No.2377 三位一体_Trinity
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.695, A Creative Seed
I’m just waiting for my words to come.
Here they come.
I’m always connected with the source of infinite creativity.
What I have to do is just extract a creative seed from the source.
Groningen; 08:08, 6/18/2021
No.696, A Message of a Thunderstorm
A strong thunderstorm is giving a message to us.
I’m revealing the meaning.
It could be a warning message for human civilization.
Groningen; 21:50, 6/18/2021
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本日生まれた3曲
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タイトル一覧
7060. 今朝方の夢/流動化社会の中で
7061. ひんやりとした朝風を浴びながら
7062. 傍流・異端・雑草としての自己/書物と変容/否定の弁証学
7060. 今朝方の夢/流動化社会の中で
時刻は午前6時半を迎えた。昨日の暑さが嘘のように、今日からまた涼しい日が続く。
ここ数日間は快晴の日が続いていたが、今日は少し曇りがちのようだ。そのおかげでさらに涼しさを感じられるのではないかと思う。昨日と今日とでは最高気温が10度も違うので、うまく適応していこうと思う。
朝の静けさの中で、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、日本のある有名な評論家の方と話をしていた。その方は神学や外交についての造詣が深く、今の自分は神学に関心があることから話が合った。
神学を含め、今日本の社会情勢がどのようになっているのかについても話を聞いた。終始和やかな雰囲気で話を進めていると、しばらくしてから夢の場面が自然と変わった。
今朝方はその他にも夢を見ていたように思うが、その他の夢についてはもうほとんど覚えていない。覚えているものと言えば、小中高時代の2人の友人(NK & HY)が4つのセクションのある試験を受け、その回答について自分が解説をしている夢だ。
それは試験と言うよりも、アセスメントに近い。4つのセクションはそれぞれ30点満点になっていて、2人の友人は共にあるセクションは満点だったが、その他のセクションは20点代前半だった。そのため、他のセクションの点数を今後どのように伸ばしていけるのかについて建設的な対話を行った。
今朝方の夢の記憶は総じて断片的である。こうした断片的な記憶であったとしても、それらを統合して1つの大きな物語の中に組み入れていくことは可能だ。
人生はそもそも1つの大きな物語であり、日々もまた物語なのだ。毎日見る夢もまた物語の登場人物である。それは人生という大きな物語の協働創造者である。
先日、過度なグローバル化によって、ヒト·モノ·カネ·情報の流動化だけではなく、信念や欲望までも流動化している点について考えていた。ひょっとすると、時間というものも流動的なものになってしまっているのかもしれない。
およそ全てのものが金銭化されることによって流動化していく社会。流動的であることは良いことばかりではなく、それによって流されて行ってしまうことが数多くある。
古き良き思い出。その土地に堆積した歴史。そうしたものがこの流動化社会の中で流されて行ってしまうのはどこか寂しい。
流動化の波に杭を打つこと。そして、流動化社会の構造的特性を分析しながら、過度な流動化を防ぐこと。そうしたことに関与していこう。フローニンゲン:2021/6/18(金)07:02
7061. ひんやりとした朝風を浴びながら
爽やかな風。2階のフロアの両側の窓を開けると、ひんやりとした涼しげな風が入ってくる。
昨日は34度に達するぐらいに気温が上がり、2階には随分と熱が溜まっていた。起床してすぐに2階の両側の窓を開けると、冷たく清々しい風が入ってきて、今も熱を冷ましてくれている。
この家で過ごし始めたのは今年の春からなので、夏をどれだけ快適に過ごせるかは未知である。以前の家とは異なり、今の家には一応暖房と同じシステム内に部屋の気温を下げる送風システムがあるのだが、それは機能しないようだということが昨日わかった。
基本的にオランダではクーラーが必要ないということもあり、そのシステムも冷房機能が働かないように設定されているように思える。そもそもコントロールシステムの方には冷房のアイコンがないのだ。
昨日の暑さは真夏の暑さであったため、窓を開けて昨日をなんとかやり過ごすことができたので、冷房システムに頼らなくても今年の夏を乗り越えることができそうだ。
先日コロナウィルスのワクチンに関して、オーナーのペイトラさんと立ち話をした。今年の夏にはどこかに旅行に出かけたいので、ワクチンを接種することにした。その予約を今日の午後にでも行っておきたい。ペイトラさんはワクチン接種の会場まで自転車で行ったとのことだったが、歩いて行ける距離のようだったらのんびりと歩いて向かいたい。
昨日の暑さの影響か、今朝方はあまり夢を覚えておらず、さらにはあまり言葉が出てこない。そういう日もある。外側のリズムと内面のリズムはやはり共鳴し合っているようだ。フローニンゲン:2021/6/18(金)08:52
7062. 傍流・異端・雑草としての自己/書物と変容/否定の弁証学
時刻は午後7時半を迎えた。今日は実に清々しい1日だった。
昨日の猛暑日とは打って変わり、今日は1日を通して涼しい風が吹いていた。つい先ほど夕食を摂り終え、今2階の窓を開けているのだが、ひんやりとした風で夕涼みをしている最中である。
仕事場の目の前に植えられた木々の葉を見ながら、自分はつくづくこの世界の雑草のような存在であると思う。主流では無く常に傍流。正統では無く常に異端。雑草であって傍流であって異端である自分について思う。
異国の地で10年ほどそのような存在として生きてきた。これからもそのようにして自分は生きていくのだろう。
今日も旺盛に読書を進めていた。その支えになっているのが作曲実践であり、今は作曲実践は主たる活動ではないが、それがあるのとないのとでは自分の探究活動は全く違ったものになっていただろう。
音楽的な記号象徴世界と音楽的な感覚世界に触れること。それがあることによって自然言語を通じた知的探究が駆動している。
書物を読む自分は、書物に読まれることによって絶えず変容を遂げていく。その書物が良書であればあるほどにそれが起こることを実感する。
夕方に近所のスーパーに買い物に出かけている時、先日届いた26冊の神学関係の書籍を一通り全て読み終えたら、基本書としてみなした書籍を丁寧に音読していこうと改めて思った。具体的には、ロイ·バスカー、バーナード·スティグラー、フリップ·グッドチャイルドの書籍であり、その音読を8月まで行う。
8月を迎えたら再び書籍の一括注文をする。幸いにもスティグラーのほぼ全ての書籍はフランス語から英語に翻訳されており、その時の一括注文の際に残りの全ての書籍を購入しようと思う。
バスカーの書籍は全て購入しているから追加で購入する必要はない。グッドチャイルドに関しては、神学の観点からマネーを扱った新しい書籍が数冊出版されていたのでそれらを購入する。
偉大な思想家の書物を読み解くことを通じて、認識上の曇りが晴れていくという、まさに「眼から鱗が落ちる」日々。新たな眼を獲得していくということはこういうことなのかと身を持って体験している。
新たな眼を通じて見えた事柄は逐一他者に共有していかなければならない。新たな眼を獲得する機会もまた自分に与えられたものであり、それを通じて得られたことを世界に共有していくこともまた自分に与えられた役割なのだ。
書物との対話を通じて、自分と世界の真理を紐解いていく際に、「否定の弁証学(negative dialectic)」の方法を意識せずに使っているのかもしれないということを思う。それは書くという実践の中にも現れている。
書かれる表現内容は「ある」ことについて一見して語っているようで、実際のところは「ある」ことを書きながら「ない」ものを浮かび上がらせ、その「ない」ものを通じて自己と世界の真理を紐解いていこうとしているように思える。そうした否定の弁証法的な思考が自分の中に見える。フローニンゲン:2021/6/18(金)19:53
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