No.2736 シャングリラに咲く花_Flowers in Shangri-La
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.926, Thesaurus,
One of my intellectual hobbies to look up words in thesaurus.
It enables my vocabulary network to expand and deepen.
This leads to making my intellectual space richer and richer.
I love thesaurus very much.
Groningen; 09:18, 9/24/2021
No.927, Responses
A feeling of majesty came to me just now.
It was given by nature outside.
Dark night is whispering to me.
Both of my golden and dark sides are responding to it.
Groningen; 20:53, 9/24/2021
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本日の3曲
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タイトル一覧
7353. 旅の真髄/「認識的皮肉」に関する今朝方の夢
7354. 冬への思い/精神的なへその緒/存在根拠と存在証明
7353. 旅の真髄/「認識的皮肉」に関する今朝方の夢
時刻は午前8時半を迎えようとしている。今この瞬間は空にうっすらとした雲がかかっているが、これから雲が晴れていき、午後からは晴天になるらしい。
最近はめっきり寒くなったが、ここから数日間はまた20度近く最高気温が上がるようだ。明後日からドイツ旅行が始まるが、その日も天気が良さそうで、気温も低すぎないようなので何よりだ。
気がつくともう旅行の出発が目の前である。明日は部屋の掃除をし、荷造りをしたい。小さなスーツケースに必要最低限のものを詰めていこう。
今回の旅行で持参する本も最小限に留める。ベートーヴェン記念館やマルクス記念館で文献を購入するかもしれないし、ボンとトリアーの街にある数々の美術館を訪れた際に画集を購入するかもしれないからである。
文献や画集との出会いもまた楽しみだ。今回の旅ではどのような出会いが待っているだろうか。
コロナのせいもあり、前回の旅がなんと昨年の秋の一時帰国だということが信じられない。確かにこの1年の間にオランダ国内の旅行なら1度だけ行ったが、それにしても国外旅行が1年ぶりというのは過去経験したことのないことである。
旅の出発の際から自分の意識の有り様は変化を見せるだろう。そして旅の良さというのは兎にも角にも、出発した瞬間と旅から帰って来た自分が変貌していることである。端的には、旅に出かけるというのは離陸の経験であり、旅から戻ってくるというのは着陸の経験を意味し、離陸と着陸の前後においてはもう日常を見る眼が変化しているのである。
そして自分という存在自身が変容を経験しているのだ。それが旅の真髄だろう。真の旅とはそのような効能を私たちにもたらす。
また別の観点で言えば、ひとたび旅に出かけると、もう旅の前の眼で日常を見れないということであり、旅の前の自分に戻ることもできないということである。これはまさに旅の発達効果と呼んで然るべきものだろう。
旅に思いを馳せながら、今朝方の夢について振り返っていると、夢の最後の場面でとても興味深い概念に出会した。それは、“epistemic irony”というものだ。これは日本語に訳すならば、「認識的皮肉」とでも訳せるだろうか。
これを述べたのは夢の中の私だったように思う。しかし私はその言葉の意味を深く理解しないまま使っていた。
すると、横でその言葉を聞いたある男性が笑顔で、その言葉の意味に関する彼なりの理解を紹介してくれ、その理解が非常に深く、その言葉の意味はなるほどそういうことなのかとこちらが納得してしまった。
彼は、「ある概念や現象に対して、何がどのようにわからないということを相手に伝えることによって、わかっていたつもりの相手がそれをわかっていないことに気付かされるということでしょうか?」と述べた。確かなそのような内容だったように思う。
彼の言い回しや内容に関してはもう少し補足できそうな気がするが、おおむねそのような内容だった。確かにそれは認識的皮肉だ。
当人はそれをわかっていると認識していながら、実はそれがわかっていないということは皮肉であろう。今朝方はその他にも夢を見ていたように思うが、如何せんこの場面が印象に強く残っているせいか、他の夢の場面については今この瞬間は思い出すことができない。フローニンゲン:2021/9/24(金)08:38
7354. 冬への思い/精神的なへその緒/存在根拠と存在証明
時刻は午後7時半を迎えた。季節が巡り、もう秋の雰囲気が漂っている。日没も早くなり、もうこの時間は随分と薄暗くなっている。
ここから秋がサッとやって来て、すぐさま長い冬に入る。「長く厳しい冬」と書こうと思ったが、冬の厳しさに慣れた自分がいることに気づき、その表現に違和感があった。むしろ、この土地の長い冬によって自分が鍛えられ、重要な感覚が養われていることを考えると、それは心底歓迎すべきものなのだ。
未来のことはわからないが、2023年の秋から再びアメリカで生活を始めるようになれば、この土地で経験できる冬は今年を含めてあと2回しかない。そうした貴重な冬から自分はどれだけ多くのことを学べるのか。そしてどれだけ深く自己を涵養できるのか。それが問われているように思う。
午後にふと、気がつけば自己と日本との精神的なへその緒が切れていたことに気づいた。それはとても健全なことかと思う。自己と日本との精神的なへその緒がいつ切れたのかは定かではないが、それが起こったことによって初めて諸々のことが始まった。自己が自己らしくあることや、自己の本当の深まりはそれをきっかけにして始まったのである。
ドイツ旅行まで残すところあと1日となった。明日は旅行に向けた準備の時間としたい。夕方あたりに荷造りをしよう。それと合わせて、部屋の掃除をしておく。旅行から帰って来てから、気持ちよく新たな生活を始めたいからである。
ぼんやりと暗くなった空を眺めている。空の色の変遷は、きっとどこかで自己の変遷とつながっている。ミクロに変遷を遂げていく自己。そしてそれはメソな変遷、マクロな変遷につながっている。
時が熟したもの。時の発酵過程が必要なもの。それらの双方が今の自分の内側に同時に存在している。時が熟したものは然るべき形に。そして、時の発酵過程が必要なものはそっと寝かせておくこと。それが大切だ。
それら2つを見極めながら歩みを続けていけば、自分は新たな景色を見続けるだろう。絶えず開かれゆく展望と共にあること。それがbeingである。それが存在根拠と存在証明である。フローニンゲン:2021/9/24(金)19:58
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