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6898-6900: アートの国オランダからの便り 2021年5月10日(火)


No.2222 色彩の影_A Shadow of Colors


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.604, A Large Tapestry

I’m the second tenant who lives in this house.

I’m just wondering the life of the previous tenant.

Someone’s life meets that of someone else, which is an interesting and miraculous phenomenon.

Our life looks like making a large tapestry.

Groningen; 04:46, 5/10/2021


No.605, Full of Contemplation

A little bird is whispering in the evening now.

The whisper induces a meditative state.

My daily life is filled with contemplation.

Groningen; 20:51, 5/10/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた4曲


本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6898. 今朝方の夢

6899.「不在の不在化」をもたらす2つのメタ理論

6900. 穏やかな夕日を浴びながら


6898. 今朝方の夢


時刻は午前4時を迎えた。最近は日の出がめっきり早くなったが、さすがにこの時間帯はまだ辺りは暗い。


昨日は気温が24度を超え、室内もそれぐらいの気温になるというとても暖かい1日だった。天気予報では雷が伴うとのことだったが、結局雷は1度も落ちることがなかった。


昨日室温が上がっていたおかげで、今朝方キッチンに置かれているカゴの中のバナナを見ると、熟す速度が早くなっているようだった。昨日の暖かさを受けて、今日も比較的暖かい。日中の最高気温は18度まで到達する。明日からはまた肌寒い日々が続くようだ。


今日の夕方にでも近所のスーパーに行って、ほうれん草、パプリカ、バナナを購入しようと思う。予定ではコーヒー屋に行ってコーヒー豆をそろそろ調達しようかと思っていたが、コーヒー豆の残量を再度確認し、今日訪れるのかまた後日にするのかを判断したい。


今朝方は2つほど印象残る夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた学校の職員室の前にいた。私は担任の先生に何か報告する事項があってそこにいた。


職員室のドアの前に数人ほど生徒が並んでいて、1人1人が一風変わった形で職員室の中に入っていく姿を見た。どうやら職員室に入る際の決まりとして、ドアを開けてから自分の名前を大きな声で述べるだけではなく、変わった動作をする必要があるようだった。


私はそれを見て、随分くだらない儀式のようなものがまだ残っているのかと思った。もうそれは形骸化していて、すぐにでも排除していいようなもののように思えた。


私の前に並んでいた生徒たちはみんな律儀にその儀式をこなし、職員室に入って行ったが、私は当然ながらそれを適当にやった。すると、それを見ていた担任の先生が私の名前をすぐさま呼んで、「もう1度後ろに並んでやり直し!」と幾分怒りながら述べた。


私は先生に注意されることをわかって適当にその儀式を行ったのだが、いざ怒られてみると、ますますこの儀式を行うことが不毛のことに思え、もう2度とこの儀式をしないと誓った。そのため、先生への報告事項を報告することなく引き返そうと思ったのである。


振り返って教室に向かおうと思った瞬間に、私を注意した先生の頭の回転の遅さに改めて自分の意識が向かい、なぜ自分はいつも無能な教師と一緒にならなければならないのかと憤慨する気持ちが湧いてきた。こうした愚昧な教師に何か気づきを与え、彼らの成長を促すのが自分の仕事なのかと思えてしまうほどだった。


そのようなことを考えた瞬間に、私の目の前には別の生徒がいて、彼はしっかり儀式をこなした。ところがその儀式が少し面白いものに思えたのである。


彼は所定の位置にしっかりと立ち、そこで落語を始めた。落語を披露するというのは通常の儀式には組み込まれておらず、どのような演目か気になったので、彼の落語を聞いてからその場を去ろうと考えた。いざ彼が話し始めてみると、知らない演目だったので、ちょっと耳を傾けてみようと思ったところで夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、私は見慣れない場所にいた。その場所を説明するのは難しい。そこは日本の実家付近の一角の雰囲気を持っていたが、どこか見慣れない感じもあった。


そこで私は、少し離れた場所に立っている小中高時代の小柄な友人(YU)に向かって、サッカーボールをゴールキーパーのようにボールを手で持ってキックして届けることを行おうとしていた。すると、高校時代にキーパーだった別の友人(HY)が彼に向けてまずキックの手本を示してくれた。


するとそのキックは、遠くで立っている彼を一歩も動かすことなく見事に真っ直ぐに飛んで行き、遠くで待つ彼はボールをキャッチした。いざ自分の番になり、キックしてみると、距離が足りず、途中でバウンドしてしまったが、倉庫の一角に跳ね返る形で結果として見事彼を一歩も動かすことをせずにボールを届けることができた。


ボールがバウンドしてしまったのは、自分の中に遠慮の気持ちがあったからであり、遠慮してしまったのは、遠くで待っている友人の身長が低いので、高くボールを蹴ることをしてはならないという意識があったからだった。


私は独り言として、少し不満げに思わず「もっと身長が高い人に遠くで待っていて欲しかったのに」と呟いた。それは誰も聞いておらず、少し安心した。


今朝方はそのような夢を見ていた。実際にはもう少しその他の場面もあり、夢の最後に英語で、「成長は有機的かつゆっくりなほどいい」ということを自分が述べていたことを覚えている。その言葉を述べた瞬間に目が覚め、その言葉の意味と喚起する感覚を少しばかりベットの上で味わっていた。フローニンゲン:2021/5/10(月)04:39


6899.「不在の不在化」をもたらす2つのメタ理論


小鳥たちの鳴き声がとても美しい。時刻は午前5時半を迎えたところである。


先ほど朝風呂から上がってきて、身体が火照っている。新居に引っ越してから、朝風呂と夜寝る前に風呂に入ることが習慣になっていて、それが良いリズムを生み出している。夜においてはそれが安眠につながり、朝においてはそれが爽快感と覚醒効果をもたらしている。


昨日、改めてこれからの自分の役割について考えていた。何の不自由のない生活を得て以降も、自らの役割を問う日々が続く。むしろ、物質的·環境的な自由と平穏さが獲得されて以降、そうした実存的な問いがより強く現れてきているように思う。


昨日、10冊近くの書籍が届けられた。その中の半数ほどは、ロイ·バスカーの批判的実在論とメタ実在論に関するものであり、届いた書籍を早く読みたい気持ちを抑える形で、今日は改めて哲学者のザカリー·スタインの書籍を読む。バスカーからは数日ほど離れ、スタインの書籍を読んだ後に再びバスカーに戻ってこようと思う。


昨日考えていたことの1つとして、自由と解放を実現させる「不在の不在化」を推し進めていくのは私たち1人1人の個人に委ねられているが、不在の不在化を妨げている種々の障壁を取り除いていくのは、インテグラル理論や批判的実在論を学んだ実践者の役割なのだろう、というものがある。


上述の2つのメタ理論は、バスカーで言うところの「不在の不在化」を個人と社会にもたらしてくれる解放的側面がある。その力を最大限に発揮するべく、今2つのメタ理論を深く探究し、それらを架橋させようとしている自分がいる。


両者の思想的枠組みが他の一般的な思想的枠組みと異なるのは、よりこの現実世界における実践を重視し、この現実世界からの目覚めと解放を促すことを希求している点にあるだろう。おそらく自分はそこにそれらのメタ理論の意義と価値を見出しているのだと思う。


今週もまた2つのメタ理論を直接的·間接的に探究していく。探究の日々は終わらないどころか、それは深まるばかりであり、今ようやく始まったばかりであるかのようだ。フローニンゲン:2021/5/10(月)05:40


6900. 穏やかな夕日を浴びながら


時刻は午後7時半を迎えた。今、穏やかな夕日の光がフローニンゲンの街に降り注いでいる。


振り返ってみると、今朝方に小雨が少し降った以外は今日は1日を通して晴天であった。昨日に引き続き、気温もそれほど寒くなく、午後に買い物に出かけた際には随分と暖かく感じた。明日からはまた気温が下がるようだが、昨日と昨日に暖かさを存分に感じられたことは喜ばしい。


今日はザカリー·スタインの“Education in a Time Between Worlds”の音読を終えた。いつも書籍のタイトルページにいつその書籍を読み始めたかを記し、最後のページには読み終わった日付を記している。それを確認すると、本書は今回が4読目のようだった。


4回目にして初めて見えてくることがあり、初めて理解できることがあったことは収穫であった。本書には今行っている『インテグラル心理学』の読書会でも取り上げたいような論点がいくつかあり、それについてはこの読書会の補助音声ファイルとして紹介しておこうかと思う。そうしたこともあり、本書をすぐに本棚にしまうのではなく、すぐに参照できるようにまだ机の上に置いておこうと思う。


本書の内容ではないが、明日は音声ファイルをいくつか作る予定である。明日はいくつかインテグラル理論に関する基礎的·標準的な用語の解説をし、余力があれば応用的な用語の解説をしておきたいと思う。


こうして日々の読書と並行する形で音声ファイルを作成することにより、読んだ内容が着実に血肉化しているのを感じる。また話してみて初めて自分の理解が足りない箇所が見えてくることもあり、引き続き本読書会に関する音声ファイルを少しずつ作成していこうと思う。第2回の読書会の際に、参加者の方から感想やフィードバックをもらおうと思う。


今日は午前中に、とりわけ霊性の問題に関する対話·実践空間を変容させていくような実践的なメタ理論の構築に向けた探究の方向性について考えていた。ウィルバーにせよ、バスカーにせよ、両者のメタ理論に対して最も共鳴しているのはまさにそうした社会変革を希求する実践的な側面にある。比較で言えば、ウィルバーのインテグラル理論よりもバスカーの批判的実在論の方がよりその側面が強い。


バスカーの弁証法思考にあるように、リアリティには絶えずまだ顕在していない代替世界が存在している。今の世界を含んで超える代替世界の姿とそこへ至る道を提示するのが規範的かつ実践的なメタ理論の役割だろう。


インテグラル理論と批判的実在論の双方を補完的に探究することを通じて、この世界に自由と解放と変容をもたらすメタ理論を自身により体現させ、自分なりの仕事をしていきたいと改めて強く思う。フローニンゲン:2021/5/10(月)19:57

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