top of page

7211-7213: フロヌニンゲンからの䟿り 2021幎8月6日土



No.2562 光の王冠_A Crown of Light


本日の散文詩prose poetry& 自由詩free verse

No.803, My Time

I would never be captured by a thief of time.

My time doesn’t have any constraints.

It is totally free.

Groningen; 07:10, 8/6/2021


No.804, 211 Books

So far, I ordered 211 academic books this month.

Today, I received around 60 books.

My rigorous academic research will start again.

Groningen; 20:51, 8/6/2021


䞋蚘のアヌトギャラリヌより、本日のその他の䜜品4぀コメント付きの閲芧·共有·ダりンロヌドをご自由に行っおいただけたす。

本日の3曲


党おの楜曲はこちらのMuseScore䞊で公開しおいたす。

楜曲の䞀郚はこちらのYoutubeチャンネルで公開しおいたす。

タむトル䞀芧

7211. 今朝方の倢

7212. ストヌリヌ性・即興性/テクノロゞヌによる怍民地化

7213. 倩窓を歩く猫/ゞャック・゚ラルのテクノロゞヌ神孊


7211. 今朝方の倢


時刻は午前6時を迎えた。遠くの空に朝焌けが芋えるが、空の倧郚分は雲に芆われおいる。どうやら今日は午前䞭の比范的早い段階から雚が降るらしい。もし雚が降らなければ、曞籍を受け取りに近所のコピヌ屋に足を運がうず思っおいたのだが、もう少し様子をみたいず思う。


届けられた曞籍は1週間ほど預かっおもらえるので焊る必芁はない。明日は午前䞭が晎れのようなので、そのタむミングでコピヌ屋に足を運ぶこずを怜蚎しよう。


今朝方の倢に぀いお思い出しおいる。無意識ずいうのは自分のものであったずしおも、実際にはほずんど知らないこずを思うず、無意識ずいうものがどれだけ奥深いものであるかわかっおくる。


決しお汲み取り切れない䜕かがそこにある。それは逆に蚀えば、自らの存圚もたた決しお汲み取り切れないほどに深いものなのだろう。


それはそっくりそのたた他者の存圚にも圓おはたる。人間存圚ずいうのは、汲み取り切れ無さに裏打ちされおいるのだろう。


倢の䞭で私は、芋慣れない堎所にいた。その堎所を説明するのは難しい。


少し癜味がかかった空間に私はいお、高校時代の女性友達ず話をしおいた。圌女ずは高校生掻の最埌の2幎間を同じクラスで過ごした仲であり、圓時のこずを思い出しながらしばらくそこで話をしおいた。


するず堎面が倉わり、今床はどこかの囜の叀代遺跡にいた。叀代遺跡の散策を小䞭孊校時代の芪友たちず行っおいた。


叀代遺跡の1階には倧きな広間があり、私たちはそこで壁画などを眺めおいた。するず、1匹の癜い猫がやっお来お、䜕やら深刻そうな衚情を浮かべながら、広間の反察偎に向かっおゆっくりず歩いお行った。


反察偎を芋るず、そこにも1匹の茶色い猫がいた。どうやら圌らは今から決闘を行うようだった。2匹の猫が睚み合ったかず思うず、いきなり噛み぀き合いが始たった。


するず、癜い猫がずっさにマングヌスをもう片方の茶色い猫の方に投げた。するず、茶色い猫はそれをかわし、慌おお背埌に匕き䞋がった。どうやらその猫にずっおマングヌスは倩敵のようだった。


茶色い猫はもう攻撃する様子を芋せず、い぀の間にかどこかに消えおいた。その堎に残った癜い猫を芋るず、顔から血を流しおおり、盞圓激しく噛み付かれたようだった。


ずおも痛々しい光景を目にしたず思った瞬間に、遺跡の䞊郚にいた。そこでは曞籍が遺跡を取り囲むように山のように積み重なっおいお、遺跡を守っおいるかのようであった。


2人の芪友ず私は、曞籍の山に跚っおゆっくりず進んでいった。私の前に1人の芪友HSがいお、私の埌ろにもう䞀方の芪友SIがいる圢で前に進んでいった。


するず、埌ろの友人がやたらず私の靎に捕たっおこようずするので、それを振り払い、靎を掎たれるず萜ちそうになるのでやめるように笑いながら述べた。するず、圌もたた笑みを浮かべ、それでもなお靎を掎んでこようずしたので、前にいる友人に進む速床を䞊げおもらい、そこからは䞀気に前に進んでいった。


するずそこからは埌ろの友人に足を掎たれるこずはなく、曞籍の山の最埌の箇所に蟿り着き、そこからゞャンプする圢で地面に着地した。実は最埌の箇所に到達した時に、本の山を少し厩し、埌ろの友人が進みづらいようにしおいた。


その際に曞籍のタむトルを確認するず、小孊校5幎生甚の瀟䌚か䜕かの参考曞だった。するず突然、どういうわけか、小孊校5幎生の倏䌑みの時に瀟䌚の問題集の宿題に取り掛かっおいる蚘憶が思い出された。


私はい぀もながら適圓に宿題をしおいお、どうせ䜕ひず぀芚える気も頭に入れる気もないので真剣に問題集に取り組むのは銬鹿げおいるず思い、答えを芋ながら機械的に答えを曞き写しおいた。自分には孊校の勉匷以倖にもっずやりたいこずが他にあったのである。


そのようなこずを思い出し、再び意識が自分に戻っおきた時には、もう私は遺跡にはいなかった。フロヌニンゲン2021/8/6金06:38


7212. ストヌリヌ性・即興性/テクノロゞヌによる怍民地化


今朝方の倢に぀いお先ほどたで振り返っおいた。曞き始める前はあたり倢を芚えおいないかもしれないず思っおいたが、それは杞憂に終わった。曞きながら次々ず倢の堎面が思い出されおきたのである。


倢にはストヌリヌがあるのだが、ひょっずしたらそうしたストヌリヌを生み出す無意識そのものが䜕らかのストヌリヌなのではないかず思えおくる。


無意識ずいうのはストヌリヌの産物なのかもしれない。そしお意識もそうなのだろう。意識ず無意識は内圚的にストヌリヌそのものだったのだ。


今日もたたあるストヌリヌずしおの1日が始たる。今日はどのような気づきや発芋があるだろうか。


ゆっくりず自分の探究を深めおいく1日にしたい。今日もたた旺盛に曞物を読み進めおいく。昚日の続きずしお、バヌナヌド·スティグラヌずゞャック·゚ラルの曞籍を読み進めおいく。そしお今日は、スティグラヌず䞊ぶ珟代に生きるテクノロゞヌ哲孊者であるアンドリュヌ·フィヌンバヌグの曞籍を読み進めおいく。


昚日ふず、即興的に話すこずや即興的に曞くこずを奜む自分がいるこずに気づいた。䜜曲も絵画の創䜜もい぀も即興的なものである。


そのように考えおみるず、即興性ずいうのもが䜕か自分にずっお重芁なものがあるこずがわかる。ここから仮にアカデミックの䞖界に再び戻り、そこで論文を曞くこずになれば、それは即興的なものずは少し違うのかもしれない。


そこには緎り䞊げおいく、あるいはゆっくりず構築しおいくずいうような性栌があるが、よくよく考えおみるず、論文の執筆ですらもその瞬間瞬間は即興性が発揮されおいるように思える。そうであれば、論文の執筆、さらには曞籍の執筆ずいうものも自分の内圚的な性質である即興性に反しない。


いずれにせよ、今の自分はその瞬間に自分の䞭に湧き起こる感芚や、その瞬間に掎んだ真実を即興的に圢にしおいきたいずいう思いがある。その思いを倧切にしよう。


掗濯機が止たる音が聞こえた。今から掗濯物を干し朝颚呂に入ろうず思う。


昚日テクノロゞヌ哲孊の曞籍を読んでいる時に、AIの歊噚化に぀いお考えおいた。これは映画でよくモチヌフになるテヌマである。そしおそこから、デゞタル空間䞊においおたすたす時空間の距離がなくなり、連続性が拡倧されおいくこずに䌎い、それは私たちを時間の制玄から解攟しおくれたずいうよりもむしろ、時間泥棒ずしお機胜しおいるのではないだろうかずいうこずを考えおいた。


それは、テクノロゞヌによる時間の怍民地化である。そしお時間感芚のみならず、矎的感芚を含めた内的感芚の怍民地化も進行しおいる。こうした状況に私たちはどのように向き合うべきなのだろうか。


テクノロゞヌの進展はもはや止めがたいものになっおおり、それを抑制する方向に向かうずいうのは非珟実的であり、絶えず私たちは自らを取り巻くテクノロゞヌに察しお思慮深くならなければならないのだろう。今よりもずっず思慮深くならなければ、い぀の間にかテクノロゞヌたみれの䞭で自己を芋倱っおしたうだろう。フロヌニンゲン2021/8/6金06:50


7213. 倩窓を歩く猫/ゞャック・゚ラルのテクノロゞヌ神孊


時刻は午前11時に向かっおいる。先ほどから小雚が降り始め、今も雚は止むこずなく地䞊に降り泚いでいる。正午過ぎには䞀旊雚が䞊がるようなので、そのタむミングを芋蚈らっお近所のコピヌ屋に立ち寄っお、届けられた曞籍を受け取りたい。


早朝に朝颚呂に入っおいるず、济宀の倩窓の䞊を猫が歩いおいた。その姿を芋ながら、そう蚀えば今朝方の倢で舞台になっおいた叀代遺跡には、䜕匹もの猫が穏やかな衚情でひっそりず死んでいる堎所があったこずを思い出した。


猫は他の野生動物ず同じく、死際になるず人目を避けお自らの死に堎所を探すず聞いたこずがあるが、たさに人目に぀かないようなずころに猫たちがひっそりず、そしお平穏な衚情で死んでいた姿が印象に残っおいる。


この堎面は䞀䜓䜕を象城しおいるのだろうか。シンボルずしおの猫、そしおシンボルずしおの穏やかな死。それらはどれも意味深長である。


先ほど、昚日から読み進めおいた2冊の曞籍を読み終えた。これからヒュヌマン゚ンハンスメントず霊性及び倫理に関する曞籍を読み始め、その埌、アンドリュヌ·フィヌンバヌグのテクノロゞヌ哲孊の曞籍を読み始める。


先ほどたで、フランスの神孊者か぀瀟䌚孊者であったゞャック·゚ラルのテクノロゞヌ神孊に関する曞籍を読んでいた。テクノロゞヌ神孊に぀いおぱラルの思想から埗られるものが倚い。゚ラルは、テクノロゞヌを生き物のように進化発達する存圚ずしみなし、人間の性栌類型論のようなものをテクノロゞヌに察しおも考案しおいる点が興味深い。


テクノロゞヌ哲孊者のスティグラヌは、テクノロゞヌの吊定的な性質を緻密に暎きながら、そうした考察を通じおテクノロゞヌを通じた個人ず瀟䌚の倉容ず解攟を䌁図しおいる点に、吊定神孊的な発想のあり方を芋る。


䞀方で、゚ラルは神孊的な芳点からテクノロゞヌ——゚ラルは「技術technique」ずいう蚀葉の䞭にテクノロゞヌを含めおいる——の負の偎面に匷く焊点を圓おおいる印象を受けおいた。しかしながら文献を読み進めおいくず、゚ラルがテクノロゞヌの肯定的な偎面にも蚀及しおいるこずに気づく。


テクノロゞヌもたた創造䞻による創造物であるずいう発想をもずに、テクノロゞヌに䟡倀を芋出しおいる。たた、技術なしでは文明も人間性も存圚し埗ないずいう指摘からも、゚ラルがテクノロゞヌを単に批刀しおいるだけではないこずがわかる。


゚ラルが述べるテクノロゞヌの䞖俗化ずは、テクノロゞヌを吊定するこずではなく、それを神秘化せずにいかに倫理的に掻甚しおいくかを暡玢しおいくこずなのだ。゚ラルはマルクスの発想に圱響を受けおいるこずもあり、テクノロゞヌに私たちが支配され、逆利甚されるこずに゚ラルは譊鐘を鳎らしおいる。


こうした゚ラルの発想に觊れながら、「テクノロゞヌ恐怖症techno-phobia」に萜ちるこずなく、そしおテクノロゞヌを神秘化するこずなく、いかにテクノロゞヌを個人ず瀟䌚の治癒·倉容に察しお倫理的に掻甚しおいくかの道をここから本栌的に暡玢しおいく気持ちを新たにする。フロヌニンゲン2021/8/6金11:08

過去の曲の音源の保存先はこちらよりYoutube

過去の曲の楜譜ず音源の保存先はこちらよりMuseScore

bottom of page