No.2375 光の神学_Theology of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.693, Voices
I can hear voices from the morning sun and a tree standing in front of my house.
My spirit naturally responds to them.
I listen carefully voices from the world.
I constantly utter my voices to the world.
Groningen; 07:00, 6/17/2021
No.694, Ordinariness as Non-Ordinariness
Today was phenomenally hot in Groningen.
The temperature was unusual this season.
Recently, non-ordinariness has become ordinary, which is scary.
Groningen; 21:05, 6/17/2021
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本日生まれた3曲
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タイトル一覧
7057. 今朝方の夢
7058. 対話的なコミュニケーション/今朝方の夢の続き
7059. 脱自的な力/「マネー宗教」と「テクノロジー宗教」の蔓延する時代に
7057. 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えた。辺りに1羽の小鳥の鳴き声がこだましている。あの小鳥は誰に向けて鳴き声を上げているのだろうか。
応答する鳴き声がないままに1人で鳴き声を上げ続けている小鳥。誰からの応答がなくても世界に自分の声を発信し続けている小鳥に深い共感の念を持つ。自分もまたあの小鳥のように声を発し続けていこうと思う。
誰からの応答もなかったとしても、この世界そのものが声を発せよと求めているのだ。自分にできることはその求めに従うことである。
声を発すれば、自己を超えた世界からの呼び掛けが絶えずある。声を発し続けることの意義をそこに見出す。
少なくとも自己を超えた世界から応答があればいいのだ。それが自分を支えてくれる。
今朝方は3つほどの夢を見ていた。最初の夢の中で私は、芝生のサッカーコートにいた。そこにいたのは一昔前のサッカー日本代表のメンバーと、大学時代のフットサルサークルの先輩を含めたメンバーたちだった。
合計で4チームぐらいに別れて試合をすることになり、最初同じメンバーになった中には、日本代表を支えていた大柄なセンターバックの方がいた。その方がいれば守備は安心だと思い、私は攻撃に専念しようと思った。
試合開始前に、その方にロングフィードをしてもらうことをお願いし、試合直後にその機会が訪れ、その方からのロングフィードを受けてシュートを放ち、先制点を見事決めることができた。シュートを打つ前に、「それにしても正確なフィードだな」とその方からのロングフィードの正確さに感銘を受けていたことを覚えている。
次の夢の場面では、私は戦闘機のパイロットだった。厳密には、戦場に行くことなしに、空の上でパフォーマンスをするパイロットだった。乗り込んでいたのは最新の戦闘機であり、その動きの機敏さには驚かされた。
上空から眼下を見ると、野原にいる観客たちの姿が見えた。パフォーマンスもいよいよ大詰めを迎え、最後に派手な技を披露しようと思った。
だがそれは命を危険に晒す危ないものでもあった。具体的には、近くのビルの屋上に向かって頭から急降下し、地面に着く寸前のところで反転して機体を止めるというものである。
いざビルの屋上に向かって急降下を始めた時、そこに自己意識はもう無く、自分は戦闘機そのものと一体化していた。いよいよ地面に着くというところで反転し、地面に接触することなく機体をピタリと止めた。
すると、息を飲むようにして見守っていた観客たちから拍手が湧き上がった。それを聞いた時、私は意識を取り戻した。再び自分と戦闘機の2つがそこにあると知覚できたのである。
そして私は戦闘機から外に出て、屋上に寝っ転がり、仰向けになって点を見上げて突然笑い出した。それは大爆笑であった。
見知らぬ男性がこちらに駆け寄って来て、なぜ爆笑しているのかを尋ねて来た。その理由は簡単だった。
0.1秒操作を間違えていたら、戦闘機は地面にぶつかり大破し、自分は死んでいたからである。それが今このようにして生きていることがおかしくて仕方なかった。
そして私はふと、パフォーマンスを始める前に念入りに機体を点検してくれていた整備士のことを思い出した。彼のメンテナンスがなければ、反転速度が0.1秒以上ズレ、私は死んでいたと思ったのだ。
だがこうして確かに生きているということ。そのことにただただ感謝し、整備士への感謝も溢れ上がって来て、私は大笑いの後に激しく泣いた。フローニンゲン:2021/6/17(木)06:33
7058. 対話的なコミュニケーション/今朝方の夢の続き
穏やかな朝日が仕事場に差し込んでいる。朝日の光はほのかな橙色であり、窓の外に見える一本の木の葉と同じような色をしている。朝日も木の葉も、それを見ていると心が癒えてくる。
目の前に見るその木には、時々小鳥がやってくる。そこで少し休んで彼らはまたどこかに向かっていく。
今、その木の葉にはミツバチがやって来ている。確認できるのは1匹だけだ。
そのミツバチは、まるで葉と対話をしているかのような仕草をしながら蜜を集めている。どうやらそこにはミツバチと葉との相互的なコミュニケーションがあるようだ。
果たして私たち人間は、このように双方向的なコミュニケーションを他者や他の生き物、そして無生物な物に対して行っているだろうか。生命のないように思える物に対しても対話的なコミュニケーションをしていくことの大切さ。物に対しても慈悲深く接すれば、物は何らかの形で応答してくれる。
今朝方見ていた3つの夢のうち、先ほど2つの夢を書き留めていた。最後に見ていた夢についても書き留めておきたい。
夢の中で私は、現実世界にはいない姉が店員として働くおもちゃ屋にいた。彼女はその店の経営者でもあり、同時に店員でもあった。
店に入ると、姉はレジにいて、早速声を掛けてみた。話はすぐさまあるゲームのキャラクターのフィギィアの話になった。
キャラクターと言ってもそれは人間ではなく、全てモンスターである。ただし、そのモンスターはどれも可愛らしい姿をしていて、そのゲームは子供たちの間でも人気のあるものだった。
私は姉に何かレアフィギアを入手したかどうか尋ねた。すると姉は満面の笑みを浮かべ、言葉を発することなくレジのカウンターに一体のフィギアを置いた。
見るとそれは、以前より喉から手が出るほど欲しかったキャラクターのフィギアであり、どのように入手したのかを尋ねた。何やらあの手この手を使って、海外のコレクターから譲ってもらったとのことだった。
私は姉に視線で合図を送り、それを譲ってくれないかと心の中でメッセージを送った。姉はそれを敏感に察知し、少し黙った。
そのフィギアに私が愛情に溢れた視線を送っている姿を見ていた姉は、再び笑顔を浮かべ、右手の親指と中指、そして人差し指を擦り合わせる仕草をした。そうそれは貨幣を数える時に行う指の動きであり、端的にはカネの要求である。
その仕草を見て、「弟からカネを取るのかよ」と心の中で思った。すると、姉の心の中から「商売だから当然よ」という声が聞こえてくるかのようであり、私は右手をズボンのポケットに入れて財布を取り出そうとした。
その仕草を見た姉は、すぐさまそのフィギアの価格を述べた。何やら66ドルとのことだった。
私はチップを含めて67ドル渡し、そのフィギアをゲットした。いざフィギアを入手してみると、先ほどとは違う感情が自分に訪れた。
いざそれを所有してみると、それを所有したいというような気持ちとは全く違い、これからこのフィギアと仲良くしていこうという気持ちになった。良好な関係を作り、長く一緒にいたいという気持ちが訪れたのである。
今朝方はそのような夢を見ていた。1つ前の戦闘機のパフォーマンスの夢も印象的だったが、この夢も印象的だった。姉として登場していたあの女性、そしてあのフィギア。意味深いシンボルが2つそこにあった。フローニンゲン:2021/6/17(木)06:55
7059. 脱自的な力/「マネー宗教」と「テクノロジー宗教」の蔓延する時代に
時刻は午後5時半を迎えた。今日は大変気温が上がり、今の気温は33度とのことだ。8月の真夏の時に数日間訪れるような暑さを今日は感じていた。
明日は最高気温が24度とのことであり、そこからまた涼しい日が続くようだ。今日は天候における異常値であった。久しぶりにこうした暑さを体験しているので、思考が少し朦朧としたものになってしまう。今日は夕食を摂ったらゆっくりとし、早めに就寝しようかと思う。
数日前に届けられた神学書を今日も読み進めていた。読書の中でふと、人間が超越的なものを求め、そこに自然と眼差しが向かうのは、今の自己の内側に、絶えず次なる超越的な自己が存在しているからなのではないかと思った。
超越的なものを認識できるのはその存在の力によるところが大きいのではないかと思う。そして、私たちを突き動かすのは、理性ではなく、そうした超越的なものへの眼差しと希求なのではないかということを考えていた。
超越的なものが蔑ろにされてしまっているか、はたまたそれが悪用されてしまっている現代社会。現代を覆う種々の問題の根幹には、おそらく超越性の取り扱いに関する問題があるだろう。
自分の内側に絶えず宿っている脱自的な力。それはエクソダスの力い等しい。
自己の外に出て初めて得られる恍惚的な快楽がある。現在日々進めている探究上の快楽も多分にそのようなものである。
自己を超え出ていく際の快楽は、美の快楽と似ている。脱自的な力は美的な力なのだろうか。美的なものは脱自的なのだろうか。
昨日考えていたことをここに書き留めておきたい。現代人の多くは、「マネー宗教」とでも呼べるものを信奉しており、マネー宗教の特質と限界を暴くことは、現代人の救済の1つの道である。
それに加えて、テクノロジーが日々刻々と発展し、生活の隅々にまで浸透している現代社会においては、「テクノロジー宗教」というものも想定することができるだろう。マネーとテクノロジーを神学の観点から考察していくことの重要性を改めて感じる。
マネーを神学の観点から取り扱ったフィリップ·グッドチャイルドの書籍以外にも、「経済神学」と呼ばれる経済学に関する神学の学術書も購入して読み進めていく。マネー宗教と密接に関係しているのが「経済宗教」と呼ばれるものであるから、神学の観点で経済学を見ていくことは大切である。
そこらふと、将来的には、政治神学と音楽神学へと探究を広げていくことになるであろうことをぼんやりと考えていた。
今日は本当に暑い。今からぼちぼち夕食を作り始めよう。フローニンゲン:2021/6/17(木)17:44
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