No.2844 夜の贈り物_A Gift of Night
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.987, A New Day
Daybreak has come.
A gentle morning feeling is passing by.
It is caressing my existence.
I’m being inspired.
Groningen; 07:46, 10/22/2021
No.988, Brightness and Hope
I’m seeing the exudation of brightness.
It is the indication of tomorrow’s hope.
Groningen; 17:40, 10/22/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7432. 絶対的な確信がテーマとなった今朝方の夢/個性化について
7433. 充実感/開かれた未規定な未来へ/個性化/エロス
7432. 絶対的な確信がテーマとなった今朝方の夢/個性化について
時刻は午前7時を迎えた。誕生日から一夜が明け、また新たな1日がやって来た。
今朝も気温はずいぶん冷えているが、明日はもっと気温が下がり、最低気温は5度とのことである。今日は午前中に少し小雨が降るようで、午後からは天気が回復するようだ。
今日は午後に家の掃除をしようと思う。自分が毎日生まれ変わっているのと同じく、掃除によって家もまた生まれ変わるだろう。
今朝方の夢について思い出してみると、情景として思い出すことはあまりないのだが、感覚として、何か確信めいたものがあった。自分は自らの生き方に対して絶対的な確信を持っているようだった。
完全に未知である人生に対して絶対的な確信を持つというのは不思議なものである。絶対的に不確実なものに対して絶対的な確信を持っている自分がそこにいて、それはきっと自己をこの世界に対して明け渡しているから起こったものなのかもしれない。
絶対的な確信を身体中に感じながら、それを口に出している自分がいた。そのような夢の場面があった。
その他に覚えていることは何かないだろうか。朧げながらではあるが、ヨーロッパの落ち着いた街に生活している自分がいたように思う。
そこでも自分は穏やかさに対して完全に自己を明け渡していて、絶対的な確信を通じた安心感を得ているようだった。得てして今朝方の夢は、確信というものがテーマとなり、それが身体感覚として具現化されていたように思う。
また新しく生まれ変わった自分。その自分を通じて今日も充実した1日を送ろうと思う。
それは自分の意思かもしれないが、意思を超えた形で進行していく人生に身を委ねているが故に、今日もまた確実に充実した日になるだろう。それがもうわかっているのだ。
昨日の読書の中で、テクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーは、フランスの思考家のギルバート·シモンドンの個性化の考え方を援用し、個人の個性化は集合の個性化を通じて初めてなされると指摘していたことを思い出した。
集合の個性化の恩恵を受ける形で個性化された個人(他者)との出会いや交わりによって個人の個性化が真に実現されていくのであれば、日本の集合的な個性化の度合いをどうしても考えてしまう。
それは我が国の民主主義との観点においても重要な論点のように思える。果たして日本は集合的な意味での個性化をきちんと果たしているのだろうか。
仮にそれがなければ個人の真の個性化はなし得ない。それは民主国家の致命的な欠陥であるように思える。
そもそもそうした状態では、民主国家としての健全な運営はなされないだろう。そのようなことを昨日考えていたことを思い出す。
それでは今日もまた読書と創作活動に励みたい。正午過ぎに1件ほどオンラインミーティングがあるが、それ以外の時間は全て自分のライフワークに充てたいと思う。
やはり今日も充実した日になるということが身体の奥底から湧き上がって来るように実感される。フローニンゲン:2021/10/22(金)07:27
7433. 充実感/開かれた未規定な未来へ/個性化/エロス
時刻は午後5時に近づいている。つい先ほど書籍の受け取りと合わせて買い物に出かけたのだが、外は冬のようであった。肌がピリッとするような寒さが広がっていて、いよいよ冬が始まったことを実感した。
ここから5月半ばまでの長い冬。今年の冬は例年の冬よりもさらに充実したものになるような気がしている。
これは毎年感じていることであり、実際にそうなっている。人生とは本当に深まっていくものなのだ。それは充実感の拡張プロセスとしてゆっくり進行していくものらしい。
今日は正午すぐに、発達理論マスターコースの説明会があった。先週と同様に今回もサプライズ参加をさせていただいた。これを述べるともうサプライズではなくなるが、来週の最後の説明会の最後にもサプライズ参加をしたいと思う。
マネー神学者のフィリップ·グッドチャイルドは、資本主義はそもそもまだ正しく始まっていないのだから、資本主義は終わりようがないと指摘している。
資本主義の本質的な信条を考えてみると、確かにそうなのかもしれない。始まっていないものを終わらせることは確かに不可能だ。何かを終わらせるためには、それを本質的に始めなければならない。中途半端にそれを初めてはならないのだ。そんなことを考える。
ソーレン·キルケゴールはかつて、人生とは振り返ることによって初めて理解されるものでありながら、人生は開かれた未規定の未来に向かっていく形で生きられると述べた。これもまた共感する洞察だ。
人生というのは絶えず未知なのだが、絶えず未来に開かれている。
そして人生というのは、絶えず現在進行形で進んでいくものであるから、それを理解するためには振り返るという行為が必要なのだろう。今こうして執筆している日記もまた今日という1日の振り返りである。それによって今日が自分の人生として刻印され、その存在を浮き上がらせたのである。
昨日も個性化について書き留めていたように思う。個性化のプロセスにおいて、最初それは何かが違うという感覚から始まるというギルバート·シモンドンの指摘はまさにそうだ。
自分がこれまで立脚していた規範や世界観に対する違和感から個性化が出発するのである。個性化を通じた発達の要諦に、違和感があるというのは重要な洞察だろう。
有限な個的存在としての私たちが無限な存在に憧れ、そこに向かっていこうとするのはまさにエロスの衝動だが、そう考えてみると、無限に拡張しうるマネーやサイバー空間というのはエロスの衝動を強く刺激するものなのだろう。
ここに個性化を絡めるとどのような洞察が生まれるだろうか。個性化とエロスは深い繋がりがありそうだ。そこからマネーやサイバー空間との繋がりを考察していくことができるだろう。
小鳥たちが夕方を祝うかのような鳴き声を上げている。自分はその鳴き声とし化し、祝祭と化している。そして自分は祝福となった。フローニンゲン:2021/10/22(金)17:04
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