No.2826 輝くシンボル_A Shining Symbol
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.973, Serenity
The Saturday morning world is very serene.
Its serenity comes into me.
I become serenity, too.
Groningen; 10:29, 10/16/2021
No.974, Value of Dream Sharing
Sharing a dream with someone else and doing a dialogue based on the dream can open up our psyche.
It can lead to healing and transforming ourselves.
I had such an experience with my friend today.
Groningen; 17:34, 10/16/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7416. 今朝方の夢
7417. 美的神学から/今朝方の夢の続き
7418. 夢の持つ力と価値の再認識/成熟と新鮮さ
7416. 今朝方の夢
時刻は午前9時半を迎えようとしている。土曜日の朝が静けさに包まれている。
今、部屋を温めるために暖房が自動で入っている。数日前から湯たんぽを使って寝るようにしており、暖房にもこれからますますお世話になるのではないかと思う。
昨夜にふと、出会いと別れの突然性について考えていた。出会いは突然やって来て、別れもまた突然やって来る。私たちの人生は、こうした予期せぬ突然性で満ち溢れていると言えるかもしれない。
同じように思える日常の中にも予期せぬことが突然ふとやって来ること。人生は、予測不可能な泡沫の集まりであるかのようだ。
今朝方は夢の中で、高潔な生き方とは何かについて問うていた。その問いに対して自分なりに考え、自分なりに納得の行く答えが見つかった。その答えを喜びの中で叫んだ時、一度夢から覚めた。
その瞬間にもまだ答えを覚えていたが、今となってはもう覚えていない。しかし覚えていないことは問題ではない。なぜなら、その答えがもう自分の中に体現されているからだ。
次に見た夢では、見慣れない立派な市民ホールのような場所にいた。ホールの中には劇場があり、そこは舞台が空間の中央にあって、客席がそれを取り囲んでいる円形舞台だった。
舞台の中央に誰か人がいて、何か講演をしているようだった。見ると、それは私のゼミの先生だった。
先生は椅子にちょこんと腰掛け、自分の専門領域に関する過去の研究成果を小さな声で発表していた。私は手に数冊ほど今から読みたいと思っている書籍を持っていたが、それらの本を読むのではなく、恩師の発表を聞きたいと思った。
先生の声が届く席に移動しようと思ったが、せっかくなので、関係者を装い、舞台の背後から先生の話を聞こうと思った。そこに移動すると、先生の声がよく聞こえた。だが、先生の発表があまり面白いものではないことにすぐさま気づいてしまった。しかし今移動して来たばかりなので、すぐさま再び移動するのも気が引けた。
しばらく先生の話を聞いていると、先生がふと言葉に詰まる瞬間があり、椅子を立って何か資料を眺め出す瞬間があったので、私はそのタイミングを見計らって、その場を後にすることにした。
劇場の外に出ると、劇場の脇に学校の教室があった。気になったので教室に入ってみると、そこに小中高時代の女性友達(NI)と高校時代のクラスメート女子が席に座って勉強をしていた。もう1人、顔はわからなかったが教室の後ろの席に座って勉強している女子がいた。
彼女たちは真剣な表情で勉強をしていて、私がテンション高く声を掛けたときには何か迷惑そうな顔を浮かべた。何を勉強しているのかを聞いてみても、返事が素っ気なかった。
高校時代のクラスメートの女子は、学年でも常にトップを争うような人であり、わからないことがあったら何でも聞いてくれと彼女に言い難かったが、一応その場にいる全員に、もし質問があったら何でも聞いてくれと述べてその場を後にした。そこで夢の場面が変わった。
ドイツ旅行からしばらくし、入浴習慣を変えた頃から夢の想起力が再び高まったように思える。寝る前まで読書をすることも多くなり、そこで得られた事柄が夢の形となって現れて来ているのかもしれない。今日もまた読書に励み、今夜の夢はどんなものかを期待しよう。フローニンゲン:2021/10/16(土)09:45
7417. 美的神学から/今朝方の夢の続き
今日は曇りだが、先ほどシーツと布団カバーを洗った。そして、今それを干し終えた。
世界が静けさとして佇んでいる。それは静かに佇んでいるというよりも、静けさとして佇んでいる。
自分もそうなのかもしれない。日々平穏に暮らしているのではなく、平穏として暮らしているのかもしれない。その違いは大きい。
昨日、美的神学(theological aestheticsあるいはaesthetic theology)の書籍を読んだ。哲学的な形で美を考察するだけではなく、神学的な形で美を考察していくヒントになる良書だった。
テクノロジー哲学について探究を深めていると、そこで頻繁に美について言及されることがある。テクノロジーを通じた変容と解放を実現する際に、美の領域の話を骨抜きにすることはできない。
変容や解放はそもそも人間の主観領域の中でまず起こる。それを考えてみると、美の領域の重要性が自ずから浮かび上がって来る。
さて今日はどのような本を読もうか。毎日の読書はこのように、その日に読みたいものを読む形で始まり、そしてそのように進む。ここには一切の強制的な何か、義務的な何かはない。自発性と新たな知との出会いに対する喜びと感謝の気持ちに基づいて読書が行われる。
今朝方の夢で現れた「高潔な生き方」というテーマに近しい書籍として、エリック·フロムの“The Art of Being”の書籍はいいかもしれない。あるいは、ジャン·ボードリヤールの“Symbolic Exchange and Death”、フィリップ·グッドチャイルドの“Deleuze & Guattari”、デイヴィッド·ハーヴェイの“Spaces of Capital: Towards a Critical Geography”などを読み進めていければと思う。
本日読みたい書籍について書き留めていると、今朝方の夢の続きを思い出した。
夢の中で私は、友人の画家と彼女のチームのメンバーと話をしていた。彼女のプロデューサーは大変敏腕で、仕事の進め方には目を見張るものがあった。一方で、私はその方に気を遣っているようであり、彼女の件で相談事があったのでその方に話に行こうとした時に、躊躇する自分がいた。
意を決してプロデューサーのところに行き、相談事を持ちかけると、もっと早くそれを伝えてくれないと困ると言われて怒鳴られてしまった。だが私の決意は固く、その相談事を実行する気持ちを変えることなく、今からそれを実行しようと思った。
彼女のところに行き、その件について話すと、少し驚いていたようだが、彼女も同意してくれ、それを実行するためにその場を後にすることになった。その際に、私は彼女の手を取ったのだが、彼女の手がとても冷んやりしていたのが印象的だった。
最後の夢の場面として、テレビゲームのマリオカートをしていたものがあった。私はある知り合いとそのゲームを楽しんでいて、お互いに久しぶりにマリオカートをしたものだから、150ccの一番レベルの高いカテゴリーでゲームをスタートさせたのはいいものの、互いに最下位を争っていた。
ゲームの中で、自分が操作するキャラクターが大量にコインを獲得し、物凄い速度で走っている場面があった。相手からの攻撃や仕掛けられた爆弾にぶつかることによって、コインが失われてしまうこともあったが、絶えずコインを多く獲得している自分がいて、走る速度はとても早かった。確かそのレースだけは良い順位でゴールできたのではないかと思う。
コインを失う前と後を比較してみると、コインを一度失ったことによって、その後さらにコインを集めることがうまくなっていて、最終的には失う前よりもコインを持っていたことが印象的である。それはどこか、4年前の現実世界において、資産が膨れ上がり、そこからかなりの資産を失って、直近1年で再び資産が膨れて来て、資産を減らす前よりも格段に資産が増えている今の状況と重なるものがある。
その他にも、あるジャングルのコースを走っている時に、知り合いも私も最下位争いを繰り広げていて、にっちもさっちも行かなくなったので、ショートカットを使おうとしたら、それがうまく行かず、橋に着地できずに谷底に落ちていった場面があった。
私と知り合いはそれを笑い、私はもう一度トライしたが、それもうまく行かなかった。でもなぜか、次は成功するのではないかと思い、別の場所でショートカットにトライしてみようと思った。この夢は、人生にショートカットは無いと伝えようとしているのだろうか。フローニンゲン:2021/10/16(土)10:18
7418. 夢の持つ力と価値の再認識/成熟と新鮮さ
時刻は午後5時半に近づいて来ている。そろそろ夕食前の入浴を楽しもうと思う。
先ほどまで、友人とオンラインで話をしていた。結局3時間ぐらい積もる話をしていたのだが、話の中でとても印象的な体験をした。
友人がこの間が見た大変示唆深い夢の話をしてくれ、それを聞きながら、こちらも色々と考えさせられることが多く、改めて夢の持つ力、夢を共有してそれを題材に対話することの意義を感じた。
夢からの投げかけ。夢からのお告げとでも呼べるような意味が夢の中にあること。あるいは夢そのものにはそうした意図がなくても、こちら側の向かい方次第でそうした意味が汲み取れることに夢の持つ価値を見る。
ひどく歪んだ限定的な同質のリアリティを生きる人々に、多様で開かれた異質のリアリティを開示すること。自分の表現活動の核にはそれがある。その点を今朝方改めて再認識した。自分が知覚したリアリティの諸相を、様々な表現手段を通じて開示·共有していくこと。その活動を静かに継続していく。
そう言えば、今朝方の夢として、移民局から滞在許可証の更新に関する通知を受けた夢があった。自分が提出した資料の中に不備があったらしく、記載する情報を追加してほしいという依頼を受けた。
夢の中の私は、過去の申請の際にはそのような問題が発生したことはなく、速やかに申請が受理されたので、どうしたものかと思った。そんな夢の場面があった。
実際に、昨日は現実世界において、移民局に電話をした。10/11までに更新手続きの結果の通知が届くとのことだったが、その通知がまだ届いていなかったのだ。
電話で確認すると、どうやら今移民局は繁忙期らしく、手続きが遅れているのかもしれないとのことだった。後日、担当の人から手続きの進捗について電話があるとのことで電話を終えた。無事に申請が受理されればと願う。
友人とオンラインで話をする前に、仮眠を取っていた。その最中に、内的成熟に応じて、人生の背景の季節が深まりながらも、同時に自己という果実の新鮮さが際立って来ているように思うという気づきがやって来た。
そうなのだ。確かに自分の内側は深まっていっている実感がありながらも、同時に自分の中の若々しい側面が際立って来て、活き活きとした感覚が増している。
成熟と新鮮さというのは何やら同居可能なものらしい。お互いに相反するものではなく、共存可能であるということが、体験を通じて理解される。フローニンゲン:2021/10/16(土)17:31
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