No.2857 深まる秋の幾何学_A Geometric Pattern in a Deepening Autumn
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.1001, From Darkness
It is still dark outside.
The darkness is whispering something to me.
All I have to do is decipher the meaning.
Once I know it, something new will open up.
Groningen; 07:48, 10/29/2021
No.1002, The Expansion of the Inner Universe and Compassion
My inner universe is expanding day by day.
The more the process proceeds, the deeper compassion comes to me.
Groningen; 17:29, 10/29/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7450. 今朝方の夢
7451. 応答と天職/気違い/音読による多幸感
7450. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。この時間帯はまだ真っ暗であり、外の様子はわからないが、天気予報によると、今日は1日を通して晴れるとのことだ。
静かな闇に包まれながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方の夢については断片的にいくつか覚えている。
1つ目として、私は日本の地方の街にいた。そこは旅館街になっていて、山を眺めることのできる旅館に宿泊していた。
そこの女中さんは親切な方ばかりであり、食事やお風呂を含め色々と親切にしてもらった。美味しい食事を部屋でいただいた後、若い女中の1人と少し話をしていた。
この辺りの歴史や見どころについて色々と教えてもらい、いざ出かけようとしたところで夢の場面が変わった。
その他に覚えている場面としては、ドバイにいたことである。具体的には、ドバイの病院を視察しているようだった。
その病院の看板はアラビア語表記とアルファベット表記の2つがなされていた。アルファベット表記と言っても英語ではなく、ラテン語のようだった。アラビア語表記の方は自分には難しく、なんて書いているのかわからなかったが、アルファベット表記の方から病院であることがわかった。
病院では親切なアラブ人の男性医師にアテンドしてもらい、病院の特徴を色々と伺うことができた。そのような夢を見ていた。
今朝方の夢の場面で登場した人たちは総じて親切心に溢れていた。この共通項が暗示していることはなんだろうか。
自分の人生が親切な人に恵まれていることを示しているかもしれない。また、この人生における人との縁が素晴らしいものであることを示しているかもしれない。そのようなことを思わせてくれる夢だった。
そう言えば、それともう1つ、高校時代に実際に住んでいた社宅の部屋にいる夢もあった。私は自分のベッドの上に仰向けになって横になっていて、脳内である小説を読んでいた。いやそれは小説というよりもドキュメンタリーだった。
それは男女関係に関するドキュメンタリーであり、作者の男性が3人の女性とのこれまでの関係を振り返りながら色々なことを告白しているものだった。私はその著者と最初に登場した女性との話が面白く、そこから2人目、そして3人目と読み進めて行った。
だが所々、女性との関係に関する記述の中であまり感心しないものがあり、途中で読むのを止めようかとも思ったが、結局最後まで読み通したという夢があった。
夢から得られる示唆をもとに、今日もまた自分の取り組みに専心していこうと思う。フローニンゲン:2021/10/29(金)07:20
7451. 応答と天職/気違い/音読による多幸感
心の中に川が流れている。そのせせらぎが聞こえてくるかのようである。
川の下に存在している石。その石の下に太初の言葉が隠されている。自分はその言葉に虚心坦懐に耳を傾けている。
すると、その言葉はそっと自分に重要なメッセージを届けてくれた。
応答と天職。日々自分の内側に響く呼びかけに応じていない人が、天職(calling)という呼びかけの声が聞こえるのだろうか。それは到底不可能なことなのではないだろうか。
日々自分の内側に立ち現れる呼びかけの声に耳を傾けること。それを通じて自分はより外側に開いていき、ふとした時に自分を超えたところからやって来る天からの呼びかけの声が聞こえてくる。天職との出会いというのはそういうものなのではないだろうか。
今朝方、激しい高揚感で目覚めた。目覚めた瞬間に、自分が高揚感の渦に包まれていて、思わず歓喜の声を叫びそうであった。
気違いである。とても肯定的な気違いであることを嬉しく思う。
「気違い」というのは「気狂い」という言葉が当てられることもあるようだが、どちらも自分にとってはとても肯定的な意味を持つ。人と違う気を持つというのは当たり前である。
また、「狂う」というのは部首がけものへんであり、その横にあるつくりには「王」という漢字が当てられている。肯定的な意味で狂うというのは、自らの内側にある原初的な動物性を王座に上げて手なずけることなのかもしれない。
昨日より、激しい音読がまた始まった。何か取り憑かれたかのように今日も音読をしていた。
これまでも確かに音読をしながら書籍を読み進めていたのだが、ここ最近は重要な箇所だけ音読するようにしていて、あとは黙読であった。しかし、昨日からテクノロジー哲学の本当に重要な文献を読み始めたことをきっかけとして、そこでの書籍は全て音読するようにしている。
音読を通じて前頭葉を中心に脳の様々な部位が活性化されるのを実感するだけではなく、多幸感を感じているのはセロトニンが分泌されているからのようであった。音読によって脳の血流が良くなると、幸福を司るセロトニンが分泌されるらしい。それは体験を通じて実感できることである。
明日もまた音読に明け暮れたいと思う。書物の一つ一つの言葉が自分の内側に体現されていき、音読によって記憶の定着にも役立っていることは喜ばしい。明日もまた幸福感に満ちた日になるに違いない。フローニンゲン:2021/10/29(金)19:51
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