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7218-7221: フローニンゲンからの便り 2021年8月8日(月)



No.2574 花飾り_A Floral Decoration


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.807, A Sacred Mountain

I’m climbing a sacred mountain now.

I look forward to a view from the summit very much.

The view would definitely transform me.

Groningen; 07:04, 8/8/2021

No.808, Poem and Painting

Each word has a unique color.

A sentence is a colorful stroke.

A poem is equivalent to one painting.

Groningen; 21:34, 8/8/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7218. 今朝方の夢/既読感

7219. 今朝方の夢の続き

7220. 雑多な考え事

7221. 今日のトレーニングを終えて


7218. 今朝方の夢/既読感


時刻は午前6時を迎えた。今、ゆっくりと空が明るくなって来ている。以前と比べて日の出の時間が遅くなった。季節はいつの間にか秋の入り口に差し掛かっているようだ。


天気予報を見ると、今日から1週間もまた涼しい日々が続く。来週の半ばに少し気温が上がる日があるが、それでも24度ぐらいである。今日の最高気温は19度であるから、トレーニングするにはちょうどいい。


少しばかり考えていたのだが、トレーニングの日はできるだけ書物から離れてみるのもいいかもしれない。午前中だけいつものように読書をして、午後からは映画やドキュメンタリーを見ていくというのも悪くないだろう。


適宜休息を挟みながら探究を続けていくことが、これから長く自分のテーマを深めていくことの鍵を握るように思う。早速今日からこの案を実行してみようと思う。読みたい書物が山積みであるが、それと同じぐらいに見たい映画も山積みである。


今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。それらについて書き留めておこう。


夢の中で私は、ある有名なサッカー漫画の登場人物を見守る存在としてそこにいた。彼は主人公ではないのだが、キャプテンシーがあり、根性もあるキャラクターだった。


そんな彼は大学進学を控えていて、郷里から都会に出ていくところだった。舞台は北海道であり、その街で彼が彼女に別れの挨拶をする場面も見守っていた。


彼は別れ際、幼少時代に彼女からもらった薄紫色のペンを取り出した。何やらそのペンは折れないほど頑丈らしく、いつまでも続く愛を象徴しているらしい。


2人が別れるシーンにはどこか希望があり、温かさがあった。そのような場面を見届けた後、気がつくと自分の意識は銀行の窓口にあり、今度はそこに実際にいる人間として存在していた。


まだ銀行は開いておらず、これからちょうど開店するところのようであり、銀行の受付の人が色々と準備をしていた。


少し不思議に思ったのは、ここは銀行のはずだが、受付でサンドイッチとコーヒーのセットが販売されていることだった。それらは分厚い紙のボックスに入っていて、それがいくつかのセット販売されていた。従業員にもそれが振る舞われており、何人かの人たちが客が来る前に朝食としてそれを飲み食いしていた。


私は確かにその場にいたのだが、店の人はあまり気にしていないのか、私に何も言ってこなかった。ひょっとしたら私を従業員と勘違いしていたのかもしれない。


サンドイッチを食べる気はなかったが、店の奥の方に凍った果物のデザートが置かれていたので、それを少しいただこうと思った。すると、小中高時代の女性友達2人(KF & NI)が偶然その場に姿を現し、2人にもデザートを分けてあげようと思った。


私たちは特に凍ったブドウが美味しいと言いながらパクパク食べていた。見る見るうちにブドウは姿を消していき、最後は片方の友人がデザートを入れいてた容器と果物を乗せていた紙の下に間にブドウの塊を見つけ、3人でそれを食べ合った。そのような夢を見ていた。


昨夜、寝る前に書斎の机の上に山として積み重ね上げられた書籍のタイトルを眺めていた。それは翌日の探究に向けた準備としてだけではなく、知的空間内にゲシュタルトを構築する意味もあった。


タイトルにはその書籍の最大のメッセージが現れていることが多く、複数の書籍のタイトルを眺めると、それらのメッセージが繋がり、大きな物語が構築されるようなのだ。またそもそも、書籍の購入段階で目次と中身を吟味しているので、タイトルだけで随分と書物の内容が思い出される。


実際に初読を始めてみると既読感があるのは、購入の前段階で目次と中身を吟味し、書籍のタイトルを頻繁に眺めているからかもしれない。そのようなことを昨夜の就寝前に思った。フローニンゲン:2021/8/8(日)06:20


7219. 今朝方の夢の続き


時刻は午前6時半を迎えようとしている。そろそろ洗濯機が止まる頃であろうか。最後のスピンの音が聞こえてくる。


気がつけば遠くの空に朝焼けが見え始めている。薄オレンジ色の朝焼けをぼんやりと眺めている。朝日が仕事部屋に差し込むのはもう少し後になるだろうか。


先ほど今朝方の夢について書き留めていたが、夢にはまだ続きがある。夢の中で私は、見慣れない建物の中にいて、その地下にある倉庫に入ろうとしていた。


その倉庫は自分のものらしく、暗証番号で扉を開けるか、それか自分の右眼を通じて生体認証を行う必要があった。右眼を所定の場所にかざすと、サッと認証が完了し、扉が開く音が聞こえた。


倉庫の中に入ると、たくさんの書籍が段ボールに入って積み重ねられていた。そこはもう足場がないほどであり、倉庫の入り口は地面から高い場所に設置されていて、段ボールの山々を上から眺める形になった。


どうやら私はその倉庫の中から英語の参考書を探しに来たようだった。久しぶりにTOEFLでも受けようかと思い、試験の感覚を思い出すために、昔使っていた参考書を引っ張り出してこようと思ったのである。


偶然にもすぐに英語の参考書関係の段ボールを見つけることができ、色々と参考書を眺めていると、一際使い込まれたものがあり、それは高校時代に愛用していた参考書だということがわかった。確かにそれは高校時代に使っていたのだが、高校レベルを超えて、今読んでも学びがあるような参考書だったのでそれも持って帰ることにした。


しばらく参考書の吟味をしていると、地面に数個ほどサッカボールが落ちていることに気づいた。たまにはサッカーボールでも蹴りたいと思っていたところだったので、良さそうなボールを1個家に持って帰ろうかと思ったところで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私はお洒落なアパレル店にいた。そこは見るからに高さそうな物を置いている感じが漂っていた。


高級な雰囲気が漂う店の奥に、応接間があり、そこの液晶テレビに小中高時代の友人(YU)がスーツ姿で映っていた。どうやら彼はこの店の店長のようだった。


テレビに流れる動画を見ていると、次に登場したのは前職時代の女性の上司であり、その方もまたこの店で働いているようだった。私は応接間からそのテレビを眺めていたのではなく、店の中で靴を試着する際に座る長椅子に腰かける形で映像を眺めていた。


気がつくと、私の右横に前職時代の部門は違うが親しくさせてもらっていた男性の方がいて、その方に挨拶をして、しばらく談笑をしていた。私がその方に少しちょっかいをかけると、その方は笑いながら手に持っていたタバコの火を私に押し付けるフリをした。


それは完全に冗談だったのだが、勢い余って私の服にタバコの先端部分が当たってしまい、タバコの火の熱で服が溶けて貫通してしまった。その方はすぐに私に謝ったのだが、その瞬間にその方はどこかに消えてしまった。


私は何か代わりになる服をこの店で購入して帰ろうと思った。店の中にはまだ客がほとんどおらず、客と思しき人は1人しかいなかった。偶然にも、その人とは面識があるようであり、私はその人のことを「先輩」と呼んでいた。


その方はちょうど試着中であり、すらっとした身長のその方は格好良いジャケットとズボン、そして靴を試着していた。どれも高そうに見えたのだが、値札を見ると、価格が随分安いことに気づいた。


店員の方曰く、製造メーカーの知名度が低く、ブランド力があまりないためにそのような価格になっているということだった。つくづくアパレル業界というのはブランドで決まるのかと思い、色々とその他にも知らないことがありそうだったので、店員の方にあれこれ質問してみようと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2021/8/8(日)06:41


7220. 雑多な考え事


時刻は午前7時半を迎えた。今朝は少し雲があるが、雲間から朝日が差し込んでいる。


先ほど朝風呂に入り終え、髪を乾かそうと思っていたところ、ドライヤーが突然止まり、長年使ってきたドライヤーが寿命を迎えたのかと思ったが、どうやら停電のようだった。


この家に引っ越してからすでに2度ほど停電を体験している。いずれも速やかに復旧したのだが、今回も早期の復旧を祈る——(追記)結局それから4時間ほど電気が復旧しなかったので、オーナーの家も同様の事態か確認したところ、なんと単に我が家のブレーカーが落ちているだけだった。オーナーのフレディさんが家に立ち寄ってくれてそれが判明した——。


昨夜、ロイ·バスカーの批判的実在論を活用して、テクノロジーへの建設的な批判を行なっている学術書がないかを調べてみようと思った。過去にもその観点で文献調査をしたことがあるかもしれないが、その時には良い書籍を見つけることができなかったので、後ほど改めて調べてみようと思う。本来であれば、批判的実在論とテクノロジー哲学は相性が良いはずなので、関連書籍がすぐに出てこないことが不思議なぐらいである。


ここ最近は、ギルバート·シモンドン、ジャック·エラル、バーナード·スティグラーといったフランスの思想家の仕事を参照することが多い。彼らの書籍の大部分は英語に翻訳されているのだが、中には翻訳されていないものもある。英語に翻訳されていないものは是非フランス語の原著で読みたいという思いが高まっている。


フランス語の読解力を高めるための訓練をするというよりも、それらの原著と向き合いながら読解力を高めていくことを近い将来行う。英文読解の時も同様のプロセスを辿っていて、それが自分にもっとも合致した学習法のように思う。


その他にも、エラルがテクノロジー神学の思想を残していたように、スティグラーにも神学的な発想が見られるので、そこに焦点を当てた論文を執筆してみたいということについて考えていた。また、スティグラーは教育哲学に関する書籍も1冊ではあるが残しているので、彼の教育思想も探究したいテーマである。


今は読みたい本が多くあり、書きたいテーマがいくつもある。そのことに感謝をしよう。


今日は午後からトレーニングに励むので、それまでの時間を読書に充てる。昨日の読書の中で、経済地理学者のデイヴィッド·ハーヴェイか誰かの書籍を読んでいる際に、相互発達的な啓蒙の精神は必要であっても、競争の精神は必要ないのかもしれないということについて考えていたのを思い出す。


競争を根幹原理にした新自由資本主義の成れの果てとしての現代社会の惨状を眺めていると、つくづくそのように思う。原理そのもののおかしさ。歪んだ原理の上で繰り広げられるゲームは尽く歪む。


そして、そうした歪んだゲームに従事する人々も尽く病理的な症状を患う。原理のおかしさを指摘し、原理そのものを変容させていくこと。とにかくそれが自分の探究と実践の根幹にある。フローニンゲン:2021/8/8(日)08:00


7221. 今日のトレーニングを終えて


時刻は午後7時を迎えた。今、雲一つない青空が広がっていて、夕日が燦々と輝いている。


今朝は停電に見舞われ、それが影響したわけではないが、朝はとりわけ寒く感じた。冬の格好だけではなく、靴下も履いて過ごしていた。


早朝の日記に対して追記をしたのだが、結局今回は単に我が家のブレーカーが落ちていただけであった。朝風呂から出た後にドライヤーを使った瞬間に電気が消えたのだが、2階では無駄な電気は使っておらず、オーナーの家と我が家の電気システムはつながっているので、オーナーの家の方で電気をよく使っていたのかもしれない。


いずれにせよ、今回はとんだ人騒がせであった。次回は電気が突如切れたら、1階の洗濯機が置かれている場所のブレーカーを確認しようと思う。


電気の復旧は結局正午過ぎのことであり、それまでに3冊ほど書籍を読み進めていた。午前中は少し眠気に襲われる瞬間があり、仮眠を取っていた。それでも3冊ほどの初読を終えることができたが、午後からは書物から離れた。


今日はトレーニングの日だったので、午後に近所のスーパーに買い物に出かけた後にトレーニングを行った。いくつか参考にしている動画を見ながらメニューをこなし、新しい動画を見た際に、腕立て伏せのコツを改めて知った。いくつか意識しておくべきポイントがあり、それを意識しないとあまり効果がないことがわかった。


解剖学的な知識に加えて、こうしたトレーニング上の勘所を押さえておくことは大切である。こうした知識が密教的な形ではなく、顕教的な形で広く公開されていることを有り難く思う。


自分の探究活動においても、そこで得られた知識はできるだけ顕教化していく。道徳·倫理的に共有を躊躇われる密教的な知識も確かに存在しており、それらに関しては共有する人を選ばなければならない。その判断をする自分の道徳·倫理観を高めていくことも継続的に取り組んでいく。


ここ最近は、自分の探究上の関心のおかげもあり、身近なテクノロジーやシステムをより注意深く観察するようになった。例えば今日の停電一つ取ってみても、それがテクノロジーの産物であり、システムとして動いているものなので、観察対象となった。


探究というのは何も書物を通じて行うだけのものではなく、むしろ絶えず身近な現象と引き付けて行うことが重要である。今後とも身近なものに対して絶えず観察の眼差しを向けていこうと思う。フローニンゲン:2021/8/8(日)19:26

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