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7252-7254: フローニンゲンからの便り 2021年8月20日(土)



No.2624 宇宙のスペクトラム_A Spectrum of the Universe


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.833, Cool Summer

Summer will end soon.

September is approaching in 10 days.

This summer was very chilly.

It was no problem for me because I like coolness.

Yet, I’m wondering whether it could be a certain symptom of climate change.

Groningen; 08:28, 8/20/2021


No.834, Two Names & One

Two names become the one.

The name is nameful.

It is the impeccable unity.

Groningen; 17:13, 8/20/2021

No.835, My Vision

My eyes are always widely open.

They can capture something invisible in a transparent way.

As they do so, my vision becomes crystal-clear.

Groningen; 20:52, 8/20/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7252. 今朝方の印象的な夢

7253. 本日の計画/今朝方の夢の続き

7254. 脱中心化と再中心化/否定弁証法的発想


7252. 今朝方の印象的な夢


時刻は午前7時を迎えた。今朝はとても肌寒く、仕事場の窓に霜がかかっていた。一応まだ8月だというのに。今日は最低気温が12度であり、今の気温もそれに近いので、肌寒いのもうなづける。


このような8月は初めてなのだが、今から2週間分の天気予報を確認すると、最高気温が20度を超えるような日がほとんどない形で9月に入るらしい。今年は本当に冷夏であった。


今朝方は少しばかり印象に残る夢を見ていた。それについて振り返り、今日の活動に入っていこうと思う。


夢の中で私は、小中高時代を過ごした地元にいた。多くの友人が住む山間の住宅地の下にあるコンビの駐車場に私はいた。そこで一台の車の到着を待っていた。


その車にはアメリカの有名な俳優かつ私の上司が乗っていて、彼に話をするためにその駐車場にいたのである。何について話をするのかというと、彼に仕えていた部下が一斉に解雇される件である。私はその理由について尋ね、解雇を撤回してもらおうと考えていた。


するとしばらくして、車が到着した。それは高級そうな黒い車であった。中から彼が出てきたときに、彼の表情は幾分冷たいものであり、私と取り合う気がないことを感じた。


私は彼に最初は丁寧な英語で話しかけたが、彼は聞く耳を持たず、私も少し気分が悪くなってきた。一応こちらかの要望を伝え終わると、車の中からドイツ人の別の部下であり、私の同僚でもあった男性が車から降りて、紙袋を持って海沿いの方に消えていった。


彼は私の説得が無意味であることを悟り、解雇通知を正式に受け取る前にその場から立ち去っていったのだと思った。そのとき、彼が持っていた紙袋がふと気になり、そう言えばあの紙袋の中に自分の新しいパソコンが入ったままだったと思い、彼を追いかけて自分のパソコンを回収しなければいけないと思った。


最後に私は、自分たちを冷徹に解雇した上司の俳優の名前を呼び、彼を振り向かせた。そして、先ほどかんだ鼻水付きティッシュを2つほど彼の顔に向かった投げつけた。1つ目は彼の顔から外れてしまったが、2つ目は見事に的中した。


実は彼は私たちを解雇する気はなく、私たちを試しただけであることを私は知っていたのだが、私も演技をして激しい別れを演じようと思ったのである。ティッシュを投げつけることは自分の頭の中の脚本にはなかったが、思わず即興的にそのようなアクションが生まれてしまった。


演技ではあったが、その場面に没入していた私にとって、彼の顔に鼻水付きのティッシュを投げつけたことは爽快であった。そこから私は、パソコンを持って逃走したドイツ人の同僚を追いかけなければならなかった。


彼は少し小太りの中年であり、早く逃走はできないと思っていたが、すぐには彼の姿は見当たらなかった。海沿いの道の左右どちらに進んでいったのかがわからず、直感的に左の方向に進むことにした。


私はランニングのような形で駆け足で彼を探し始めた。するとしばらくして、キャンプ場が右手に見えてきた。


私がその前を通り過ぎようとしたとき、ちょうど焚き火をやっていた人たちに声を掛けられた。声を掛けてくれたのはアフリカ系フランス人の青年だった。


彼は気さくな感じであり、まずは自分がフランス語を理解できるかを尋ねてきて、私はフランス語は理解できないと伝えた。すると英語に切り替えてくれ、私は事情を説明した。


このキャンプ場はWifiが通っているらしく、それであれば彼の携帯か何かを使って、自分のパソコンのGPSを検知し、それがどの辺りにあるのかを教えてもらおうと思った。Wifi接続が一番しやすいキャンプ場の中の雑貨屋に行き、店長にそれを説明したところ、快くWifiを使わせてもらえることになった。


そのときに、店頭に並んでいる食べ物をふと眺めると、そこにマリオカートのキャラクターであるクッパの姿をしたメロンパンが3千円で売られていた。私の視線に気づいたアフリカ系のフランス人の青年は、「あのメロンパンの値段は高くて手が出せないんだよね(笑)」という趣旨のことを笑いながら英語で述べた。


すると私たちのところに、日本語があまり流暢ではない見た目は日本人の若い女性がやってきて、私の事情について尋ねてきてくれた。私は彼女に簡単に事情を説明し、そこからは自分1人でドイツ人の彼を追いかけることにした。


彼らにお礼を述べ、キャンプ場を出て再び走り始めたとき、見え覚えのある顔の人が後ろに乗ったポルシェが私の横を走り去っていった。フローニンゲン:2021/8/20(金)07:49


7253. 本日の計画/今朝方の夢の続き


今朝はすこぶる寒い。今日もまた冬の格好をして室内で過ごすことになりそうだ。


幸いなこととしては、トレーニングをする際にほとんど汗をかかなくていいということだろうか。ちょうど今日の午後にトレーニングをすることになっている。


今日のトレーニングでは、自分が強化したいと思う部位を中心的に鍛えていこうと思う。トレーニングを始めてしばらくが経つが、肉体に着実に変化が現れている。そして、肉体の変化は精神にも変化をもたらし、日々の充実さが高まっている。


今日はトレーニング以外にも、昨日から始めたように、発達理論関係の文献をできる限り全て改めて目を通しておこうと思う。今日1日だけでそれを行うことはできず、月曜日からの動画撮影に向けて、今日を含めた3日間集中的に文献を改めて読んでいく。


今回制作する発達理論に関する大学院レベルのプログラムは、対談レクチャーは6回あり、Q&Aセッションも6回あり、それぞれ扱うテーマが異なる。それぞれのテーマごとに再読しておきたい文献が数多くあることは嬉しいことであり、回を追うごとに文献の再読を進めていくのが賢明だ。


初回と第2回の撮影が来週の月曜日と金曜日にあるので、取り急ぎその2回分で取り扱うテーマに関する文献をできる限り再度目を通しておく。これは隅から隅まで読むということを意味しておらず、重要な箇所に目を通すことによって、自分が過去に頭に入れたであろう記憶を蘇らせておくことをすればいい。


とは言え、昨日そのような意識で文献に次から次へと目を通していくと、初めて気づく事柄も多々あり、ここからも読書の深さを改めて思い知る。おそらく発達理論について改めて文献を全て読み返すことなどもうほとんどないであろうから、この機会を大切にし、動画撮影に向けてできる限りの準備をしておきたいと思う。今回の鈴木規夫さんとのプログラムの作成にかける意気込みのほどを自ら知る。


洗濯機が止まった。洗濯物を干し、朝風呂にでも入ろう。その前に、今朝方の夢の続きについて振り返っておきたい。先ほど書き留めたものの続きというよりは、その前に見ていた夢だったように思う。


夢の中で私は、実際に通っていた中学校の教室にいた。そこで何かゲームが行われていて、私はクラスメート達とそのゲームを楽しんでいた。


しばらくすると、1人の友人(AF)が私に声を掛けきた。彼はこのゲームがクラスの中でも一番上手く、ちょうど彼にコツを聞こうと思っていたところだったので、彼に声を掛けてもらったことは好都合であった。


ちょうど彼もこのゲームについて私と話をしたいと思っていたようだったので、尚更良いタイミングであった。そこからしばらく彼と話をした後に、私はふと廊下に出たくなったので廊下に出た。そして、今友人から聞いたゲームのコツを後輩にも教えてあげようと思って、後輩がいる教室に向かった。


なぜか私は後輩に親しまれていて、後輩がいる階に行くと、男女問わず多くの後輩に囲まれた。私は特に部活の後輩にゲームのコツを教えてあげようと思って、彼らがいる教室に向かった。


その間にも、他の後輩たちが笑顔で話しかけてくることが多く、彼らに取り囲まれてなかなか目星の教室まで辿り着けなかったが、後輩から好かれていることは悪いことではないと思いながらゆっくりと足取りを前に進めた。フローニンゲン:2021/8/20(金)08:05


7254. 脱中心化と再中心化/否定弁証法的発想


時刻は午後5時半を迎えた。今日は午後に十分なトレーニングを行い、そこからはリラックスして寛ぎ、ここから夜にかけても映画を見て寛ごうと思う。


夕食の前に午前中の読書について少し振り返っておこう。ピアジェが述べているように、現在の自分の中心から離れるという「脱中心化(decentration)」を経て、新たな中心に向かっていくという「再中心化(recentration)」の現象が発達過程の中に不可避に生じる。


今の自分が何に中心点を置いているのかを内省すること。今の人生における中心は何か、仕事上の中心は何か、それらを立ち止まって考えることは発達上非常に重要である。


中心なき社会。自己に真性の中心を与えようとさせないこの社会。そうした社会の潮流に抗う形でも自らの中心を発見し、そこから脱却し、新たな中心に向かって進んでいくこと。それが発達の要諦である。


再中心化が生じる前には、一時的に中心を失う。中心を一時的であっても喪失することの不安定さと過酷さ。中心が一時的に消失するというのは本当に恐ろしいことである。


発達に伴うそうした恐怖。それを知った上での発達支援と発達の実現。


そのようなことを考えながら、キーガンが指摘する、差異化は統合化に先立つということを考えていた。再中心化というのは統合化と同タイミングで起こる。その前に差異化という脱中心化現象があるのである。


フランクフルト学派の提唱者の1人であるテオドール·アドルノの“negative dialectics(否定弁証法)”の思考について考える。社会の負の側面、闇の側面を直視することなく、楽観的な形でリアリティと向き合い、種々の施策を打ちがちな風潮がこの世の中にはあるが、それは負の数に正の数を掛け合わせるようなものなのかもしれない。それでは負の数のままである。


負の数に負を掛け合わせることによって正の数に転じさせるような変革的思考とあり方が必要なのではないか。アドルノの否定弁証法も、バスカーの弁証法思想の本質も、そうしたところにあるように思える。


負のものを負のものとして直視すること。闇を闇として直視することの難しさ。その困難さを乗り越えてそれを直視して初めて、世界は正や光の側面に向かって動き出すのではないか。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2021/8/20(金)17:52

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