No.2994 精霊の花_A Flower of a Spirit
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1083, Incongruousness
The world is incongruous.
Therefore, I believe it.
Groningen; 10:12, 12/5/2021
No.1084, Irrationality
Something transcendental exists beyond irrationality.
Illogicality could be the door of a transcendental realm.
Groningen; 10:15, 12/5/2021
No.1085, Solitude
Enlightenment comes from solitude.
It is the greatest gifts in my life.
Groningen; 21:15, 12/5/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7538. 今朝方の夢
7539. 凡庸な悪に加担する私たち
7538. 今朝方の夢
ベルリンから戻って来ての最初の日曜日を迎えた。朝の世界はとても静かで、穏やかな世界が目の前に広がっている。
先ほど、隣人のサハルからメッセージが届いた。何やら自分宛に郵便物が届いたとのことだった。後ほどその受け取りに行こうと思う。
いつものように今朝方の夢について回想している。夢の中で私は、日本の見慣れない街にいた。そこは都市部ではなく、旅館がたくさんある観光地のようだった。
そこで私はしばらく滞在していて、ゆっくりと寛いでいるようだった。外が晴れていたので、散歩がてら外に出かけ、しばらく辺りを歩いていた。するとどこかのタイミングで、ジョギングをしたいと思ったので、様々な旅館を眺めながらジョギングを始めた。
しばらく走っていると、見知らぬ女性に声を掛けられた。道を聞かれるのかと思ったらそうではなく、自分の研究に関する幾分真面目な話となった。
この夢の延長線上に、旅館の温泉に入っている場面もあったように思う。そこには友人が数名ほどいたのではないかと思う。彼らと他愛もない話をしながら、ゆっくりと温泉に浸かっていた。そのような夢の場面があった。
一昨日と昨日において、発達理論マスターコースの音声ファイルを随分と作ったこともあり、今日はその必要があまりないように思う。引き続き、受講者の投稿文章を読みながら、金曜日に行われる第5回のセッションに備えたい。残すところあと2回しかないのであるから、悔いのないように本コースに関わりたいと思う。
今日の予定としては、バーナード·スティグラーの書籍を引き続き音読していく。これはベルリン旅行の前から音読を開始したものであり、旅の最中はほとんど音読をしなかったこともあって、まだ半分以上再読する箇所が残っている。
本書を焦らず読み進めたら、アンドリュー·フィーンバーグの書籍に移る。ここからはテクノロジーに関する探究に焦点を当て、時折マネー神学の書籍を織り混ぜていこうと思う。フローニンゲン:2021/12/5(日)09:46
7539. 凡庸な悪に加担する私たち
時刻は午後7時半を迎えた。今週末も平穏さと共に終わりに向かっている。
先ほど、『キング·コーン 世界を作る魔法の一粒(2007)』というアメリカのドキュメンタリーを見た。この作品は、2人のアメリカ人の男性がアメリカ人にとって身近なコーンという食材の実態を追うというものだ。
実際に彼らはアイオワ州の農園でコーンを育て、彼らが育てがコーンがそこからどのような形で消費者に届けられるのかを調査していく。この作品でも言及されているのだが、アメリカ人は今、歴史上初めて親の世代よりも寿命が身近くなっているらしい。その理由として、コーン由来の飲食物の影響が多いとのことである。
端的には、コーンによって育てられた畜産物をアメリカ人は日々消費しており、例えば、牛はコーン由来の餌を120日以上食べると胃潰瘍ができてしまうほどに、コーン由来の餌そのものに害悪があり、そのような餌を食べ続けた畜産物を人間が口にすることによって、癌などの病気に結びつきやすくなってしまっているとのことである。
またコーンは人工甘味料にも使われていて、まさにそれは炭酸飲料に多く含まれているものだ。炭酸飲料の過剰摂取によって、アメリカ人の肥満や糖尿病の問題は深刻になっており、それが寿命に影響を与えているとのことである。
こうしたデータと実情を見ながらふと、コーンの農家で働いている人は、ある意味食糧の供給に貢献しているという意思と金銭を獲得するという純朴な意思に基づいて働いていることが印象的だった。端的にはこれは、ハンナ·アレントが指摘した凡庸な悪という現象なのかもしれないと思ったのである。
思考や判断を放棄し、自分たちが作ったコーンがその後誰にどのような形で消費されるのかを考察することは微塵もなく、結果として自らが生産したコーンが多くの人の健康を害し、命を奪うことにもつながっているという姿を見ると、それはまさに平凡な人間がなす凡庸な悪の好例のように思えたのだ。
また、消費者側に関しても、自らが摂取する飲食物が自分の身体や精神にどのような影響を与えるかを一切考慮できないというのは、合理的な知性の欠如のように思える。おそらく自分の仕事や狭い領域で合理性を発揮できていたとしても、それ以外の領域においては合理的な知性を働かせることが難しい側面を見ると、これはピアジェが言うところの知性の「水平的溝」という現象だろう。
そして、農家の生産者だけではなく、消費者がこうした製品を購入すればするだけ、それにまつわる経済システムが潤っていくという姿を見ると、消費者もまた凡庸な悪の担い手と言えるのかもしれない。そのようなことを考えさせてくれる作品だった。
善意と無知による巨悪の生成と巨悪への加担については引き続き考えていかなけれならない。フローニンゲン:2021/12/5(日)19:45
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