No.2189 光の不死鳥_A Phoenix of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.579, Silence & Peace
The morning world is filled with silence and peace.
The self is melting into it.
I’m swimming in the vast ocean of silence and peace,
and embracing everything gently as the sea.
Groningen; 06:50, 5/2/2021
No.580, Something Formless
All forms decay and vanish someday.
Yet, something formless would remain forever.
Actually, it is beyond time,
and it is always here and there.
Groningen; 07:03, 5/2/2021
No.581, A Sanctuary
I can deeply relax in a sanctuary while engaging in creative activities.
My soul and the spirit most lively emerge from the sanctuary.
Groningen; 09:22, 5/2/2021
No.582, The Essence of Cognition
The essence of cognition lies in imagination.
Any symbols and words derive from imagination somehow.
Groningen; 10:06, 5/2/2021
No.583, Dialogue and Mutual Understandings Through Poems
I’m searching for a path to enable world religions to dialogue with and understand one another more deeply and peacefully.
I’ll find great poems in each religious tradition to facilitate mutual understandings between world religions.
That’s my passion and role.
Groningen; 11:03, 5/2/2021
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本日生まれた4曲
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タイトル一覧
6873. 今朝方の夢/今日の活動予定
6874. 形なきもの/ここから
6875. 音声ファイルを作りながら/ロイ·バスカーの書籍より
6873. 今朝方の夢/今日の活動予定
時刻は午前6時半を迎えた。今の外気は7度とのことだが、その数字が示す以上に室内は肌寒く感じる。暖房が自動で入り、部屋を温めてくれている。
今朝方は人探しの夢を見ていた。夢の中で私は、どこか見知らぬ土地にいて、見知らぬ日本人の男性と話をしていた。その人と一緒に誰かを探すということを行っていた。
その土地は欧州のどこかの国のような感じもするし、日本の田舎のような感じもした。その2つが融合しているような不思議な土地だった。辺りにはほとんど誰もおらず、それでいて侘しい感じもしなかった。
今朝方の夢で覚えているのはそれくらいだろうか。夢の中の感覚としては、複雑なものがあったような気がする。探している人が本当に見つかるのだろうかという気持ちの中に、色々な感情が混じっていた記憶がある。夢の中では結局その人を見つけることができなかった。
そう言えば、夢を見ている最中に、夢の中の出来事か光景に対して、「これは現実世界でも見られたものだ」と思っていたのを思い出した。この点において、今朝方の夢は幾分明晰夢的な性質を帯びていたと言えるかもしれない。今朝方の夢について、何かもう少し思い出せないか試みてみよう。
日曜日の朝。辺りはとても静かであり、小鳥たちも休日はゆっくりしているのか、彼らの鳴き声が聞こえてこない。
昨日、ウィルバーのSESの音読が終わり、そこからチャールズ·テイラーの“Varieties of Religion Today”という書籍の初読を始めたところ、ページ数が110ページほどだったので、こちらの書籍の音読も昨日中に終えた。そこから、久しぶりにジェイムズ·ファウラーの“Stages of Faith”を読み返すことにした。
こちらに関しても音読をしながら自分が関心を持つ箇所を読み進めていて、今日中に音読が終わるかもしれない。昨日は、まず巻末のAppendixから読み始めた。今日は本文の残りの箇所を読み進めていくが、目次を見返した際に、とりわけどの章を中心的に読み返すかの目星が付いている。
今日は午後から、先日行われた『インテグラル心理学』の読書会についての補助音声ファイルを作っていこうと思う。すでに参加者の方々からの感想や質問が寄せられていて、それに沿う形でいくつか音声ファイルを作っていく。
次回の読書会に向けての準備や、読書会の中では扱うことのできなかった重要な論点や概念についても音声ファイルを作成していこうと思う。今日もまた充実した1日になるだろう。フローニンゲン:2021/5/2(日)06:46
6874. 形なきもの/ここから
時刻は午前7時半を迎えた。つい今し方洗濯機を回し始めた。洗濯機が止まるまでにあと1時間弱ほどの時間がある。
先ほど朝風呂に入りながら、形あるものはいくつか朽ち果てるということについて改めて考えていた。形あるものには終わりの瞬間がある。一方で、形なきものは、そこに永遠が体現される。
いや、そもそもそれは時間を超えたものであるから、永遠という言葉さえ当てはまらないのかもしれない。永遠という言葉にはどこか時間感覚を漂わせるものがある。
形なきものはそもそも時間の枠組みに入らないのだ。厳密には、形あるものや形なきものを生み出している基底が時間を超えていると言えるだろう。
ここ最近は、そうした基底に触れながら、そして基底すらも超えたものと合一化しているような感覚で日々が過ぎていく。この過ぎゆく日々も、視点によってはそもそも過ぎてなどいないものなのかもしれない。
朝風呂に入りながら天窓を眺めた時、薄青空が広がっていて、なんとも言えない安堵感を得た。平穏な気持ちでぼんやりと空を眺めていると、森有正先生が39歳でフランスに渡ったことを思い出した。
65歳という若さで亡くなるまでの期間、森先生はパリで探究生活を続けた。自分が39歳を迎える頃には、どこにいて、何をしているのだろうかと考えた。その歳を迎えるまでまだ時間がある。かなりの時間があるとも言えるし、その歳を迎えるのもあっという間だという感覚もある。
これから幾度も出発を重ね、度重なる出発の先に、また大きな出発がやって来るだろう。おそらく39歳の自分は、もうこの家にいないだろう。オランダにもいないかもしれない。また新しい土地で心機一転自分の取り組みを日々小さく前に進めている自分の姿が見えてくる。
昨日、書籍の中でイェール の神学者が言及されていたので、イェール大学の神学大学院について調べてみた。イェール大学と並ぶ名門校のハーバード大学の神学大学院とはまた一風異なる雰囲気を持っていることがすぐにわかった。
イェール大学は元々、プロテスタントがリベラル化してしまったハーバードの堕落を見て設立されたという歴史があり——その後、イェール も同様の道を辿り、プリンストン大学が設立される——、意識的か無意識的か、ハーバードの神学大学院とは異なる方向性を持っているのだろう。
どちらかというと、ハーバードの神学大学院にはより実践的な側面が強く、イェールの神学大学院はより学術的な側面が強いように思う。もちろん、どちらも実践と学術的研究の双方を大切にしているのだが、それを重視する割合は半々ではなく、そこに両校のカラーの違いが見て取れるのではないかと思う。
出版物に関しても、やはりハーバード 大学出版とイェール大学出版から出される書籍は随分と色合いが異なる。アメリカにはその他にもシカゴ大学やUCバークレーにも優れた神学校があり、それらの校風もまた随分と異なるのだろう。フローニンゲン:2021/5/2(日)07:48
6875. 音声ファイルを作りながら/ロイ·バスカーの書籍より
時刻は午後7時半を迎えた。今、空に夕日が少しばかり見える。雲の隙間から差し込む夕日を眺めながら、今日を振り返っている。
今日は、先日から始まった『インテグラル心理学』の読書会に関して音声ファイルを12個ほど作成した。本書に記載されている事柄だけではなく、成人発達理論に関する未翻訳の書籍にもいくつか言及しながら色々と話をしていた。
初回を終えて話をしておこうと思った項目についてはまだ話をほとんどしておらず、明日もまた音声ファイルの作成に取り掛かりたい。「一瞬一生の会」の音声ファイルとは異なり、1つ1つ短い時間で話すようにしており、こうした形で話をするのもまた色々と学びが多いことに気づく。
話すことによってしか気づけないことがあり、話してみることによって色々と得られる発見がある。明日にまた音声ファイルを作成することが楽しみである。
昨日から、ファウラーの“Stages of Faith”を改めて音読していた。とりわけ、コールバーグ、エリクソン、ピアジェという代表的な発達論者を架空の世界で対話させる試みによって執筆された章が非常に面白かった。
ピアジェの背景情報については既に色々と知っていることが多かったのだが、コールバーグとエリクソンがどのような経緯を経て人間発達の研究の世界に足を踏み入れたのかがわかるエピソードは読んでいて色々と発見があった。
本書の音読を終えてからは、昨日ダウンロードしたトランスパーソナル社会学の論文を3本ほど読んだ。個人に着目する形で高度な発達段階や意識状態に関する探究をするだけではなく、集合の観点でトランスパーソナルな事柄を扱っていくトランスパーソナル社会学は今の自分の関心領域の1つである。
残念ながら「トランスパーソナル社会学」という名前の付くタイトルの学術書は世の中には存在していないようであり、論文もまだ少ない。そうした中で、ウィルバーの“A Sociable God: Toward a New Understanding of Religion”は、「トランスパーソナル社会学」という言葉を提示しただけではなく、この領域の研究可能性と重要性について言及した貴重な書籍である。本書もまた再読をしておきたいと思う。
その他にも今日は、夕方からロイ·バスカーの“The Philosophy of meta-Reality: Creativity, Love and Freedom”の音読を始めた。本書を読むのは今回が3度目である。
バスカーは、ウィルバーと並ぶメタ理論の提唱者であり、本書は批判的実在論からメタリアリティーについて思想的発展を遂げ、バスカーが「霊的転回(spiritual turn)」を遂げた後に執筆されたことで知られる非常に重要な書籍である。
書籍を読みながら、批判的実在論はウィルバーの発達モデルで言うところの第2層の意識構造によって提唱されたと見ることができ、メタリアリティーはまさに第3層の意識構造によって提唱されたことが見て取れる。
本書で言及されている非二元の思想的伝統をウィルバーではなくバスカーという思想家の目を通して見ていくことによって、本書から得られることは非常に多い。バスカーはかつてサンフランシスコで開催されたインテグラルカンファレンスでウィルバーの思想と自身の思想の接点についても発表を行なっており、その時のことを思い出すと、既にこの世を去ったバスカーの面影が蘇ってくる。フローニンゲン:2021/5/2(日)19:43
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