No.1970 朝の砂丘_A Dune in the Morning
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.397, Beyond Polarities
Truth exists beyond any polarities.
I’m there, too.
Groningen; 06:01, 3/8/2021
No.398, An Imaginary but Real Story
An imaginary story sometimes or often becomes real.
Then, a new imaginary story emerges which becomes real, too.
In this sense, there might not be any imaginary stories in this world.
Groningen; 09:01, 3/8/2021
No.399, Dangerous and Pathological Emptiness & Real One
Emptiness without Form is dangerous and even pathological.
Emptiness with Form is real non-duality.
Groningen; 09:33, 3/8/2021
No.400, Unity with Cosmic Habits
I’m always in cosmic habits.
Any of my habits are those of the cosmos.
The more harmonious my habits are with those of the cosmos, the more I can be united with the cosmos.
Groningen; 19:45, 3/8/2021
No.401, Creo Ergo Sum
I create, therefore, I am.
Groningen; 20:50, 3/8/2021
No.402,The Creative Wonderland
After taking a deep breath and concentrating on my consciousness, I can enter the undifferentiated vast realm of reality.
Everything including my true self exists there.
Everything comes from there.
It is the creative wonderland.
Groningen; 21:01, 3/8/2021
No.403, Everything as Nothing, Nothing as Everything
Once I go beyond the rational realm, I notice that everything is empty.
Yet, everything exists there, or anything can emerge from there.
Everything is waiting as nothing in the void space.
When one “nothing” come to the fore in the rational realm, it seems to exist.
Groningen; 21:13, 3/8/2021
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本日生まれた5曲
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タイトル一覧
6714. 今朝方の印象的な夢
6715. 注釈と「正しい誤読」/見えない2つの牢獄
6716. 統合的段階を語ることと体現することの違い
6717. 3ヶ月半ぶりに
6718. コスモスの習慣と調和して
6714. 今朝方の印象的な夢
時刻は午前5時半に近づいている。今朝は、起床した4時半から小鳥たちが鳴き声を上げ始めていた。今は彼らの鳴き声が少し落ち着いているが、もうしばらくしたらまた鳴き声が聞こえてくるだろう。
早朝に、彼らの鳴き声を聞きながらヨガを行い、ひと時の間を静かに座して過ごすことはとても心地良い。座禅における意識も自ずと深まっていく。
今日は、晴れて3ヶ月ぶりに髪の毛を切ってもらえる。かかりつけの美容師かつ親友のメルヴィンと会って話をすることが楽しみである。3ヶ月分の積もった話があるだろう。
3ヶ月ぶりにメルヴィンのところに行くということは、仕事関係以外で人と話をするのは3ヶ月ぶりということになる。久しぶりにメルヴィンと話をすることによって、また何か刺激が得られるだろう。そんな期待感がある。
今朝方はいくつか印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、RPGゲームの世界を俯瞰的に眺めていた。まさにそれは、RPGゲームを遊んでいる者の視点であったが、ゲームをしているのは自分ではなく、目には見えない他の人だった。
いや厳密には、そのゲームをしている人間はおらず、キャラクターが自発的に動いているように思えた。主人公と思えるキャラクターが野原を歩き回り、ある祠(ほこら)に到着した。そしてそこで画面が切り替わり、祠の近くにあった街に主人公が入っていった。
すると突然、主人公と一緒に、私はその街に入り込んでいた。主人公の方を見ると、俯瞰的に見ると男性のキャラクターのように見えていたのだが、なんと主人公は小さな女の子だった。
私はその女の子と一緒に、骨董品店に入った。私はしばらくその店に置かれている品々を見て楽しんでいた。
すると、その女の子の主人公が、掛け軸を出してくれと店の人に頼み始めた。店の女性は笑顔でいくつかの掛け軸を持ってきた。
すると、その女の子は掛け軸に対して深い造詣を持っていて、私は彼女の知識の深さに驚かされた。まさかこんな歳で掛け軸についてこれほどまでに知っているとは思いも寄らなかったのである。
彼女は、掛け軸の色を選ぶ際に知識の深さを遺憾なく発揮し、私以外にその場にいた人たちも感心の目をもって驚いていた。彼女が1つ掛け軸を購入するとのことであり、せっかくなので私も1つ購入することにした。彼女の話を聞いて、私も掛け軸を見る視点が変わり、自分の寝室かどこかに飾ろうと思ったのである。
掛け軸が出来上がるまで待つことになり、畳部屋に移ったところ、高校時代の友人(HH)がその部屋にひょっこりと姿を現した。彼は笑顔で私に話しかけてきて、その場に一緒にしゃがみ込んだ。そして友人はタバコを吸い始め、自分にも一口吸わせようとした。
私はタバコを吸わないので、タバコを吸うことに慣れておらず、彼が無理に一口吸わせようとするものだから、思わず煙を吸い込んでしまうと、相当に濃い味であり、むせてしまいそうになった。そこで夢の場面が変わった。
次の夢の場面は、感動的な感覚を引き起こすものだった。夢の中の私は中学3年生であり、全校生徒と一緒に海の掃除をしていた。
掃除が無事に終わり、海岸線の広場で全員が集合し、そこで今後のコロナ対策についての話し合いが全員で行われた。先生たちもその場にいたのだが、先生たちは生徒の自発的な議論を信頼し、遠くの方で私たちを見守っていた。
一応学校側の方で決められた対応策があるらしく、保健委員長を務めていた親友(SI)がその対応策を発表した。全校生徒の前だったからか、彼はとてもかしこまった形で全員の前に立ち、その対応策を発表した。立ち姿だけではなく、話し方もぎこちなく、私は思わず笑ってしまった。
彼が途中で言葉に詰まると、その横にいた部活の後輩である1年生の後輩が、親友が言いかけていた続きの内容を立派に全校生徒に伝えた。私を含め、その場にいた全員がその内容に拍手を送った。
すると、同じ学年のある女子(AS)が親友と後輩に向かって質問を1つ投げかけた。その質問は、非常にプラクティカルな問いであり、行動に移してみなければ答えられないような問いだった。実際に、遠くの方で見守っている先生たちですら回答できないようなものだった。
私はそのように思ったので、挙手をして、私の意見を述べることにした。私の回答の趣旨は明確であり、近代法の原則に則ってみた場合に言えることは何かを先に述べ、その後に、ここにいる仲間のことを考えれば、自ずと正しき行動が何なのかが見えてくるという形で意見を述べた。
すると、彼女は納得した表情をしており、私の回答に対して全校生徒が拍手を送り、全校生徒がどこか強固に一体となっている感覚があった。その一体感は感動を引き起こすような類のものであり、それを強く感じたところで夢から覚めた。
目覚めると、寝室のベッドの上の自分はまだ静かな感動に包まれていた。フローニンゲン:2021/3/8(月)05:51
6715. 注釈と「正しい誤読」/見えない2つの牢獄
時刻は午前6時を迎えた。静かな時が刻まれていく。
小鳥たちがまた楽しげな鳴き声を上げ始めた。こちらの心も自ずから平穏かつ楽しげなものになっていく。彼らの鳴き声もまた、自然の恵みである。
昨夜考えていたことを少しばかり言葉の形にしておきたいと思った。1つ1つの日記や創作物は、自分の深層的な意識の現れであるばかりか、それを形にするという行為を通じて、それらは無意識の中に残り香として形跡を残していく。
それは知らず知らず堆積していき、またそれは知らず知らず大きな変容をどこかのタイミングで引き起こす。形象行為と無意識、そして変容は非常に興味深い関係を持っている。
その他には、自分の創作も思索も、全て過去の偉人の仕事に立脚した注釈に次ぐ注釈であるということについて考えていた。自分なりの体験に引きつけて注釈を書き続けていく営みが、自分にとっての創作と思索という行為の意味するものである。
とにかく先人が残した知恵を、自らの体験や感覚に引きつけて、原典にないことを注釈として形にしていくのである。過去の偉大な書物を紐解いていくときには、現代のコンテクストに紐付けて、そして自分自身の感覚に引き付けて、「正しく誤読していくこと」を大切にする。
自分の感覚や体験を出発点にした自分なりの意味づけを想像力を働かせて行っていく。そうした正しい誤読のできない者に、新たな意味の担い手になることなど不可能である。
自己の存在を基点にした多階層的な読みをとにかく意識していこう。そのようなことを昨夜考えていた。
カール·ポパーはかつて、文化を「目に見えない牢獄」として喩えていた。ここ最近は、文化について考えることが多い。
文化が持つ肯定的な側面と否定的な側面を眺めてみたときに、後者については、まさにポパーが言うようなメタファーが当てられるように思える。そうした文化を構成する言語に関して言えば、哲学者のフレドリック·ジェイムソンはかつて「言語の牢獄」というメタファーを提唱していた。
私たちは、言語という牢獄の中で、言語を用いて牢獄としての文化を生み出していく。端的には、言語と文化の二重の牢獄の中に私たちは生きているのである。
言語の本質機能、すなわち意識作用について理解を深めていくこととが、言語の牢獄から脱却する1つの手立てとなり、それは文化という牢獄からの脱却につながってくるだろ。
言語と意識。その関係を紐解いていくことが、解放への道を明らかにすることにつながっていく。フローニンゲン:2021/3/8(月)06:19
6716. 統合的段階を語ることと体現することの違い
時刻は午前10時に向かっている。天気予報では今日は曇りとのことだったが、朝から晴れ間が見えている。
改めて天気予報を確認したところ、小雨が降り始めるのは夜からのようだ。それであれば、午後から散髪に行く際には折り畳み傘を持って行かなくていいかもしれない。家を出発する直前に、もう一度天気予報を確かめてからその判断をしよう。
ウィルバーの書籍を音読する日々が続いている。この音読によって、脳の組成と機能、そして感覚がまた変化していることを実感する。
ウィルバーの書籍からはもう何年も離れていて、過去数年以内において、確かにごくたまに書籍を読み返すことがあったが、最近のように最初から最後まで通してウィルバーの書籍を読むということはなかった。今、改めてウィルバーの書籍を音読することによって、内容としても得ることが非常に多いことに気づく。
統合的段階やティールの段階について語る人は増えているが、実情として、彼らはそうした段階に到達しているというよりも、グリーンに対するアレルギーからそのような語りをしている傾向が往々にして見られる。まさにウィルバーが指摘するように、統合的段階やティール段階について語ることと、そうした段階を体現して行動することは全く別物なのである。
また、彼らが語る「統合的」という意味を紐解いてみると、結局それはグリーンのそれであり、そこでもまた、統合的なことを語っているように見えて、実情はグリーンであるという——talk Integral, walk Green——現象が見られる。
そのようなことを考えながら音読を続けていると、ウィルバーが述べている、“Waking Up” “Growing Up” “Cleaning Up” “Showing Up”という概念および実践の指示は、発達を促進する健全な宗教を実現させていく際に重要なだけではなく、発達を促進する健全な組織や共同体を作る上でも非常に大切な要素だと思った。
今のところ、どのような宗教にもそれらの概念と実践が全て包摂されているケースを見たことがなく、組織やその他の共同体においては言わんやである。それらの概念を用いれば、発達に向けて、組織や共同体の現状を分析することが可能になるだろうし、自ずと必要な介入ポイントや実践方法が見えてくるだろう。
しばらくは、“Waking Up” “Growing Up” “Cleaning Up” “Showing Up”という4つの観点で、組織や共同体、そして社会全体を眺めていこう。フローニンゲン:2021/3/8(月)09:56
6717. 3ヶ月半ぶりに
時刻は午後3時半を迎えた。つい先ほど街の中心部から帰宅した。
3ヶ月半も待った日が本日やって来て、先ほどその有り難さを強く実感した。そう、今日は3ヶ月半ぶりに髪の毛を切ってもらったのである。
かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行く足取りはとても軽かったが、前回、前々回と店に行ってみて初めて閉店であることに気付かされたこともあって、今日も少しばかり心配していたが、事前にメルヴィンにテキストメッセージをもらっていたので、そうした心配はほとんどなかった。
店に到着すると、メルヴィンはソファで寛いでいて、どうやら自分の前には客の予約を誰も入れず、休憩をしていたとのことだった。メルヴィンは店を3ヶ月も閉めることを余儀なくされていて、ビジネスの収益上、先週からとにかく大忙しで仕事をしているとのことだった。
普段は月曜日は休みなのだが、今週は月曜日も店を開け、仕事に精を出しているとのことだった。しかし、あまりに多くの客の予約を入れると疲弊してしまうことは確かとのことであり、私の前には予約を入れないようにしていたそうだった。
メルヴィンが思いの外元気そうで何よりだった。髪を切るのをそっちのけで、すぐに私たちは、3ヶ月半積りに積もった話を始めた。
近況を報告しながら、私はメルヴィンにプレゼントを渡した。メルヴィンは日本のアニメが好きなので、ちょうど引っ越しに際してもう見ないであろうDVDやBlu-Rayを全てメルヴィンにプレゼントすることにしたのである。
随分と前に再生プレイヤーが故障してしまい、中には全く見ていない未開封のDVDやBlu-Rayがあり、新品のままメルヴィンにそれらをプレゼントした。アニメ以外にも、アメリカやイギリスのテレビドラマのDVDやBlu-Rayを渡し、合計で30本ほどプレゼントしたように思う。
実はもう20本近く渡そうと思っていたのだが、それらは今日持っていくことができなかったので、来週またメルヴィンの店に顔を出し、それらを渡す約束をした。メルヴィンの店のソファの前には液晶テレビがあり、そこでメルヴィンは友人や客たちと仕事終わりにテレビゲームをしたり、DVDやBlu-Rayを見ているとのことだったのでちょうどよかった。
来週の天気の良い日にメルヴィンの店に顔を出すついでに、近くの古書店に立ち寄り、店主のテオさんに、オランダ人の神秘思想詩人の詩集がないかを尋ねてみたいと思う。
メルヴィンとの話の中で印象的だったのは、仕事ができない3ヶ月の間に、メルヴィンは変容を遂げたというものだった。彼は天賦の才能を持った内面探求者であり、コロナで仕事ができない期間、自分と深く向き合っていて、その成果が確かに現れていた。
彼の霊性的·実存的エネルギーが別の次元に到達しているのを感じた。それ以外に印象に残っているのは、メルヴィンがギターの演奏を始めたのとことだった。
両親の家に戻った時、屋根裏部屋に、今は亡き兄のギターを見つけ、ギターの演奏を始めたそうだ。それが仮の創造性を刺激し、音楽セラピー的な効果も相まって、彼の調子はとても良さそうだった。
ギターの演奏以外にも、チェスも改めて力を入れ始め、写真にはより一層力を入れ始めたそうだった。そこでメルヴィンが、今年中に髪を切る仕事の日を週に3日にして、残りは写真撮影に専念するという計画を教えてくれた。それは素晴らしいアイデアだと思い、より具体的に話を聞いてみた。
彼の店には写真撮影のできるスタジオも併設されていて、これまでも時折写真を撮影していたことを知っている。今後は、スタジオでの撮影だけではなく、外に出かけていき街や自然などを写真に収めていくそうである。
メルヴィンもまた創造的な活動に呼ばれた人間なのだということを改めて思った。その他にもメルヴィンとの今日の話の中で書き留めておきたいことがたくさんあるが、いずれにせよ、今日はメルヴィンの変貌を遂げた姿を見ることができて非常に喜ばしく、こちらも何かエネルギーを分け与えてもらえたような気がする。
メルヴィンもまた同様のことを述べてくれていたことからも、お互いに良い影響を与え合っている関係性が存在していることは嬉しく思う。最後に、新居への引っ越しについてメルヴィンにも伝え、少し落ち着いたらメルヴィンと彼のパートナーのスシを招待することを彼に伝えた。フローニンゲン:2021/3/8(月)16:03
6718. コスモスの習慣と調和して
時刻は午後7時半を迎えた。予報通り、今小雨が降っている。ここ最近は天気が良かったので、雨を見るのは久しぶりな感じがする。
明日からしばらく小雨が断続的に降る日が続きそうなのだが、それを超えていくと春がいよいよ近づいて来たという感じになるだろう。フローニンゲンは5月の半ばまで寒さが残るが、新たな季節の扉はもう開かれようとしている。
今日の午後にかかりつけの美容師のメルヴィンに髪を切ってもらった際に、これまでの客の中で一番自分が髪の毛が伸びていたそうだった。メルヴィンは笑いながら「歴代記録だ」ということを述べていた。
いつもと同じぐらいにさっぱりと髪を切ってもらい、気分が本当に爽快である。髪の毛を切るというのは、精神的な儀式作用があるようだ。
髪もやはり自分の一部であり、それを切り落とすことによって、どこか解放と手放しの効果、そして再出発の効果があるようなのだ。メルヴィン自身も同様の指摘をしていて、コロナによって客たちの気持ちも落ち込んでいる傾向があったが、彼らは髪を切って表情が明るくなったということを述べていた。
彼らも髪を切ることを待ち望んでいたのだろうし、髪を切ることによって解放と手放しがそこにあったのだろう。人に髪を切ってもらうことがこれほど有り難いことだということを改めて実感した。メルヴィン自身も、今回のコロナによる3ヶ月の強制的な閉店によって、戻って来た客から自分の存在価値を改めて認めてもらったことを喜んでいるようだった。
引っ越しについてメルヴィンに告げると、メルヴィンは私がフローニンゲンから出ていくのではないかと一瞬心配していたが、フローニンゲンに留まる旨を伝えると安堵の表情を浮かべていた。メルヴィンとの絆は深く、身近にいる存在の中で唯一彼とは腹を割って話せるような親友である。
今日は詩の話が話題に挙がったが、神学校への進学可能性については話題に出すことはしなかった。神学校に入ることを決断した場合、フローニンゲンから離れることになるだろうが、それはまだ数年先のことである。数年先のことは考えず、今はこの瞬間の時を日々充実したものとして過ごしていこう。
コスモスの習慣。これはウィルバーが書籍の中で再三述べていることだが、その言葉は元々は、アメリカの哲学者のチャールズ·サンダース·パースが使っていたものである。
パースは、このコスモスには変化の法則性があることを見抜いていて、それをあえて「習慣(habits)」という言葉を当てていた。機械的なパターンではなく、パースにはどこか自然神秘主義的な思想があったのだろうか、パースはコスモスに存在する変化のパターンを「コスモスの習慣」と述べたのである。
私たちの成長・発達にも、当然ながらコスモスの習慣が息づいている。自分の変化の根幹には、コスモスの習慣が息吹いていて、自分という存在はコスモスに他ならないのだということが改めて見えてくる。
日々の習慣的な行為が積み重なっていくことによって、それがコスモスの習慣と調和すればするほどに、自身の習慣はコスモスの習慣に組み込まれ、必然的に変容へと導かれていく。
日々の習慣はコスモスの習慣なのだという意識を持って、明日からもまた探究と実践に取り組んでいこう。
雨の降る暗夜。それは眩しすぎるほどに明るい。フローニンゲン:2021/3/8(月)19:41
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