のエクササイズを行った。ゆっくりの動きだとかなりできるようになってきたので、少しばかり速度を上げたところ、そうなると手の動きがバラバラになってしまい、正しい動きができなかった。


これは攻撃と防御を同時に行う反射的な動きを鍛えるためにあるという意図をロビンさんに教えてもらった。目潰しの際には、確かに手を広げてもいいが、そうでない場合に不用意に手を広げて相手に差し出すと、指を掴まれて即座に折られてしまう。


実際に自分の指を折ることをしなかったが、ロビンさんは笑みを浮かべた真顔で私の指を折る仕草をしてくれた。それだけで恐怖心が芽生えたが、そのおかげでなぜ手のひらを差し出す形ではなく、基本は拳を前に出すのかの理由がわかった。


このエクサイズは頭の混乱をもたらすブレインツイストエクササイズではあるが、攻撃と防御を同時に無意識かつ素早く行うための素晴らしいトレーニングだ。今日も暇さえあれば何度も練習しよう。フローニンゲン:2022/1/10(月)10:56


7665. ジークンドートレーニング11(1/10/2022)

礼法とプッシュ・ステップのトレーニング


時刻は正午を迎えた。つい先ほど、ジークンドーの午前中のトレーニングを終えた。


まず行ったのは、昨夜ロビンさんから送ってもらった動画を見ながら、レッスンの最初と最後に行う礼法を練習した。これはいくつかの動作が流れるように行われるものなので、最初は意外と難しい。


ここで発達心理学者のカート·フィッシャーのダイナミックスキル理論の基本に立ち返り、1つ1つの動作を分解して、まずはそれらを丁寧にステップバイステップで行っていった。すると、やはり学習がしやすく、最後にそれらの動作を一連の流れの中で行うように身体動作を総合ないしは統合させていった。


ロビンさんの動画は引きのものだったので、いくつかYoutube上で動画を調べてみたところ、いずれも若干違う手の運びや足の運びをしていて、これは流派の違いなのだろうか気になった。


ジークンドーはブルース·リーが創始して以降、いくつかの流派に分かれていった歴史があるようであり、どれがオリジナルな礼法なのかわからず、おそらく正しい間違いはないだろうが、一応このあたりの違いについてロビンさんに尋ねてみよう。


礼法の練習をしばらくしていると、ロビンさんが昨日示してくれたように、おそらくこの礼法の1つ1つの動作にも意味があるのではないかと思った。日本のマーシャルアーツの歴史の中でも、武術が禁止された際に、秘技を踊りの中に隠したという歴史があるように、この礼法の型の中にも秘技につながるような意味や意図があるに違いない。それらについてはこれからの練習の中で徐々に自分で紐解いていき、ロビンさんにも尋ねてみようと思う。


礼法の練習の後に行ったのは、プッシュ·ステップだ。これはすでに十分練習していたつもりだったが、いざロビンさんに見せてみると、意外と穴があることに気づいたのである。


プッシュ·ステップとしてやっているつもりの動作が、実はまだ独学でも習っていなかったペンデュラム·ステップに近いということがロビンさんの指摘によって明らかになった。そうしたこともあり、先ほどのトレーニングではひたすらにプッシュ·ステップを繰り返していた。


ここでも単に何も考えず反復練習をしていても意味がないので、1つ1つの動作を自分なりに確認しながら行った。また、今の自分が思っているこの動作の本質を絶えず念頭に置きながら、最初はそれらを意識的に体現できるように動作を繰り返していった。


いくつもの注意点を最初のうちは1つ1つ意識に上げて練習し、それがいつの日か意識せずとも全てが統合される形で動作に反映されるだろう。そこを目指して、午後のジークンドートレーニングもまたプッシュ·ステップを行い、そこからは別の練習に入っていく。


昨日の冒頭でロビンさんが、「自分が教えるのはあくまでもロビンのジークンドーであり、それを参考にしながらも、最終的には自分のジークンドーを見つけなさい」という言葉掛けをしてもらった。事前にロビンさんには、ジークンドーDVDを見ながら独学で練習していることを伝えていて、ロビンさんはそれを止めることなく、今後教えてもらう様々な技の予習としてDVDを見ることを今後も続けていきたいと思う。


その際に、変な型が身につかないようにすることだけ注意しよう。正しい型を習得することを意識して、今日の午後のトレーニングでは、ジークンドーの基礎的な動作を網羅的に解説している動画を見ながらトレーニングをしようと思う。フローニンゲン:2022/1/10(月)12:14


7666. ピーター·アーツやアーネスト·ホーストとチームを組んでいたロビンさんについて/同伴者としての師


つい今し方、昨日のお礼に合わせて、ロビンさんにメールを送った。その中で、2つほど質問をした。


そのうちの1つとして、ここからどれくらいの期間をかければジークンドーのインストラクーになれるのかを尋ねてみた。自分は真剣にジークンドーと向き合いたく、肩書きを求めてではなく、ジークンドーの叡智を多くの人に共有したいがためにインストラクターになりたいと思う。なので、ロビンさんに率直に尋ねてみた。


ロビンさんが提供しているグループレッスンはオランダ語で参加が難しいが、昨日ロビンさんから声掛けがあったように、ワークショップはできる限り全て参加したいと思う。ワークショップもオランダ語とのことだが、雰囲気と動作から言わんとしていることはわかるであろうから、今後ワークショップが開催されるときには、それがオランダのどこで開催されても参加したいと思う。


ロビンさんのウェブサイトを改めて先ほど見ていたのだが、色々と驚くことを知った。まず、ロビンさんがマーシャルアーツを始めたのは6歳の頃だという点だ。昨日聞いていた14歳のエピソードは、ジークンドーとの出会いのことだったのだと改めて思う。


そこから、ロビンさんの話にあったように、ウェブサイトにもピーター·アーツやアーネスト·ホーストとチームを組んで一緒にトレーニングをしていた話が書かれていて、改めてロビンさんが筋金入りの格闘家であることを知った。さらには、ピーター·アーツや元RINGS無差別級王者のギルバート·アイブルにスポーツ栄養学の指導をしていたこともあったらしく、その経歴も大変興味深い。


ロビンさんとの思わぬ共通点として、バスケをやっていたことや音楽好き——いくつかのバンドに参加していて、ベースプレイヤーとしての音楽家としての側面も持つ——という点も見つかったことによって、より親近感が増した。ロビンさんはもう50歳ぐらいだが、今度バスケを一緒にやろうとお誘いをしておいた。そのときには親友のメルヴィンも誘おうと思う。


昨日のレッスンを振り返ってみると、まだまだ印象に残っていることがある。1つとしては、レッスン中はロビンさんを敬いすぎるなということである。


オランダ語は英語と違い、日本語のように年長者や見知らぬ人を敬う表現がある——英語にもそうした表現はないことはなく、丁寧語はあるのだが——。そうした文化的な特徴から、レッスン中にロビンさんを過度に敬いがちなことはオランダ人の生徒にも見られるらしく、日本人である自分もその点は気をつけようと思った。


またそれに付随して、何かミスがあってもロビンさんに謝る必要はなく、これまで冗談めかしたルールとして、レッスン中に「すいません」「ごめんなさい」と謝るような言葉が出たら、その回数ごとに1杯のビールをロビンさんに奢るというものがあったそうだ。


そうすると、1週間のうちに、飲み切れないほどのビールを奢られる権利をロビンさんが獲得したらしく、笑いながら、もうそのルールは撤廃したとのことだった。


ロビンさんは自分にとって大切な先生であり、敬う気持ちを持ちながらも、過度に敬うのではなく、自分なりのジークンドーを発見·開拓していく同伴者として導いてくれる存在だとこれからは思いたい。フローニンゲン:2022/1/10(月)13:49


7667. ジークンドートレーニング12(1/10/2022)全体把握と滑らかなモーション


つい今し方、買い物から帰ってきた。今日のフローニンゲンはすこぶる天気が良く、買い物に向かう最中のジョギングはとても気持ちよかった。


雲1つない夕方の青空を眺めながらジョギングし、街のシンボルであるマルティニ教会が視界に入ったとき、教会が輝いて見えた。文字通り、夕陽を浴びて輝いていたことは確かだが、物理的な輝きだけではなく、教会が体現している精神が輝いていたように思えたのだ。


買い物に行く前の午後のジークンドーのトレーニングについて振り返っている。そこではDVDを見ながら基礎的な動きを確認していった。


まだまだ基礎的な動作でも習ったことのないものが多々あり、まずは全体を把握するために、手持ちのDVDをざっと全て見ることが大切かと思った。学術書を読む際と要領は同じであり、最初から細部ばかりに目を向けていては学習が進まないのと同じだ。


まずは全体を把握することが大事であり、全体を把握しながら1つ1つのトレーニングを丁寧に行っていけばいい。そうした意味で、ここから夕食までの時間には続きのDVDを見て、午後のトレーニングの第2部を行おうと思う。


今朝方に書き留めていたトレーニングからまた新しい意味を汲み取った。なるほど、詠春拳におけるタン·サオ(攤手)の持つ「開く」「広げる」という意味は、相手の打撃を手を開きながらあるいは広げながら受け流すという意味だけではなくて、攻撃のスペースを生み出すという意味での開く·広げるという意味があることに気づいたのだ。このように、語源にまで遡って意味の探究をしてみると、新しい意味が紐解かれていくことが興味深い。


昨日のレッスンで、ロビンさんから、バックフィストは濡れた雑巾をピシャッと当てるようなイメージで行うと良いと教えてもらった。マーシャルアーツのトレーニングにおいては、兎にも角にも自分の体で感じ、動きを体で表現しなければならないが、そのときにメタファーは有効である。言葉を当てる際にもできるだけメタファーを駆使して、その動きの要諦を掴んでいきたいおものだ。


さて、バックフィストによるカウンター攻撃の際には、相手の打撃をパク·サオで防ぎ、本来はそこから速やかに連動する形でバックフィストを繰り出さないといけないのだが、自分の場合は、それらの動作が分断してしまっていて、流れるように1つの動作として行えていないことが課題だ。


この課題感を持って、パク·サオからバックフィストの一連のモーションをより滑らかにしていくように鍛錬していこう。それでは今から、午後の第2部のトレーニングに移る。


今日は、起床してから今に至るまで、買い物や創作活動を除けば、ジークンドーに関することしかしていない。それでいいのだ。フローニンゲン:2022/1/10(月)16:42


7668. ジークンドー用のシューズを購入して/截拳道の意味について


時刻は午後7時半を迎えた。先ほど夕食を摂り終えた。


今日は1日を通してずっとジークンドーのトレーニングをしていたり、トレーニングログを書いたりしていて、ジークンドー漬けの1日だった。トレーニングに加えて、午後に買い物に行くがてらジョギングをしていたこともあってか、夕食がなお一層のこと美味しく感じられた。マーシャルアーツの鍛錬を始めたことによって、こうしたところにも良い影響が出ていることを嬉しく思う。


夕方に、今後のジークンドーのトレーニング向けてシューズを購入した。ジークンドー専用のシューズというのは基本的になく、テコンドーや太極拳で使えるシューズを1足イギリスのアマゾンを経由して注文した。それに合わせて、衝撃防止のインナーソールも購入した。


昨日のトレーニングにおいては裸足であったが、今後はキックの練習をするであろうから、シューズがあった方がいいと思った。そもそもジークンドーの護身術を発揮する場面というのは、靴を履いている外であろうから、やはりシューズがあった方がいいと判断した。


自宅でのトレーニングに関しては引き続き裸足でもいいかもしれないが、思わぬ怪我の防止のためにシューズを履いていてもいいかもしれない。そのあたりはまた考えてみよう。


夕方の第2部のトレーニングでは、まさに蹴りの練習を行った。ジークンドーにおける全ての蹴り技は、ニー·ファーストの原理に基づく。つまり、全ての蹴り技は膝を上げることから始まるということである。この原理に則って練習を重ねた。


途中でDVDを止めながら練習をしたり、メモを取りながら視聴を進めていたので、結局今日見終えようと思っていた内容を全て見ることができなかった。残りに関しては明日に回そうと思う。


ジークンドーを漢字で表記すれば、「截拳道」と書く。これは拳を「截つ(たつ)」という意味がある。原義は、相手の拳を截ち、先手あるいはカウンターを決めるという意味がある。


だが、さらに深い意味においては、相手の拳を截つということではなく、自らの拳を截つという意味もあるのではないかと思う。すなわち戦わずして勝つという言葉があるように、本当に強き者は無駄な戦いを避けるはずであり、ジークンドーの哲学にもそのようなものがあるのではないかと思う。


そのようなことを考えながら、改めてジークンドーの先生のロビンさんについて今日知ったことを回想していた。どうやらロビンさんは、1969年生まれのようなので、今年で53歳のようだ。


ロビンさんは6歳でマーシャルアーツを始めたことは前の日記に書き留めていたが、ジークンドーに出会ったのは1984年とのことだ。自分が生まれるよりも前からジークンドーの道に入ってきたことを思うと、その鍛錬の積み重ねに感服する。


またロビンさんは、K-1の英雄の1人であるアーネスト·ホーストとワークショップを提供していたりもすることを本日知った。ひょっとしたらいつか、自分が昔日本でテレビで見ていたK-1選手と会う機会がロビンさんとの協働を通じて起こるかもしれない。そんな期待が密かにある。フローニンゲン:2022/1/10(月)19:47

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