No.2284 あなたと私_You and Me
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.647, Morning Prayer
I’m filled with hope right now.
My lifework will be going very well today, too.
I’m so grateful for it.
I just pray for the present situation in which I am.
Groningen; 05:15, 5/25/2021
No.648, Going to a Divinity School
I’m so glad that I found a clear purpose to go to a divinity school.
I’ll rigorously study not only religious poems but also transpersonal economics at the school.
The former is a path to the One, whereas the latter is a path to the Many.
Groningen; 05:21, 5/25/2021
No.649, In the End of the Day
My consciousness at this moment is stepping into a transcendental realm.
A whisper of a little bird encourages it.
I’m wondering what kind of dream I will have tonight.
I hope it will be meaningful and epiphanic.
Groningen; 22:03, 5/25/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6966. 光の知覚体験/今朝方の夢
6967. 光明体験がもたらしてくれたもの
6968. 信仰心/形なきものを愛する自分
6969. フランクフルト学派の第3世代として
6966. 光の知覚体験/今朝方の夢
時刻は午前5時に近づきつつある。今空がうっすらと明るくなってきた。そして、小鳥たちが清澄な鳴き声を上げ始め、それが辺りに響き渡っている。
今朝方は起床するときに激しい雨が降っていた。雨が家の屋根に激しくぶつかる音が聞こえ、それで目覚めた。
時刻が早かったこともあり、少しばかり目を閉じてベッドの上で横たわっていると、不思議な知覚体験をした。ここ最近はあまりなかったが、眩い黄色い光を知覚する体験である。
おそらくこの光は松果体から発せられているものではないかと思う。いずれにせよ、部屋は真っ暗なのに光が知覚されるというのはいつも不思議であり、この体験をしている最中はその光が消えて無くなるまで、出来る限り知覚体験に留まるようにしている。
今朝方の体験は最後の方に、アルファベットが浮かんできたり、サトルの意識状態でよく見られるイマージュがいくつか浮かび上がってきた。こうした知覚体験を今朝方したのも、今自分が変容の時期に差し掛かっているからなのかもしれない。
今朝方の夢について振り返り、今日もまた旺盛に探究活動と創作活動に従事していこう。
夢の中で私は、実際に通っていた小学校を思わせる体育館の中にいた。そこでは体育館の中を走って競うことが行われていた。私はその競技を見守る者としてそこにいた。体が体育館にあるように思えたが、どうやら意識だけがそこにあるようだった。
体育館の中を生徒たちがぐるぐる回りながら走っていて、先頭には足の早かった友人(HO)がいた。その後ろに誰がいるのかと見てみたところ、なんと別の友人(SS)の父親だった。
友人の父はなんとか先頭の友人に引き離されまいと必死の形相で走っており、息が完全に切れかかっていながらも懸命に走っていた。そして最後ラストスパートをかけた際には、友人の父親は1度フロアに倒れてしまったが、なんとか起き上がり、結局2位でゴールインした。その懸命な走りに私は感銘を受け、思わず拍手をしたくなった。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私はサッカー競技場にいた。これから世間が注目する代表戦が行われることになっていて、私は選手の1人だった。整列している選手たちを見ると、その中にちらほら小中学校時代の友人がいた。そのうちの1人の友人(YU)は小柄なのだが、選手入場が始まると様子がおかしくなり、カミキリムシのような姿になってしまった。
私は彼のことが心配になり、カミキリムシのようになってしまった友人が地面でゆっくりと動いていたので、触ってみたところ、さらに動きが遅くなってしまった。すると突然、私の方に襲いかかってくるかのように体に引っ付いてきて、私は思わず振り払ってしまった。
するとカミキリムシになってしまった友人はさらにぐったりしてしまい、これでは試合に参加するどころではないと思い、監督を務めていた友人の父親が彼を他の選手と交代させた。一体友人はどうしてしまったのだろうと思ったところで夢の場面が変わった。
最後の夢の場面では、私は見慣れない大学のカフェテリアにいた。そこで大学時代の友人(HN)と高校時代の友人(TN)と話をしていた。
私たち全員は同じ学年なのだが、大学時代の友人はこれから就職活動をすることになっていた。話を聞くと、彼はプライベートエクイティーファンドで働きたいとのことだったが、新卒で採用している会社はほとんどないことを伝えた。
高校時代の友人もそのように彼に助言をしたが、彼は私たちの話を聞かずに、どうしてもプライベートエクイティーファンドで働きたいようだった。話が終わりに差し掛かって全員席を立とうとしたところ、彼がふと、「自分にはすでに億を超える資産があるのに···」というようなことを呟いたが、そこにいる全員がそれくらいの資産を保有していて、資産の多寡と情熱を傾けられる仕事に就けるかどうかは関係ないことを私は彼に伝えた。フローニンゲン:2021/5/25(火)05:10
6967. 光明体験がもたらしてくれたもの
時刻は午前6時を迎えた。起床時と同じく、先ほど朝風呂に入っている最中にも雨が降った。しかし今はそれが止み、とても落ち着いている。
今日と明日は、1日を通して断続的に雨が降るようであり、昨日買い物を済ませておいて良かったと思う。天気予報を見ると、来週からようやく少しずつ暖かくなってくるようだ。
今はまだ早朝には暖房が自動で入り、就寝時には湯たんぽを使って寝ている。そろそろこの生活とはお別れのように思う。
朝風呂に入りながらふと、神学校に進む目的が明確になったことの幸運を思った。再び大学院に戻り、学術機関に所属しようと思うが、その際に神学校の進学を選んだのは、やはりトランスパーソナル経済学の創出に向けた探究をするためにある。その目的が明確になった。
もちろん神学校では様々なことを学ぼうと思っており、その1つには霊的な詩の探究も挙げられる。どちらかと言えば、霊的な詩の探究は光を求める道である。それは芸術鑑賞的な探究及び実践であり、光を求める道としての重要さを持つ。
一方で、トランスパーソナル経済学の創出に向けた探究は、現代社会を覆う闇を変容させるための道である。この2つの道の双方を歩んでいくことが大切になる。
深い闇を照らすための光を獲得していくこと。内側でそれを涵養していくこと。それをまずはこの2年間日々行っていき、それは神学校に進学してからも継続していきたいし、それをしなければ、現代社会を覆う深い闇を光で照らせないように思うのだ。
神学校へ進学する目的が明確になったことは幸運であり、それはやはり幸運と形容するにふさわしいように思う。自助的にそれが明らかになったというよりも、啓示的にそれが明らかになったのである。
ひょっとすると、今朝方の光を知覚する体験は光明体験だったのかもしれない。自分がこれから進む道を明瞭に照らしてくれる光の体験だったのだ。
光の導きに全存在を委ね、光を求めて闇を照らしていくこと。それがこれからの自分が歩む道である。
今日もまた集中的にロイ·バスカーの著作群を読んでいこう。バスカーの思想体系と出会えたことの幸運。これもまた何かの導きがもたらした幸運だった。
自分がこれまで半ば無意識的に信奉していた考え方とは違う考え方が突如にやってきて、しかも以前の考え方よりも洗練されたものに出会ったことの幸せ。今その幸せを噛み締めている。
バスカーの批判的実在論ないしは超越論的実在論は、カントの超越論的観念論を超克したものであり、これまでの自分はどちらかというとカント的な認識あるいは新カント派的な認識の方に傾注する形の発想を持っていたように思う。それとは異なり、それを含んで超えたバスカーの思想体系に惹かれた理由の1つはそこに見出すこともできるだろう。
これまでの自分にとって盲点となっていたものが明らかになること。それもまた光によって照らし出されたからこそ浮き彫りになったものなのだろう。この光の出所、ないし源泉は非常に気になるところである。それもまた光を求める過程で明らかになっていくかもしれない。
とにかく今は、ゆっくりと進んでいくことである。進むことを意識せずに進んでいくこと。今日もそうした1日になる。フローニンゲン:2021/5/25(火)06:17
6968. 信仰心/形なきものを愛する自分
時刻はゆっくりと午前8時に近づいている。早朝からバスカーの書籍を読み進めていて、バスカーの書籍はいずれも難解なものが多いが、理解できる箇所から色々な気づきが生まれる体験をしている。
ふと、人間に内在する宗教性を思った。人間は絶えず何かしらの信念を持っていて、何かを信仰している。そうしたものがあるからこそ人間は精神的崩壊を免れることができて、日々の精神生活を営むことができているのだろう。
食の選択、居住地の選択、今学んでいるものなど、そこには全てその人の信念及び信仰心が関係している。成人発達理論やインテグラル理論に対して行ったのと同じように、まずはそれらを信仰し、それらの内側に深く入り込んでいく必要がある。
そうすると、ある時期に信仰に対する覚めがもたらされる。それがまさに信仰上の差異化なのだろう。
自分の中で重要だったことは、覚めを通じた差異化、ないしは差異化を通じた覚めによって、決してそれらの理論と自己を分離化させるのではなく、超えて含んでいくという道を歩んだことである。バスカーの思想体系に対しても同じ道を進んでいくことになるだろう。
バスカーの一連の著作群を読み解いていくだけでも時間がかかり、批判的実在論はインテグラル以上に正当な学術的地位が与えられていることもあり、関連書籍や論文が無数にある。それらを狩猟し、理解を深めていくまでの時間を考えると、覚めがやってくるのは随分先のことになるだろう。
バスカーの書籍を含め、先日注文した数々の経済学書をこれから読み進めていくにあたって、読書の過程で得られた気づきや発見事項は短くてもいいので、できるだけこの日記の中に書き留めていくのが良いかもしれない。
読書の最中に基本的には自分に対して説明を行なっているのだが、そこからあるまとまりのある考えが出て来たら、それを短くてもいいので書き出しておこう。いつになるかわからないが、仏教経済学やトランスパーソナル経済学に関する英文書籍を出版し、探究過程で得た知識を広く共有していくことを考えている。
その書籍は神学校で学んだことをもとにして執筆するか、あるいは博士課程に進学し、博士課程の論文をもとに執筆していく道がある。いずれにせよ、その書籍は学術書の体裁になるだろうか。そこから一般書を執筆していく可能性も残しておこう。
バスカーの書籍を含め、思想書から刺激を受けて詩が生まれることがよくある。また時に、曲も生まれる。詩作や作曲の源泉を思想書と自らの内的感覚に求めよう。
数日前にふと、形なきものを愛する自分に気づいた。抽象的な芸術を含め、思想探究もそうであるが、抽象性の高いものを愛する自分がいる。それはまさに、インテグラル理論や批判的実在論及びメタ実在論のような抽象性の高い思想的枠組みを探究している自分の姿を見事に映し出している。
先ほど読んでいたバスカーの書籍の中で、メタ的批判の特性について言及されており、その箇所を熱心に読んでいたのも、そうした自分の特性を表してのことだろう。
現代社会の闇をメタ的に批判し、その変容を促していくこと。そこに向けて探究と修練の日々は続いていく。フローニンゲン:2021/5/25(火)08:05
6969. フランクフルト学派の第3世代として
つい先ほど夕食を摂り終えた。今日は室内にいても肌寒く、日中に暖房が自動で止まったということは部屋の室温はそれほど低くなかったはずなのだが、室内にいても寒さを感じられた。
早朝より断続的に雨降る中、晴れ間も見える瞬間があり、今は穏やかな夕方の世界が辺りに広がっている。ここのところは毎日1~3冊ほど書籍を読み進めていて、今日も旺盛な読書を行なっていた。
中心はロイ·バスカーの思想に関するものであるが、ここからは経済学関係の書籍を読み進めていくことも計画している。実際に、手持ちの経済学書を段ボールから引っ張り出して来て、これからどのような本を読んでいけばいいのかの検討が立っている。
昨日は18冊ほど書籍を購入したが、今日もイギリスとオランダのアマゾンを経由して7冊ほど書籍を購入した。それらは下記の書籍である。
1. The Critical Theory of Religion: The Frankfurt School
2. Death and Mastery: Psychoanalytic Drive Theory and the Subject of Late Capitalism
3. Attention Economy Labour Time (Critical Perspectives on Theory, Culture and Politics): Labour, Time and Power in Cognitive Capitalism
4. Critical Theory and the Critique of Political Economy: On Subversion and Negative Reason
5. Capitalism: A Conversation in Critical Theory
6. Trust and Power
7. A Systems Theory of Religion
そもそもこれらの書籍を購入したのは、午後に段ボールに詰められた書籍の中で今の関心テーマに合致するものを色々と引っ張り出していると、ハーバート·マークーゼやジョージ·ジンメル、そしてヨルゲン·ハーバマス、ニコラス·ルーマンの書籍に目が止まり、彼らが経済学について言及しているものはないかを探したからである。
ジンメルに関しては、彼の名著である“The Philosophy of Money”は既に持っていて、初読を昨年終えていたのであるが、本書はもう一度読もうと思っている。それ以外の学者に関して言うと、ルーマンに関しては“A Systems Theory of Religion”という書籍が宗教をシステム理論の観点から捉えていくという点で自分の探究に必要なアプローチであり、そもそもこの経済社会が信用ベースに成り立っているという観点で“Trust and Power”という書籍はそのトピックに関して有益な観点を提供してくれると思った。
また、マークーゼやハーバマスに関して言えば、既に主著はたいてい持っており、今回は彼らが所属していたフランクフルト学派の思想をもとに宗教や経済を語っている書籍を購入することになった。そもそも、私が師事をしていたオットー·ラスキー博士は、フランクフルト学派の設立者であるテオドール·アドルノとマックス·ホルクハイマーに直接師事をして博士号を取得しており、ハーバマスと同じくフランクフルト学派の第2世代に当たる。
そのラスキー博士から、色々とフランクフルト学派の思想について学んでいて、改めて自分はフランクフルト学派の第3世代に該当しなくもないと思えて来たのである。ただしその理解は浅いものであり、改めてフランクフルト学派の批判理論を学習し、それらの理論を適用した上記の書籍を購入した次第である。
トランスパーソナル経済学の創出に向けて読むべき書籍は膨大にあるが、核として用いる理論体系は、ウィルバーのインテグラル理論、バスカーの批判的実在論及びメタ実在論、そしてフランクフルト学派の批判理論になるだろう。
そうした理論の理解をこれからより深めていくことに並行して、経済思想の歴史的変遷と現代社会を覆っている現代経済思想の特徴と歪みや盲点を探究していく必要がある。そして、経済思想と宗教思想の密接的な関わりから、経済のコンテクストにおいて神学や宗教思想の理解を深めていく。
やることはかなり明確だが、探究に長大な時間を要することは確かである。決して焦ることなく、それでいて着実にこの探究を進めていこう。今の環境であればそれができる。それは恵まれていることだとも言えるし、宿命だとも言える。フローニンゲン:2021/5/25(火)19:57
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