No.2516 緑たち_Green Existence
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.775, A Wind and the Air
A wind is enjoyably swimming in the air.
How about the air?
It is smilingly embracing everything.
Groningen; 08:03, 7/24/2021
No.776, A Natural Flow
A natural flow is constantly moving within me.
The rhythm of the movement is very healthy and energetic.
The flow is connected with another much larger flow.
It bolsters my life.
Groningen; 20:52, 7/24/2021
下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。
本日の3曲
全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。
楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。
タイトル一覧
7178. 今朝方の夢
7179.「政治悪学」と「パソクラシー」について
7178. 今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。今、朝日が燦々と照っている。間も無く8月を迎えるが、フローニンゲンはまだまだ涼しい日々が続く。
朝日も夏のそれを思わせず、優しさが滲んでいる。こうした穏やかな気候の中で自分の取り組みを毎日少しずつ前に進められていること。それに改めて感謝する。
明日から3日間は少し天気が崩れ、雷を伴う雨が降る日が続くようだ。それを見越して食料の買い足しはしていたのだが、今朝方確認すると、プロテインを補充しておいた方がいいように思えたので、天気が良い今日の午後にでも、近所のHolland & Barrettに行き、プロテインを購入しようと思う。
適切なトレーニングと適切な栄養補給により、そのトレーニングの成果が目に見えて身体に現れていることを嬉しく思う。
今朝方は印象的な夢を見ていて、夢からハッと目覚める形で今朝方は起床した。今、改めて夢について思い出している。
先日から小中高時代のある女性友達が頻繁に夢の中に現れているように思う。今朝方も彼女が現れていた。彼女に対して、何か2つの相反する事柄について熱心に説明しており、彼女が最終的にその違いを理解してくれたという場面があった。
今朝方の印象的なシーンはそれに関することだったように思う。もう少し何か思い出せないだろうか。場所としてはどのようなところだっただろうか。
場所は日本ではなく、欧州のどこかの街であった。それはオランダではなく、雰囲気としてスペインかイタリアか、あるいはフランスの街だったように思う。どちらかというとフランスの街の雰囲気に近いように思う。
その他にも何か大切な場面やシンボルが現れていなかったか。その点について、後ほど朝風呂に入りながら思い出してみようと思う。
今日の読書の計画を少しばかり書き留めておく。昨夜に考えていた通り、今日はマネーの存在論に関する書籍、そしてメラニー·クラインの精神分析に関する書籍を読み進めていく。時間があれば、エリック·フロムやアーネスト·ベッカーの書籍を改めて読む。それらは先日に再読をしたものであり、今回読み進めるのは3回目か4回目だが、良書はとにかく繰り返し読む。
それらの書籍については目次をA5のノートに書き出し、それを切り離して書籍の中に挿し込み、いつでも目次と本文を照らし合わせられるようにしておく。そうすると、全体観を見失わずに本文を読み進めることができる。
絶えず大きなストーリーの中で細部を理解していくこと。ストーリーを通じた理解が大切だ。フローニンゲン:2021/7/24(土)06:55
7179.「政治悪学」と「パソクラシー」について
時刻は午前11時半を迎えた。穏やかな太陽光が地上に降り注ぎ、そよ風が楽しげに踊っている。
今日は早朝に、エディス·ウィショグロッドの“Spirit in Ashes: Hegel, Heidegger and Man Made Mass Death (1985)”という書籍を読み返した。とりわけハイデガーのテクノロジー思想に関する箇所を読み返した。集団狂気と文明の崩壊に関する考察を深めるために、本書はまた読み返すであろう。
社会で生きていく限りにおいて、同時代の文化やテクノロジーによってフィードバックされてくるものを内面化しなければいけないのだが、その際のフィルター機能を自身で働かせていかなければ、内面化されたものによる無意識的な制約を受ける。自分の内側に侵入してくるものに対する気づきの意識がここでも重要になる。
気づきの意識の重要性は至る所で言及しているように思えるが、こうした意識がなければ、私たちはすぐにでも時代精神やテクノロジーの奴隷になってしまう。
ウィショグロッドの書籍を読んだ後、久しぶりにポーランドの精神科医のアンドリュー·ロバゼウスキーが執筆した“Political Ponerology: A Science on the Nature of Evil Adjusted for Political Purposes (2009)”を読み返し始めた。本書から得られることは非常に多い。
ロバゼウスキーが提唱した「政治悪学(political ponerology)」というのは、神学の中の「悪魔学(demonology)」や「悪学(ponerology)」を基に組み立てられており、改めて神学におけるそれらの分野を探究していこうと思った。
ロバゼウスキーが述べる「パソクラシー(pathocracy)」は日本をはじめとして先進国でその力を強めている。これは、少数の精神異常者が大多数の健常者を支配するという政治形態を指す。
昨今の政治経済の領域におけるリーダーの発想と行動を眺めていると、彼らがある種の精神異常者であり、彼らの権力が社会に多大な影響を及ぼしていることがわかる。この傾向は加速しており、社会そのものがサイコパス的な、すなわち共感の欠如した状態になってしまうことを恐れる。
ロバゼウスキーは、サイコパスな人間をリーダーにしないことが、社会がパソクラシーに陥らないために不可欠であると考えている。サイコパスかそうでないかの判断においては、精神分析学的なシャドーに関する素養が必要であり、こうした基礎的な素養を多くの成人がいかに身につけていくかは今後より重要性を増し、それが実現しなければ社会がいとも簡単にパソクラシーの餌食になってしまう。フローニンゲン:2021/7/24(土)11:57
Comments