No.2812 新たな宇宙(その2)_A New Universe (Part 2)
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.958, I’m a Game Creator
Surprisingly and happily, my first online game was approved today!
I became a game creator from today.
I’ll continue to create a game by exerting my creativity.
Groningen; 09:41, 10/9/2021
No.959, A Delicious Fruit
Today was like a delicious fruit.
Oh, every day is a succulent fruit!
Tomorrow will be luscious and fruitful, too.
Groningen; 20:59, 10/9/2021
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本日の3曲
全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。
楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
7394. 近所のパーティー
7395. 創作したゲームの承認が下りて
7396. 小さな宝石のような幸せに包まれて
7397. 月に向かって発射して/メタスタビリティー/テクノロジーについて
7394. 近所のパーティー
時刻は午前9時を迎えた。ここ最近は早朝の時間帯に霧がかかっていることが多く、今日も例外ではない。霧により、幾分幻想的な雰囲気が広がっている。
昨夜、近所でお祭りごとのようなパーティーが行われていて、そこで流れている音楽がとてもうるさく、すぐに寝付くことができなかった。今の家の周りは普段はとても静かなので、尚更その音がうるさく聞こえたのだろう。
家の反対側のレンガ造りのアパートには大学生が多く住んでいるようであり、ちょうど大学の新しい学期が始まり1ヶ月ほど経ったところの週末だったので、学生たちが騒ぎたかったのかもしれない。調べてみると、特に昨日はオランダの祝日でもなかったので、彼らも少し羽目を外したかったのかもしれない。
オランダでは近隣間で騒音などの問題があると、当事者同士が直接話し合うという文化がある。ただし今回の場合は、騒音を発している家が少し遠くにあり、夜な夜なそこまで行って交渉するのが面倒だったので、結局そのままにしておいた。
騒音を騒音だと思うと余計にうるさく聞こえてしまうと思ったので、流れてくる音楽に耳を傾け、彼ら若者がどのような音楽を好んでいるのかを知ろうとしてみた。音楽の特徴と彼らのテンションから察するに、アルコールというよりもむしろソフトドラッグでも楽しみながら騒いでいるような印象を受けたが、果たしてどうなのだろうか。
確かに昨夜は彼らの騒ぎをうるさく感じたが、逆に彼らが普段抑圧しているものをちゃんと発散しているのであれば、それはそれで健全のようにも思えた。
オランダではコロナはもう落ち着いていて、普段の生活でマスクをする場など公共交通機関ぐらいしかないので、コロナを意識することはほとんどない。とはいえ、若者たちもまた色々と我慢を強いられていたり、鬱憤がたまっていることもあるだろうから、それがあれくらいのパーティーでうまく発散されるのであれば、それはそれで良しである。ただし、あれが何度も繰り返されると困るが。
今は霧がかかっているが、今日のフローニンゲンはこれから晴れて来て、天気はすこぶる良いようだ。ドイツ旅行から帰って来た最初の週末に、家の前のレンガの通りに生えている雑草を刈ることをオーナー夫妻に約束していたので、今日は午後から草刈りをしようと思う。
筋トレ以外にも、こうした形で身体を動かすのはいいものだ。これから気温が下がり、霜や雪が降るような季節になってくれば、雑草たちも大人しくしてくれるのではないかと思う。フローニンゲン:2021/10/9(土)09:20
7395. 創作したゲームの承認が下りて
ついに、ついに創作したゲームの承認がもらえた!創作したノベルゲームを「ノベルゲームコレクション」というウェブサイトを通じて公開してもらうために承認申請をしていたのだが、これまで2回ほどバグや動作の不具合などで承認が却下されていた。それが晴れて、今朝方承認が下りた。
ドイツ旅行の際に、列車の中や滞在先のホテルでプログラミングコードの不具合を検証したり、その他もろもろの動作確認を一生懸命に行なっていたのだが、その苦労が報われた形だ。
早速自分でも「ノベルゲームコレクション」のウェブサイトに行き、まずはパソコン上のブラウザで動作確認をし、その後、自分のスマホにダウンロードして動作を確認した。少し画面切り替えの速度が遅く感じられるところもあったが、ゆったりとゲームを楽しんでもらうためには、それくらいでちょうど良いだろう。
これにて無事にマルチデバイス対応のゲームが完成した。インターネットに接続されている場合にはパソコンとスマホの双方でブラウザを通じて遊ぶことができ、インターネットに接続されていなくても、パソコンとスマホにゲームをダウンロードできるようになった。これで様々な方に楽しんでもらいやすくなったのではないかと思う。
このノベルゲームの創作を通じて肯定的なこととしては、自分の日々の学びを主人公の犬の視点から捉え直すことができたことと、できるだけ噛み砕いた日本語で表現することを通じて、諸々の学びの理解が促進されたことである。
また何よりも、バグの修正の際にゲームを最初から最後まで5回ぐらいはプレーしたことにより、自分の日々の学びの復習をするという思わぬ効果もあった。
今回の物語の中盤には、主人公の犬だけではなく猫も登場する。ただしどちらのキャラクターも男の子であり、次回作以降に小鳥の女の子を登場させようと思う。複数のキャラクターが登場することによって、サブパーソナリティーワークを兼ねたボイスダイアローグが物語の中で実現されるかのようである。
今回晴れて公開となった無料ゲームは、日記上ではなく別途正式に紹介しようと思うが、取り急ぎ、公開されたゲームのURLを記載しておきたい。
自分でもURLをお気に入りに追加し、いつでも遊べるようにしておこう。フローニンゲン:2021/10/9(土)10:35
7396. 小さな宝石のような幸せに包まれて
時刻は午後3時を迎えた。今、一仕事終え、清々しい気持ちでいる。
先ほどまで、家の前のレンガ畳みの道に生えている雑草を大がかりに掃除した。今日はとても天気が良く、午後からの掃除は快適であった。
確かに気温はめっきり低くなっており、暖かい格好をしていたが、秋のフローニンゲンの午後の太陽光は優しかった。
しばらく草刈りに集中していると、敷地の向こうから自分の名前を呼ぶ声がして、しゃがみ込んだ状態から顔を上げると、隣人のオランダ人のマークだった。
今朝方、マークがいつものように熱心にグリーンハウスの野菜とグリーンハウスの外の花壇の花々に水をあげていた光景が蘇る。その際に、マークが飼っているムースという猫がそばにいて、マークのそばについて動いている姿が可愛らしかった。
マークがやって来たので、そこで少し立ち話をし、グリーンハウスの方に向かって行った。何やら先ほどマークは、敷地内の4家庭で共有しているWhatsAppのグループにテキストメッセージを送ったそうだった。
内容は、マークが育てたイエローペッパーが食べ切れないほどの量育ったので、自由に取ってくれとのことだった。そのメッセージをまだ見ていなかったので、マークに案内されてグリーンハウスに行き、今日の夕食用として1ついただくことにした。
マーク曰く、それはとても辛いとのことだったが、夕食のスパイスとして有り難い。マークが育てがイエローペッパーはきっと美味しいだろう。
自分の家の敷地内の土の上に育った食べ物をいただくというのはなんだかいいものだ。
しばらくマークと話をした後、その場で別れ、私は再び自分の家の前に戻って来て、再び草むしりを始めた。気がつけば、無意識に鼻歌を口ずさんでいて、ご機嫌な状態で草むしりに励んでいる自分がいておかしく思った。
それだけ今日は天気が良かったし、自分の住んでいる土の上で育まれたイエローペッパーをマークからもらえたことが嬉しく、さらには綺麗になっていく家の周りの姿が爽快感を与えていたのだろう。
週末の土曜日に、静かな至福さを感じている。自分の日々は、こうした小さな宝石のような幸せで溢れている。フローニンゲン:2021/10/9(土)15:15
7397. 月に向かって発射して/メタスタビリティー/テクノロジーについて
時刻は午後7時を迎えた。今、辺りが薄暗くなり始めている。
先ほど夕食に、隣人のマークがくれたイエローペッパーを食べてみた。マーク曰く、それはとても辛いとのことだったが、冗談だろうと思って、丸ごと一つそれを今日の料理に使ってみたところ、唇が燃え、口が月に発射した。
正しいオランダ語かどうかわからないが、早速マークを含め、隣人のメッセージグループに“Mijn lippen branden!! Mijn mond ging naar de maan!!”と送った。その反応いかに。
市販のイエローペッパーはここまで辛いのだろうか?マークがオーガニックに育てたイエローペッパーが特別に辛いのであれば、自然の力はやはりすごいものがある。
こんなに辛ければ害虫は寄ってこないだろうし、これを食べたことによって、腸内の雑菌が死にそうである——善玉菌に被害がないことを祈る——。
今日は午後に草刈りを終えた後、読書を2時間ほど行った。その際に、テクノロジー哲学者のギルバート·シモンドンとバーナード·スティグラーの書籍を読んでいた。
サイバネティクスの提唱者のノーバート·ウィーナーと同様に、シモンドンは「メタスタビリティー」という概念を重視した。それは、安定状態でも不安定状態でもなく、それらの状態を超越した状態であり、変化のためのポテンシャルエネルギーを帯びた状態だ。
安定さと不安定さを超越しているというのは、どこか今の自分の状態を表しているように思える。ひょっとしたら今の自分は、メタスタビリティーの状態にあるのかもしれない。
これまで蓄えて来たポテンシャルエネルギーをもとに、ここから相転移を行い、新たな次元に到達するのではないかと思う。
その他にも、ハイデガーが強調したテクノロジーの重要さについて考えさせられた。ハイデガーは、テクノロジーの重要さをテクノロジーの利便性に求めるのではなく、テクノロジーが私たちに対して、私たちは何者であるかを突きつけてくる点に見出した。
しかしながら現代人は、テクノロジーからのそうした投げかけに無反応になってしまっているのではないだろうか。この世界における自己のあり方をテクノロジーを通じて内省できなくなっているのが、現代人が経験している病理の1つと言えるのではないか。
そこからさらに、神から火という道具を盗んだプロメテウスについて考えていた。プロメテウスは、人間に火という道具を授けたが、人間は火から出発した種々のテクノロジーを誤用する形で、天罰を下されているのかもしれない。
「カエサルのものはカエサルに」という発想を採用すれば、神々の道具として創造されたテクノロジーを本来の持ち主である神々に返し、テクノロジーへ敬意の念を持ちながらそれを活用させてもらうという謙虚な姿勢が人間には求められているように思う。とりわけ現代人は、そうした敬意を著しく欠いている。
敬意なきところに善意なし。善意なきところに幸(さち)はなし。フローニンゲン:2021/10/9(土)19:18
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