No.2629 何かの伝言_A Message of Something
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.838, The Inner Sea
Waves in the inner sea are pacific.
The sea itself is calm.
Probably, the abyss of the sea would be much more tranquil.
Groningen; 07:55, 8/22/2021
No. 839, Which Way is Up?
Which way is up?
This way or that way?
The way that people often think is up is sometimes opposite.
Which way is up?
This way or that way?
Is that really progress?
For what? For whom?
Groningen; 11:19, 8/22/2021
No.840, Our Life
Our life is a unique story.
It is sometimes crossed with one another.
The moment could be the most precious and beautiful in our life.
Groningen; 20:57, 8/22/2021
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本日の2曲
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タイトル一覧
7258. 今朝方の夢
7259. 今朝方の夢の続き
7260. ノベルゲームの創作に目覚めて/カルヴァン主義原則
7258. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えた。起床した時から雨が降っており、今日は1日雨のようだ。この街では1日中雨が降ることは珍しい。何か夏の終わりを告げるイベントのように思えてくる。実際に、今日の最高気温は18度までしか上がらない。最低気温も10度前半だ。気候はもう秋のそれである。
今朝方の夢について思い出している。今朝方の夢は幼少期の見慣れた風景が多かったように思う。
夢の中で私は、実際に通っていた中学校の靴箱にいた。そこで親友(SI)と待ち合わせをしており、宿題になっているレポートについて話をすることになっていた。
友人が到着し、早速レポートの話になるかと思いきや、先ほどまで靴箱近くにいた若い女性のアナウンサーの話になった。彼女は一昔前にとても有名なアナウンサーであり、なぜ自分たちの学校に足を運んでいたのかは不明であった。
実は私はそのアナウンサーとは友人関係であり、親友はそのことを知らなかった。先ほど親友は彼女と学校で鉢合わせたようであり、少し言葉を交わしたようだった。親友はそれを嬉しがっていたので、私は後ほどそのアナウンサーとカフェで会ってゆっくり話をすることになっていることになっていたが、それを伝えなかった。
そこからようやくレポートの話になり、彼はまだ原稿用紙4枚ほどのレポートに全く着手していないようだった。私は、一度筆が動き出したら一気にレポートが進んでいくということを伝え、とりあえず何か書いてみることを伝えた。
しかし、彼は真っ白な原稿用紙に何かを書くという創造の第一歩を踏み出すことを恐れているようだった。そこから彼がどのように第一歩を踏み出せるのかを考え始めたところで夢の場面が変わった。
次の夢の場面もまた実際に通っていた中学校だった。しかし今度は靴箱ではなく、教室の中に私はいた。
教室の机や椅子は全て後ろに片付けられていて、私は地べたに座りながら、ある友人(SN)と話をしていた。何の流れか不明だが、話は大学受験の話となり、彼は私が受験しようとしている大学を批判した。
彼の批判の争点は、なぜ医学部受験者がその大学を受験しないのかという点にあった。その大学は文科系の大学であり、医学部どころか理科系の学部は何一つない。そんな大学に医学を志す人間が受験するわけがなかった。
ちょうど私たちは新聞を広げており、その新聞広告に大学受験の情報が載っていて、そこに自分が志望する大学の情報が掲載されていた。知名度がさほどない大学ゆえに、色々と友人に説明しないといけないことが多かったが、それらは知っている人は知っていると思い、説明を省略し、その場を後にすることにした。フローニンゲン:2021/8/22(日)07:36
7259. 今朝方の夢の続き
時刻は午前9時を迎えた。起床直後から今にかけてずっと小雨が降り続いている。
今年は夏を感じさせるような暑さの日が全くと言っていいほどなかったのだが、この雨は夏の終わりを静かに告げているように思える。新たな季節の到来と共に、自分もまた新たなところに向かって歩みを進めていく。
今日もまた文献の再読に1日の多くの時間を充てていこうと思う。午前中は学術書、午後は学術論文を中心に発達理論に関する文献に再度目を通していく。
明日は動画の撮影の日だ。ここ数日間集中的に文献に目を通していたこともあり、いくつか重要な論点を思い出すことができたり、既存の自分の考えに肉付けするような考察も生まれた。明日からの撮影が楽しみである。
起床からしばらく経ったが、今朝方の夢についていくつか思い出したことがある。夢の中で私は、見慣れない体育館のような場所で、多くの生徒たちと地べたに座って先生の話を聞いていた。
生徒たちの中には知り合いもいたが、そうでない者もいた。また、話をしている男性の先生は誰だか全くわからなかった。その先生は、ある時から生徒に面白い話をさせるように仕向けてきた。
具体的には、先生がお題を出し、それに対してジェスチャーを交えながら面白い話をするということを要求された。私の右斜め後ろの生徒が指名され、彼はその場で即興的に面白い話というよりも面白いリアクションをし、先生の要求に応えた。
その後、先生が彼の前の生徒を指名した時に、次は自分かもしれないと思って面倒だなと思った。案の定、次の生徒が先生の要求に応えた後、指名されたのは私だった。
しかし私は、「そのお題は応えるに値しないものです。お題そのものの馬鹿らしさを含め、先生の要求には断固として応じません」と私は述べた。すると、先生はムキになって私に何か言い返したが、それに対して私はさらに強い言葉を返し、先生の無能さとお題の阿呆らしさを明確に指摘した。そして私はスッと立ち上がってその場を後にしようとした。
その時に、その場にいた全生徒が私の見ており、彼らは私のことを勇敢だとみなしているようだった。この世界には応えるに値しないことが明々白々として存在しているということ。そのような要求に決して応じてはならないし、屈してはならないことを私はみんなに伝えようとしていたのだと思う。
そのような夢を見た後に、今度は数多くの野生動物がいる大きな公園に私はいた。そこは外国だ。ひょっとするとアフリカのどこかの国かもしれない。
その公園で、私は友人たちと鬼ごっこをしながら、同時に野生動物に襲われないようにする遊びを行っていた。サバンナにありそうな木々が遠くの方に見え、近づいてみると、それは菩提樹だった。その辺りには比較的背の低い菩提樹がたくさん植えられていて、木陰に草食動物が休んでいた。
すると、向こうの方から何か肉食動物だと感じさせるような気配が漂ってきて、そちらを見ると、肉食動物ではないが、結構野蛮な草食動物の大群がこっちに押し寄せてきていた。私はその場を離れなければならないと思い、木陰を後にし、野蛮な草食動物の大群がやって来る方向とは逆の方角に向かって逃げ出した。
最後の夢の場面では、私はフットサルコートでキーパーを務めていた。試合はPK戦にもつれ込み、私は数人のシュートを防いだ後に、これまでのキッカーとは別次元のシュートの速度を持つ人のキックも止めた。
正直なところ、その人の蹴った球は全く見えないほどに早かったのだが、事前に予測していた左方向に飛んだ時、ちょうど左の脇腹にボールが当たり、キックを防ぐことができたのである。
その後、今度はその人と同じぐらいの速度のシュートを放てるであろう友人がキッカーを務めることになり、彼のシュートもまた止められるような気がした。フローニンゲン:2021/8/22(日)09:29
7260. ノベルゲームの創作に目覚めて/カルヴァン主義原則
時刻は午後5時半を迎えた。今日は午前中に発達理論に関する論文に目を通していた。それがひと段落すると、何か思い立ったかのようにゲームの創作について調べていた。
最初、いつかゲーム創作エンジンで有名なUnityを使って、日々の生活そのものや旅の体験をもとにした長編RPGを作りたいと思った。まさに日記を執筆するような感覚で毎日少しずつゲームの世界を拡張させていこうと考えていたのである。
毎日見ている夢の世界を題材にしたりしながら、マルセル·プールストの『失われた時を求めて』のような形で日々小さくゲーム世界を拡張していく終わりのないRPGゲームを作ろうと考えた。そこからふと、自分はRPGももちろん好きだが、シミュレーションRPGが好きなので、そのジャンルに特化する形でゲームを作ろうかとも考えた。
このように二転三転しながら、色々調べていると、「ノベルゲーム」というジャンルがあることを知った。これは文字通り、小説のようなシナリオがあり、様々なイベントを経ながら物語が進行していくゲームである。これは大変興味深いジャンルだと思った。全てを自作する必要はないが、自分が作った音楽、イラスト、詩、写真などを盛り込みながら小説を綴るような形でゲームを創作できると思ったからである。
それではどのようなゲーム創作エンジンを使えばいいのか調べたところ、Unityでも当然ながらノベルゲームが作れるが、それよりもノベルゲームに特化するのであればそれが簡単に作れるであろう「ラノゲツクール」と「ティラノビルダー」という2つのツールを見つけた。前者は30日間の無料体験ができ、後者は有料版もあるが、無料版があったので早速ダウンロードした。
今日から本格的にゲームを作るのではなく、まずは簡単に操作性を確認してみた。すると、ティラノビルダーというノベルゲーム開発ソフトの使いやすさを実感したので、明日から早速少しずつノベルゲームを作っていこうと思った。
そこでふと、発達における「カルヴァン主義原則(Calvinist principle)」を思い出した。これは端的には、人間は新たな能力を獲得する際には、アクションを伴った形で能動的にそれを行わなければならないということを意味する。さらには、能力というのは実践という努力なしには生じ得ないということも示す原則でもある。
この原則に則って、まずは短く終わるノベルゲームを作ってみようと思った。すぐに全体のシナリオができ、細かなイベントなどがサッと脳裏に浮かんだ。
それらを忘れないように、今日から「Game Idea Note」というファイルを作成し、思いついたアイデアをそこに書き留めた。すると、作ってみたいノベルゲームに関するアイデアがどんどん湧いてきて、今後ノベルゲームにしていくタイトルや物語などを一気に書き留めておいた。
日々の何気ない日常をノベルゲームとして創作記録していくこと。作曲、絵画の創作、詩作、日記の執筆に加えて、ノベルゲームの創作を新たな創作活動に加えた。その意味で、今日は人生における記念するべき日である。フローニンゲン:2021/8/22(日)17:42
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