No.1979 霊綿_Cotton of a Spirit
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.412, Lavenders in the Sky
The morning glow looks light purple.
I feel as if I’m seeing lavenders in the sky.
My mind becomes mild naturally.
Groningen; 06:54, 3/10/2021
No.413, A Whisper from the Higher Self
The higher self is whispering something for me.
It is always doing so.
Whether I can hear it or not totally depends on me.
Groningen; 10:57, 3/10/2021
No.414, The Purest Words
The purest words are beyond the dichotomy between signifier and signified.
They don’t necessarily have meanings.
Yet, they have meaningful power on our psyche.
Groningen; 14:24, 3/10/2021
No.415, A Storm
A storm came.
It is composed of imaginative associations.
The self enjoys being in the middle of the storm.
Groningen; 15:18, 3/10/2021
No.416, A Real Traveller
A traveller goes on a trip.
Yet, he or she never returns as the same person.
Because he or she becomes different one after the trip.
That is the process which a real traveller experiences.
Groningen; 15:37, 3/10/2021
No.417, The Secret Garden
Abundant words and symbols come and go in my consciousness.
They create the vast ocean and the infinite universe.
Yet, I wish to go somewhere else.
Please let me go back to the garden of no words and symbols.
Groningen; 15:48, 3/10/2021
No.418, A Map-Remaking Activity
The more I create something, the wider and finer my map of reality becomes.
Creating something is a map-remaking activity for me.
Groningen; 20:44, 3/10/2021
No.419, The Relationship Between a Meaning and a Word
In essence, any meaning is alien to a word.
It may sound odd, but it is the essential nature of the relationship between a meaning and a word.
Groningen; 20:56, 3/10/2021
No.420, The One & the Loss of Meaning
The One demands the loss of meaning.
It becomes manifest once any meaning is dropped off.
Groningen; 21:00, 3/10/2021
No.421, Eternity & Writing
Eternity makes me write something.
Rather, it writes itself.
Eternity writes itself because it is eternity.
Groningen; 21:14, 3/10/2021
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6724. 実存的·霊的転換体験/今朝方の夢
6725.「果分可説」的な事態/共約不可能性の重要性
6726. 非二元的読書体験
6724. 実存的·霊的転換体験/今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えようとしている。先ほどまで少しばかり小鳥たちの鳴き声が聞こえていたが、今は聞こえていない。
この家で過ごせる時間が刻一刻と減っている。あと20日ほどで引っ越しの日がやってくる。そこから自分はまた新たな出発を行う。
昨夜改めて、一介の商人だったムハンマドが実存的·霊的転換体験を経て、預言者になったことについて考えていた。時代は違うが、自分もまた企業社会に身を置いていたところから同種の体験を経て現在に至ったことにふと思いを巡らせていた。
今年はまた何か小さな、それでいて大きな意味を持つ転換を図る年のように思えてきている。住む場所を変えるというのは、実は大きな意味を持っていて、変化の触媒としての作用をもたらすように思える。
変容後の自分の姿は決して今この瞬間にわかることではない。毎日をいつものように生きていこう。淡々と流れる流れぬ水のように。
今朝方もまた少しばかり記憶に残る夢を見ていた。夢の中で私は、どこかの山の中にいて、山が開かれた場所にあるプラネタリウムの建物の外にいた。
トイレ休憩を兼ねて、建物の中に入ってみようと思い、中に入ると、ちょうど私が建物の中に入るのに合わせて、そのプラネタリウムの管理人と思わしき男性も一緒に建物の中に入った。客用と管理人用の入り口が違ったので、その男性の姿は遠くから確認できた。
風貌がどこか山男のそれであり、年齢は結構な歳をいっていた。その男性が建物に入るのを追いかけるかのように、犬を連れた小さな男の子が管理人用の入り口から建物の中に入っていった。どうやら彼は、管理人の息子のようだった。
建物の中に入ると、そこはプラネタリウムというよりも、劇場のような作りになっていて、ステージを起点にして傾斜のある構造になっていた。客席の方を見ると、客がまばらに座っていて、これから何か劇でも始まるのかもしれないと思った。
私はあまりその劇に関心がなく、トイレを済ませてその場を後にしようと思った。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私はコンサートホールにいた。コンサートホールに隣接した体育館で、これからバスケの試合に参加することになっていたが、コンサートホールで貴重な楽器やクラシック音楽関係の貴重な商品が購入できるとのことだったので、私はその場にいたのである。
私の横には、小中高時代の友人(SS)がいて、彼は何か笛を購入したいと述べた。彼が楽器の演奏をすることに関心があるとは知らなかったのだが、楽器を演奏することは人生を豊かにしてくれるだろうと思ったので、私は彼の楽器選びに付き合うことにした。
そこに置かれている貴重な品々は私の関心を引き、楽譜か何かを購入して帰ろうかと思った。すると突然、私はどこか別の場所に瞬間移動していた。
無の空間。周りには何もなく、隣には先ほどとは異なる別の友人(HO)がいて、どういうわけか彼にある物の製造原価を計算する方法について教え始めた。
管理会計を学んでいた知識が思わぬ形で役に立ち、彼もその計算方法をゆっくりとだが着実に理解してくれたようだった。フローニンゲン:2021/3/10(水)06:16
6725.「果分可説」的な事態/共約不可能性の重要性
時刻は午前9時半を迎えた。先ほどまで小鳥たちの静かな鳴き声が聞こえていた。今の天気は曇りだが、早朝に引き続き、静けさが辺りを覆っている。
こうして日記を綴っていると、とても落ち着いた気持ちになる。絵画の創作や作曲においても、そうした落ち着いた気持ちになる。内側にあるものを外側に形としていくことの効能をそこでも感じる。
日記の執筆の最中にせよ、その他の創作活動に従事しているときにせよ、空海が述べた「果分可説」的な事態、すなわちコトバを超えた世界そのものが自らコトバを語り出すというような事態が起こっている。
日記の執筆においても自らのコトバが自発的に溢れ出し、絵画の創作や作曲においても自らのコトバが自発的に溢れ出す。そうした現象を見る。
自我が自己や大いなる存在とのつながりを失うことによって、自己疎外と自己喪失を経験するという点について。それは、現代人の多くが患っている病理でもある。
つながりの回復。それは個人においても集合においても重要な課題として現代にのしかかっている。
分離による疎外。分断を乗り越えていくための探究と実践にこれからも力を入れていく。
その他にも雑多なことを考えていた。単に共約可能性を探るだけではなく、共約不可能性に着目することが真の対話と真の統合において重要なことである。自らの認識の枠組みを押し広げていく際にも、共約不可能性が鍵を握る。
そうした共約不可能性をどれだけ認識し、それをどれだけ保持することができるか。異質な存在を通じた弁証法的発達とは、そうしたプロセスのことを言うのだ。
自らに共約できないものを発見し、それをできるだけ包摂していこうとすること。その葛藤的な行為を通じて人は成長を遂げていくのだろう。
それでは今から少しばかり読書をし、作曲実践をしてから曲の原型モデルの創作に取り掛かりたいと思う。どこかのタイミングで先ほど見始めた映画を全て見終えよう。フローニンゲン:2021/3/10(水)09:53
6726. 非二元的読書体験
静けさと共に始まり、静けさと共に終わりに向かっていく毎日。そんな日々が永遠の様相を帯びて続いている。
今月末からの住居の変化。自分が変わることは環境が変わることなのかもしれない。また逆に、環境を変えることは自分が変わることなのかもしれない。すなわち、自己が環境を変え、環境が自己を変えていくという相互的な関係が成長にはつきものなのかもしれないということが見えてくる。
あと20日後から始まる新居での生活は、自己をまた変化させてくれるに違いない。そうした期待感がある。
引っ越しの準備もひと段落したのだが、最後の詰めとしての作業を今週末の土日にでも行おうかと思う。具体的には、論文や衣類を詰めていくことである。
詩集や何冊かの書籍に関しては引っ越しの直前まで読みたいと思っているので、それらはスーツケースに入れる前提を持っておく。また、3つの絵画作品のうち、大きなスーツケースに収まる2つの作品については、スペースを早めに確保しておきたいので、それらの作品はもうスーツケースにしまってしまおうかと思う。
今夜はまだ少し時間があるので、ウィルバーの書籍の音読をもう少し行い、その後に、詩人の西脇順三郎の詩や思想について解説した“The Poetry and Poetics of Nishiwaki Junzaburo”の続きを読み進めていこうと思う。本書は今日から読み始めたのだが、食い入るように読み進めることができており、今夜中に初読が終わりそうだ。
明日、そして明後日、さらには来週の初旬にもう4冊ほど書籍が届くのだが、それらについても初読を一気に進めておこうと思う。
最近は再び砂漠に水が染み込んでいくかのように書籍を読んでいる。今はそういう時期にあるのだ。
そういえば、上記の書籍を午後に読んでいるときに、不思議な体験をした。自分が書物と一体になっている感覚があったのである。それは「非二元的読書体験」とでも形容できるものだろう。
最近は、日々の創作活動においてもそれが起こっているように思える。まさか読書においてもそうした体験をすると思わなかったが、今は日々の探究活動と創作活動の双方が意識の状態変化をもたらす実践になっていることに気づく。それが自分の変化をさらに後押ししてくれている。
明日もまた非二元的な探究活動と創作活動に精を出していこう。その先に、まだ見ぬ自己の姿が待っている。フローニンゲン:2021/3/10(水)19:57
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