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No.2614 サマーメタフィジクス_Summer Metaphysics
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.831, The Law of Everything
Silence drinks itself.
Air inhales itself.
Everything absorbs itself and becomes itself anew.
Groningen; 08:37, 8/19/2021
No.832, Shadow & Light
Shadow always exists wherever light exists.
The opposite is also true.
We immediate know that everything is consisted of both aspects.
Groningen; 20:56, 8/19/2021
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本日の2曲
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タイトル一覧
7250. 今朝方の夢
7251. 悲劇の駅/ギュンター·アンダースについて
7250. 今朝方の夢
時刻は午前8時を迎えた。昨日と同様に、今朝もうっすらとした雲が空を覆っている。
天気予報を確認すると、今日は昼前から小雨が降り始めるようだ。今日は食材を購入しないといけないので、小雨の中買い物に出かけることになるだろうか。
小雨の降る世界の風情。それを感じながら買い物に行くのもまた楽しみである。
昨日は一日中ゲームについて調べ物をしたり、考え事をしていたように思う。一夜が明けて少し落ち着いた。
ゲームを作ることについてはまだ色々と考えたいことがあるので、今日も少しゲームについて考えることになるかもしれない。ゲームが持つ可能性について考え、ゲームの持つ肯定的な意味での中毒性を日々の学習や実践にどのように活かしていくのかも考えてみよう。
昨日は夢の振り返りを随分と遅く行っていたが、今朝方の夢については早めに振り返っておこう。夢の中で私は、高校時代を過ごした社宅の自室にいた。部屋に入るとすぐに本棚が目に飛び込んできて、自分の本棚のはずなのだが、見慣れない本が多く並べてあった。それらは学術書のようだった。
それらの書籍の言語はどうやら日本語ではなく、英語のものもあったが、地球上には存在しないような言語で書かれた本もいくつかあった。いやむしろ、識別できない言語で書かれていた本の方が多かったぐらいだ。
部屋には私以外に父と見知らぬ人たちが数人いた。父は私の部屋で何か探し物をしているらしかった。部屋のものが地面に散乱し、足の踏み場がないような状態になっていった。
しばらくすると、父は目当ての物を見つけたのか、部屋から静かに出て行った。その時に私がふと、「部屋の掃除をしなきゃいけないなぁ」と呟いたところ、それを聞いた父が「部屋が汚くなる可能性があると言っただろう!」と強い口調で述べた。
父のその言葉が私の癇に障ったらしく、私は父のところに駆け寄り、父を激しく殴打した。父はその場に蹲り、そこで私は何か捨て台詞を吐いた。そして私は部屋に戻り、何事もなかったかのように部屋に掃除をかけた。
今朝方はそのような夢を見ていた。夢の中で現れた書物の言語が、この地球上のものではなかったことが興味深い。それは何を象徴しているのだろうか。今の自分の知的探究は、地球で蓄積された英知の外側に向かっているということなのだろうか。
また、夢の最後で見せた攻撃性も考察に値する。そこにはシャドーワークを行う余地が多分にある。
今朝方はその他にも何か夢を見ていたような気がする。そちらの夢はとても落ち着いていて、静かなものだったという印象がある。それはまるで今この瞬間の外側の世界のように穏やかなものであった。フローニンゲン:2021/8/19(木)08:22
7251. 悲劇の駅/ギュンター·アンダースについて
——怪物の透明化こそが現代の奇怪さと恐ろしさである——ギュンター·アンダース
人は人生という旅路の中で、幾たびも悲劇の駅を通過していく。様々な性質を持つ悲劇を様々なタイミングで迎えるということ。それは人生を歩んでいく上で必然的なことなのだ。
そのようなことを夕方に考えていた。悲劇にも当然ながら段階特性があり、前慣習的悲劇、慣習的悲劇、後慣習的悲劇がある。さらにはより高次元のトランスパーソナル的な悲劇もあるだろう。自分はこれまでどのような悲劇と向き合い、これからどのような悲劇と向き合っていくのだろうか。
一昨日に、ドイツの哲学者ギュンター·アンダースがテクノロジー哲学に関して大きな貢献を残していることを知った。アンダースは、哲学者のハンナ·アーレントと結婚していたことでも知られ、アーレントの思想にも影響を与えているであろうし、彼女の影響を受けてもいるだろう。その観点からもアンダースの仕事を辿ってみたい。
アンダースの博士論文の指導教官はフッサールである点を鑑みたときに、アンダースのテクノロジー哲学のどのような点にフッサールの影響が見られるのかも探ってみる。
アンダースの書籍を調べてみたところ、まだ英訳されていないものもいくつかあるようなので、ドイツ語で彼の原著を読みたいと思う。やはり探究上、英語だけではもはや立ち行かなくなっており、ドイツ語、そしてフランス語を学んでいく必要性を強く感じる。これは嬉しい課題である。
今日は昼前にオンラインミーティングがあった。知人の鈴木規夫さんと一緒に、成人発達理論やインテグラル理論を大学院レベルの水準で学べるプログラムを作ることになり、このプログラムの実現に向けて、色々と準備をしたいと思う。
プログラムに含まれる動画撮影は来週から始まるが、各回に向けて、色々と専門書を読み返しておこうと思う。とりわけ初回と第2回に向けては、準備期間は長くないが、過去10年間で読んできた論文と専門書をもう一度出来る限り全て再度目を通しておこうと思う。
今日の夕方はそれに時間を充てていた。明日からの3日間もそこに焦点を充てて文献の再読を行なっていく。
今回のプログラムは、鈴木さんとの協働プログラムということもあり、様々な意味において重要なものになるであろう。フローニンゲン:2021/8/19(木)19:43