No.2986 朝の静けさ_Morning Serenity
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1080, A Morning Magician
A morning magician appears in the world.
He casts a special spell.
It makes the world more spectacle.
Groningen; 09:18, 12/3/2021
No.1081,Time and Ocean
Time returns to its deep ocean.
The ocean generates melting time that contains multiple layers and dimensions.
Groningen; 21:40, 12/3/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7533. 今朝方の夢
7534. 今朝方の夢の続き/ベルリンでの不思議な知覚体験
7535. 原罪と善行/不条理や不合理を通じた超越性への目覚め
7533. 今朝方の夢
時刻は午前8時を迎えた。辺りは少しずつ明るくなっている。フローニンゲンに戻って来て3日目が始まった。
これくらい時間が経つと、再び日常の生活に戻って来たという感じがする。もちろんまだ旅の余韻が自分を包んでいるような感覚もないわけではないが、それ以上に穏やかな生活感を感じている。
今朝方の夢の世界は落ち着いていた。旅の最中においてはほぼ毎日夢を見ていたような気がする。やはり旅は刺激になっていたようなのだ。
今朝方の夢は総じて落ち着いていたが、全く夢を見ていなかったかと言えばそうではない。小中高時代の小柄な友人(YU)と話をしていた場面があった。場所としては、どこかの街の屋外だったように思える。
話の内容はカードゲームだったか。確かそうであった。
カードゲームの話をした後に、私は玩具屋に行き、そのカードゲームのカードを購入しようとしていた。新しくデッキを購入するのか、それともカードを補給する意味で小さなパックをいくつか購入するのかを考えていた。
そのカードには様々な属性があり、私は森の属性のカードを使うことを好んでいたので、その属性のパックをいくつか購入しようと思った。私は十分なお金があったので、正直なところその玩具屋にある全てのカードを購入しようかと最初考えていた。
今後使う属性を変えることもあるかと思ったので、変えるだけ全部カードを買い占めてしまおうと思ったのである。しかし冷静になってみて、今の自分は森の属性を好んで使っているのだから、それだけに絞ってカードを購入しようと思った。そのような夢の場面があった。
この夢について書き留めたことによって、またいくつかの夢を思い出した。それによって、今朝方の夢の世界は特段落ち着いていたわけではないことがわかる。
もう1つの夢としては、私は学校の教室にいた。そこは自分が通ったことのない見慣れない学校だった。
私の近くに知人が座っていて、私は彼に声を掛けた。すると彼は真剣な表情で何か作業をしていた。見ると彼は、何かの英語の本を翻訳しているようだった。いや、私にはそのように見えたが、実際にはその英語の本をもとにしてオリジナルの絵本を作っているようだった。
彼は1ページ1ページの絵とセリフをとても丁寧に作っていて、真剣な表情だけではなく、オーラとしてもその真剣さが漂っていた。私は彼の邪魔をしないようにそっとしておこうと思った。
すると、2人の女子がやって来て、彼に声を掛けた。ところが彼は表情を全く変えることなく、彼女たちの声掛けを無視していた。そこで彼女たちはさらに彼に声を掛けたところ、彼は彼女たちにその場から消えてくれと静かに呟いた。当然彼女たちはその言葉に驚き、少し不機嫌そうにしていた。
私は再び彼のところに行き、彼が真剣に絵本を作っているのは理解できるが、もう少し優しい言葉掛けができないのかと彼に述べた。すると彼は、私に対しても素っ気ない態度を示したが、ぼそっと、「やってみる」と呟き、再び絵本の創作に取り掛かった。フローニンゲン:2021/12/3(金)08:29
7534. 今朝方の夢の続き/ベルリンでの不思議な知覚体験
時の流れは緩やかで、とても優しい。まろやかな時が楕円形を描きながら午前9時に向かっている。
先ほど今朝方の夢について書き留めていたが、今朝方はその他にも夢を見ていた。夢の中で私は、両親と愛犬と一緒に小旅行に出かけていくことになっていた。
家族全員がその旅行を楽しみにしていて、愛犬も朝から嬉しそうにしていた。いつもながら旅行に出かける際には写真をたくさん撮ろうということになり、父が一眼レフカメラを用意して、それを持って旅行に出発した。
目的地の途中で風光明媚な海岸線が見えた。私たちはそこに立ち寄ることにし、砂浜を歩くことにした。
砂浜をしばらく歩いていると、砂浜の真ん中に砂でできた小さな洞穴のようなものがあることを発見した。砂浜を散歩している最中は、愛犬のリードを外していたので、愛犬は興味津々にその洞穴の方に向かって行った。そしてその中に入ってしまったのである。
愛犬は1人で洞穴の奥へと進んでいってしまった。その洞穴は小さく、大人の人間がかがんでなんとか入れるほどの大きさであった。
父は愛犬を心配し、洞穴の外から愛犬の名前を呼んだ。しかし何の返事もなかったので、父は洞穴の中へ入っていくことにした。母と私はその様子を洞穴の外で眺めていた。
しばらくして父が洞穴の奥から外に出て来て、愛犬の姿が見つからないと心配そうな表情を浮かべた。すると突然、愛犬が元気一杯に洞穴から外に出て来たのである。
実際には、愛犬よりも先に1匹の小型犬が洞穴から出て来て、それを追いかけるように愛犬が外に出て来たのだ。愛犬が無事に戻って来たことを私たちは喜んだ。
当の愛犬は私たちが心配していたことはお構いなしかのように再び砂浜を走り回っていた。すると、強そうな中型犬が砂浜に佇んでいて、愛犬は少しその犬に怯えているようで、急に大人しくなった。
そして私たちは愛犬を連れて砂浜を離れ、旅の目的地に向かうことにした。そのような夢の場面があった。
今朝方の夢の場面が静かに押し寄せる波のようにやって来て、夢を書き留めることによって、波が海の方へ戻って行った感覚がある。
無意識という大海。夢はその大海から寄せては返す波のようなものなのかもしれない。
夢を書き留めておくというのは、その波に気づくことを後押しすること、あるいは波を砂浜に引き寄せることにつながっているように感じる。
昨日ふと、ベルリン滞在中に体験した奇妙な感覚を思い出した。それは、人間の寿命が仮に伸びたとしても、不老不死の技術が実現しない限り、自分を含めて今自分の視界に入っている人たちは100年後、あるいは150年後にはもはやこの地球上にいないのだという考えが不思議な身体的実存感覚と共にやって来たというものだった。
街ゆく人々を眺めていると、彼らがいつかこの世界からいなくなってしまう存在だということに明確に気づいたのである。そして同時に、自分もまたそうした存在なのだと明瞭な意識のもとに気づいたのであった。
儚さの明瞭性。死のリアル性。そんな現象が突如、自分の意識の中に立ち現れた。
今この瞬間もその体験について思い出していると、同様の感覚が自分を包む。この小さな体験の中に、今後の自分が大切にするべき学習領域が実践領域があるように思えてくる。フローニンゲン:2021/12/3(金)09:05
7535. 原罪と善行/不条理や不合理を通じた超越性への目覚め
時刻は午後5時半を迎えた。今日は発達理論マスターコースの第4回目のセッションがあった。
1週間の休憩を挟み、自分自身がドイツ旅行に出かけていたこともあって、またフレッシュな気持ちで今日のセッションに参加することができたように思う。いつもながらではあるが、今日のセッションを通じて色々と刺激を受け、セッション後から今に至るまで随分と音声ファイルを作成していた。今夜はまだ時間があるが、続きの音声ファイルは明日にまた作成していきたいと思う。
そう言えばドイツ旅行の最中に、原罪と善行の関係性について考えていたことを思い出した。原罪があるからこその善行。原罪は悪行だけにつながるものではなく、むしろそれがあるからこそ善行が生まれるという側面も必ずある。
罪は消えないことに対して否定的になるのではなく、罪は消えないからこそ意味があるのだという気づきがやって来た。決して拭い去ることのできない原罪というものを引き受けながらにして、それに押し潰されることなく、この世界に開かれながら自分にできる小さな行為を積み重ねていくこと。
それは結果として善行とみなされうるものかもしれない程度のものであり、実践の最中にその行為が善行であると意識してしまっているのであれば、それは偽善的行為なのではないかと思う。そのようなことを考えていた。
その他にも、不条理や不合理は超越的であり、そこに超越性が確かに存在していることを実感する体験をドイツ旅行の際に経験していた。
人知も及ばず、自分の力も及ばないような現象が歴然としてこのリアリティに存在しているということ。そうした現象の到来を通じて、私たちは超越的なものの存在を知り、それに対して目覚めていく性質が少なからずあるのではないだろうか。そうした気づきをもたらす知覚体験がドイツ旅行中にあった。
ベルリンから戻って来てまだ3日目であり、旅の中で得られた気づきや体験についてふと思い出すことが続いている。そうした気づきや体験は自分にとって贈り物のような存在であるから、それらを思い出す都度書き留めておきたいと思う。フローニンゲン:2021/12/3(金)17:44
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