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6756-6758: アートの国オランダからの便り 2021年3月23日(水)


No.2029 夜光仙人_A Noctilucent Hermit

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.465, A Meditative State of Consciousness

A couple of little birds are whispering silently.

Listening to it, the state of my consciousness naturally becomes meditative.

It is natural but at the same time altered.

Creativity, healing, and transformation occur from that state of consciousness.

Groningen; 06:15, 3/23/2021

No.466, The Importance of Identifying a Specific Address in the Epistemological and Ontological space

Any perspective and question has a specific address in the epistemological and ontological space.

In order to communicate with others smoothly and deeply, we need to identify the location in the space.

If we fail to do so, miscommunication and misunderstanding would happen.

Groningen; 14:13, 3/23/2021


No.467, Unpredictable Transformation of the Information Society

This information society transforms day by day.

Nobody knows exactly what it will look like in the near future.

Because the transformation is unpredictable.

Our information society is a collective intelligent creature whose direction of the transformation is unforeseeable.

Groningen; 14:17, 3/23/2021


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本日生まれた6曲

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タイトル一覧

6756. メタクライシスの時代/ある書籍の思い出/ 「私たちの実践」の尊さ

6757. 今朝方の夢

6758. 幸せの隠れ家/問いを立てるという創造行為/固有のアドレス


6756. メタクライシスの時代/ある書籍の思い出/ 「私たちの実践」の尊さ


時刻は午前6時に近づいている。外の世界に数羽の小鳥たちの鳴き声が静かに響いている。彼らの鳴き声を通じて、意識は観想的な状態になる。


昨日、改めてウィルバーの書籍を含め、インテグラル理論関係の書籍を再読していることについて考えていた。1つ重要な点として、現代がメタクライシスの時代だということが挙げられるかもしれない。


現代社会の様々な領域における種々の問題がメタ的なものになってきており、そうした問題を解決していくためには、問題の表層ではなく、メタ的な構造そのものに働きかけていく必要がある。巷で言われる問題の高度化·複雑化というのは、問題の多階層化·メタ化であり、現代の諸問題に対して治癒と変容をもたらすために、インテグラル理論が果たす役割は極めて大きいことを改めて思う。


そのようなことを考えながら、昨日からラナマ·マハリシの“The Collected Works of Ramana Maharshi”という書籍を読み始めたことを思い出す。こちらの書籍は初読であり、今は黙読しているが、再読時には音読をしようと思う。


マハリシのエッセイと詩が収められた本書から得るものは多く、音読をして1つ1つの事柄をゆっくり理解したいと思ったのである。今日から音読を始めるのは、“Mutual Causality in Buddhism and General Systems Theory: The Dharma of Natural Systems”という書籍だ。本書は、仏教と一般システム理論を架橋させた非常に興味深い書籍である。


さらには、本書には忘れられない思い出がある。先日、引っ越しに向けて本棚を整理している時に偶然手に取った本書は、今から9年前にジョン·エフ·ケネディ大学に留学ていた時に出会ったものであることを思い出したのである。


この書籍は、大学図書館の古本売り場に置かれていて、1ドルで購入した。大変な良書が破格の値段で購入できたことを喜んでいた当時の自分を懐かしく思い出す。


仏教の教えと実践は、インテグラル理論で言えば3つの象限(真善美)を全て包摂しており、本書はとりわけシステム理論の観点から、真を司る仏法(ダルマ)に焦点を当てたものだ。


より具体的には、タイトルにもあるように、相互因果(mutual causality)を中心に、仏教における因果や縁起の思想について一般システム理論の観点から紐解いている。


ちょうど先日の「一瞬一生の会」の中でシステム理論を取り上げたこともあり、本書に関心が向かったのかもしれない。仏教思想への関心と相まって、本書を音読することにした。


昨日にはその他にも、改めて「私たちの実践(“we” practice)」の尊さについて考えていた。この実践としては、上述の「一瞬一生の会」やアントレプレナーファクトリーさんと行っているアンバサダープログラムなどがあり、他者と共に学びと実践を深めていくことの大切さを思う。


現在の自分の探究や実践を支え、より豊かなものにしてくれているそうした場を今後も引き続き大切にしていきたい。フローニンゲン:2021/3/23(火)06:12


6757. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。先ほどに引き続き、小鳥たちが静かに鳴き声を上げている。いつものように絵を2枚ほど描き、1つ詩を作って今に至る。ここから早朝の作曲実践を始めていこうと思う。


創作活動が自分の意識と脳の組成を変化させているのは言うまでもないが、それ以上に、やはり創作活動がもたらしてくれる日々の充実感に目を当てたい。


今となっては、創作活動のない日々の生活は想像できないぐらいである。今日もまた創作活動と読書を行き来しながら時間を過ごしていこう。


今朝方の夢について少しばかり振り返っている。今朝方の最初の夢は、幾分恐怖心を伴うものだった。


夢の中で私は、見慣れない野原にいた。その野原には鉄棒のような長いポールが置いてあって、私はそのポールの上にいた。


ポールを伝って歩いていると、野原に数多くの蛇がいることに気づいた。種類も様々であり、危害を加えないヘビもいれば、毒蛇もいた。中にはコブラのような蛇もいた。色に関しても様々であり、白い蛇が物音を立てずにじっとしている姿も上から見えた。


野原に落ちないようにしばらくポールの上を歩いていると、蛇は生きているものと死んでいるものが混ざっていることに気づいた。そうした気づきが芽生えると、ポールの終わりに近づいてきていた。


そこからはどうしても野原の上を歩いていかなければならず、意を決して野原にジャンプすることにした。すると蛇の上に落ちてしまい、蛇が怒って噛みつこうとしたところでハッと目を覚ました。


時刻を確認すると午前2時ちょうどだった。そこから私は、少しばかりその夢についてベッドの上で振り返っていた。そして、再び夢の世界の中に入ってみようと思った。すると、次の夢が現れた。


次の夢は、実際に通っていた丘の上にある高校が舞台になっていた。私は高校で初めて知り合った野球部の2人の友人と、野球部の部室近くで話をしていた。話の内容は大学進学に関するものであり、2人は私の勉強を応援してくれていて、随分と励ましをもらった。


すると夢の場面が小さく動き、私は小中高時代の友人(SS)と会話をしながら、サッカーのパス交換をしていた。体はパス交換をしているのだが、彼との会話はなぜかどこかのデパートのエスカレーターで行っていたというとても不思議な体験をしていた。


つまり、物理的な身体はサッカーグラウンドにあるのだが、意識とそれに対応する想像空間上のサトルボディはデパートにあったのである。このチグハグな現象はとても興味深く、それでも整合性を持ってサッカーと会話の双方を行なっていたことが印象に残っている。フローニンゲン:2021/3/23(火)06:51


6758. 幸せの隠れ家/問いを立てるという創造行為/固有のアドレス


時刻は午後の7時を迎えた。今、辺りが闇に包まれつつある。振り返ってみると、今日もまた非常に充実した時間を過ごしていた。


夕方近くに街の中心部の市場にジョギングがてら向かい、買い物と運動の双方を行うことができた。市場で買い物をする前に、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に立ち寄り、プレゼントとしてBlu-RayやDVDを渡した。


店の扉を開けた時、ちょうど前の客が帰ろうとしていたところだったので、タイミングとしても絶妙であった。非常に背の高いオランダ人の客と3人で、渡したBlu-RayやDVDについて話をしていた。


今回はアメリカやイギリスのテレビドラマの作品が多く、1つ1つについて簡単に紹介したところ、いくつかはメルヴィンも前から見たいと思っていたものらしかったので、贈り物をした甲斐があった。


3人でしばらく雑談を楽しんだ後、別れを告げて、市場のオーガニック野菜専門店に行っていつものものを購入した。こうした些細な事柄の中にも幸せを感じる。


幸せとは、何か大きな出来事の中に存在しているのではなくて、日常の小さなことの中に含まれているものなのだろう。幸せは隠れん坊をしているのだ。


私たちはそっと隠れている幸せを見つけてあげればいいのである。そのためには、私たちの心にゆとりが必要であり、幸せに気付くための意識が必要になる。


そうしたゆとりや気づきを涵養していくこと。ゆとりが圧迫され、気づきの意識を濁す情報過多の現代社会において幸せを見つけていくには、それが鍵を握る。


今日もまた、1つ1つの創作を楽しんでいた。創作において、何よりも楽しむということが大切になる。


絵画の創作にせよ、詩作にせよ、作曲にせよ、そこに楽しさと喜びがなければならない。もしそれらがないのであれば、それはどこか間違っているのだ。


真に自己を治癒し、変容をもたらしてくれる創作とは、必ず楽しさと喜びが内包されていて、それが自然に溢れて来るものなのだ。


夕方にふと、問いを立てることそのものも実に創造的なアクションなのだということを改めて思った。問いは創造的な生き物であり、ある瞬間に生まれたそれは、唯一無二の存在である。


何かの縁によってその瞬間に生まれた問いには、固有の命が宿っている。1つ1つの問いは、その場限りのものであり、それは創作物の性質と全く同じである。


そのようなことを考えていたことを思い出す。最後にもう1つ、問いや観点には、認識論的空間及び存在論的空間に固有のアドレスを持つことについて考えていた。


ウィルバーの言葉で言えば、それは“Kosmic Address”と呼ぶことができるだろう。いかなる問いも観点も、全象限·全レベル、全タイプ、全状態、全ラインの特定のアドレスを持っている。


そのアドレスを特定しないままコミュニケーションを行えば、早晩そのコミュニケーションは失敗に終わるだろう。相手を深く理解し、深いコミュニケーションを実現させるために、対話の中で1つ1つの自分及び相手の発言が持つ固有の認識論的·存在論的アドレスを特定することの大切さを改めて思う。フローニンゲン:2021/3/23(火)19:35

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