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7445-7447: フローニンゲンからの便り 2021年10月27(水)



No.2859 朝の世界の中で_In a Morning World


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.997, Gnosis

Gnostic understandings came to my mind suddenly.

They opened and activated my psyche.

A calm sea is floating in my mind now.

Groningen; 08:36, 10/27/2021


No.998, A Precious Guidance

I’m listening to a voice of a spirit right now.

It gives me a precious guidance.

All I have to do is to just follow it.

Groningen; 14:47, 10/27/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7445. 今朝方の夢

7446. 今朝方の夢の続き

7447. 書簡形式について/悪魔学からの示唆/物象化されるスピリット


7445. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えようとしている。真っ暗闇の中、今朝方の夢について振り返っている。今朝方はいくつかの夢を見ていた。


最初の夢の中で私は、市民プールにいた。プールサイドに私は立っていて、これから始まる競泳会を見ることになっていた。


早速レースが始まることになり、ふと飛び込み台の前に立つ選手たちをみると、なんと全員が相撲レスラーだった。中には体重が200kgを超えるような大きな力士もいて、各レーンに全て力士が並ぶ姿は圧巻であった。


私は彼らが全員一斉に飛び込んだら、どれだけ水しぶきが立つのかを想像した。そして、随分と水がプールサイドに溢れるだろうと想像した。


スタートの合図があった時、1人の細い力士がフライングをしてしまい、もう一度やり直しになった。今度は誰もフライングせず、全員が水に一斉に飛び込んだ時、予想通りにすごい水しぶきだった。


私は力士たちの泳ぎは大したことないだろうと思っていたのだが、実際には全員が途轍もなく泳ぎがうまかった。飛び込みから着水、そして着水してからの泳ぎは水泳選手のそれであり、気がつけばすぐに折り返しのターンをして、全員が速やかにゴールをした。


全員がゴールをしたかと思ったら、力士たちに少し遅れて1匹の子猿がすっとゴールにタッチした。そしてそれはどこかに消えてしまった。


そこからさらに少し遅れて、力士の影に隠れて全く見えなかったが、普通の体型をした男性がゴールに到着した。見ると彼は高校時代の友人(SK)だった。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は日本の都心部のビジネス街にいた。どうやら私はその街のある高層ビルに入っている会社で働いているようだった。


ビルの下に到着した時、前職時代の女性の上司と遭遇した。遭遇したというよりも、これからその上司を含め、会社のメンバー数人と旅行に行くことになっていて、ビルの下で待ち合わせをしていたのである。


私は待ち合わせの時間よりも少し早くその場に到着していて、まだ誰もそこにいなかったので、ビルの地下に入っているたくさんの店を眺めながら時間を潰していた。待ち合わせ時間になったのでビルの地上に出てみたときにその上司がいたのである。


上司は自分が時間ギリギリに到着したと思っていたようだが、私はビルの地下を散策していただけなので、ひょっとしたらどこかのタイミングで上司とすれ違ったのではないかと述べた。というのも、駅から地上に抜ける際にはそこを通らないといけなかったからである。ところが上司は私の姿を見なかったと述べた。


そのようなやりとりをしていると、もう3人ほど会社のメンバーが到着して、そこから新幹線乗り場に向かった。改札口に向かう前に、私は全員分の新幹線のチケットを購入し、後で精算してもらおうと思った。


自分の分も含めて、5人分のチケットを財布にしまい、新幹線がプラットホームに到着するタイミングでチケットを全員に渡そうとした。すると1人の年配の上司はそれを受け取り、お金を払おうとしてくれたが、他の3人はチケットを受け取る素振りを見せなかった。


そのため、チケットを受け取ろうとしてくれたその上司に対して、チケットはいったん自分が預かっておくということを伝え、お金も後でいいということを述べた。いざ新幹線に乗り込んだところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2021/10/27(水)07:39


7446. 今朝方の夢の続き


今朝方の夢について2つほど振り返っていると、その他に見ていた夢も思い出した。それらを書き留めてから早朝の創作活動に移り、そこから読書を進めていきたいと思う。今日もまた充実した1日になることを予感する。


夢の中で私は、オランダ人とドイツ人が集まる会議室にいた。その場にいたのは10人ぐらいであり、私を除いてその他の人たちはオランダ人とドイツ人だった。


会議室の中で、背の高いオランダ人の見知らぬ中年男性がホワイトボードの前に立ち、何かを説明していた。それは何かの商品に関する説明か、あるいは事業計画の説明のようだった。


会議室の雰囲気は和やかであり、全員が幾分笑みを浮かべているかのように雰囲気は良かった。私たちは席に座ってその男性の説明を聞いていた。


彼の説明は全て英語だったのだが、あるところでピタリと言葉が止まった。どうやら今から説明する事柄の英単語が出てこないようだった。


なんの英単語が出てこなかったかというと、計算機である。その男性も計算機のことを“calculator”と呼ぶことは知っているようだったが、何か別の表現を探しているようだった。


私たちはしばらく黙ったまま彼が望む英単語を思い出すのを待っていた。するとその場が突然レストランに変わった。そして、見たことのあるアメリカ人男性が私たちのところにやって来て、今からピザを振る舞ってくれると述べた。


その男性は、アメリカ人の俳優のマット·デイモンだった。彼は何やらそのレストランを経営しているようであり、自分でもピザを焼くことがあるとのことだった。


レストランの厨房と化したその場で、マット·デイモンはピザの焼き方を私たちに教えてくれた。すると、先ほどまではオランダ人とドイツ人しかいなかったはずなのだが、周りには前職時代のメンバーがちらほらいた。


私は彼らと一緒にピザを焼くことにした。隣のチームは少しチーズの量が多かったようであり、オーブンの中でチーズが爆発してしまったようだった。私たちのチームはうまく焼けていて、いざオーブンから取り出した時、ピザのとても良い香りが漂った。


私は早速味見がてら、ピザを切り取り、それをテーブルに運んだ。すると、後ろから自分をからかう声がした。


声の方を見ると、見知らぬ男性だったのだが、おそらく同じ大学を卒業した先輩のようだった。どこかで面識があるような気もしながらも、私はその人のことをあまり知らなかったので、無視をしていた。


しかし、その人がしつこく自分をからかうような発言をしてくるものだから、何か仕返しをしようと思った。その人がピザとサラダを取りに行き、テーブルに戻って来た後に、その人は今度は水か何かを取りに行こうとした。


私はそれをチャンスだと思い、テーブルに置かれたピザの皿とサラダの容器をひっくり返した。その人が戻って来た時、その状態を見て驚いているようだったが、不思議と犯人探しをせず、犯人は自分とおそらく気づいていたはずだが、こちらには何も言ってこなかった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2021/10/27(水)08:03


7447. 書簡形式について/悪魔学からの示唆/物象化されるスピリット


時刻は午前11時を迎えた。今日はどうやら一日中雲らしい。すっかりと紅葉した木々の様子を眺めながらこの日記を書いている。


書簡というのはかつて最も高貴な表現手段だった。例えば、神学者が書簡形式で神学思想を共有していたのは書簡の重要さを物語っている。


敬愛する思想家の森有正先生は敬虔なクリスチャンだったが、森先生が書簡形式の文章を書き続けていた理由にはそうした背景があるのかもしれない。自分の日記もまたいつの間にか書簡形式を意識したものになっていることに気づき、今後も書簡形式を意識した形で自分の考えを書き留めておきたいと思う。


今の自分の関心事項を絶えず内省する日々が続く。宗教の歴史や形態を知る宗教学にはほとんど関心がなく、自分が関心があるのは神学者の眼である。


神学者の眼を獲得し、救済と解放の実践につなげていくために神学を探究している。神学を探究し始めてみると、神学は人文社会学にはない発想で構築されていることは明らかである。


発想の起点も枠組みも、神学には固有のものがあるのだ。またそこで使われている言語体系も神的言語とでも形容できるような特殊なものである。


そうした言語体系を自由に活用できるようになって初めて見えてくるものがあるだろう。自分の探究の目的は、人間の眼を磨くこと、そして神の眼を獲得し、それを通じて世直しに寄与していくことにある。


悪魔学(demonology)の発想に基けば、悪魔を召喚することは比較的簡単である。しかし、ひとたび召喚してしまった悪魔を消し去るには相当の技術がいるとのことである。


現代社会においては、富の悪魔、すなわちマモン(Mammon)が消えずに存在し続けている姿を見ると、それを消し去ることがいかに難しいかがわかる。この論点は対人支援上においても大事なのではないだろうか。


具体的には、対人支援の現場において、支援者はクライアントに容易には消し去ることのできない刻印を残してしまうことがあるということである。何気ない所作や言葉がクライアントの中にまるで消し去ることのできないような悪魔のように刻印されてしまう可能性があることを支援者は肝に命じておかなければならないように思う。少なくともそれは対人支援における最低限の倫理観だと思われる。


人と物、人と人、人と社会との関係性を含めた、ありとあらゆる関係性の中にスピリットが宿る、いやむしろ関係性そのものが本来スピリットと形容していいのではないかという点を先日の日記で書き留めていた。


そこからふと、現代社会においてはマルクスが指摘するように、関係性そのものが物化されるという物象化(reification)現象が蔓延している問題について考えていた。


様々な次元でスピリットが喪失している現代社会。スピリットとしての関係性が物化され、商品化され、搾取され、取引される極めて歪な現代社会。


こうした社会のありようもまた変革していかなければならないものであり、自分の探究と実践は絶えずそれを見つめている。フローニンゲン:2021/10/27(水)11:27


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