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7426-7428: フローニンゲンからの便り 2021年10月20日(水)



No.2839 喜びの具現化_Embodiment of Joy


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.983, The Windless Inner World

A strong wind is blowing now.

Yet, my inner world is windless.

It is completely calm.

Groningen; 09:12, 10/20/2021


No.984, The Speed of Light

My inner world is moving at the speed of light.

Thus, my life on the earth stands still.

Groningen; 15:17, 10/20/2021


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本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7426. 昨日の夢と今朝方の夢

7427. 欧州の投資家ビザを調べながら

7428. 静止した時間感覚で生きること/「テクノロジー催眠状態」


7426. 昨日の夢と今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。気がつけば、もう週の半ばに来ている。日々の時の流れは早いものである。今の自分は時の流れを早く感じているらしい。


再来週の日曜日にようやくサマータイムが終了する。それまでは日の出は遅く、日没は早い。


いや、サマータイムが終了することによって冬が本格的に始まるのだから、日の出はもっと遅くなり、日没はもっと早くなるはずだ。冬に向けての心の準備はできている。


今朝方の夢を振り返ろうと思ったら、なんと昨日見た夢で忘れていたものを思い出した。夢の中で私は、ヴェネチアのような水の街にいた。そこは本当にヴェネチアのように運河が街中に張り巡らされていて、所々船で街を移動する必要があった。


その日は晴天であり、太陽の光が運河に反射して輝いている姿はとても美しかった。私はその街に住んでいるようで、小中学校時代の女性友達(YY)もその街に住んでいた。しかも彼女とはご近所さんだった。


買い物にでも出かけようと思って家を出発し、家の前の真っ直ぐな道を歩いていると、偶然彼女に遭遇した。その道の両脇にはいろいろなお店があり、その通りだけを見ると、オランダのフローニンゲンの中心と似ていて、見間違えてしまうほどだった。


友人の彼女もまた買い物に出かけていたようであり、彼女は買い物から戻ってくるところだった。彼女とその場で少し立ち話をすることになり、彼女がふと、家の戸締りが心配だということを述べた。


何やら最近、この街では空き巣が問題になっているらしく、お互いに戸締りには気をつけなければいけないということを話した。私はこれから買い物に行く必要があったので、話をするのはそのあたりに留め、買い物から帰ってきたらまた話の続きをしようと述べた。そこで彼女と別れたところで夢の場面が変わった。


この夢に出てきた街の雰囲気はとても印象的だった。夢の中の自分が思っていたように、ヴェネチアとフローニンゲンが融合したような街で、街並みはとても美しかった。そのような夢を昨日に見ていたことを思い出し、そこから今朝方の夢について振り返っていた。


今朝方の夢にも女性が現れていた。しかしその女性は友人ではなく、見知らぬ人だったように思う。年齢は若く、容姿も端麗だったように思う。


その女性と私は、白い光に包まれた場所で会話を楽しんでいた。何か静かな幸福感に包まれていた自分がいたことを覚えている。


その他にも、実際に小中学校時代に過ごしていた社宅の食卓で、両親と朝食がてらスイーツをこれから食べようとしている夢があった。


スイーツは確かスコーンであり、8個のスコーンを3人で分ける際に、いつもであれば自分の分を多くしてもらっていたので、自分は4個、両親はそれぞれ2個ずつの形で分けてくれるのかと思ったら、なぜか両親はそれぞれ3個ずつ、私は2個だった。


そのスコーンは昼の弁当にも持っていく予定だったので、朝食の段階で2個全てを食べ切ってしまうのではないかと思った。そこで私は、母にスコーンの作り方を聞き、意外とすぐに作れるらしかったので、朝食後にスコーンを作り、それを昼の弁当として持っていこうと思った。


自分がスコーンを作ると知った父は嬉しそうにしていて、自分にも少し分けて欲しいということを述べた。私は当然両親の分も作ろうと考えていたので、もちろんだと述べた。


朝食後、少し休憩してからスコーンを作ろうと思っていると、父がふと、スコーンを作ることを急かすようなことを述べた。私は人から何か命令をされるとやる気を一気に失う人間であり、父のその発言によってスコーンを作る気が失せた。


そして父に対して、管理職として仕事をしてきたのに、人を気持ちよく動かす言葉掛けができないのかと暴言を吐いて学校に向かった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2021/10/20(水)08:43


7427. 欧州の投資家ビザを調べながら


時刻は正午を迎えた。午前中にふと、今後の旅の計画を頭の中で練っていた。


以前からバルト三国へ足を運びたいと思っていて、バルト三国を訪れる旅を来年の春ぐらいに計画し、チェコやモナコへの旅も計画したいと思った。そこから、今後欧州でどこの国に住むのかを含めて、投資家ビザについて色々と調べていた。


EUの全ての国が投資家ビザを発行しているわけではなく、フィンランドにはそれがないようなので残念だ。調べてみるとEU加盟国ではないが、ノルウェーにも投資家ビザがあり、投資金額が100,000EUROと極めて低いことがわかった。


申請に要する期間も1ヶ月程度であり、取得後は特に居住条件——例えば6ヶ月以上国外に滞在してはならないなど——もなく、ノルウェーへの移住も考えてみたいと思った。


仮に数年後にアメリカの大学院に戻ることを考えると、来年のうちに再びヨーロッパに戻ってきた時の滞在国の候補を見つけておきたいと思う。スウェーデンも条件としては同じぐらいの投資家ビザプログラムがある。


雄大な森の自然を選択するのであれば、ノルウェーやスウェーデンが候補に上がる。バルト三国の中でITを含めて最も発展しているエストニアは、フィンランドに近く、雄大な自然が残っている。エストニアに一度足を運んでみたいと思っているのは、投資家ビザの申請候補でもあるからだ。


より気候が温暖で、森ではなく海を取るのであれば——上記の国は海にも面しているが——、2年前に訪れたマルタ共和国、ギリシャ、ポルトガルも候補に入ってくる。言語の観点でいけば、イギリス領のマルタ共和国が住みやすいかもしれない。ここからは真剣に今後の欧州内での居住先を検討していこうと思う。


仮にジャンジャック·ルソーの「自然に帰れ」という発想が、発達理論的な観点においてロマンティシズム的な、すなわち退行的な発想であったとしても、それに変わる形の超越的な、すなわちより成熟した発想において自然に帰ることができるのだ。


もし再びアメリカに移住し、そこから再度ヨーロッパに戻ってくるときには、自然に帰る形で居住先を選びたいと思う。来年は居住先の選択という観点で旅行を積極的にしていこうかと思う。そのようなことを午前中に考えていた。フローニンゲン:2021/10/20(水)12:17


7428. 静止した時間感覚で生きること/「テクノロジー催眠状態」


成人発達理論やインテグラル理論の体系を体現化し、それらの理論体系に含まれる概念群を縦横無尽に活用できるようになるまでに時間を要したことを思い出す。


現在探究しているテクノロジー哲学や神学に関する思想体系や理論体系もまた、体現するには時間がかかり、それらを縦横無尽に駆使できるようになるまでには時間を要することを想定しておこう。


そのようなことを考えながら、宇宙での生活をぼんやりと考えていた。そのときに、「ウラシマ効果」のことを思い出した。


感覚として、絶えず自分の思考を含めた内的世界が光の速度と同一化して動いているとイメージして生活をしてみると、老いていくスピードにも変化が出るのではないかと思った。


光の速度と一体化になって地球上で生きるというのは、地球上では静止しているかのような感覚で生きることを意味する。そのような感覚で生きていくと、自分の中でどのような変化が生まれるのか関心が芽生えたのである。


地球上での生活における時の流れをゆったりと、いや静止したものと感じられるぐらいの感覚で日々を生きてみよう。


今日はこれまでのところ4冊ほどの書籍を読み終えた。その中でも、ニーチェの虚無主義の思想とテクノロジーを絡めた哲学書から得るものが多かった。


テクノロジー漬けにされることを通じて「テクノロジー催眠状態」に陥っている多くの現代人。注意がテクノロジーによって搾取·改変·管理され、気づかない形で催眠状態になってテクノロジーに依存することを通じて、人々は個人としても集団的としても催眠状態に陥っている。


これと群衆心理が絡むことを通じて、人々は偽りの表面的なつながりの中で自己を見失っていく。マッチングアプリを含め、SNSの負の側面についてあれこれと考えさせられていた。


トランスヒューマニズムの発想は、キリスト教や仏教と似ており、人間であることは苦であるという発想を出発点にしている。キリスト教においては原罪という考えが、仏教においては一切皆苦という考えがある。


出発点になるその前提的な発想に誤りがないかどうかを検証しようとする自分がいる。仮にその発想に誤りがあれば、トランスヒューマニズムを含め、キリスト教や仏教もその教えを見直さなければならなくなるだろう。


人間であることの中に苦があることは間違いないが、人間であることそのものが果たして苦なのだろうか。それについて引き続き考えていかなければなるまい。フローニンゲン:2021/10/20(水)16:00

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