No.2162 色の漂い_The Drift of Colors
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.549, Two Layers of Dream Worlds
I had a very impressive dream this morning.
More correctly, I had a stunning dream in a deeper dream world,
and the incredible dream came true in the upper dream world.
Interestingly, I perceived two layers of dream worlds.
I still have a somatic sense about the dream.
I’ll reflect on my experience during taking a morning bath.
Groningen; 04:19, 4/24/2021
No.550, Life and Death
Both life and death might be temporal phenomena.
Eternity lies in, behind, or beyond the notion.
Groningen; 09:12, 4/24/2021
No.551, One of My Roles
One of my roles could be to translate the theological or spiritual language to the public language so that many secular people can gain spiritual and psychological insights from the rich wisdom of world religions.
Groningen; 09:39, 4/24/2021
No.552, Nonduality
Nonduality is like the omnipresent air.
We always inhale and exhale it.
But unfortunately, we just don’t notice it.
Groningen; 10:04, 4/24/2021
No.553, Nonduality as Nonduality
I’m touching the realm of nonduality right now.
Probably, saying that I’m non-dual right now is much more correct.
Going to sleep means that I’m diving into nonduality as nonduality.
Groningen; 21:38, 4/24/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6850. 今朝方の印象的な夢
6851. 変容を迎えて/空気のような非二元性
6850. 今朝方の印象的な夢
今朝は午前3時半に起床した。起床してすぐの今この時間に日記を書き始めた。
この瞬間の気温は3度とのことであり、それほど低くはないのだが、室内が冷えていたので暖房を付けている。ここから午前7時にかけて外気はまだ下がり、そこから緩やかに気温が上がっていく。今日は天気が良いようなので、午後に近所のオーガニックスーパーに買い物に出掛けようと思う。
ここ最近は日記を書くよりも先に朝風呂に入っていたが、今日は先に今朝方の夢について書き留めておきたいと思った。明日からも、朝風呂に入るよりも先に夢を含めて日記を先に書くことにしようかと思う。習慣の微修正をしたい。
今朝方の夢は、国際的に見ればかなり恐ろしいものであったが、夢の中の自分はその恐ろしさに麻痺していたのか、冷静のように見えた。しかし実際には、やはり何とも言えない恐怖を抱えていたように思う。
夢の中の世界ではとんでもないことが起きた。なんと、ロシアがアメリカに原爆を落として攻撃を仕掛けたのだ。場所はサンフランシスコ市内であり、原爆が落とされた場所は、何度も訪れたことのある場所だった。それだけにショックは大きかった。
夢の中の私はそれを予知する夢を見ていた。夢の中の私が朝目覚めた瞬間に、夢の中でアメリカに原爆が落とされた夢を見たと両親に伝えた。すると、そんな馬鹿なと両親は述べたが、テレビをつけてみるとニュースが報道されていて、それが正夢であることがわかったのである。
両親も唖然としていて、朝食を作る母の手は止まっていた。母の動揺は凄かったので、私が代わりに朝食を作った。残り物で簡単に朝食を作り、母はコーヒーすら淹れられないぐらいに動揺しており、代わりに私が淹れた。
夢の中の夢で原爆が落ちた場所は、市内のど真ん中だったが、実際には中心から東に離れた場所だった。それでも市内であることに変わりなく、被害は相当に大きかった。
気がつくと私はサンフランシスコにいた。サンフランシスコの避難所にいて、そこで偶然、小中学校時代の友人(MS)と出会った。彼の母がサンフランシスコで働くことになっているらしく、彼も一緒に引っ越してきたらしかった。
彼はちょうど今日からサンフランシスコ市内で住むことになっていて、このような事態になってしまったことを嘆いていたが、それほど落ち込んではいなかった。友人と私は、暗い気分になることを防ぐためか、気がつけばバスケをしていた。部屋の中に小さなバスケットゴールが1つあり、ゴムボールでバスケを始めたのである。
お互いにしゃがみながらずり足でバスケをしていて、シュートを放っても、お互いに簡単にブロックできた。そのブロックをいかに掻い潜ってシュートを決めるのかがその遊びの醍醐味であった。
ゴール前に彼と同じ姓の別の友人が突然現れ、私は彼にパスを送って、リターンパスをもらってシュートをし、ようやく1点決めることができた。そこで一旦バスケをやめ、友人のこれからの生活について話を聞いた。
彼はサンフランシスコの学校に通うとのことだったが、この様子ではいつから学校が始まるのか見通しが立たないだろうと思った。気がつくと、私は彼と別れ、サンフランシスコの列車の駅の外にいた。
いつもであれば高速道路が上を走っているのだが、それもそこから先が原爆によって崩れてしまっているようだった。救護車を除いて、車の通りがほとんどなかったのである。
サンフランシスコは大きな打撃を受けたことは間違いないが、壊滅とまではいかず、復興作業はもうすでに進められていて、市民は一刻も早く立ち直ろうとしているように思えた。
私は近くのコーヒー屋に立ち寄り、コーヒーでも飲んで一服しようとした。すると、店の外の席に日本人の若者たちがたむろしていて、1人のスマホの画面をみんなで覗き込んでいた。
彼らの様子を見ると、サンフランシスコに留学しにきた学生のように思えたが、ひょっとすると単なる旅行客かもしれないと思った。まだここの住人のようなオーラが出ておらず、よそ者感が漂っていたのである。
店内に席の空きがなさそうだったので、コーヒーを持ち帰ることにし、電車に乗って帰ろうと思った。サンフランシスコを走るBARTという列車の中でも運行しているものがあったので、それに乗ろうと思った。
プラットホームで待っていると、速やかに列車がやってきたが、コロナ対策をしているようであり、マスクの着用が義務付けられているだけではなく、ハンカチかポケットタオルも携帯しているかどうかを乗車前に駅員に確認された。私はマスクとタオルの双方を見せ、列車に乗った。
席に関しても隣の席を空けなければならず、すでに席は随分と埋まっていた。2階席もほとんど埋まっていて、空いている席を探すのに一苦労であった。
無事に席を見つける頃には列車はもう動き始めていて、席に座って窓の外を眺めると、サンフランシスコ湾をゆっくりと進む無数の船が見えた。それらの船の中には救援物資を運ぶものもあっただろう。大きさもデザインも多様な船が無数に湾を埋め尽くす光景は圧巻であった。今朝方はそのような夢を見ていた。
夢の中の夢で見たことが、夢の中で正夢になるということ。それはまさに「正夢」であり、その内容が強烈であったがゆえに、今もまだ夢の中の感覚が自分の内側を流れている。今から朝風呂に浸かりながら、引き続き今朝方の夢と向き合ってみようと思う。フローニンゲン:2021/4/24(土)04:13
6851. 変容を迎えて/空気のような非二元性
時刻は午後8時を迎えた。午前3時半に起床してからいつの間にかこの時間を迎え、今日も1日が充実感と幸福感と共に終わりに向かっている。
振り返ってみると、今日もまた探究活動と創作活動に打ち込んだ1日だった。そこにはもう「打ち込む」というような感覚すらないのかもしれない。それらの活動が、自然な形で自分の日常の中に包摂されている。
探究も創作も、自分はどこかに辿り着くことを望んでいるのではなく、それらの旅をただ純粋に続けたいだけなのだろう。どこにも辿り着けなくていいから旅を続けさせてほしいという思い。そういう思いのほのかな残り香がある。
昨日、ある協働者の方から、新居に移ってから雰囲気が変わったと言われた。以前とどうやら違う自分がいるようであり、それは自分でも薄々気づいていたことである。
変容の時期を迎えた自己。新居での生活は、過去4年半の人生を通じて蓄積してきたことを1つの形として昇華させていく変容の時期であるのと同時に、そこからさらに変容していくための準備の期間なのだと思う。
まずはこの4年半オランダの地で培ってきたことを新たな自己の内側に包摂させていこう。1つの大きな変容を遂げるのに5年近くかかったところを見ると、真の変容とはやはり長大な時間を要するプロセスなのだということが改めてわかる。変容の移行期間のプロセスを焦ることなくゆっくり進めていこう。
昼前にふと、非二元というのは遍満する空気のようなものであることに改めて気づいた。私たちは、絶えずそれを吸い、絶えずそれを吐き出している。ただ私たちがそうした空気のような非二元性に気づかないだけなのだ。
リアリティは絶えず非二元であること。その気づきが意味することはとても大きく、この気づきは明日からの日々をまた違ったものにしてくれるだろう。フローニンゲン:2021/4/24(土)20:11
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