No.3116 光の祝い_Celebration of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1144, Graceful Light
The grace of the morning came to my soul.
It radiates graceful light to my entire existence.
Groningen; 06:40, 1/7/2022
No.1145, Theology of Martial Arts
Theology of martial arts is my academic and practical interest now.
It would contribute to liberating people from a number of constraints established by modern life.
Groningen; 12:23, 1/7/2022
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本日の3曲
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タイトル一覧
7637. ファスティング4日目の朝を迎えて/今朝方の夢
7638. 朝の動的ストレッチと呼吸法を終えて
7639. システマトレーニング5(1/7/2022)腹部のマッサージと重たい打撃
7640. 4日間のファスティングの最後に/システマトレーニング6(1/7/2022)骨と健の活用と身体のアンラーン
7641. 食べることの至福さに包まれて/汝自身を知り、抑圧を解放していくシステマ
7642. あり方・生き方としての武術鍛錬/ジークンドートレーニング7(1/7/2022)オンガードポジションにおける防御の意識
7643. 言葉の力を取り戻して/マーシャルアーツ神学の探究に向かって
7644. 今日の座禅体験を振り返って/身体の望む方向に
7645. 芳しき世界の中で/微光/同調の鍛錬
7637. ファスティング4日目の朝を迎えて/今朝方の夢
時刻は午前4時半を迎えた。ファスティングの4日目が始まった。
ファスティングの進行は、これまでのところ極めて良好である。体の調子はとても良く、この分だとまだまだファスティングを続けられそうだが、一応今夜に回復食を摂り、今回のファスティングを終えようと思う。
回復食と言っても果物を摂るぐらいなので、結局は明日の夜までプチファスティングが続き、合計で5日ほどのファスティングを行うことになるだろうか。
天気予報を確認すると、午前7時ごろを目処に雪混じりの雨が降るようだ。それは比較的早く止み、昼前には天気が回復するようなので、回復食のためのフルーツを購入しに買い物に行こうと思う。
フルーツは、イチゴとブルーベリーにしようかと思う。あるいは少し繊維質を取る意味で、オレンジを購入してもいいかもしれない。最終的に何を購入するかは、実際にオーガニックスーパーに到着してから決めよう。
現在、オランダはロックダウン中である。ロックダウンと言っても人々の生活のあり方はあまり変わっておらず、街中でマスクをする人はもちろんいないし、強いて不便な点を挙げるのであれば、やはり美容院やジムが閉まっていることだろう。
ロックダウンが解除されたら、ジムでサウナに入ることや、近所で見つけたマッサージ屋に行ってみようと思う。2022年はとにかく身体を整えること意識して生活を送りたいと思う。より整った身体を通じて日々を生きることを習慣化していきたい。
今朝方は2つほど夢を見ていた。夢の中で私は、見たことのない池のほとりにいた。その池は小さくなく、プール3面分ぐらいの大きさがあった。
池の周りを取り囲むような崖があり、崖の向こう側に1軒の小屋があった。その小屋に向かってみると、小屋の中に小中学校時代の2人の友人(SN&AW)がいた。片方の友人は少し肥満気味であり、もう片方の友人がそれをからかうようなことを述べて、険悪なムードになり、2人は少し小突き合いを始めた。
それを見た私は2人を宥めるような言葉を掛け、片方の友人をいったん小屋の外に出るように促した。小屋を出た後、私は池のほとりに向かった。
すると突然、自分の体が宙に浮き、池のほとりから低空飛行をしながら池の上を飛ぶことができた。だが、如何せん飛ぶ高さが低く、池の水面に体が接触して濡れてしまうことを恐れた。
一度池の端まで飛び、崖を超えられるか試したが、高く飛ぶ力がなく、あえなく引き返した。池のほとりに引き返してみると、近くの岩の上に先ほどの2人とは違う友人(TF)がいた。
彼は双子の友人の弟の方であり、岩の上で何をしているのかと思ったら、釣りをしているようだった。彼と少し話をした後、それが良い休憩になったかと思ったので、再び池を飛んで崖を超えられるかを試していた。
ところが今回もやはり崖を超えられるほどの高さで飛ぶことができず、あえなくまた引き返した。ただし今回は、引き返す際に見つけた崖の下の空間に入っていった。
見上げると、大きな氷のつららが天井から何本か降りていて、それに触れてみた。すると、つららが人の形になって、ポロリと池の中に落ちていき、それは底の方に向かってゆっくりと沈んでいった。
次に見ていた夢は、カードゲームをしているものだ。友人の誰かと対戦をしていて、ゲームの開始はとても幸先が良く、自分の戦略通りに事が進んだ。
ところが一度、出すべきカードではないものを場に出してしまい、少し調子が狂いそうになった。しかし、次のターンで引いたカードが自分のライフポイントを全回復させるだけではなく、初期のライフポイントの2倍まで回復させるものだったので、安心してそこからゲームを続けることができると思った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/1/7(金)05:02
7638. 朝の動的ストレッチと呼吸法を終えて
時刻は午前6時を迎えようとしている。先ほど、朝一番の動的ストレッチを呼吸法のエクササイズを行った。
一昨日、久しぶりに割座をやってみると、その動きに必要な筋肉が随分と硬くなっていることに気づき、意識的にほぐし始めた。すると今朝方は一昨日に比べて柔軟性が増しているように感じたれた。その証拠として、割座をすることが楽に感じられたのである。
もちろん、まだまだ柔軟性は高められるであろうから、引き続きこの部位の動的ストレッチを行っていきたい。今、様々な部位に対して動的ストレッチを行っているのだが、やはりこれまであまり意識してこなかった部位は硬い。そうした部位を見つけていくプロセスがとても面白い。身体に関する自己発見を毎日行っている感じだ。
股関節周りがさらに柔らかくなってくれば、ハイキックも可能になるだろう。昨日のジークンドーのトレーニングの時にどこまで足が高く上がるか試してみたが、ミドルキックはバランスを崩さずに行えても、ハイキックまでは足が上がらないことがわかった。
引き続き股関節周りを柔らかくしていくことによって、ハイキックの高さまでまずは足が上がるようにしていきたい。
動的ストレッチの最中に、合わせて目のエクササイズも行ってみることにした。肩甲骨を回す際や首のストレッチをする際に、眼球を左右上下に動かしたり、回転させることによって、目の周りの筋肉をほぐすことができる。最近は寝る前にベッドの上で眼球の筋肉をほぐすことを意識的に行っている。
武術のトレーニングをする時や日常において眼鏡をかけていると不便なので、眼鏡を必要としないほどに視力を回復させていきたいと思う。目の凝りをほぐしていけば、視力も回復していくだろう。
凝りをほぐすのと同時に、遠近のピンぼけを修正するようなエクササイズを行ったり、動体視力を高めるエクササイズをしていこう。ちょうど昨日に届いたボクシングボールを使うと動体視力も高まるのではないかと思う。
動的ストレッチの後に行ったのは、バンダ、ナウリ、そして火の呼吸のセットだ。これを朝一番にやるのとやらないのとでは1日の集中力がまるっきり異なる。
兎にも角にも、バンダやナウリは内臓のマッサージになり、内臓の調子が整うのが素晴らしい。また、火の呼吸によって全身の細胞に酸素が行き渡り、体が温まる。
今はファスティング中なので、常時胃に何も入っていないので、そうしたエクササイズを常に行えることが喜ばしい。朝の時間帯は特に、バンダとナウリを何か作業をしながらでも行うことを意識してみよう。フローニンゲン:2022/1/7(金)06:09
7639. システマトレーニング5(1/7/2022)腹部のマッサージと重たい打撃
つい今し方、午前中のシステマのトレーニングを終えた。普段はジークンドーのトレーニングを午前中に行っているが、今日の気分からするとシステマのトレーニングを先に行いたいと思ったので、そのような流れになった。
まずは、システマ式のマッサージを自分に施した。具体的には、腹部をマッサージするものである。これはマッサージによって腹部の緊張をほぐすだけではなく、パンチを受ける練習にもある。
お腹が凝っていると、お腹にパンチを受けた時のダメージが増してしまうのだ。それを防ぐために、お腹を普段からどれだけ緩められるか、お腹の緊張をどれだけ取り除いておくかが重要になる。
実際にマッサージをやってみると、いくつか緊張している箇所があり、それをほぐしていった。この時に思ったのが、やはりこれまでやってきた一般的な筋力トレーニングの弊害である。
腹筋を鍛えようと思って腹筋の外側ばかりを鍛えがちであり、そうすると腹部の内側に緊張が生まれてしまう。おそらくこれまで行ってきた腹筋トレーニングよって、そのような緊張と凝りが腹部の内側に溜まっていたのだと思われる。
腹部のマッサージをする際には、仰向けになり、足を曲げるとお腹を緩めることができるのでマッサージが行いやすい。腸は第二の脳と言われるぐらい重要な部位であるため、このマッサージ朝と夜寝る前にベッドの上で行いたいと思う。
自分の身体の緊張の箇所を特定し、それをほぐしていくのはヒーリングになり、護身上は相手の緊張を見つけてそこを攻撃する際に有益である。まずは常日頃から身体の内側の隅々を意識でスキャンするようにし、緊張を特定する鍛錬を積もう。緊張箇所が見つかれば、あとは呼吸を通じてほぐしていけばいいのだ。
マッサージの後に行ったのは、リラックスで生まれる力をもとにした打撃の練習である。打撃をする際には、まず相手の体に拳を当て、フィット感を探る。拳と相手の体とのフィット感覚が強ければ強いほど、打撃を打った際の力の伝導率が高まり、威力のある打撃となる。
その他のポイントとしては、掌に鉄球を持っているようなイメージを持つと拳が重くなっていく感覚があり、そこから鉄球の鎖と支点を腕や肩と見立ててそれらの箇所を緩めて打撃を打つと、重たい打撃を繰り出すことができる。
そこから創造性を働かせて、鉄球ではなく、地球を掌に乗せているイメージで打撃を打つ練習をしてみた。このあたりは常日頃から、掌に重たいものが乗っている感覚を持ち、同時に拳以外の箇所は緩めるということを意識したい。
ここからまた午後のジークンドーのトレーニングが楽しみだ。時刻はまだ午前9時なので、ひょっとしたら今日は昼前にジークンドーのトレーニングをするかもしれない。フローニンゲン:2022/1/7(金)09:09
7640. 4日間のファスティングの最後に/システマトレーニング6(1/7/2022)
骨と健の活用と身体のアンラーン
時刻は午後5時に近づいている。今日は午後に3時間弱ほど座禅瞑想をしていた。
旅行を終え、ファスティングの最後の日に精神修養をして明日からのまた新しい日々を生きていこうと望む自分がいたようだ。
3時間ほど静かに座していると、深い意識状態に誘われ、今日はコーザルの意識状態から目撃者の意識状態、そして非二元の意識状態まで移行していたように思う。
昨日まではそうではなかったが、今日はファスティング4日目ということもあり、体がケトーシス状態にあり、それが瞑想時の意識状態を深めることに寄与したのだろう。
昨日の段階で宿便が排出され、今日はケトン体で身体が動いているときの独特な体の香りがする。当初の予定通り、4日間のファスティングを今夜終えようと思う。
昼前に買い物に行くと、オーガニックのイチゴが売られていなかったので、結局今夜は芋類を中心にして温野菜を回復食として食べたい。回復食といってもそれはいつもの夕食とほとんど変わらないのだが。
唯一違いがあるとすれば、卵やチーズなどの乳製品を摂取せず、ケールのように少しギザギザした野菜を食べないようにすることぐらいだろうか。ギザギザした野菜を食べない理由としては、デトックスが終わり、デリケートな状態の胃腸のひだや壁を傷つけないようにするためである。
結局今日はジークンドーのトレーニングは簡単にステップの確認で終わり、システマのトレーニングを引き続き行った。システマのプッシュアップとスクワットが一般的な筋トレと異なるユニークな点は、システマではそれらの動作を筋肉で行わず、骨格を使って行うことにある。
筋肉の疲弊は早いが、骨は疲弊しないという観点と、構造的に骨を活用した方が安定するという観点がある。また、筋肉に比べて腱は疲れにくいため、システマでは筋肉を鍛えるというよりも、正しい体の使い方を覚えさせていきながら——時には誤った体の使い方をアンラーンさせながら——腱を鍛えていくことを意識する。
絶えず呼吸を途切らせることなく、骨と腱を活用した形でエクササイズを行う点がシステマのユニークな点だ。確かにこのようにプッシュアップやスクワットを行ってみると、ほとんど疲弊しない。
もちろん最初は身体のいろんな箇所に緊張が見られ、それを呼吸と共に解放していくことが求められる。それを続けていくと、力むことなくプッシュアップやスクワットが行えることがとても印象的だ。
これは何もプッシュアップやスクワットだけではなく、システマのトレーニングは日常のあらゆる所作に対しても行える。1つ1つの動作が自己発見と学びの機会となり、これまで仮に歪んだ形で体を使っていたのであれば、それを矯正し、より健全な肉体を作っていくことができる。
システマのトレーニングを毎日行ってしばらく経つが、本当に身体が日を追うごとに健康·健全になっていくのを実感する。
ここ最近は、ヨガマットの上で身体を動かしていることが多い。ジークンドーのトレーニングをする際には、固いフロアの上でトレーニングをしているが、いずれにせよ座っている時間が随分減った。
人間は本来、動くようにできている生き物であり、現代のように何時間も座っているというのは異常なことなのだ。実際に、長時間座る生活を送ることが寿命を縮めるという話も聞くぐらいである。
ここからは体を思いっきり動かして喜びを表現する子供のようなあり方と、自分の身体の状態把握と身体の使い方を学んでいくという探究者のあり方を持って日々のトレーニングに励みたい。フローニンゲン:2022/1/7(金)16:57
7641. 食べることの至福さに包まれて/汝自身を知り、抑圧を解放していくシステマ
時刻は午前6時半を迎えた。つい今し方、4日間のファスティングを終えた。
昼前に購入した豆腐、そして野菜と味噌汁を回復食として食べたのだが、毎回のファスティングと同じように、こうも食べ物が美味しいのだという深い味わいの感覚があった。
ブロッコリーを切りながら、それをついつい茹でる前に少しかじったのだが、その甘みに驚いた。また、赤々とした大きなトマトに塩を付けて一口かじった時、トマトの旨味に舌鼓を打った。
そこからはクロレラ入りの味噌汁に茹でた野菜を入れながら食べたのだが、普段以上にゆっくりと噛みながら1口1口を味わうことによって、食べるという行為の有り難さが身に染みた。こうしたことに気づかせてくれるのもファスティングの良さである。
食実践というのも当然ながら武術の鍛錬になる。心のこもった質の良い食材を食べることだけではなく、食材とどのように向き合い、料理をどのように食べるのかに武術的な鍛錬の鍵がある。
マインドフルな食実践。今日は特にそれが自然と行えていて、食後にこのような幸福感を感じられることに改めて驚く。明日からの食事もできる限りファスティング後のこの感覚のようにいただきたいものだ。
洗い物をしながらふと、システマが大切にしている「汝自身を知る」ということについて考えていた。システマのトレーニングで面白いのは、他者と比較したり、競争したりすることなく、また強さを求めるのでもなく、自分の可能性を妨げているブレーキを漸次的に解放していくことを通じて、少しずつ自分を知っていくというプロセスがある。
現代社会を生きる上で、私たちは自らの可能性を抑圧しながら生きている。そうした抑圧の存在に気づき、それを少しずつ解放していくことをシステマは大切にしている。
生きづらい世の中において、世界そのものを変革させていく試みも重要だが、変革の前段階として、人々がより楽に生きれるような叡智がマーシャルアーツの中にあり、それを多くの人に共有することが重要に思える。そんな思いが日増しに強くなる。
現代社会というマトリックス世界は、テクノロジーやマネーに強く立脚する形で構築されている。もちろんながら、テクノロジーやマネーの内在論理と構造矛盾を様々な学問領域を通じて探究し、変容に向けた実践を行っていくが、なんとか多くの人たちにマーシャルアーツの叡智に触れ、その鍛錬を通じて今よりも少しでも楽に日々を送ってほしいという思いがある。
楽に生きればいいのだ。どうして肩肘を張って、常に何かと闘いながら生きる必要があるだろうか。
私たちの存在、そして人生は水の如くあるべきである。水はどんなものにでも形を変えていける。そこには余計な抵抗がない。
水の如き存在として、水の如き人生を歩んでいけば、そこには余計な力みもなく、自分本来の自然体で生きれるはずなのだ。
今後の活動の基軸はやはりマーシャルアーツにある。これまでは創作活動としてのアーツとリベラルアーツを軸に生きてきたが、そこにマーシャルアーツを加えて、三位一体の探究と実践の人生を歩んでいく。
その過程の中で得られたことは全て「クリエイティブコモンズ」なのだ。クリエイティブコモンズは本来、特許や著作権をオープンにすることによってより豊かな社会を実現していくあり方のことを指す。
自分が探究の過程で得られたことも全く同じである。少しでも多くの人の人生に寄与するように、社会に寄与するように、得られことの全てを共有していく。そのようなあり方をこれからはより透徹していく。フローニンゲン:2022/1/7(金)18:54
7642. あり方・生き方としての武術鍛錬/ジークンドートレーニング7(1/7/2022)
オンガードポジションにおける防御の意識
武術の鍛錬を本格的に始めてからというもの、毎日が嘘のように充実している。これまでも日々は充実していたが、それとはもはや比べ物にならないほどに毎日が活力に漲り、ビッグバンに匹敵する充実感の果汁が内側から溢れ出している。
今は毎日、本当に武術に関することしか行っていない。もちろん創作活動は継続しているし、社会的な生き物としての人間生活を捨てているわけではない。
むしろそんな形で武術の鍛錬をしている者は、真の武術家とは言えないのである。座禅に明け暮れ、座禅しかしない愚者のように、武術に明け暮れ、武術しかしない愚者になってはならないのだ。
むしろ、座禅も武術もそれが日々の生活の隅々にまで浸透していくことが重要なのだ。武術は日々のあり方そのものであり、生き方そのものなのだ。
確かに武術の鍛錬を始めたことによって、ふとしたときに色々なトレーニングをどんな時にもどんな場所でも行うようになり、自宅であれば、できるだけ長時間座ることをせず、座っていたとしても何かしらのトレーニングをするような心がけをしている。また、読む書物も武術関係ばかりになっていることは確かだ。
今はとにかく武術的な鍛錬を習慣化させるフェーズであり、そうしたフェーズにおいては時間もエネルギーも十分にそれに充てることが重要かと思う。そのようなことを考えながら、夕食前に行っていたジークンドーのトレーニングについて振り返っておきたい。
今日は、ジークンドーの最も基本的な動作であるオンガードポジションをもう一度復讐した。同じ動画をもう何度も繰り返し見ているが、毎回発見があることが驚きである。
やはり自分が日々変化しているのだ。毎回のトレーニングで自分は確かに小さく変化していて、だからこそ絶えず何か新しいことに気づき、それを学び取ることができるのだと思う。
こうした気づきと学びを通じて、自己の新しい側面を発見できること。それはまさにマーシャルアーツの意義の1つではないかと思う。
さて、オンガードポジションについて今日改めて再認識したのは、利き手ではない左手は相手の攻撃を防ぐために、肋骨と顎をカバーすることが重要だという点である。相手がいない状態でトレーニングをしていると、防御の意識が薄れ、ついつい利き手の右手に意識が向きがちである。
それを自覚し、左手は肋骨と顎をきちんと守るという意識を持ってオンガードポジションをやっていこうと思う。構えの基本に何度も立ち返ることによって、新たな気づきが増し、構えも定着していく。明日もまたどんな発見があるかを楽しみにしながら、今夜も早めに就寝しよう。フローニンゲン:2022/1/7(金)19:06
7643. 言葉の力を取り戻して/マーシャルアーツ神学の探究に向かって
昨年の終わり頃から、自分の言葉の力が弱体化しているような感覚があった。それに加えて、書き言葉における言葉があまり出てこないような感覚があった。
そんな時にアトピーの再発があったように思う。それは身体を見つめ直せというシグナルだったのだろう。
そのおかげでこれまで行っていた筋力トレーニングを抜本的に見直しただけではなく、武術と再会できたのだ。武術との再会のおかげで、再び自分の言葉に力が蘇ったかのような感覚がある。
身体的修練の大切さを身をもって知る。存在の入れ子の観点からすると、ボディの鍛錬と修養がなされていないと、その上部構造のマインド、ソウル、スピリットなど涵養しようがないのである。
鍛錬と修養がなされたボディがない状態で、上部構造に関する実践をしても、それは結局砂上の楼閣が出来上がるに過ぎない。そんなものは吹けば簡単に飛んでしまうのだ。
下部構造の屈強さのない脆弱なマインド、脆弱なソウル、脆弱なスピリットを求めることに何の意味もない。天上とつながるために地上と繋がること。そのためにはボディと深くつながり、それを養っていくことが不可欠である。
ここ数日間において、マーシャルアーツに関する文献が揃い始めてきた。もちろんトレーニングの方法に関する書籍が多いのは確かだが、思想的な書物もいくつかあり、ここからもう少し思想的な書物が届く。ケンブリッジ大学出版やラウトリッジ出版などの学術書に定評のある出版社からいくつかマーシャルアーツに関する学術書が出版されていることはとても喜ばしい。
ここからは、「マーシャルアーツ神学(theology of martial arts)」という領域を自ら作り、自ら開拓していこうという気概がある。マーシャルアーツに対して哲学や科学のアプローチを採用するのも重要だが、それらのアプローチは依然として人間の視座の範疇にある。
人間の視座を超えて、超越的な視座からマーシャルアーツを捉えていくことによってしか得られない洞察があるはずなのだ。超越的な視座をもたらしてくれるのが神学の大きな価値である。
人間中心主義的な発想でマーシャルアーツを探究するのではなく、神的な発想でマーシャルアーツを探究していくこと。2023年に仮に神学大学院に進学することができたら、それを探究していく。
今年は神学大学院のアプライに向けて準備をする年でもある。自身にとって4つ目の修士号がまさかマーシャルアーツと神学になるかもしれないというのは想像していなかったことであり、そこから博士課程に進学したら、そこでもマーシャルアーツ神学を探究していく。
それが自分の使命のように感じる。2022年の年初に天命が降ってきた感覚がある。自分にできることはその天命に従って日々を十全に生きることだけだ。フローニンゲン:2022/1/7(金)19:23
7644. 今日の座禅体験を振り返って/身体の望む方向に
時の流れは水の如く、呼吸の流れも水の如きである。自分は水であり、自分を取り巻く世界も水のようである。そんな自己認識と世界認識の感覚がある。
今日の昼過ぎから行っていた3時間弱の座禅瞑想は、ここでは書き留めることができないほどに深い体験があった。それはトランスパーソナル的な体験であり、超心理学的な知覚体験もあった。また身体現象学的にも通常の意識状態で得られない体験があった。
欧米での10年間、様々な精神修練技法に触れてきた自分からすれば、そうした体験はもはや珍しいものでもなんでもないが、毎回そうした体験が得られる都度、自己と世界に対する新たな気づきがもたらされることは確かだ。
明日以降もこの感覚をしばらく携えて生活をすることになるだろう。確かに今日の体験は一時的なものだが、こうした超常的な体験を積めば積むだけ、それが恒常的なものに変わっていくのも事実だ。その点において、やはりこうした仮初め的な超常体験にもまた固有の価値があり、それは贈り物ようなものだと言えるだろう。
今夜は幾分いつもより日記を書いているように思う。筆が勝手に動くのだ。
なるほど、これもた武術の鍛錬による副産物に違いない。先ほど書き留めたように、武術の鍛錬を始めることによって、自分の言葉に力が蘇ってきた感覚がある。
それ以外にも、武術の鍛錬として動的ストレッチなどを毎日行うことによって、身体が自らの動きたい方向に動けるようになってきているのを実感する。ボディの可動領域が広がり、ボディが伸び伸びと動けるようになると、マインドの可動領域も広がり、マインドも伸び伸びと動けるようになるのだ。
それはおそらく、発想や思考の柔軟性とも密接につながっているだろう。さらには創造性とも深くつながっているはずだ。
このようにボディが本来望む方向に動けるようになり、マインドも伸び伸び動けるようになってくると、ソウルやスピリットもまた自由自在に羽ばたける。
先ほど、「マーシャルアーツ神学」という領域を自ら作り、その領域を開拓していこうと思ったのもまた、ソウルやスピリットによる働きかけだろう。
身体が硬っていては決して天啓を受けることなどできないのではないかと思う。天啓を授かるためには、ソウルやスピリットが開放·解放されている必要があり、その前段階としてマインドが、そしてその前段階としてボディが開放·解放されていなければならないのだ。
ボディの膠着は全てを膠着させる。マインド、ソウル、スピリットの膠着、そして人生の膠着だ。
人生を膠着させずに、自らのソウルとスピリットが望む方向に自由闊達に生きていくためには、ボディを解き放つ必要がある。そんなことを教えてもらった気がする。フローニンゲン:2022/1/7(金)19:46
7645. 芳しき世界の中で/微光/同調の鍛錬
自分を取り巻く世界がどこか芳しい。時間と空間にたおやかさがある。
時空間の柔らかさを感じたことがあるだろうか。今の自分はそれを骨の髄から感じている。すると髄も骨も柔らかくなり、自己は柔和な存在になっていく。
時刻は午後8時に近づいてきている。ふと窓の外を見ると、当然ながら辺りは真っ暗だが、そんな闇夜の世界の中に微光を見出すことができる。それは内面世界と外面世界の真理であるかのようだ。
暗き世界の中にも絶えず存在している微光。自己は微光を見出そうと躍起になることはなく、自己の眼前に微光が常に立ち現れる。
自分は光に恵まれた存在なのかもしれない。自分の育った町の名前が「光」というのも何か意味があるのだろう。
武術における同調の重要さ。それについては先日書き留めていたように思う。これについて改めて書き留めておきたい。
相手の攻撃をかわすためには、まずもって相手の動作に合わせることができなければならない。その実現に向けては、常日頃から他者との身体的な同調を意識して生活してみようかと思う。
例えば、街中に出ればそれこそ様々な身体感覚と身体構造を持っている人たちがいて、彼らの動作と反発し合わないようにうまく同調することを意識してみようと思う。具体的には、彼らがどのような呼吸のリズムを持っているのか、動作のリズムはどのようなものか、また身体を自分の目でスキャンした際に、彼らの身体のどこに凝りや緊張があるのかを見つけていく。
呼吸のリズムや動作のリズムは肉眼で捉えることができるが、身体の凝りや緊張は肉眼のみならず、心眼を鍛えていかなければならないだろう。こうした同調訓練の一環として、知人や友人とコミュニケーションする際にも、彼らの発話のリズムに合わせて同調しながらコミュニケーションを行うことを意識的にやってみよう。
おそらくコミュニケーション上はこのあたりのことは自然に行うことができているように思え、さらにはコミュニケーション上であればずらしも自然と行っているように思う。
ずらしの中に笑いや驚きがあり、自分のコミュニケーションはいつもそれを自然と行っているように思う。そうなってくると、やはり身体上の緊張や凝りを特定していき、街中ですれ違う人の身体·心理リズムを自分の内側に取り入れる実践を日々積んでいこう。
まずは膨大なサンプル数のデータを取得するようなイメージで、その中でちょっとずつ観察眼を磨いていけばいい。
昔、ロバート·キーガンの発達測定手法やレクティカの発達測定手法に習熟するために、資格取得のプログラムに参加しただけではなく、日々、人々の発話が聞こえるたびに発達測定の練習をしていたことが懐かしい。これと同じくことを武術の鍛錬で行う。
自分にとってそれは苦でもなんでもなく、1つの真剣な遊びなのだと思う。遊びから多くのことを学んでいく。その姿勢はいつまでも変わらない。人間とは、ホイジンガが述べるように「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」の側面があるのだ。フローニンゲン:2022/1/7(金)19:59
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