No.2033 神秘の玉座_A Throne of Mystery
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.468, A Living View from My Study
I’ll move out of this apartment next week.
I’ll miss a view from my study very much.
Since the outside world is constantly changing, a view from my study looks like living.
It is a living painting!
The aliveness of the view has always given me encouragement and vital energy for the last five and half years.
I’ll fully enjoy a view from my study for the rest of the days so that I will regret nothing.
Groningen; 07:32, 3/24/2021
No.469, Going Beyond Boundaries
Going beyond boundaries that the language-oriented ego construct, the self becomes purer and comes closer to the essence.
By the way, why does the ego prefer boundaries so much?
One of the reasons could be that the ego wants to protect itself.
And why does the ego want to protect itself?
What does it fear?
Groningen; 21:11, 3/24/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6759. 見納めとなる書斎からの景色/今朝方の夢
6760. 眺めの履歴/利他的な欲求/今朝方の夢の続き
6761. 学習・実践コミュニティーの有り難さ/引っ越しに伴う2つのフィードバックループ
6759. 見納めとなる書斎からの景色/今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えようとしている。辺りはもうすっかり明るくなっていて、朝日がほのかな輝きを地上に送り届けている。
今日の小鳥たちの鳴き声は清澄でありながらも少しばかり甲高く聞こえる。それは今の自分の心の状態を表しているのかもしれない。
いよいよ来週の今日、この家を後にして新居に引っ越す。引っ越しの開始は朝の10時からである。
書斎の窓から見える景色も、あと一週間で見納めになってしまうのだと思うと、一瞬一瞬目に飛び込んでくるこの景色の尊さが増す。
今から30分前にはもう朝日が随分と昇っていて、通勤や通学のために自転車に乗っている人たちが自転車を一生懸命漕いでいる姿を眺めていた。誰もがその人なりに懸命に生きているということ。先ほどの光景は、その真実を描写していた。
窓から見える景色は、赤レンガの家々と空を背景にした生きた絵画作品である。この作品を眺められることはあと1週間だけであり、それ以降の人生においてはもう2度とこの作品を眺めることはできない。
記憶の深層部分にまで染み込むように、自己の髄にまで染み込むように、残りの1週間において、この生きた絵画作品を感謝と共に堪能しようと思う。
今朝方の夢について少しばかり振り返っている。最初の夢は、少しばかり嫌な夢だった。
夢の中で私は、実家のすぐ近くの駅構内にいた。厳密には、プラットホームの上にいた。
私は友人と共に列車を待っていたのだが、友人が少しばかりいたずらをしようと持ちかけてきた。何やら線路に物を投げ込み、列車を停止させるというものである。それは随分と迷惑かつ危険ないたずらだと私は思ったが、特に止めもせず、彼がどのような行動に出るのかを観察することにした。
するとすぐに列車がやってきた。それは通過列車のため、とても勢い良くこちらに向かってきていた。
友人は、絶妙なタイミングを見計って、線路に物を投げ込んだ。すると、列車は急ブレーキを掛け、けたたましい音がプラットホーム内に響いた。
物を投げ込んだ友人の方を見ると、なんと彼は透明人間になって消えてしまった。このままだと、プラットホームに残っている私が犯人扱いされてしまう恐れがあった。
すると案の定、私が犯人だと思った係員たちがこちらに駆けつけてきた。私はたまったものではないと思って、その場から逃げ出した。おそらく逃げ出すよりも事情を説明した方が良かったと思ったが、もう反射的に自分の体が動いていたのである。
列車の事故の容疑を掛けられ、まるで犯人扱いになった私は、すぐに駅から外に出ようと思った。すると、駅構内にアナウンスが響いた。何やら、列車の停止事故の犯人を捕まえるまでは、構内から誰も外に出られないとのことだった。
ただし、それに付け加える形で、ある一定のカネを払えば駅に出られるとのことだった。まるで保釈金かと思ったが、それを払ってでも私は外に出たいと思った。
すると偶然ながら、駅のロータリーに両親がちょうど車で迎えに来てくれた。私に容疑が掛けられていることをまだ知らない駅員にカネを渡し、駅の外に出て、両親の車に飛び乗った。
すると、駅構内にいた中学校時代の後輩が、私のことを犯人だと思っていたため、私が飛び乗った両親の車のナンバープレートの番号を覚えようとしていた。私はそれを防ぐために、急いで車を出してもらうように父に伝えた。
自分は今回の事件に直接的に関わっているわけではないのに、とんだとばっちりを受けたものであると思ったところで夢の場面が変わった。夢の最中もそうだが、夢から覚めた後も、少しばかり後味が悪いものがあった。
夢から覚めた後、しばらくこの夢について振り返っており、自分の心が安堵してから再び眠りの世界に戻っていった。この夢のシンボルの意味についてはもう少し色々な角度から紐解いてみよう。フローニンゲン:2021/3/24(水)07:19
6760. 眺めの履歴/利他的な欲求/今朝方の夢の続き
心と脳がくつろいでいるのを感じながら、書斎の窓から見える景色を眺めている。くつろぎをもたらしてくれるのはその眺めなのだろう。
5年半毎日見続けてきたこの眺め。眺めに刻み込まれている歴史。
そうなのだ、眺めというものも歴史を持つのである。それもまたコスミック·アドレスの1つである。
眺めの歴史はスナップショット的でありながら、同時に堆積もされていく。一過性と永続性の双方がそこにある。
堆積された眺めは、豊かなことを語ってくれる。この5年間、自分が毎日何を思い、何を考えながら生きてきたのか。それらの総体と細部が目の前の景色に宿っている。
今日は朝から晴天であり、空には一点の雲もない。心も自ずから晴れ渡っていく。
来週の水曜日から始まる新居での生活。それは今よりもさらに静寂さに包まれた環境であり、そこから本格的に自分の探究活動と創作活動が始まるような気がしている。
この5年半は準備の期間だったのだ。自分にとってみれば、準備に5年半の歳月が必要だったのである。
ここからは、もう思う存分に探究と創作に打ち込んでいく。今よりももっとである。
見かけ上の投入量は今と変わらないかもしれないが、活動を行う自己がもう別人となるだろう。5年半の歳月を通じて構築された自己との別れ。それは必然的な別れであり、それを経て、自分は今新たな自分として生まれ変わろうとしている。
それではこれから早朝の作曲実践をして、昨日から音読し始めた書籍の続きを音読していく。音読をしながら本を貪り読んでいくこと。それは欲望の一種から行われていることかもしれないが、その欲望はこれまでとはまた違う次元にあるものである。
実存的欲求を超えて、この世界に自分なりの貢献をしようとする欲求がそこにある。「無私無欲なる欲求」という相矛盾するような表現が妥当かもしれない。あるいは、「利他的な欲求」とでも言えるようなものが自分の内側に渦巻いている。
先ほど今朝方の夢について振り返っていた。実は夢にはまだ続きがあった。
夢の中で私は、城と公園が一体になった場所にいた。その城は大阪城ぐらいに立派なものだった。
時刻は夜であり、私は城の周りの道路を散歩することにした。ちょうどバスケの試合が近づいているので、バスケットボールを地面につきながら、ドリブルの練習を兼ねて散歩することにした。
城の周りの道路には街灯がポツポツと備え付けられていて、なんとも言えない薄明るい感じがあった。道路をしばらく歩いていると、前方に予備校時代の友人が1人で歩いていることに気づいた。
私は彼の方に向かって走り出し、彼に声を掛けた。すると彼は、久しぶりの再会を喜びながらも驚いているようだった。まさかこんな場所で、こんな時間に再会するなんて思って見なかったようなのだ。
彼と少しばかり会話をして別れると、引き続き私は道路をドリブル練習しながら歩き始めた。すると今度は、私を呼び止める声が後ろから聞こえた。振り返ると、中学校時代の女子バスケ部の後輩2人がこちらに向かって走ってきていた。
私はその場で立ち止まった。彼女たちが私のところまでやって来ると、なぜか彼女たちは私にサインを求めてきた。お互いに書くものを何も持っていなかったので、結局サインはできなかったのだが、そこからは彼女たちと話しながら道路を歩いて行った。
しばらく歩くと、工事をしている箇所に差し掛かり、気がつけば時刻は朝方になっていて、朝日がうっすらと見え始めていた。私は彼女たちと別れる際に、今度男子バスケ部の後輩と練習試合をよろしくとお願いした。彼女たちはそれを笑顔で快諾してくれ、そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2021/3/24(水)08:04
6761. 学習・実践コミュニティーの有り難さ/引っ越しに伴う2つのフィードバックループ
時刻は午後8時を迎えた。今日という1日がゆっくりと終わりに向かっている。
振り返ってみると、今日もまた固有の充実さを持った1日であった。午前中には、アントレプレナーファクトリーさんと協働して開催しているアンバサダーコースの定例ミーティングがあり、参加者の皆さんとインテグラルライフプラクティスについて学びを共有させていただいた。
ミーティング終了後、ミーティングを補足するための音声ファイルや、アントレプレナーファクトリーさんと協働で作った動画コンテンツを視聴してくださった方々からいただいた質問に対して音声ファイルを作成していた。
午後に音声ファイルを作成していると、気付けば入浴の時間がやって来て、入浴中にも音声ファイルで補足しておきたいテーマが見つかったので、入浴後にも音声ファイルを作っていた。結局、合計で12個ほどの音声ファイルを作る形になった。
「一瞬一生の会」においても参加者の皆さんが執筆しているリフレクションジャーナルに対して音声ファイルを通じてコメントさせていただいていたり、毎月の会の終了後に、会の内容を補足する形で音声ファイルを作っている。自分の中ではいつも即興的に音声ファイルを作成するということが、自分の学びや実践を加速させてくれているように実感する。
今後も、アントレプレナーファクトリーさんが提供する動画コンテンツの視聴者の方々や、アンバサダーコースに参加いただいている方々、そして一瞬一生の会に参加してくださっている方々との交流を大切にしたい。そこでの交流は、「私たちの実践(“we practice”)」であり、そうした交流の場は、サンガであり、学習·実践コミュニティーとしての働きをしてくれている。
今朝方、住環境を変えることによる現象について考えていた。端的には、住環境を変えることによってもたらされる揺らぎは、自己強化型のフィードバック(ポジティブフィードバック)として作用し、新しい生活に順応していく過程では、バランス型のフィードバック(ネガティブフィードバック)が働き、自己システムは安定に向かう現象が見られることについて考えを巡らせていた。
健全な発達を実現させていく際に、2つのフィードバックのバランスが重要になり、新居への引っ越しに際して、揺らぎと安定が程よく混ざり合うように配慮をしていこう。
転じて、社会に視点を向けてみると、今日見た映画作品の中でも描かれていたように、現代社会というものが、自己強化型のフィードバックを通じて社会情勢が悪化している様を見る。社会というのは落ちるところまで落ちないと変革できないのだろうか。
今、種々の問題が絡み合う形で生まれているスノーボール効果が極値に近づきつつあり、それを通じて社会が大きな痛みを伴いながら、次の文化構造·社会システム構造を生み出そうとしているようにも見える。そのようなことを考えている時間が本日あった。
今日はまだ4曲ほどしか作っていないので、これからもう1曲作り、いつものように就寝前にも少しばかり絵を描いてから1日を終えたいと思う。創作活動に始まり、創作活動で終わる形で今日という日を終えていこう。フローニンゲン:2021/3/24(水)20:26
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