top of page

6606-6609: アートの国オランダからの便り 2021年2月1日(月)


No.1829 夜光龍_A Noctilucent Dragon

本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)


No.168, Harmonic Dances

Everything including life and non-life is always dancing.

This world may consist of dancing.

I can see various harmonic dances at every moment.

Groningen; 09:13, 1/2/2021


No.169,Stillness & Truth

Thoughts are gone.

Stillness comes.


When we enter the state where our thoughts cannot take us, stillness comes.

The stillness unfolds your own truth.

Groningen; 09:32, 1/2/2021


No.170, Remembering & Forgetting

We often try to remember something to get a better life.

But I think we have to learn how to forget rightly.

Only remembering doesn’t lead us to a better life.

We also need forgetting.

Groningen; 10:00, 1/2/2021


No.171,Everything is There

We often avoid going to a place where there is nothing.

We may have a fear of staying in such a place.

Yet, we shouldn’t be afraid of it.

Because there is everything in the place.


A place that seems there is nothing is the place that there is everything.

We shouldn’t forget that everything is there just because there has nothing.

Groningen; 16:30, 1/2/2021


No.172, About Art

I respect art in that it is uncontrollable.

I like art in that it is engrossing.

I love art in that I have no reason I can’t love it.

Art is my best friend in that it always challenges my imagination and possibility.

Groningen; 21:35, 1/2/2021


No.173, What Artworks Seem to Want

One of my roles as an independent artist would be emancipating artworks from the repressive traditional art world.

It seems to me that a number of artworks are suffocating because of the oppressive atmosphere in the current art world.


Artworks want natural and healthy breathing.

They don’t want unnaturally controlled breathing.

Groningen; 21:45, 1/2/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた6曲

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6606. 今朝方の夢

6607. 今朝方の夢の続き

6608. 「善く」忘れること/何もない場所で/今朝方の夢の続き

6609. 思い出と循環


6606. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えようとしている。辺りが少しずつ明るくなり始め、真っ暗な空がダークブルーに変わっている。


今の気温はマイナス3度であり、今日は日中もマイナスの世界となる。明日の午後には雪が降るようなので、今日はマイナスの気温ではあるが雪は降らないので、午後にでも街の中心部のオーガニックスーパーに買い物に出かけようと思う。月曜日である今日は中央市場に店が出ていないので、椎茸はそのスーパーで購入することにする。


昨日の就寝前に思わず笑ってしまうことがあった。それは充実感と幸福感に満たされていることを示す笑いだった。


端的には、自分はその日にそれ以上善くは生きれないという納得感を持って1日を締めくくっていることに気づいたのである。寝る前に暗い部屋の中でバランスボールに乗って背中をほぐしている時に、「今日はこれ以上善くは生きれなかったなぁ」と心の中でつぶやきが生まれ、それがその日を最善に生きていることの証だと思った。


今日もまたそうした形で1日を終えることができるだろう。その日を最善に生きることを促してくれているものとして、創作活動を挙げないわけにはいかない。


最近は詩作が加わった。日中に浮かぶ取り留めもない思考や感覚を詩の形にすることによって、新たな変化が自分の内側で芽生えているのを感じる。


少しずつ明るくなり始めている世界を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、現代と戦国時代が混じった世界の中にいた。


ちょうど今、ある2つの大国が覇権をかけて争っていて、私は片方の国に仕える者だった。私の役割は、敵国の中枢人物を暗殺することである。しかも行動は絶えず単独で行うことが要求され、そのためのエリート教育を叩き込まれていた。


暗殺技術を含めた武術の訓練、何が起こっても1人で対処できるだけの知的鍛錬、そして時に何らかの交渉をする際に有利にそれを進めるための交渉術の鍛錬、そうした諸々の鍛錬を徹底的に積んでいた。


今回の任務に当たって一切の不安はなく、速やかに暗殺を遂行しようと思った。任務に向かう前の私の表情は晴れやかであり、これから旅行に出掛けるかのような感覚があった。暗殺の任務は旅行中の単なるゲームに過ぎないという認識さえあった。


自国と敵国はそれぞれ巨大な島を持っていて、お互いの島は海を隔てて1000kmほどあった。私は飛行術を使うこともできて、空を飛んでいけば敵国の島までそれほど時間がかからないと見込んでいた。


実際に空を飛んで行くと、あっという間に敵国の島が近づいて来た。1000kmの距離がすぐに感じられるほどの速さで飛んでいる最中、風を切る感覚が気持ち良く、波しぶきを上げる沖合の海の様子もまた美しかった。


敵国の島に到着してみると、海岸沿いがリゾート地になっていて、綺麗な松林と共に宿泊施設やおしゃれな店がいくつもあった。私はその宿泊施設の1つに敵国の重要人物たちが宿泊していると事前情報を得ていた。


そこからは空を慎重に跳びながら、身を隠すようにしてまずは松林に入った。見ると、松林の中にある宿泊施設でキャンプをしている集団がいて、彼らは護衛隊だとわかった。


今回の任務では、護衛隊の隊長たちも暗殺する必要があり、その後に最重要人物の暗殺を行うことが求められていた。護衛隊の隊長もそれなりの猛者であり、最重要人物となると彼もまた非常に高度な武術の訓練を受けているので、ここからは気を引き締めて行動する必要があると思った。


護衛隊はちょうど休憩中のようであり、昼間から酒を飲み、ほろ酔い加減の中でフットサルをしている者たちもいた。松林の中にあるフットサルコートを覗いてみると、そこに結構な数がいて、すぐ近くのキャンプ場には誰も護衛隊の人間がいないのではないかと思った。


私はフットサルコートを見渡して、そこに暗殺予定の人間がいなかったので、いったんキャンプ場の方に戻ることにした。するとそこはもぬけの殻であり、タープの中を覗こうとしたら、そこに1人の人間がいることに気づいた。


タープの上から見たシルエットから察するに、その人間は戦闘部隊の人間ではなく、テクノロジー担当の人間だと分かった。その人間が独りぼっちで残って何か作業をしているようだった。


タープの影から中を覗くと、その人間は元々仲間だった若いスペイン人だった。私はまさかこんな所で再会すると思っておらず、嬉しくなってしまい、彼に声をかけた。


彼は驚いた表情を浮かべながらも、彼も再会をとても喜んでいた。彼は私が敵国に仕えている人間だとは知らないようだったので、私は今は以前とは違うある別の国に仕えているとごまかしながら話をした。


彼は私との再会によって生まれた喜びの感情を依然として強く持っていて、私を一切疑っていなかった。積もる話を彼としたいと思ったが、そろそろ護衛隊がここに戻ってくるような気配があったので、彼に別れを告げてその場を離れた。


すると、直感通りに護衛隊が戻って来て、危うくその場で彼らと対峙する所だった。戻って来た部隊を確認した所、その中に暗殺予定の人間が数名ほどいた。


まず私は彼らをどのように暗殺するかをその場で決めることにした。事前に想定していた暗殺シナリオのうちのどれか1つを選んだとしても、リアルタイムで変化するその場の状況に応じてシナリオを微修正しなければならないのは必然であった。


そのための知的鍛錬も嫌というほどに受けていたのだ。そこから私はある暗殺方法が最適だと思い、それを今夜相手が寝静まった時に実行に移そうと思った。フローニンゲン:2021/2/1(月)08:18


6607. 今朝方の夢の続き


時刻は午前8時半を迎えた。ようやく完全に日が登ったと言えるだろうか。いや、まだ少し薄暗さが残っている。


昨日は粉雪の雪化粧が本当に美しかった。朝日と満月が出ていたこともあり、その景色は格別であった。


今日は一転して雲が空を覆っているので、少し寒々とした景色が広がっている。先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあったことを思い出す。


現代と戦国時代が混じり合った世界の中で、敵国の重要人物を暗殺する任務についていたことを書き留めていたように思う。その続きとして、夢の中で私は、敵国の最重要人物が宿泊しているホテルに潜入することにした。


今回の任務は全て単独行動が要求されていて、暗殺するべき人間の数も多かったので、難易度が高いミッションであった。標的の人物たちも相当に高度な武術の鍛錬を受けているので、対峙した時にこちらが殺されてしまう可能性もあった。


しかし私は少しばかり過信をしていて、この世界に自分よりも武術に長けた人間はいないと思っていた。そのような過信が芽生えるほどの鍛錬を幼少期から受けていたし、実際にこれまで一度も戦いで敗れたことがなかった。


そうした過信が自分の中にあるということを理解しながら、今回の任務も1つのゲームとして暗殺を楽しもうと思った。というよりも、私の中ではいつも暗殺のミッションは楽しいゲームだった。


今回のミッションは珍しく、緊張感のようなものが自分の中にあり、決して簡単ではない暗殺をどのように進めたらいいのかを考えることそのものに独特の知的興奮があった。そして、強い人間たちと仮に対峙せざるを得なくなったときの戦いの場面を想像するだけで、私の体は絵も言わぬ興奮に包まれた。


敵国の最重要人物が宿泊しているホテルとデパートの複合施設に潜入し、私はターゲットを探した。途中でトイレに身を隠す必要に迫られ、そこで自分の顔が割れてしまう危険性もあったが、なんとか気づかれずに済んだ。


そして暗殺ターゲットがいざ自分の近くにいると分かった時に、私は直感的にこの場で暗殺を遂行しない方がいいと判断した。なぜそのように判断したのかの理由はわからない。ただ、直感的に今この場所ではないということだけが分かったのである。


気がつくと私は空を飛んでいて、相手の護衛隊に後を追われていたが、無事に彼らを振り切って、自国の島にいったん戻ることにした。


大海原の上空を高速で飛び、いざ自国の島に到着してみると、島の海岸線にある巨大な仏教建築が目に止まった。そこは自国のはずだったが、初めてこの島にやって来た感覚が自分の中にあった。


私はその建築物の中を覗いてみることにした。そこは中国人によってビジネス化されていて、中に入るには本来入場料を支払う必要があった。


しかし私はそれを払わずに中に入って行った。というのも、私はこの国に仕えている特権を付された人間であり、こうした施設の見学に際しての入場料は免除されるのが常だったからだ。


いざ中に入ってみると、小中高時代の友人(HY)が私が入場料を支払っていないことに気づき、それを大きな声で指摘し始めた。すると、それを聞きつけた中国人の警備員たちが私を捕まえようとし始めた。


そこから私はまた空を飛び、その建築物は高さもあったので、空を飛びながら各部屋を逃げていき、天窓から無事に外に脱出できた。そのような夢の場面があったことを覚えている。フローニンゲン:2021/2/1(月)08:56


6608. 「善く」忘れること/何もない場所で/今朝方の夢の続き


時刻は午前11時半を迎えた。この時間帯に日記を執筆するのは久しぶりだ。今日はなぜかちょっと日記を綴ってから昼時を迎えようと思った。


つい先ほど、上の階に住んでいるイェル(イェルマー)とテキストメッセージを通じて2、3会話をしていた。携帯のテキストメッセージを普段全く使っておらず、携帯に登録しているのはイェルと親友でもあるかかりつけの美容師のメルヴィンぐらいしかない。SNSにせよ、携帯のテキストメッセージにせよ、自分の時間を奪うものからできる限り距離を取る形で生活が形作られている。


イェルと連絡をしていたのは些細なことだが、ちょっとしたコミュニケーションがあるのとないのとではお互いの理解に関して大きな差を生むことを改めて実感する。イェルとは良好な隣人関係を築けていて、仮に再来月に引っ越しをした際に、住所を変更してもひょっとしたらしばらく郵便物が今の住所宛に届くかもしれず、イェルにはその際に連絡をしてもらうようにお願いしようと思っている。


人は覚えておくことを大切にする習性がある。良き人生を送るために何かを覚えておこうと人はするものだ。


しかし、何かを必死に覚えておこうとするのではなく、「善く」忘れることの大切さについて考えていた。頻繁に何かを忘れるのではなく、うまく忘れること。それができるのとできないのとでは、人生の質が変わってくるように思うのだ。


人は無意味なことを覚えようとし、大切なことを覚えようとしない。また人は否定的な記憶を留めがちであり、それを抑圧することなく解放していく形でうまく忘れる術を知らない。


人間というのは本当に矛盾を抱えた生き物だ。そうした矛盾に気づかないこと。気づけないこと。気づかなくさせられていること。それらの中に生きづらさの要因を見出す。


何もないところに行くこと。そしてそこに留まることを恐れてはならない。そこに全てがあるのだから。


そのような気づきが芽生えた。ここでも人はよく、何もないところに行くことを恐れる。


そしてそこに留まってその場所を味わうことをすぐに拒絶しようとする。そういう人たちは、何もないからこそそこに全てがあることを忘れてしまっているのだろう。


もう少しで昼時だ。正午を迎えようとしている今の気温はマイナス2度である。


買い物に出かける時間帯が一番気温が高くなるが、それでも0度だ。こうした寒さの中、心はとても暖かく、晴れ渡っている。落ち着きがあって、のびやかな心がここにある。


ふと今朝方の夢の続きをまた思い出した。随分と夢を書き留めておいたように思うのだが、まだ書き切れていなかったようなのだ。


夢の中で私は、囚人施設の見学をしていた。そこは日本人の囚人だけが収容されていて、私は何かの研究目的でそこに足を運んだ。


看守の一人が私の案内をしてくれており、24時間体制で監視されている室内プールをまず案内してくれた。プールを見た瞬間に、私はそこでくつろぎたいと思った。


看守にお願いをしてプールの空間に入れてもらい、本を持ってプールサイドに向かった。そこで本でも読もうと思ってページをめくったところ、すぐさま私は泳ぎたいという衝動に駆られた。


私は手に持っていた本をプールサイドの椅子に置いて、すぐさま飛び込み台の方に向かって行った。そこからプールの中の様子を見ると、かなり多くの囚人たちが泳ぐことを楽しんでいた。泳ぐことは彼らにとっていい運動であり、精神衛生上も好ましいのだろう。


どのレーンも人が多く、比較してもしょうがないと思ったので、目の前のレーンで泳ぐことにした。すでに何人もの人たちが1列になって泳いでいたこともあって、私は列を乱さないように、うまく彼らの泳ぐ列の中に入って行こうと思った。


列の中の前から3番前の箇所に私はうまく入り込み、そこからは流れに沿って泳ごうと思った。ところが先頭の囚人の泳ぎがあまりにも遅かったので、列が渋滞していた。


私は自分のペースでもう少し早く泳ぎたいと思ったので、レーンを変えようと思った。反対側の壁にタッチした時に隣のレーンを見ると、そこには誰もいなかった。他のレーンも同様に、先ほどまであれだけ人が多かったのに、どこも人がいなくなっていた。


私はターンをして右隣のレーンに行き、そこからは1人で自分のペースで泳ぎ始めた。8割程度の力でクロールをしていると、先ほどまでいたレーンで、誰かが自分と同じペースで泳いでいることに気づいた。


私は同時にゴールをするのが嫌だったが、気にせずに最後まで泳ぎ切ってみると、その人と同時に壁にタッチした。水面から顔を出してその人の方を見ると、彼は今も付き合いのある私の親友(HS)だった。


私は彼に話しかけ、次は全力で泳ぐぞと宣言し、もう一度別々のレーンで泳ごうと述べた。そのような夢があったのを思い出す。


時刻はちょうど正午になった。フローニンゲン:2021/2/1(月)12:00


6609. 思い出と循環


時刻は午後7時半を迎えた。静けさに包まれた夜。


今夜は星空が見えないが、心の中の星はいつも輝いている。


今日は午後にランニングをしながら街の中心部のオーガニックスーパーに出かけた。このようにランニングをして体を動かしていると、精神に張りが生まれる。


肉体を持った人間として体を動かすこと。そこに喜びがあり、そこにまた肉体を持って地上を生きることの喜びがある。


スーパーに向かう途中、少し残念な光景を見かけた。それは、通りかかる都度中の絵画を眺めていたギャラリーが閉店するらしいことだった。


いつもそのギャラリーの前を通ってスーパーに行っていて、そのたびに店内の作品を窓から眺めていた。大抵いつも同じ作品が飾られているのだが、時々作品が売れて作品が無くなっていたり、新しい作品が入っていたりする。


フローニンゲンの風景を描いた作品や、自分の好きな感じの抽象画があったりして、振り返ってみれば、このギャラリーの前を通るたびに目には見えない形で癒しや励ましを得ていたように思う。


そんなギャラリーが閉店に追い込まれてしまったのは残念だ。それは間違いなくコロナの影響だろう。


その他にも、画集の販売店がいち早く閉店に追い込まれていたのは昨年の夏頃のことだっただろうか。前からそこが画集屋だということは知っていたのだが、中に入ることはこの5年間1度もなかった。


だがあの夏のあの日、私はその店にふらりと立ち寄った。何かに引き寄せられるようにして。


そこで1冊の画集と出会った。それはレンブラントの画集だった。


レンブラント。あぁ、今から6年前の真冬にフローニンゲン大学を下見に来た時に、滞在していたアムステルダムにあるレンブラント美術館に行き、レンブラントの作品から何かを感じ取っていたことが懐かしい。その画集を手に取った時、そのような思い出が蘇ってきたのである。


物。物質。目に見えるもの。


昨日私は、目には見えないものの大切さについて考えいた。だが改めて目に見えるものが目に見えないものを呼び覚ましてくれることがあるという点において、物にも大切さがあるということを改めて感じる。


そのレンブラントの画集は大切な思い出の品である。その画集を売っていた店は今はもうない。だが私はこの画集を手に取るたびに、あの画集屋のことを思い出すだろう。


何よりも、そこで1度だけ話をした店長のことをいつまでも覚えているだろう。中年のその店長はとても優しく気さくであった。


店がコロナの影響で潰れるというのに、とても明るかった。「店を畳んでも、またやり直せばいい。人生はそうやって進んでいくんだ」そのように言わんばかりの表情があった。


レンブラントの画集を持って店長が作業しているカウンターに向かった時に、少しばかり立ち話をした。そこで店長は厳しい経営状況に置かれていながらも、それを気にしていないかのように笑って冗談を述べていたことを思い出す。


あの店長は今どうしているだろうか。そのようなことを考えさせてくれること。全くの他人の人生に思いを巡らせること。それもまた人間として生きていくことの素晴らしさの1つなのではないかと思う。


スーパーから自宅に戻っている最中、近所の池が凍っていた。凍った池を見て、数日前にそこを優雅に泳いでいたカモの親子について思った。


また私は自分以外の存在について思った。思ったのである。


彼らは一体どこに行ったのだろうか。この寒さで凍えていないだろうか。


そんなことを考えながら池の前で少し立ち尽くしていた。そこで池から離れようとした時に、小さな小鳥が地面に横たわって死んでいた。


何か他の動物に襲われてしまったのか、それとも凍死をしてしまったのか。死んだ小鳥。その小鳥は死んでしまった。


その小鳥は間も無くそこから消えていく。誰かが片付けるのか、それとも小さな虫たちが死骸を食すのか。


いずれにせよ、その小鳥は何らかの形で土に還る。この地球に何らかの形で還るのである。


愛しい雲を見つけ、その雲を眺めていると、その雲はいつかどこかに去ってしまう。だがそれは空に還り、また新しい雲として自分の目の前にやってくる。


そう全ては循環している。愛しき存在。愛しき記憶。全て。


全ては還り、全てはまた新しくやって来る。何もかも。何もかもだ。フローニンゲン:2021/2/1(月)20:08

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page