No.2127 夜草_A Night Plant
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.522, With a Paragon of Natural Beauty
A fabulous morning has come.
A couple of little birds are whispering.
Their songs are a paragon of natural beauty.
My daily life is the embodiment of tranquility and peace.
I just appreciate I can live such a life.
Groningen; 07:25, 4/15/2021
No.523, All the Time
I don’t have to meditate, taking a special time,
because I’m doing it all the time.
Once I listen carefully to a birdsong, I can easily go to a deep meditative state.
Every moment in my daily life is replete with contemplation and gratitude.
Also, novelty is always here.
Groningen; 07:28, 4/15/2021
No.524, Self as an Instrument
My self is an instrument for universal peace and enlightenment.
I’ll continue to live my life with the self.
Groningen; 11:58, 4/15/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6827. ほのかな香りが漂う朝に
6828. 涅槃的世界
6827. ほのかな香りが漂う朝に
壮麗な朝がやって来た。時刻はゆっくりと午前7時に向かいつつある。
今朝、起床して2階の仕事場に向かったとき、階段を上り終える直前あたりに、2階のフロアからコーヒーの香りが漂ってくることに気づいた。芳香剤かつ消臭剤として使っている自作のコーヒーの残りカスが良い香りを発していたのである。
それが部屋全体にうっすらと充満していて、さながら早朝のカフェにいるような感覚がした。基本的にこの芳香剤兼消臭剤は、1階のトイレや浴室、そして玄関を中心に置いている。トイレに関しては2つ、浴室には3つ——洗面台の下に1つ、洗濯物を干すためにだけ使っているシャワー室に2つ——、玄関フロアには1つ置いている。
1階とお2階はほぼ同じ広さなのだが、不思議と1階にはそれほどコーヒーの香りが漂っていない。おそらく、芳香作用よりも消臭作用の方が強く働いているのかもしれないと推測される。またそもそも香りは低い場所に溜まるということを聞き、そうであれば2階に上がった瞬間に香りを感じたというのも納得がいく。
いずれにせよ、2階にはもう1つどこかにコーヒーの残りカスを置いて、コーヒーの香りを楽しもうと思う。コーヒーの香りにはリラックス効果があるようなので、その恩恵を受けながら、今日も自分の取り組みに従事していこう。
今朝は起床した瞬間から小鳥たちが鳴き声を上げていた。今日は天気がいいため、朝風呂に入っているときに、朝空がゆっくりと明るくなっていく姿を見ることができた。その光景を浴室の天窓を通じて眺め、小鳥たちの音楽に耳を傾けていると、深い瞑想的な意識状態になった。
そこからは目を閉じて静かに浴槽に浸かっていると、今朝方の夢の断片が思い出されて来た。具体的な内容というよりも、夢の中で出現していたイマージュが再度立ち現れるような感覚があった。まさにそうしたイマージュを司るのはサトル意識の1つの特性であり、自分はサトル意識の状態にあったのだろう。
色としては、オレンジや黄緑色のイマージュが多かったように思う。それらが最終的には溶け合って、また何か1つの新しいイマージュを作り上げていた。まさに差異化を通じた統合化がそこで行われていたように思う。
人間の内側に生じるこうしたイマージュも弁証法的発達を遂げるのである。ここに人間の成長·発達の原形的姿を見る。
内的イマージュがこのように差異化され、統合化されていくのだという様子を観察すると、日々の自分の思考や感覚、そして思考や感覚を生み出す構造がいかように成熟を遂げていくのかがわかってくる。
今朝方の夢の内容に関しては、実のところそれほど覚えていない冒険心をくすぐるようなものだったという感覚がある。一方で、見知らぬ男性と何か真剣な話もしていたように思う。その話のテーマは、重要人物を救出するようなミッションに関するものであり、そのミッションに参加している場面もあった。
場所としては、そこは間違いなく日本ではなかったが、夢に登場していたのは日本人ばかりであった。いや、外国人もいたかもしれないが、彼らもまた日本語を話していたように思う。今朝方の夢は、場所としては欧米優位、言語としては日本優位のものであったと記憶している。
フローニンゲン:2021/4/15(木)07:12
6828. 涅槃的世界
今、朝の8時を迎えようとしている。引き続き静謐な時間が流れている。自己はそこに溶け出していて、そこにくつろいでいる。
なんと美しい鳴き声だろうか。小鳥たちがまだ鳴き声を上げていて、思わず恍惚的な気分で彼らの鳴き声に耳を傾けてしまう。
まさに「聞き入る」という境地。美音を聞き、美音に入り込むという感覚。
美音の中に入り込んでみると、そこにはまた音の原形的な海が広がっている。なるほど、ある単音の中に入り込んでみると、そこには広大無辺の音の大海が広がっているのか。
それはこういうことだろうか。1つの原子を突き詰めていくと宇宙に突き当たるというあの感覚。はたまたウィリアム·ブレイクが述べた、「1つの砂粒に宇宙を見る」というあの感覚。おそらくはそういうことなのだろう。
美音の海にしばらく浸り、再びこちらの世界に戻って来た。なるほど、自分はもはや行きたい時にはいつでもそうした世界に参入できるようである。そのための感覚と感性が開いたようなのだ。
それが開くと、広大無辺の涅槃的世界への入り口が開かれる。あとはその世界に入ろうとせずとも絶えずその世界にいる感覚でこの世界を生きること。そして、この世界そのものをそうした涅槃的世界に変容させていく活動に従事していくこと。それが今の自分、そしてこれからの自分に求められている。
自分の名前に付く「平」という文字は、そうした平穏·平和な涅槃的世界の創造に自己を駆り立てていく。「駆り立て」というよりもむしろ、「後押し」だろうか。いや、もっと良い言葉がありそうだ。
自我の発達が進めば、自我にまつわる物語もまた複雑なものになっていく。日々このようにして日記を執筆することは、自我にまつわる物語をより精緻なものに、そしてより豊かなものにしていくことにつながっているように思う。
日々を綴るという何気ない行為は、気づかない形で自我の成熟を促していたようだ。こうした地道な実践が、いつの間にか涅槃的世界への扉を開いた。
厳密には、まずはそうした世界があることを教えてくれ、その扉を見せてくれ、そしてその後に扉を開くというプロセスがあったように思う。いずれにせよ、今この瞬間にやって来た言葉を作為的な意思なしに書き留めていくということは、ある種の秘技のようだ。
それは誰でも実践できる、そして誰にとっても実りある秘儀かと思う。ここに、顕教と密教が本来表裏一体のものであることを見る。
文章の執筆は、密教的な実戦であるのと同時に顕教的な実践であり、それは顕教的な実践であるのと同時に密教的な実践なのだ。この実践を続けていった先に開かれていく世界。それはさらに深い涅槃的世界なのだろう。そして、そうした世界に参入する過程で得られた種々の事柄を、こちらの世界に還流させて行くことが自分が果たすべき役割の1つである。
こちらの世界も本当は涅槃的世界であった。その状態に還って行くこと。それは決して退行的な意味ではなく、進化的な意味としてこちらの世界を涅槃的な世界にしていくこと。それが自分に課せられた1つの使命かつ天命のように思えてならない。
小鳥たちの鳴き声は、早朝の晴れたフローニンゲンの空に向かって昇って行く。肉眼で決して見えない彼らの鳴き声は、天龍のように空に舞い上がっていき、空を突き抜けて宇宙に還って行く。フローニンゲン:2021/4/15(木)08:12
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