No.1933 朝羽_A Morning Feather
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.345, A Morning Gift
It is very quiet outside.
The silence permeates my inner world.
Inspiration came suddenly.
That’s a morning gift.
Groningen; 02:55, 2/27/2021
No.346 Material & Ideological Fetishism
Material fetishism is rampant in the modern society. People who believe it have a distorted mind, and they tend to seek twisted ideologies.
In that sense, they are trapped not only in material fetishism but also in ideological fetishism.
Both tendencies create a social disorder.
Groningen; 05:51, 2/27/2021
No.347, Shiva
I had an inner symbol of Shiva before.
Shiva is one the three main Hindu gods, which plays a role of destruction and creation.
The role of Shiva resonates with me very deeply.
In fact, I engage in the activity of destruction and creation every day to transform the society and myself.
Groningen; 06:07, 2/27/2021
No.348, The Here and Now
Whenever I stay in the here and now, I don’t feel any sufferings.
All of our sufferings appear from our departure of the here and now.
Groningen; 16:21, 2/27/2021
No.349, A Dreamy Bridge
A dreamy bridge is floating in the sky.
It bridges the celestial and terrestrial world.
Groningen; 19:52, 2/27/2021
No.350, Emptiness
“Emptiness” doesn’t mean nothing.
Instead, it means something indescribable because it is constantly changing.
Groningen; 20:04, 2/27/2021
No.351, Beyond
Beyond thoughts, feelings, and sensations, we will meet ourselves there.
Beyond everything, we will find everything there.
Groningen; 21:09, 2/27/2021
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6684. 今朝方の夢
6685. 林住期に向けて/トリオドス銀行からの連絡を受けて
6686. 健全な不満/シュペングラーの指摘
6687. シヴァ神/物質的·精神的フェティシズム/学び直しのサイクル
6688. 一遍の踊り念仏への関心/ラッダイト的な力
6684. 今朝方の夢
時刻は午前2時半を迎えた。今朝の起床はいつもより早く、午前2時前だった。この時間帯に起きると、午前中の創作活動と探究活動に充てることの時間が格段に増える。
一方で、十分すぎるほどの活動に従事することができるため、途中で脳を休める意味での仮眠を午前中に1回取ろうと思う。大抵、午前2時前や2時台に起床すると、午前中に1度仮眠が必要になる。
相変わらず雑多な事柄を日記に綴る日々が続いている。思念や感覚を言葉に書き留める実践もまた創作活動であり、造形芸術の様相を帯いていることを改めて感じる。
書くことによる確かな深まり。深まっていくのは思考や感覚だけではなく、存在や人生そのものである。そのようなことを改めて昨日思っていた。
今朝方は起床直前に少々夢を見ていた。それらの夢について振り返っておきたい。
夢の中で私は、屋外にいた。そこは見慣れない土地であり、どうやら日本ではなく、また外国でもないように思えた。地球上に存在するかさえ分からないような静かな空間に私はいた。
すると、目の前に犬のようなそうでないような不思議な生物が現れた。それはどうやら知人が飼っているものらしく、背中に乗れるとのことだった。
私は知人に許可を取り、その生物の背中に乗せてもらうことにした。乗ってみると、その背中は柔らかく、乗り心地は良かった。
しかし、うまく乗りこなすことが難しく、どういうわけかその生き物は逆走ばかりしてしまう。しかもスピードも徐々に上がってきたこともあり、私は落とされてしまう前に、その生物の背中から降りた。すると夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は屋内のバスケットコートにいた。そこで私は、小中高時代の親友(SI)と一緒に、不思議な色の小さなバスケットボールを使って、パス交換をしながらレイアップシュートやジャンプシュートの練習をし始めた。
しばらくその練習をしていると、別の中学校に転入した小学校時代の別の友人(TM)が、私に依頼をして、スリーポイントシュートを打って欲しいと述べた。それが入れば彼にとっての望みが叶うらしく、私は彼に協力することにした。
いざ180度の位置からスリーポイントシュートを放つと、1本目はリングに弾かれてしまった。続け様にもう1本シュートを放つと、今度は綺麗な放物線を描きながら、リングに当たることなく決まった。
友人と私はそれを喜んだが、後ろで見ていた別の親友(HS)が、私がどうやら線を踏んでいたようなのでノーカウントだと述べた。私はそんなはずはないと思ったが、ひょっとしたら線を踏んでいたかもしれないと思い、もう一度挑戦するかを考えた。そこで夢の場面が変わった。
もう1つ覚えてる夢の場面としては、ある投資銘柄を、板取引で自分の設定していた価格帯で次々に売却していくシーンである。私の隣には外国人の女性がいて、彼女も同様の価格帯で売却を始めていた。そのような夢の場面があった。フローニンゲン:2021/2/27(土)02:44
6685. 林住期に向けて/トリオドス銀行からの連絡を受けて
静寂さに包まれた世界の中で、再び日記を執筆する筆を取った。時刻は午前3時を迎え、今朝は少しばかり冷えている。
ここから午前8時に向かって気温が下がっていくようだが、今日は1日を通して晴天のようである。天気に恵まれるため、午後に街の中心部のオーガニックスーパーにジョギングがてら買い物に出かけよう。
振り返ってみると、今週は、引っ越しの準備に向けて動き出した週だった。
いざ準備を始めてみると、思っていた以上にスムーズに進み、もう7割ほどの荷造りは完了したと言える。注文していた15個の段ボールを詰め終え、さらにもう1セット注文したのは昨日のことだった。それが到着し、来週の頭に荷造りをすれば、もう引っ越しの準備はほぼ完了となる。
過去10年を振り返ってみて、同じ場所に2年以上住むことはなかったことを考えてみると、今回今の家に5年半ほど住むことになったことを驚いている。またそもそも同じ街に5年ほど生活していることも初めての体験だ。フローニンゲンには引き続きあと何年間か住む予定なので、この街に対して愛着を感じている自分がいることがわかる。
引っ越しに向けて荷物を整理していると、人間関係上の整理も必要だとふと思った。自分が次に進むためにはそうしたことも必要になる。
居住環境が静かなだけではなく、人間関係上における静けさもまた強く望む。ここから数年間は、ヨーガの教えでいうところの林住期に入っていくための準備期間であり、とにかく内外の静けさを求め、またそれを自分で作ることを意識して過ごしていこう。
昨日、嬉しい連絡があった。サステイナブルバンクのトリオドス銀行の担当者から連絡があったのである。プラベートバンクの開設に向けて色々と聞いておきたいことがあったので、その返信を有り難く思った。
担当者曰く、一度電話で話をしようということになり、日程についてはまた改めて連絡をしようと思う。新居に引っ越してからか、荷造りを終えて余裕があったら新居に引っ越す前に電話ミーティングをさせてもらおうと思う。
当初の計画としては、本社に出向く予定であり、それに合わせて、本社のあるユトレヒトに観光がてら数日間ほど滞在しようと考えていた。電話ミーティングの後にそれを行ってもいいかもしれないし、電話ミーティングだけで事足りるかもしれない。
実は今使っているオランダ大手のABN AMROにもプライベートバンクサービスがあり、この銀行もサステイナビリティに力を入れている。一概には言えないが、オランダはインテグラル理論で言うところのグリーン的な意識が高く、それは銀行業においても見られる。
ABN AMROのように国際的なネットワークを持っている銀行と、そうではないトリオドス銀行において、サービス上どのような違いが生まれるのかを把握しておきたいと思う。今後オランダを離れたときの対応がどういったものになるのかを明確にしておきたい。フローニンゲン:2021/2/27(土)03:17
6686. 健全な不満/シュペングラーの指摘
ゆっくりと早朝のコーヒーを飲んでいる。先ほどコーヒー豆を挽き、淹れたコーヒーからは湯気が立っている。
時刻は午前7時半を迎えたが、辺りはまだ薄暗く、薄い霧で覆われている。今日は晴れの予定であり、午後からは雲がほとんどないような快晴になるとのことだが、この時間帯はどうやら曇りのようだ。そして気温も低い。そうした中にあって、コーヒーの温かさと旨さが引き立つ。
来月末の引っ越しに向けて、心が高鳴っている自分がいる。正直なところ、引っ越しは2月末にしても良かったぐらいだ。
まさかこれだけ素早く荷造りができるとは思っていなかったのである。そして何より、引っ越しに伴って色々と物質的·精神的な整理を付けられる効用がこれほどまであるとは思ってもいなかったのである。
確かに、過去10年間において何度も引っ越しを繰り返してきたが、そのときにはそれほどそうした効能については意識していなかった。あるいは、意識されることがなかったと言えるだろう。今、そうしたことが意識されるようになったのも、おそらく自分の変化によるものだと思われる。
新居での生活は本当に落ち着いたものになる。適切に社会と人から距離を取るという意味での厭世的·厭人的性向が自分にはあり、そうした性向により基づいた居住生活が始まる。
街の喧騒が感じられる場所や、多くの人と隣接するような場所で生活をすることはそもそも自分には合っていなかったのである。今後住むことになる新たな国や街においても、そのあたりについてはできるだけ考慮に入れた居住場所を選択したいと思う。
現在の住環境に対する健全な不満を抱くことは自然なことであり、それによって健全な批判を自己及び環境に対して投げかけることができる。そうした健全な不満によって、創作活動や探究活動により適した住環境があることに気づかされ、今回の引っ越しに至った。自己を癒し、自己を育むために必要な不満というものは今後も大切にするべきだろう。
新居では、時間感覚がまた変容することが予想される。オーナーの所有地にポツンと立てられたソロー的な家。
そこでの生活によって自らの時間感覚が変容し、時間の持続過程において自己の成熟が緩やかに進んでいくだろう。新居は、これまでの10年間の取り組みをゆっくりと濾過し、熟成させるための特別な場所になるだろう。
その他にも雑多なことを先ほど考えていた。ドイツの歴史学者オズワルド·シュペングラーが指摘した、文明の成熟期から末期にかけて、人々は新興宗教や新技術に異常な関心を示すというのは、現代人のありようを眺めてみると、非常に正鵠を射ているように思える。今となっては、新技術そのものが新興宗教的な信奉対象にさえなっているように思える。
ここから文明はどのような歩みを辿っていくのだろうか。決して楽観視できない展望が自ずから広がる。フローニンゲン:2021/2/27(土)07:33
6687. シヴァ神/物質的·精神的フェティシズム/学び直しのサイクル
自らの世界に対する純朴さも認識しながら、一方で世間の種々の純朴な物の見立てや施策には少々苦笑してしまう。どうしたらあそこまで純朴な物の見方ができるのかということが、政治経済、教育、医療、環境などの問題において散見される。
そのようなことを考えていると、今朝方読んでいた書物にヒンドゥー教のシヴァ神に関する記述と出会い、そう言えば、シヴァ神に関する内的シンボルを6年前に日本に住んでいたときに知覚したことを思い出した。そして、そのときにお世話になっていたエネルギーワークを専門にする知人とのセッションでも、自分の中にシヴァ神的な何かがあることが見えてきたのである。
破壊と創造を司るシヴァ。ラッダイト的な破壊行動ではなく、伝統を参照する形で、社会に蔓延る純朴な物の見立てや施策に対して破壊行為と創造行為を担っていくことが自分に与えられた役割の1つのように思えてきている。
引っ越しのための荷造りをすることによって、小さな図書館を作れるほどに書物を所有している自分がいることに気付かされたことを先日の日記に書き留めていたように思う。
人は誰でも所有主義的な側面があると思うが、書物を所有し、書物を求めるというのも何かしらのフェティシズムなのかもしれない。物質次元で書物を所有し、同時にそれは書物から知を汲み取ることを求めているという点で、精神次元でのフェティシズムも見出すことができる。
重要なことは、こうした何らかの物質的·精神的フェティシズムを自分が持っているのではないかということを内省し、それらに気づくことである。そうすれば、フェティシズムによる隘路にはまり込むことを防げるだろう。
一方で、世間においては物質的なものをひたすら求める物質的フェティシズムが横行し、その背後には歪んだ精神が介在している現象が見られる。そこには、物質的な産物を求めるだけではなく、偏ったイデオロギーのような歪んだ精神的産物を求める傾向も背中合わせに存在しており、精神的フェティシズムの横行も見られる。
こうした社会課題に対して、宗教が果たす役割はなんだろうかと考える。世界の宗教は、現代という時代が直面する課題の解決に果たして貢献しているのだろうか?問題を深めることに寄与してしまってはいないだろうか?そのような疑問が湧いてくる。
これまで探究してきたことや創作活動と宗教を紐付けるだけではなく、現代が直面する課題を宗教はどのように認識し、どのようにそれと向き合っているのかという点にも強い関心を持つ。まさにそれは実践宗教学とでも呼べるような領域になるだろうか。
過去10年において、4年に1度のサイクルで大学院に入り直して学び直しを行うことをしてきた自分がいる。そのサイクルで言えば、ここから数年以内にまた大学院に行って腰を据えて学び直しを行うことも決しておかしなことではなく、自分の心はそれを求め始めていることを感じる。フローニンゲン:2021/2/27(土)07:55
6688. 一遍の踊り念仏への関心/ラッダイト的な力
時刻は午後7時半を迎えた。振り返ってみると、今日は天気予報通り、午前中の途中から天気が良くなり、午後は気持ちの良い晴天の天気だった。
街の中心部のオーガニックスーパーに向かう足取りも軽く、今日は少しいつもと違う道を通って気分転換を図った。ノーダープラントソン公園の前を通りかかったとき、公園で日光浴をしたり、スポーツに興じている楽しげな人たちの姿を見かけた。
夕方に読書をしていると、そこに鎌倉仏教の成立過程に関する興味深い記述があった。そこには、鎌倉仏教の諸宗派は、仏教をそれぞれが独自の観点から捉え、分岐して行ったことが書かれていた。解釈の多様性によって派生した様々な仏教宗派の誕生過程は、どこかインテグラル理論で言えば多元主義的(グリーン的)に思えた。
改めて諸宗派の中でもとりわけ関心を引いたのは、踊りを通じて法悦体験を得ようとした一遍である。スーフィズムのズィクルとの関連において、そして身体性との関連において、一遍の踊り念仏は興味深い。
一遍の踊り念仏は、興行的な側面があり、芸能·芸術的側面があったことも関心を引く。一遍の書籍を探してみたところ、英語空間にはそれほど書籍がなかった。というよりも、アマゾンで見つけたのは“No Abode: The Record of Ippen (1997)”という書籍だけだった。新居に移ってから、早速この書籍を購入してみようと思う。
この時間帯になって朝方に書き留めていたことについて思い出す。早朝の日記を改めて思い出してみると、自分の内側には間違いなくラッダイト的な巨大な力、すなわち巨大な破壊衝動が根付いていることがわかる。それは夢の分析を通じても明らかである。
であるがゆえに、そうした力と破壊衝動が暴走しないような種々の工夫を日々行っていく必要があるだろう。例えば、言葉を用いて理性的な形でそれを対象化·客体化していくという作業や、創作活動を安全弁としてそうした抑圧された衝動を表現物にしていく作業が大切になるだろう。
それをしなければ、自分の中の危険な側面が思わぬ形で外に出てくるであろうという予測が立つ。そのようなことを考えていた。
先ほど、数日前に注文した霊性学探求にとって重要になるであろう2冊の書籍が届き、それに加えて、2ヶ月前に注文していたシネマセラピーの書籍がようやくイギリスから届けられた。コロナの影響で物流が滞っているらしかった。
実は偶然にも、本書の到着があまりにも遅かったので、今朝方書店に問い合わせをしていたところだったのだ。2ヶ月ほど放置していた書籍を今日問い合わせたところ、なんとその日の夜に書籍が届くというのもまた驚く偶然だ。
先ほど、無事に書籍が届いたと改めて書店に連絡を入れておいた。引っ越しに向けてもう書籍は注文することはない。あと3冊ほど注文した書籍が届くのを待って、それらを持って新居に移っていこう。フローニンゲン:2021/2/27(土)19:43
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