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7245-7246: フローニンゲンからの便り 2021年8月17日(水)



No.2608 夏綿_A Summer Cotton


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.827, Inner Peacefulness

An inner silent river is flowing gently.

I’m listening to the music of the stream.

The inner world becomes calmer and calmer.

Groningen; 08:27, 8/17/2021

No.828, Language & Sufferings

Language creates duality.

Duality creates our sufferings.

We have to liberate ourselves from language in order to emancipate ourselves from sufferings.

Groningen; 20:55, 8/17/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7245. 今朝方の夢

7246. 意識と記憶


7245. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。起床時にも感じていたことだが、今朝はかなり寒い。今の気温は14度とのことであり、日中も19度までしか気温が上がらない。今


日は雨が降らないようなので、近所のショッピングモールにある雑貨屋に書籍を受け取りに行こうと思う。そのついでに、Holland & Barrettでプロテインを購入しようと思う。


早速今朝方の夢について振り返り、午前中の活動に入っていこう。昨日はトレーニングの日であったから、午後からは書物から離れ、映画を3本ほど見ていた。そのうちの2本は5つ星を与えていいほどの力作であり、そうした映画と出会えたことを嬉しく思う。


今朝方の夢。夢の中で私は、薄白い幻想的な空間の中にいた。そこはどうやらマンションの一室のようだった。そこはとても広く、何室も部屋があり、高級ホテルを思わせる作りになっていた。


ある部屋に辿り着いた時、部屋の向こう側の窓が開いていて、カーテンレースが風に揺られていた。すると、足元に何足かの靴があることに気づいた。


なんと、1足1足の中にとても小さな子犬がすやすやと眠っていた。私は彼らの眠りを邪魔しないようにしようと思ったが、靴の位置をもっと安全な場所にずらそうとしたところ、彼らが目覚めてしまった。


彼らは目覚めると、一目散に部屋から飛び出し、飼い主のところに向かって行った。私は彼らの後を追いかけることにしたのだが、それは焦った形ではなく、ゆったりとした気持ちだった。そこで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は和風の大きな居酒屋にいた。どうやら私は仕事終わりであり、これからある協働者の方と食事をすることになっていた。食事の際には、久しぶりにお酒を飲むことになっていた。


私はその協働者の方の組織に所属することになり、再び組織人になっていた。しばらく店の中で待っていると、その方がやって来た。


すると、もう1人店にやって来るとのことであり、その人は夜の11時からやって来るとのことだった。それまで食事は我慢し、飲み物だけを飲んでおこうということになった。


私は夜の11時から飲食をすることに抵抗感があり、そもそもそのような遅い時間に起きておくことも含め、次の日に支障が出ることを恐れていた。やはり組織人になるとこのような夜の会食が付き纏うのだと思い、明日にでも会社をやめようと思った。


そのようなことを思いながら、協働者の方と飲み物を飲み、しばらくしてもう1人の方も到着したので、そこから食べ物をオーダーした。食べ物そのものはどれも美味しそうなものばかりだったので、今日だけはこうした会食を大いに楽しもうと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2021/8/17(火)08:13

7246. 意識と記憶


時刻は午後3時半に近付きつつある。今日はとても肌寒く、冬の格好をしながら靴下を着用して室内で過ごしている。


空はうっすらとした雲が覆っていて、太陽の光が地上に差し込んでくることはない。とはいえ雨は降っておらず、もう少ししたら近所のショッピングセンターに行き、その中にある雑貨屋に立ち寄り、書籍を受け取ってこようと思う。


先ほど、ユトレヒト大学教授のロシ·ブライドッティ教授のポストヒューマンに関する書籍の初読を終えた。本書を読みながら、ポストヒューマンの主観的感覚に想いを馳せ、ポストヒューマンを扱う倫理について考えていた。


人類は、テクノロジーの進化を追いかける形で、テクノロジーがもたらす思わぬ帰結をきっかけにして少しずつテクノロジーに関する倫理を高めてきた歴史があるように思う。残念なのはいつもそれがテクノロジーの進化に劣後していることであるが、テクノロジーが予期せぬ形で用いられ、予期せぬ結果をもたらす性質を絶えず内包しているので、それは不可避のことなのかもしれないと思う。


幾分SF的なことを考えていた。人間の固有性を担保するものとして、その人固有の意識と記憶が挙げられるが、2人の異なる人間の意識と記憶をテクノロジーを通じて混在させた場合、それらの人の主観的世界はいかに変容するのだろうか。


アイデンティティはどのように変化し、内的感覚はいかように変化するのかということへの関心がある。2人の人間の心の闇が混在となった時、シャドーがどのような振る舞いを見せ始めるのかという点にも不気味な興味が湧く。出かける前にもう少し読書をしたいと思う。


午前中にはその他にも、アセスメントもれっきとしたテクノロジーであることについて考えていた。例えば発達測定は、紛れもなくサイコテクノロジーであり、それは知性の種類や形を規定する性質がある。それは使い方を誤ると、中国で過去に行われていた纏足のように知性の形をいとも簡単に歪めてしまう。


この点に絡んで、昨今の「定量資本主義(computational capitalism)」や「暗号資本主義(crypto-capitalism)」の特性が絡んでくると、サイコテクノロジーとしての発達測定の倫理的活用は重要なテーマであり、それを実際に社会で運用するには相当に高いハードがあるように思える。


今のところ、発達測定が社会に適用されることによって開かれる社会の姿はユートピアではなく、ディストピアである。フローニンゲン:2021/8/17(火)15:01

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