No.2635 揺らめき_A Flicker
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.841, A Creative Activity
A number of creative narratives are flooding into my mind.
I want to provide them with a certain form.
This might be a creative activity.
Groningen; 07:54, 8/23/2021
No.842, Wonderfulness
I want to end today, just saying that today was a wonderful day.
I’m amazed again that every day is full of wonderfulness.
Groningen; 21:03, 8/23/2021
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本日の2曲
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タイトル一覧
7261. ゲームの創作に向けて
7262. 深き世界に佇む自己
7261. ゲームの創作に向けて
時刻は午前7時を迎えた。ここ2日間の朝は曇っていたり、雨が降っていたりしたが、今朝は晴れている。
雲1つなく、優しげなうっすらとした青い空が広がっている。もうしばらくすると朝日がはっきりと姿を表すはずだ。
今日から新たな週を迎える。今週は珍しくオンラインミーティングがほぼ毎日入っている。その中でも、今日と金曜日に行う動画撮影はとりわけ楽しみにしているものである。
今日の撮影は午前11時から始まる。それに向けての最終準備を今朝は行いたい。具体的には、いくつか自分でメモしておいた論点の確認と、あと1冊だけ目を通しておきたい書籍があるので、そちらに目を通す。
実は昨日もまたゲームについてあれこれ調べてしまっていたのだ。ゲームについて調べながら考えていたことを全てメモし、実際にはダウンロードしたゲーム創作ソフトを少しいじってもいた。
自分の場合、創作をひとたび始めるとのめり込んでしまい、その状態から出ることが非常に難しいと知っていたので、昨日は自制心を持ってゲーム創作ソフトの操作性だけ確認することにとどめ、深入りをすることはなかった。
とはいえ、昨夜の就寝前にもベッドの上であれこれ作りたいゲームについて考えていて、アイデアがいくつも湧き上がってきていたので、明日ぐらいからゲーム作りに着手したいと思う。
ゲームには様々なジャンルがあるが、まずはノベルゲームを核に据え、そのゲームの中のミニゲームとして他のジャンルのゲームを盛り込んでいければと思う。そうしたミニゲームを作る際に、先日調べていたNintendo Switchの『ナビつき! つくってわかる はじめてゲームプログラミング』はとても参考になるだろう。
今週の平日は色々とオンラインミーティングが入っているが、月曜日と金曜日以外は1時間ほどのものなので、その日にゲーム作りを進めていこうかと思う。そう言えば今週末は、友人のメルヴィンを自宅に招いて霊的実践を共にする日である。
霊的実践を他者と共に行うというのは本当に久しぶりのことである。思い返せば、最後に他者とそうした実践を共にしたのは、ロサンゼルス時代のことだったように思うので、もう7年近く前のことになるだろうか。それを含め、今週は色々と楽しみなことがある。
今朝方はあまり印象に残る夢を見ていなかった。夢の世界も今目の前に広がる世界と同じく、とても穏やかだったように思う。
いや、そうした穏やかさの雰囲気の中で、ファンタジーゲームのような世界で冒険をしていたように思える。その感覚が自分の内側に残っている。
今朝方の夢からもわかるように、今の自分はゲームに対する関心が強いことがわかる。久しぶりに自分でもいくつかゲームを遊んでみて、その体験をゲーム作りに活かしていければと思う。
毎日少しずつ自分の日々の人生をもとにノベルゲームを作っていくことの楽しみ。最初はとても不格好なものができるだろう。ゲーム作りもまた他の実践と同じく、ゆっくりとそれに必要な知識とスキルを高めていけばいい。重要なことは作りながら学ぶという姿勢である。
今考えているのは、日々の日常をもとに人間発達とこの社会の有り様について学べるようなノベルゲームであり、日々綴る日記のスピンオフ的な要素もあるが、日記では綴っていない事柄を盛り込みながら、小学校高学年くらいでもわかる言葉で物語を綴っていこうかと思う。フローニンゲン:2021/8/23(月)07:39
7262. 深き世界に佇む自己
気がつけば、今日はもうこんな時間だ。時計の針は午後10時を迎えようとしている。
いつもこの時間帯はもう就寝準備をしている頃だ。それを考えると、今日は少し特別な日だったのだろう。
今日は昼前から午後にかけて、合計3時間ほどの時間を取って、知人の鈴木規夫さんと、発達理論に関する大学院レベルのプログラムの作成に向けて動画撮影を行なっていた。
そこでは対談レクチャーの初回の動画を撮影したのだが、その撮影後、いつものように補助音声ファイルを作っているとこの時間帯になっていた。それほどまでに今日の鈴木さんとの対談レクチャーは自分にとっての刺激となっていたようである。
対談レクチャーそのものは120分ほどのものだったが、その後に作成していた補助音声ファイルでは1人で152分ほど話をしていた。しかしそれでも話し足りないことがあり、続きの音声ファイルの作成は明日に回すことにした。
今週末にも2回目の対談レクチャーを鈴木さんとさせていただく予定になっており、今からそれが楽しみである。そこでもまた刺激を受け、補助音声ファイルを作っていくことが予想される。
毎日が本当に創作の日々である。音声ファイルの作成もまた自分の中では1つの創作行為である。それは話し言葉を通じた表現活動·創作活動なのだ。
今日は動画の撮影があったので読書を含めて、その他の活動は控え目であった。そんな中、対談前の時間に読み進めていた書籍を通じて、「デカルト的不安(Cartesian anxiety)」と呼ばれる現象について考えていた。
これは端的には、この世界は未知に溢れ、全てを知ることなど到底できないのだが、それについて不安に思ってしまう現象を指す。この世界の未知さに押し潰されないこと。未知さを未知さとして、それ全体を世界そのものとして受け止めること。
それは言うは易し行うは難しかもしれないが、そうしたあり方は重要かと思う。ハイデガー的に言えば、さもなければ、この剥き出しの世界に投げ出された自己は早晩世界の捉え所のない巨大な全体性に押し潰されてしまうだろう。
深い夜の世界がやって来た。あぁ、いつの間にか真っ暗になるのがこんなにも早くなっていたのだなと思う。
闇夜の深さ。それは果てしなく深い。
人間の無意識のように深く、世界全体の奥深さのように果てしなく深い。だがその深さに飲み込まれることなく、ここに凛として佇んでいる自己の姿を見よう。明日の世界もまた深く、自己はまたしてもそこで凛として佇んでいるはずだ。
世界は自己。自己は世界。果てしなく深く、絶えず佇んでいるもの。それが世界及び自己なのだ。フローニンゲン:2021/8/23(月)22:00
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