No.2165 光の吹雪_A Blizzard of Light
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.554, Dream Work
Recollecting the dream I had last night enables me to re-experience the dream and to energize me.
There are a number of symbols in the dream, so I’ll take time to work on them.
Unpacking the meanings of the symbols would also have healing and transformative effects on me.
Groningen; 07:11, 4/25/2021
No.555, My Consciousness
My consciousness is vastly and infinitely open.
Anything can arise in it and from it.
It gently embraces everything.
Groningen; 11:21, 4/25/2021
No.556, Nothing, Everything, and Anything
Nothing arises, meaning everything arises.
Anything arises, meaning nothing arises.
Groningen; 21:36, 4/25/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6852. 今朝方の夢
6853. 夢の再想起/第三層の意識構造とトランスパーソナル社会学の探究
6854. 竹のシンボル/茹で卵/霊的実践と教えに関する翻訳者に向かって
6855. 夕日を浴びながら
6852. 今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。昨日は午前3時半に起床したが、今朝はつい先ほど起床した。昨日と同様に、起床直後に夢を書き留めておくようにしたいと思う。今朝方はいくつか夢を見ていた。
夢の中で私は、日本の名山のどこかにいた。そこは観光地として有名であり、私は様々な人たちが参加する観光グループの中にいて、彼らと一緒にその名山を歩いていた。そこは傾斜が激しくなく、ハイキングにはもってこいの山であった。
私は山の自然をキョロキョロと見渡しながらマイペースで1人で歩いていた。すると、前方に同じくマイペースで歩いている女性の姿を見かけた。すぐにわかったが、それは知人の芸術家の女性だった。
全体の中で私たちが最後尾にいたのだが、2人ともそれを気にせず自然を楽しむことに夢中になっていて、彼女に追いついてからは、話を楽しみながら一緒に歩みを進めた。しばらくするとグループに追いつき、そこで一度全体で休憩を取ることになった。
そこは山の麓の広い空き地のような空間だった。そこで各々軽食を食べたり、飲み物を飲んだりしてくつろいでいた。
空き地の端っこに、見事な竹の木があり、木からぶら下がっている笹が見事であった。それがとても美しかったので、笹を近くで見ようとその知人に声を掛け、一緒にそこに向かい、しばらくその笹の美しさに見入っていた。すると見知らぬ男性が私たちに声を掛けてきて、そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は実際に通った中学校の体育館にいた。そこでバスケの練習を部活のメンバーと一緒に行っていた。私は、とにかくスリーポイントシュートの成功率を上げたいと思い、本格的にその練習に取り組むことにした。
シュートの打ち方を少し工夫してみることにして、またボールも最初のうちはあえて特殊なものを使うことにした。そのボールは大きさは同じだが、少し軽く、シュートが打ちやすいものだった。
1人の親友(HS)もシュート練習に付き合ってくれ、彼と一緒にそこからシュートを打ち込んでいった。スリーポイントシュートの成功率はすぐに高まると思っておらず、これから毎日コツコツと練習に励むことを誓ったところで夢の場面が変わった。
最後の夢の場面では、私は見慣れない街の駐車場にいた。そこで、3人の友人と話をしていた。どうやらこれからある場所に車で向かうことになっていて、2台の車に誰が乗るかを話し合っていた。
1台は友人(HY)が所有するフェラーリであり、もう1台は別の友人(NK)が所有するワゴン車だった。行きはワゴン車に載せてもらったので、帰りはどうしようか考えていたところ、フェラーリを所有する友人が自分の車に乗ったらどうかと声を掛けてくれた。私は一度もフェラーリに乗ったことがなかったので、とても有り難く思った。
彼のフェラーリは真っ白であり、フェラーリの扉が静かに開いた時、中がとても綺麗なことに好印象を持った。私たち全員はそこで一旦別々の車に乗ることになったが、また目的地で落ち合おうと述べた。
今朝方はそのような夢を見ていた。どの夢も情景描写以上に感覚的に記憶に残っている夢である。1つ1つの何気ない場面にも独特の感情や感覚が紐づいていて、今から朝風呂に入る時に、そのあたりの感情や感覚を再度感じてみようと思う。フローニンゲン:2021/4/25(日)07:03
6853. 夢の再想起/第三層の意識構造とトランスパーソナル社会学の探究
つい先ほど朝風呂から上がった。朝風呂に入りながら、先日にフィンランドのラグジュアリーマンションについて調べていたことについて思い出した。
フィンランドのそうしたマンションには、各部屋にサウナが付いていて、それが魅力的に思えたのを覚えている。仮に今後フィンランドで暮らすことになったら、サウナ付きのマンションか家で、毎日サウナを楽しみたいと思う。
やはり起床してすぐに夢を書き出し、そして朝風呂に入りながら再度夢を想起するというのはいいようだ。夢を書き出したことによって、夢のシンボルが明瞭になっていて、種々のワークをしやすい。
特定のシンボルに関する意味を紐解くことも、シンボルや場面から喚起された感情などに向き合うことも非常に行いやすいことを先ほど実感した。今朝方の3つの場面においては、書き出してはいないが、夢の中の自分は口に出してはいない願い、ないしは欲求のようなものがあって、それらについても先ほど改めて向き合っていた。
風呂から上がった時に、そう言えば夢の中で、見知らぬ女性と適度な距離を取って顔を見つめる遊びをしていたのを思い出した。歳はおそらく同じぐらいであり、手に持った紙で顔の一部を隠しながら、表に出ている部分を見て、その視線から相手が何を考えているかを当てる遊びだった。
相手の顔のシワやシミなどに注目して、お互いが何を考えているのかを考えてみると、思わず笑ってしまいそうなこともあった。そのような遊びに従事している場面があった。
今日もまた創作活動と探究活動に打ち込んでいこう。探究活動に関して言えば、ここ最近は第三層の意識構造へ注目することが多くなっている。
段階と状態の区別を明確にしなければならないが、ここ最近の自分の体験と日頃のあり方を見ていると、自ずから第三層の意識構造に着目した探究が生まれてくる。そして高度な意識段階のみならず、もちろん高度な意識状態も含めた探究をしているのだが、個人の意識に注目するだけではなく、ウィルバーがその必要性を訴えた「トランスパーソナル社会学」的な探究にも従事している。
その探究を進めるにあたって、ハーバマスの仕事を参照することが多い。その他にも、現代の霊性を取り巻く社会的な問題について言及している著者の書籍は手当たり次第購入して読むようにしている。
上記2つの項目の探究は今後時間をかけてゆっくりと行っていこうと思う。とりわけ自分の体験と照らし合わせた第三層の意識構造の探究は、自己をゆっくりと深めていく必要があるという都合上、その歩みはゆったりとしたものにならざるを得ない。
第三層の意識構造の特性、及びそこで顕現される病理に注意を払い、同時に下部構造の第二層や第一層の意識段階についても時折意識を向けながらこの探究を進めていこうと思う。小鳥たちの鳴き声がとても美しい。フローニンゲン:2021/4/25(日)08:00
6854. 竹のシンボル/茹で卵/霊的実践と教えに関する翻訳者に向かって
すると、竹は信頼や力強さ、そして回復力(レジリエンス)を象徴していると見ることができる記述されていて、今の自分の状態と照らし合わせてみると、納得感があった。竹のようなしなやかさを持って日々を生きることができている。それに感謝をし、竹のような自分のしなやかさを今後もより一層育んでいこうと思う。
ここ最近はヴィーガンではなくて、乳製品を摂取し、卵も摂取するようになった。特に卵の栄養効果が多大であることに気付いている。
卵を摂取してから、皮膚の再生機能が向上し、皮膚に十分な水分と栄養が行き届いているのを感じる。卵はいつも茹で卵にしているのだが、どうも薄皮が殻に張り付いてしまって、剥きづらく、剥き終わりが凸凹してしまう状態が続いていた。
それをなんとかしたいと調べてみたところ、卵を茹でる際のコツがいくつもあることを知った。1つ目として、卵の尖った方ではなく、カーブが緩やかな方をスプーンで軽く叩いてヒビを少し入れることである。そこには「気室」という空洞があり、そこの空気を少し抜いておくことによって、卵の薄皮が殻に引っ付いてしまうことを防ぎ、殻が剥きやすくなる。
2つ目として、水の温度をじわじわ温めて卵を入れるのではなく——これまではこうやって茹でてしまっていた——、沸騰した熱湯に入れること、そして茹でた後は冷水に浸すことによって、殻が剥きやすくなるとのことだった。昨日は間違って尖った部分にヒビを入れてしまい、白身が少し外に漏れてしまったが、熱湯に入れることと冷水に浸すことが功を奏して、殻がツルッと剥けたことには驚いた。
卵を茹でること1つ取ってみても、こんな叡智が隠されていたとは驚きであり、このリアリティにはまだまだ自分が知らない未知のことが無数に存在していると思い、嬉しくなって思わず笑ってしまった。そのような出来事が昨日にあった。
一昨日にハーバマスの書籍を読みながら、世界の宗教や種々の霊的実践の教えを、神学的な言語体系ではなくて、公共的な言語体系に翻訳しながら、対話を通じて多くの人に共有するという2人称的な実践を行うことが自分の1つの役割なのかもしれないということを思った。
まずは1人称的な体験を積み重ねていくという実践をこれからも続けていき、引き続き種々の学術書を読むという3人称的な観点で霊的実践の叡智を探究していくことを継続させていくが、最終的には2人称的な実践に行き着くであろう。現在の1人称的·3人称的な探究と実践は、そこに向かうためのものである。
霊的実践と教えに関する翻訳者のような役割をこの世界の中で果たすこと。そこに向かって日々歩みを進めている自分を眺めながら、その瞬間瞬間を大切に生きていこう。フローニンゲン:2021/4/25(日)08:36
6855. 夕日を浴びながら
時刻は午後7時半を迎えた。今、日曜日がゆっくりと終わりに近づいている。夕日が燦々と照る様子を眺めながら、1日を振り返っている。
この時間帯はまだまだ西日が強く、もう就寝前にならないと暗くならないぐらいに日が伸びている。あとは気温が上がってくれば、季節が次に移行したと言えるだろう。
今日を振り返ると言っても特に特別なことはない。特別なことはないながらも、そこに充実感と幸福感を感じられることができるということ。それが特別なことだと言えるかもしれない。
ここ最近は毎日何かしらの学術書を音読していて、午後に黙読をしようとしてみると、音読ほど頭に入ってこないことがすぐにわかった。集中して字面を追うことが黙読だと難しくなっていて、音読によって集中状態に入ることが常態化している自分からしてみると、そこに違和感があった。
明日からも引き続き学術書を音読していくが、今日の午後に引っ張り出したいくつかの論文も同様に音読をしていこうと思う。
大きな括りとしては、第三層の意識構造と高度な意識状態に関する探究と、霊性にまつわる社会学的な探究を行っていく。後者はまさに、今朝方の日記で言及した「トランスパーソナル社会学」とでも呼べるような分野である。
先日注文した書籍のうち、まだ届いていないものがいくつかある。それは4月中に大半が届き終わるが、5月に入ってしまうものあるだろう。5月もまた一括して20冊ぐらいの書籍を注文しようと考えている。それらのほとんどは上記の探究項目に関するものであり、合わせていくつか興味深い詩集を見つけたので、それらについても購入する。
明日からはまた天気が良い日が続くようだ。この時期の晴れの日は本当に気持ちがいい。
来週も自分のペースで探究活動と創作活動を進めていこう。明日から始まる新たな週も、きっと充実した週になるだろう。フローニンゲン:2021/4/25(日)19:55
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