No.3080 方向性_Directionality
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1127, Found Out a Gym of Jeet Kune Do
I was very surprised and happy to find out a gym to train Jeet Kune Do.
I just sent an email to the gym to check whether I can try a session.
I look forward to a response very much.
For Schiphol Airport; 09:42, 12/28/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7591.【ロヴァニエミ旅行記】オーロラを求めた旅の始まり
7592.【ロヴァニエミ旅行記】昨夜の興奮
7593.【ロヴァニエミ旅行記】ジークンドーのジムに連絡をして
7594.【ロヴァニエミ旅行記】まずいことが起きそうになって
7595.【ロヴァニエミ旅行記】ジークンドー的?システマ的?にエスプレッソ
7596.【ロヴァニエミ旅行記】赤子の動き・子供の動き
7597.【ロヴァニエミ旅行記】動物の動きから学ぶこと/仙骨
7598.【ロヴァニエミ旅行記】寝台列車サンタクロースエクスプレスの個室より
7591.【ロヴァニエミ旅行記】オーロラを求めた旅の始まり
いよいよロヴァニエミ旅行の出発の朝を迎えた。先ほど少し体を動かし、そして荷造りをした。
今日は少し早めに自宅を午前8時前に出発しようと思う。ちょうど野菜が残っているものがあるので、朝食がてら温野菜でも今から作り、それを食べてから出発したい。
幸いにもオランダの今日は氷点下の気温ではなく、午前中の半ばまで天気が持ちそうなので何よりだ。仮に天気が崩れても、列車と飛行機で移動する自分にとっては特段問題ないのだが。
ヘルシンキはさすがに最高気温でさえ氷点下になっていて、今日の最高気温はマイナス1度、最高気温は8度だ。ヘルシンキからおよそ800kmほど北上したところにある今回の滞在地ロヴァニエミの気温はどうかと調べてみたら、なんと最高気温はマイナス7度、最低気温はマイナス21度で桁違いであることに思わず爆笑してしまった。
まさかここまで寒いとは。みたら今日の最低気温は特別低いようで、明日からもずっと最高気温もマイナスの状態が続くことは変わりないが、もう少し気温は高いようだ。それでもフローニンゲンと比べて圧倒的に気温が低い。
年末年始を極寒の地で過ごせることの幸せ。そこには自然の厳しさと優しさの双方が体現されている。
今回の旅行中は博物館や美術館を巡るのは最低限にし、ロヴァニエミの小さな街を歩いたり、海沿いや公園で寛ぐことをしたい。とにかく自然の中で目一杯呼吸し、目一杯リラックスしたい。
ロヴァニエミの自然から治癒の恩恵を得させていただく。そして、夜はオーロラを見たいものだ。ホテル側も自分のリクエストに答えてくれて、海側のオーロラが見やすい部屋を用意してくれたのである。
今朝方は印象的な夢を見ていた。今関心を持っている複数の護身術が混じり合ったような自分独自のスタイルの護身術を自分がマスターとして多くの大人や子供に教えている場面があった。
その中の自分の体の切れ味は凄まじく、幾つになっても体の切れが衰えていないことを嬉しく思う自分がいたし、周りの人たちもそれを驚いていた。それは護身術に関する理論と実技のセミナーで、そのセミナーの終わりに、自分の秘技を披露したところ、一堂大きな感嘆の声を上げ、拍手喝采をしてくれた。
私はその反応を受けて、技を披露してよかったと思った。それは確かに殺人術と呼べるほどの破壊力があるが、正しい使い方をすれば活人術になる技だった。
拍手が静かになったところで、最後に自分の中にあるマーシャル·アーツに関して大切にしている思想を共有してセミナーが終了した。会場の人たちはとても満足しているようであり、その様子を見てこちらもとても満足した。
誰もいなくなった会場で、最後に自分1人で秘技を行おうとした瞬間に夢から覚めた。自分でも今から技を出そうと思っていたのにと笑った形でベッドの上にいた。
何かロヴァニエミ旅行に向けて幸先の良い夢のように感じる。今回の旅もきっと幸福感と充実感に包まれたものになるだろう。フローニンゲン:2021/12/28(火)06:22
7592.【ロヴァニエミ旅行記】昨夜の興奮
つい先ほど、列車がフローニンゲン駅を出発した。これから2時間弱かけてアムステルダム国際空港に向かう。
空港に到着する時刻は午前11時前である。フライトの時間が午後2時で、搭乗開始が1時半なので余裕がある。そのため、いつもの行きつけのラウンジに行き、そこでサラダでも食べたりコーヒーを飲んだりして寛ごう。
それでも十分に時間があるであろうから、作曲実践をしたり、絵画を描いたり、持参したシステマの書籍を読もうと思う。最近の旅は1冊しか書籍を持参せず、それでもその書籍をあまり読まないことが続いていた。
というのも、旅先では活字から離れたい衝動が催され、また美術館で画集などの活字があまりない文献を買ってそれを眺めて過ごすことが多いからだ。ところが今回は、システマ関連の書籍を4冊持参した。
それと旅先で独り占星術を行おうと思い、この間のベルリン旅行の際に購入したタロットカードのうちの1つを持参した。大晦日の日にはそれを用いて一年を振り返り、元旦の日には新たな年の出発に向けてそれを活用したい。
実は昨日は少し興奮していて、睡眠時間はそれほど多くなかった。しかし、興奮が肯定的なものだったからか、5時間ほどの睡眠でも問題を感じていない。
昨夜なぜ興奮していたかというと、実はロヴァニエミの旅行が翌朝から始まるためではなかった。ブルース·リーが創始したジークンドーを習えるジムがフローニンゲン内に見つけたからだった!
正直なところ、クラヴ·マガ以上にジークンドーには注目をしていて、システマと同じほどに興味深い護身術だった。そのジムは嬉しいことに、以前の自宅のすぐ近くであり、今の自宅からもわずか2kmなので、準備運動と整理体操がてら走っていけば片道10分もかからない。
早速ウェブサイトを調べてみると、毎週火曜日の夜8時から9時半までトレーニングが行われているようだ。ただし、かなり人気があるらしく、また募集人数も絞っているようで、ウェイティングリストがあるようなのだ。
そして、最初のトライアルの前には電話面談があり、それは簡単な面談だそうだが、ジークンドーを始める目的などが聞かれるそうだ。昨夜はさすがにメールのドラフトを草案する時間的余裕がなかったので、早速今からドラフトの作成に取り掛かりたい。そして、列車の中からジム宛にメールを送っておこう。
当然ながら、クラヴ·マガは非常に体系的なトレーニングが組まれていて、元々イスラエルの女性でもすぐに戦闘技術を身につけられるように考案されたものなので、護身術を効率的に身につけるには最適かもしれない。
しかし、その背後にある思想を伝えるような書籍が一切なく、またウェブ上の情報においてもそのような情報がほとんどないのだ。自分は単に護身術を学びたいのではなく、むしろそれを通じた人格の陶冶、および人間涵養を実現させたいのだ。
そして、人を制圧するような形でその術理を活用したいのではなく、人々に癒しや喜びをもたらす形で活用したいと思っている。そうしたことからシステマやジークンドーを始めることにしたのである。
仮にすぐにジムに入会できなくても、なんとか教材を見つけて自宅でもジークンドのトレーニングをしたい。昨夜は随分とジークンドー関連の動画を見ていたので、入眠に至るまでは絶えずジークンドーの動作が残像のようにちらついていたほどだ。スキポール空港に向かう列車の中:2021/12/28(火)09:06
7593.【ロヴァニエミ旅行記】ジークンドーのジムに連絡をして
列車は順調に進行している。もうしばらくすると中間駅のズヴォレに到着する。先ほど、早速フローニンゲンでジークンドーが習えるジムにコンタクトを取った。ウェイティングリストがもはやないことを祈るばかりであり、年明け早々にでもトライアルを受けられたら幸いだ。
オランダ語から英語に翻訳しながらジムのウェブサイトを眺めていると、意外な有名人がジークンドーを習っていたことを知った。それは先日公開された映画マトリックスシリーズの主演であるキアヌ·リーブスに始まり、元プロバスケットボール選手で自分がバスケをしていた頃のヒーローであった故コービー·ブライアントや女子テニスプレイヤーのセレナ·ウィリアムズなどである。
フィンランド中央駅からロヴァニエミまでの列車はWifiが完備されていて、12時間ほどの移動時間であるから、ジークンドーの動画教材や書籍についても色々と調べてみようと思う。もちろん車窓からの景色を楽しむことが一番だが、景色をずっと眺めておくことはできないだろう。
昨夜の段階でも書籍に関してはいくつか見つかっている。それはもちろんトレーニング本に始まり、ジークンドーの背後にある思想を取り上げた学術書などもあったことは幸いだ。ジークンドーには陰陽道、老荘思想、そして宮本武蔵の武士道の思想も入っているそうなので探究しがいがある。
システマとジークンドーの実践と探究を並行させていき、両者を比較するような実践的。思想的研究をしていきたい。
改めてこれまで何回か行ってきたクラヴ·マガとそれら2つの護身術を比較してみて大きく違うのは、前者には段位制度がある、後者にはそれがないということだろうか。
後者にもインストラクター資格はあるようだが、段位制度というのは一長一短があり、今の自分は段位というものをあまり好んでいない。発達理論を専門にしてきた自分が段位を好まないというのは興味深いが、段位制度があるとそれによる囚われが生まれてしまうように思えるのだ。
人によっては不必要な競争心や焦りが煽られることすらあるかもしれない。そうした囚われや感情が生まれてしまうというのはもはや護身術以前の問題である。そのようなものが内側に生じてしまうほどの内面探究ができていない者が護身術など真に習得できるのだろうか。
習得過程の中で内面探究が不可避に要求されるのだろうが、そもそも多くの人にとっては内面探究もまた異質な実践領域であるから、意外と黒帯を取得している人の中にも自我が肥大化していたり、シャドーまみれの人もいるかもしれない。
それではこれから空港に向かうまでの時間は、朝方自宅でできなかった創作活動に励みたいと思う。気がつけばいつの間にかアムステルダム空港まであと1時間強ほどになっていた。スキポール空港に向かう列車の中:2021/12/28(火)09:38
7594.【ロヴァニエミ旅行記】まずいことが起きそうになって
今、空港のラウンジにいて、まずいことが起きそうになった。
スキポール空港の静かなラウンジには、この間のドイツ旅行と同じく今日も結構な客がいて、各々がフライトまでの時間を過ごしている。そんな中、無性にジークンドーがやりたくなり、立ち上がってジークンドー独特のフットワークから打撃と蹴りの連打をやりたくなってしまったのだ。
もちろん家族連れもいて小さな子供もいるが、彼らも静かにしていて、とても落ち着いた雰囲気だ。そんな中、1人のアジア人の男性がいきなり立ち上がって、フロアでジークンドーの連続技をやり始めた姿を想像して思わず吹き出してしまった。
本当にそれをやってしまいそうなぐらいにジークンドーがしたくなったので、仕方なく動的ストレッチで我慢した。Macの起動音を聞きながら、テーブルに向かって開脚した脚のハムストリングと股関節をほどよく解すような左右に揺れる動的ストレッチを行っていた。
このラウンジの絵柄的にそれも一見すると不審に思えるかもしれないが、独特な美学的観点からすれば、貴重なアクセントになっているように思える。ここのところのシステマ式呼吸法や動的ストレッチによって、基礎体温が上がっているのか、半袖でも全く寒さを感じない。ラウンジを見渡すと、もう1人若そうな白人男性だけが半袖である。
ラウンジはそもそも温度設定がなされていて、十分に暖かい。外気とは全く違う次元の気温であり、むしろその差が怖いぐらいだ。このように人工的に調整された気温の中で人々は日常を過ごし、そこから突然寒い外に出ることは随分と刺激が強いように思える。
2時間半の列車の乗車は本当にあっという間だった。本当は列車の中でも下半身の動的ストレッチを行いたかったがスペースの都合上、それは少し難しかった。なので肩甲骨や肩周りの動的ストレッチにとどめた。
2時間半弱の列車と、ここからヘルシンキ空港までのフライトも2時間半弱なので大した移動時間ではないのは幸いだが、それでもその時間をじっとしているのは体に悪いことが最近の身体感覚だと敏感にわかる。
欧州内の行き来は時間も短いのでいつもエコノミーだが、必ずコンフォート·エコノミーを利用していて、スペースが広く、ビジネスクラスのすぐ後ろに続く席のどこかに座るようにしている。今日もコンフォート·エコノミーを活用するので、スペースがあるため、離陸までは目を閉じながら意識を身体に通しながら動的ストレッチを行っていこう。
自宅でやる時よりもやりづらいのは、マスクを着用しなければならないため、口から深く呼吸を吐き出すことができないことと、鼻からも息を吸いにくいことだ。マスクは呼吸を阻害するという点において身体の健康に良くない。ひょっとすると、長期的な観点においてコロナに感染するよりも害悪があるとすら言えるように思えてくる。
このように文章を執筆しながらも、今は長くて程よい硬さのソファーを用いて、シコ運動のような動きをして股関節のストレッチを行っている。この動作が可能であれば、十分に肩入れもできるので、今から早速それを行おう。
ここまで行えば、もう全身の動的ストレッチは完了も同然であり、ジークンドーの動きを始めることができる。あぁ、今この瞬間にパブリックなラウンジにいることが残念である。
他人の視線を気にする日本だったらさすがにやりづらいが、欧米のラウンジだったらあまり気にならない自分がいることが少し怖くさえ思える。Aspire Lounge@スキポール空港:2021/12/28(火)11:46
7595.【ロヴァニエミ旅行記】ジークンドー的?システマ的?にエスプレッソ
まるで幼い子供である。「動きたい」そんな切な声が身体の深部から聞こえてくるかのようだ。
ジークンドーのステップワークで、ラウンジのエスプレッソを取りに行ったら変だろうか?今の自分はもはやそれがあまり変ではなく、仮にジークンドーをある程度習得したら、そうした動作もジークンドー的にこなしてみたい。
先ほど列車の中で昨夜見つけ場ばかりのフローニンゲンにあるジークンドーのジムに連絡したばかりであり、ジークンドーに関しては初心者も初心者なのだが、今の抑えがたい好奇心·探究心·挑戦心·情熱は、作曲を始めた時に感じたものと似ている。
2017年のある時期から1日たりとも欠かさなく行ってきた作曲実践は、列車の中で先ほど作った2曲をもって、総数7238曲となった。自分はけっこう熱し易く冷め易いタイプだが、熱が維持するパターンと熱が冷めやすいパターンは意外と明確である。
中学校時代にサッカー部がなかったこともあり、小学校まで続けていたサッカーを離れ、バスケをしようと思ってからは、バスケにかなり熱中していた。サッカーにも同様に熱中していた時期があったが、いつもそれらのスポーツは最初の1年だけしか熱心に練習しなかったように思う。
あとはその1年間の貯金だけで大人までそれらのスポーツを楽しんでいた。結局それらはチームスポーツであり、自分だけが熱中していてもうまくいかないことが多く、自分1人でいつでもどこでも、時間も場所も選ばずにできる実践に関しては熱が覚めることはほとんどないのが自分のパターンのようだ。
作曲を含めた一連の創作活動はまさにそうだ。列車の中で2曲、1枚のデジタル絵画、1つの詩を作っていた——詩はジークンドーのジムを見つけた喜びを表現したものだったが···。
さて自分は一体何を書こうとしていたのだろうか。ジークンドーについてだったか?いやさすがに違うように思えるし、そうのようにも思える。
頭の中はジークンドーかシステマ しかない。あぁ、そうだった。書こうと思っていたのはシステマについてだった。
文脈を思い出すと、ジークンドーの変則的なステップワークでエスプレッソを取りに行くのは少し変かと思ったので、いや変ではなく、時期尚早かと思ったので、代わりにシステマの呼吸法をしながらエスプレッソを取りに行こうと思ったのである。
今筆を置いて、実際にエスプレッソを取りに行く。さて、今実際にエスプレッソを取りに行った。
文章が面白いのは、数分間の時間の間が「。」と「さて」の間の数ミリの空間として表現されてしまうことだが、しかし空間的に還元されたその表現も、文章の読み手が文章の時空間を共有してくれていたのであれば、それが時間的な間として見事に機能するということである。
この間、発達理論マスターコースの際に、日本語には間があって、英語には間がないというような感想があったが、そんなことはない。英語もピリオドを通じて間が生み出されているし、文章表現上は、単語と単語の間には必ず空間的な間であるスペース(ダブルスペース)を置くこと——日本語のように単語が連ならない——などを考えると、英語に間がないなどと全く言えないのである。
時空間はセットであるから、空間的な間は必ず時間的な間も内包しているのだ——その逆もまた然り——。であれば、英語には単語間の空間的間を含めて、いくつかの間をもたらす構造特性があるのだから、英語にも時間的な間があることがわかる。
さて、何を書こうとしていたのだったか。そうだった。システマ式呼吸法をしながらエスプレッソを取りに行ったことだった。
本当にそれをやった。これなら違和感がない。
単に深い呼吸を行っているだけだし、エスプレッソのボタンを押すのと同時に息をフッと吐き出すことをやっているなどと他の人にはわかるまい。ダブルエスプレッソを作ったこともあり、豆が挽かれるまでの時間と注がれるまでの時間がけっこうあったので、深い呼吸をしながら上半身をしなやかに左右に揺らしていた。これくらいであれば不自然ではない。
気づけば正午になっていて、搭乗まで1時間半弱となった。今から軽く昼食を食べよう。もちろん昼食を取りに行く際には、システマ式の呼吸法と動作を行うことを忘れずに。Aspire Lounge@スキポール空港:2021/12/28(火)12:12
7596.【ロヴァニエミ旅行記】赤子の動き・子供の動き
眼下に広がる雲海の美しさ。スキポール空港に到着した際には少し小雨が降っていたが、フライトに搭乗する際には幸いにも止んでいた。しかし空には雲が覆っていて、その分厚い雲を眼下に眺めながらこの日記を綴っている。
先ほどラウンジの中で、オランダ人の赤ん坊の女の子がハイハイをしてフロアを這いつくばっていた。その様子はとても微笑ましく、それでいて生命力というか活力があった。
なるほど、人間というのは本来、本能的にどのようにすれば自分の体が最も効率よく動かせるかを知っているのだ。しかし、それを察知する感覚が成長するにつれて退化してしまう人がほとんどなのだろう。
自分の専門領域においては、人間は一生涯発達する生き物であるという前提があるが、それはあくまでも人間が持つ多様な可能性のうちのごくわずかの領域に過ぎないことがここからもわかる。
そう言えばラウンジ以外にも、空港までの列車の前の席に母親と3歳ぐらいの女の子、そしてまだおしゃぶりをくわえているような女の子の赤子の3人のオランダ人家族がいた。
正直なところ、1等車両の良さは静かなことなのだが、2人の子供たちが元気であり、静けさはかき消された。ところがそれほど嫌なうるささではなく、元気さの発露のようでいて心地よかった。
ただし、3歳ぐらいの長女の女の子は体を動かしたい盛りなのだろうか、仕切りに椅子の上で動き回っていた。席の上に立ち、後ろに座っている私の方に顔を乗り出してきたりするなどお茶目なことをしてきたので、私も笑顔で挨拶をした。
そんな状態がずっと続いていて、子供の活力は素晴らしいと思った。こうした時期に身体運動をしっかりやっておかないと後から取り返しのつかないことになる。
その観点において、女の子の母親は娘がうるさくしたり、動き回ったりしていると叱っていたのだが、その女の子は言うことをほとんど聞いておらず、思うままに好き勝手に動いていたことは素晴らしいことなのだ。
躾というのは難しいものであり、声かけの仕方やその度合いを少しでも間違えると、直ちに子供たちの身体エネルギーの抑圧につながってしまう。そして、そこで抑圧されたものは身体的なワークをしない限り、大人になってからも残り続けるし、下手をすると死ぬまで残り続けてしまうのである。
今改めて身体と身体意識に焦点を当てて探究と実践をしているのだが、幼少時代の身体の不活性化と抑圧は、本当に大きな問題だと思う。そこからの精神の発育、魂の成長にまで関わってくる大きな問題である。子供の教育、そして大人の教育にまで射程を入れて、これからの探究を行っていこう。アムステルダム上空:2021/12/28(火)14:19
7597.【ロヴァニエミ旅行記】動物の動きから学ぶこと/仙骨
今、眼下には夕日で輝く雲海が見える。夕日で輝く雲海は、まさに太陽の光で輝く波のようである。
先ほどのラウンジで赤ん坊のハイハイを見ていたときにふと思ったが、赤ん坊や子供たちの動作だけではなく、動物の動作からも多大なことが学べると思った。
彼らは一様に力まず体を動かす達人である。身体原理に則って非常に自然な動きかつ力強い動きを見せてくれる。そんなことから、今後は意識的に赤ん坊や子供たちの動きを観察するだけではなく、動物の動きも観察してみようと思った。
ちょうど昨日、隣人のマークが飼っているムースという猫が浴室の天井窓の上をペタペタと歩いている姿を入浴中に見かけた。最初、天井窓の上を何かが歩く音がしたときにはびっくりしたが、今はもう慣れたものである。
ムースだけではなく、近所ではよく他の猫も見かけるし、ノーダープラントソン公園に行けばたくさんのカモを見ることができる。また、小鳥たちの動作にも注目してみよう。
ただし様々な動物の動作を集中的に観察するのであれば、動物園に行ってみるのがいいのではないかと思った。ひょっとしたら動物園の動物はもはや野生の動物ほどには感覚や身体意識が研ぎ澄まされていないのかもしれないが、それでも彼はまだまだ動物としての本能的な動きを持っているはずである。
言語によって身体までもがカチコチに凝り固まってしまっている調教された現代人とはやはり動作が違うはずだ。ちょうど今回の旅先のロヴァニエミには確か動物園があったはずである。
寒い地方に生息する動物が見られるような動物園だったかと思う。記憶が確かであれば、水族館もあったはずだ。身体動作の研究として、2つとも存在していて開いていたら、ぜひ両方とも行ってみよう。
先ほど飛行機に乗り込む際に、回転扉を押す際にシステマ的なストライク、あるいはジークンドー的な一点にエネルギーを集めていくような動作の感覚があった。それは扉を押そうという意識ではなく、手からすっと扉に意識が一直線に通っていくような感覚があった。
また、ラウンジを後にする前に水を一杯汲みに行ったのだが、その際にナプキンを取ろうとした際に、股関節の回転運動を無意識的に使って腕を伸ばしてナプキンを取っていた自分がいた。
これはもう完全に無意識の所作であり、動作が終わった後に我に返って、思わず笑ってしまった。まさに日常の動作の全てがトレーニングになることを改めて学んだ気がする。
その他にも、正中線と重心の位置を意識した動きをしている自分がいることにも気づく。身体の具体的な箇所で言えば、肩甲骨や股関節だけではなく、仙骨にも注目している。
おそらくまだ見落としている重要な骨があるだろうし、骨だけではなく重要な筋肉もたくさんあるはずだ。ヨガのインストラクターの資格取得の際に使っていた解剖学の書籍は全て実家にあるため、武術と身体動作の探究用に何か良い骨と筋肉の解剖学の書籍を改めて購入しよう。
それにしても仙骨へ意識が再び向かい始めたことは興味深く、良いことだ。2015年に日本で1年間ほど生活していたときに、隔週でクラニオ·セイクラル·バイオダイナミクスのセラピーを知人のセラピストに受けさせてもらっていた経験がこんなところでこんな形で活きてくるとは思っても見なかったことである。
さて、ここからは仙骨に意識を向けて、仙骨に力を集めて背骨を正すことを行ったり、その他にも仙骨の鍛錬に向けた方法を模索していきたい。アムステルダム上空:2021/12/28(火)15:12
7598.【ロヴァニエミ旅行記】寝台列車サンタクロースエクスプレスの個室より
「今、待ちに待った寝台列車の個室の中にいる。今いるのは、2段ベッドがあり、シャワーとトイレが付いた個室である。2段ベッドがあると言っても、ここは1人で使うことができる。
私たちにはいついかなる時でも無限の選択肢がある。今の自分もそうだ。しかし、今の自分には2つの選択肢しかない。いや、2つも選択肢があると言ってもいいだろう。
そうそれは、システマかジークンドーである。あるいは、ジークンドーかシステマである。
さて、どちらをこの個室の中で今からやろうか。
少しばかり内省的な声が聞こえてくる。飛行機ではなく、わざわざヘルシンキからロヴァニエミまで寝台列車で行くことにしたのは、車窓から景色やあわよくばオーロラを眺めるためではなかったか。そうだ。
しかし今は、システマかジークンドーである。景色を眺めることは休憩として有り難く存在してくれているのだ」というような文章を思いついたのは、ヘルシンキ国際空港の滑走路に着陸した瞬間だった。
それからおよそ3時間半たち、まさにほぼそれが現実のものとなった。さすがにジークンドーやシステマの本格的なトレーニングはできないが、ちょっとしたことなら工夫次第でなんとでもできてしまう空間がここにある。
今、フィンランド時刻は午後の10時に近づいており、今日はもう少し起きておくつもりだ。とは言ってもこの日記を書き終えたら歯を磨き、部屋の電気を消してただ車窓の外の景色を眺めたい。
フィンランド到着の時まで記憶を遡ると、空港に降り立った瞬間に、やはり一面雪景色であることに驚いた。オランダではまだ積もるほどには降っていないのだ。
数年ぶりにフィンランド国際空港に降り立ち、空港内のショップや行きつけのラウンジが懐かしく思えた。フィンランドはEU圏のため、オランダから来る場合の入国は楽だったが、それでもコロナパスポートのチェックが2箇所に分かれて2度行われるという厳格さがあった。
それを無事に通り抜け、空港駅からヘルシンキ中央駅に向かう列車に速やかに乗ることができた。フィンランドの空港も綺麗だが、駅も綺麗であり、とても機能的である。それでいて複雑でないところが好ましい。
中央駅に向かう列車の窓の外も一面雪景色であった。中央駅には30分弱で到着し、プラットホームに降り立った瞬間、久しぶりに雪で覆われたプラットホームを踏んだと思った。
その感触が懐かしくもあり、そして心地もよくもあり、思わず笑ってしまった。雪で覆われたスーツケースを引いていくことも当然できたが、今回のスーツケースはそれほど重くないので——行きは大抵そうだ——、トレーニングがてら引きずらずにダンベルを上げるかのように上下に上げ下げしながらスーツケースを運んだ。
懐かしの中央駅の佇まい。ここにはもう何度も足を運んでいるので見慣れていると言えば見慣れているが、新鮮と言えば新鮮だった。
今回は、年末年始をオーロラが見えるかもしれない場所で過ごすという期待感と、何よりも今からサンタクロースエクスプレスという寝台列車に乗るたまらない高揚感があったからだ。その気持ちが駅の景色を新鮮なものにしてくれた。
寝台列車の個室には、サービスでペットボトルの水がついていることは知っていたが、それでは足りないだろうと思って、駅構内の売店で1.5リットルのフィンランド産の水を購入した。
掲示板を見ると、乗車予定の寝台列車はプラットホーム8番にやってくるようだった。寝台列車の名前もサンタクロースだが、本当にサンタを待つ子供のように、その到着を今か今かと楽しみにしている自分がいることに思わず笑ってしまった。
寝台列車が遠くからやって来るところからプラットホームに到着するまでの一部始終を見たいと思っていたので、幾分早めにプラットホームの上で待っていた。同じように待っている人が多数いたのには驚いたが、如何せん寒かった。
しかしその寒さもどこ吹く風と言わんばかりにしばらく待っていても40分前だとそれは来るわけはなく——実は最初は1時間前からプラットホームにいて、すると1つ前の全然違うが一見すると寝台車両があるかのように見える列車が自分が乗る列車だと思ってしばらく待っていたところ、車内清掃を終えて、「いよいよ来たぞ!!」と思ったら、清掃を終えた列車は誰も乗せずに回送列車として、雪景色の彼方に消えていった——、さすがに早く来すぎたと思ったので、体を温めるべく、股関節を旋回させる動的ストレッチを行ったり、ジークンドーのステップをプラットホームで行うことによって体を温めていた。
そのようにして体を温めながら待つことしばらく、ようやく待ちに待ったサンタクロースエクスプレスがやって来たのである!その感動たるや、凄まじいものがあった。
外側に爆発させるような類いの感動ではなく、内側からじっくり滲み出てくるような感動であった。他の大人たちをちらりと見ると、世界各国の大人たちも同様にテンションが上がっているようで、記念撮影や動画撮影に余念がないようだった。そこを私はすました顔でスタスタと自分が乗るべき車両に向かった。
私が乗った車両は、この列車の中で一番サービスがいいものである。他の車両はシャワーやトイレが共同なのに対し、自分が乗った車両には各個室にどちらも付いている。
自分が乗った車両は31番、そして個室番号は2階の201だ。自分の個室に到着した時、また大きな感動がやって来た。
もちろん寝台列車であるから、ホテルのような広々とした部屋を想像してはならない。しかしそれでも1人で使うには十分なスペースがある。ベッドも十分な大きさであり、何よりも車両も部屋も暖かいことが印象的だった。今は実際に半袖·半ズボン、そして素足でいるほどだ。
事前情報では、乗車後比較的早くに車掌がチケットの確認にやって来るとのことだったが、ここまでのところ絶えず何かしらのトレーニングをちょこちょこ行っていたので腹が空き、真っ先にレストラン車両に向かった。
部屋のカードで鍵を閉め、興奮した面持ちでレストラン車両に向かった。なにせ寝台車両のレストランである。気持ちが昂らないわけはない。
ところが、乗客が各車両の通路でうろうろしていて、通路は人が1人通れるほどの広さしかないので、レストラン車両まで行くのに一苦労した。レストラン車両が近くにあればと思ったが、このレストランは深夜の数時間を除いて基本的にずっとやっているようなので、それであれば人が集まってくる足音や話し声、レストランの音などが聞こえてくるかと思い、むしろ車両が離れていて良かったと思う。
あるところでふと気づいたが、人がうろついているのは1階のフロアだと気づき、そこからは2階に上がったり下がったりを繰り返しながら移動した——2階から別の車両には移れないので、車両の先端部分で1度1階に降りる必要があるのだ——。
さて、レストランに無事に到着し、注文としてヴィーガン用の大きめのサラダとサーモンカルボナーラを注文した。店員の女性曰く、レストランの席で食べるのには事前に予約がいるらしく、とは言え窓側の席なら20分ほどいられるとのことだったので、テイクアウトの注文をして、注文を受け取ってからはしばらくレストラン車両の窓際で、外の移りゆく雪景色を眺めながら夕食に舌鼓を打って食べていた。
そこからは自室に戻って残りを完食したのだが、やはり寝台列車というコンテクストで食べる食べ物は格別であった。夕食後はしばらく寛ぎ、シャワーを浴びた。シャワーのお湯も温かいものが当然ながらちゃんと出て何不自由なく、ここまで過ごせている。
それ以外にも書きたいことは山ほどあるが、それらは明日に回し、今から歯を磨いて、部屋の明かりを消して、窓の外の雪景色をただただぼんやりと眺めていたい。サンタクロースエクスプレスの個室にて:2021/12/28(火)22:23
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