
No.1814 夜花_A Night Flower
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.125, A New Day & A New Me
A new day came.
A new me was born.
Really?
Both a day and me can be new?
Both transcend “new” and “not-new.”
Groningen; 06:46, 29/1/2021
No.126, The House for Everything
Silence is embracing me at this moment.
The silence will surrender itself to great silence.
I’ll be handed over to great silence.
Joy and rapture will come to me soon.
Then, both will return to great silence.
It’s the house for everything.
Groningen; 06:51, 29/1/2021
No.127, Clearers for Peace and Happiness
In our society, the ways to peace and happiness are dusty;
it might be said that they are polluted.
We need clearers. We should be them in our own ways.
Groningen; 08:10, 29/1/2021
No.128, A Harmonic Life
Disorder and confusion are sometimes pleasant.
They have unique charms.
Harmony exists because of chaos.
My life is harmonic because of cosy disorder and confusion.
Groningen; 08:39, 29/1/2021
No.129, Energised Foods & Drinks
As a Reiki master, I always send my “ki (life energy)” to foods and drinks before I take them.
The energised foods and drinks make me healthier and younger.
Groningen; 09:26, 29/1/2021
No.130, A Main Characteristic of the Corrupt Society
What are the main characteristics of the corrupt society?
One could be ignoring poets.
If the society disregards them,
our language would be corrupt.
Besides that, our society itself would be corrupt,
because the society is robustly and deeply constructed by language.
We would understand how dangerous it is to neglect poets.
Groningen; 10:52, 29/1/2021
No.131, My Wishes
My songs, paintings, and poems come from the creative higher source.
I wish my creative works to be full of therapeutic and transformative energy
I wish the energy to heal and transform people and our society.
Groningen; 11:17, 29/1/2021
No.132, What We Can Have
We cannot touch the real itself.
What we can have is only a sense of touching the real.
The real is much bigger than what we think.
It is infinitely enormous.
Groningen; 14:20, 29/1/2021
No.133, Here & There
There becomes here.
Here becomes there.
Yet, we have to be careful of the latter.
When we go there, the “there” will be “here” before we know.
It’ll be fine.
But even if we think we are here, the “here” often becomes “there” before we are aware of.
It must not be fine.
We should keep staying here and now.
Groningen; 14:28, 29/1/2021
No.134, Universality & Eternity
Language continues to evolve as humans and the society do.
A series of my poems are written in modern English, but will they be archaic someday?
Even if they are so, I hope some universality within them will remain.
It is timeless as my being is.
Groningen; 19:59, 29/1/2021
No.135, Movies & Human Development
I like watching movies.
Today, I watched two movies.
Movies enable us to face unsolved developmental tasks.
In fact, some movies describe an egotistical worldview, a mythological worldview, a scientific worldview, a pluralistic worldview, etc.
Each worldview encourages us to see a specific developmental theme at the stage which is lower or sometimes higher than our current developmental stage.
When we tackle the developmental task, watching the movie, it can have a transformative effect on us.
Groningen; 20:06, 29/1/2021
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6596. ヘンリー·ディヴィッド·ソローのようなライフスタイル
6597. 3つの創作活動の感覚的差異/今朝方の夢
6598. 『写真家ソール·ライター 急がない人生で見つけた13のこと(2012)』を見て/不動産屋からの連絡を受けて
6596. ヘンリー·ディヴィッド·ソローのようなライフスタイル
時刻は午前5時半を迎えた。今、小雨が降っている。どうやら日の出の時間あたりから雪に変わるようだ。今日は終日雨と雪を繰り返すような天気になるとのことである。
昨日、早速不動産屋から連絡があった。今、2つの物件の見学をしたいと思っていて、その一方の物件を管理する不動産屋から連絡があった。
3階建てのアパートに加えて今良さそうだと思っているのは、フローニンゲン北駅近くにあるレンガと木で出来た一軒家である。そこはオーナーの方が自分の手で作った小さな家であり、造りと内装とがお洒落なだけではなく、光熱に関してエコな作りになっていて、「グリーンハウス」という文言に惹かれた。
今住んでいるアパートは、4階建てであり、各階に1家族が住んでいる。今の家やその周りも静かなのだが、もっと静かな場所を求めていた自分にとって、他人が住む生活空間と隣接していないその一軒家は理想的であった。
その家は、他の家と隣接しておらず、他の家と適度な距離を持って土地に建てられている。不動産屋曰く、同じ土地に何軒か同様の家があり、オーナーはそれらの家も保有しているようだった。
他の家の人たちは軒並み60歳代とのことであり、オーナーも静けさを求む40歳代以上の人に入居してもらうことが理想とのことだった。もちろんそれはオーナーの譲れない条件ではなく、私は不動産会社に自分の年齢を伝え、家賃の支払いを滞りなく行えることを証明する収入情報の提示と今の仕事について説明した。
その家は、内装が木の優しさを感じさせ、いくつかお洒落な形の窓が設けられていて、光が家の中によく入ってくるような工夫がなされている。光と静けさに包まれた生活は自分にとって大切にしていることであり、その家はその点においても理想的だ。
庭もついているとのことなので、何かガーデニングを始めることだってできる。この家の近くには大きな公園が数か所あり、散歩に出かけるにもうってつけだ。
フローニンゲン中央駅ではなく北駅にも歩いてすぐというのも立地が良く、旅行に出かける際には北駅を使ってノンストップで中央駅に行き、そこから空港まで列車に乗っていくことができる。
その家の最初の印象として、まるでヘンリー·ディヴィッド·ソローの家のようだと思った。ソローはマサチューセッツ州のウォールデン池畔の森の中に丸太小屋を建て、そこで自給自足の生活を行っていたことで有名である。
今から3年前にボストンを訪れたときに、ソローとエマーソンの家を見に行こうと思っていた。その時は残念ながら他の用事があり、結局2人の家に足を運ぶことができなかったのだが、2人の超越主義者のように自然を愛し、自然に触れられる場所で生活をすることが自分の理想である。
ソローの家はあまりにも質素であり、今自分が住みたいと思っているその一軒家とは外装·内装共に全く違うのだが、他人から離れて自然に近い場所で生活をするというライフスタイルがソローのライフスタイルに近いと言ったほうが正確だったかもしれない。
手元にあるソローの詩集を読み進めていこう。その詩集を静かな新居で読むことができたら格別であろう。
昨夜不動産屋にメールを返信し、その返信を受けて、実際に物件を見学したい。数か所ほど物件を見学して比較をしようと思っているが、最初に見学することになるであろうその物件があまりにも良かったら、もうその物件を契約してしまおうと考えている。
新居での新しい生活が今から本当に楽しみだ。フローニンゲン:2021/1/29(金)05:55
6597. 3つの創作活動の感覚的差異/今朝方の夢
今日はかなり冷えそうだという予感がする。明日はマイナス6度まで下がるようなので、寒さを覚悟しておいた方がいいかもしれない。
昨夜就寝前に、現在日々行っている創作活動についてぼんやりと考え事をしていた。それらはどれも違う感覚を刺激し、それらの創作活動によって脳と意識が調和的に日々変化しているのを感じる。
絵画の創作中はほぼ無心の状態であり、何も考えることなく手が動き、気づけば絵が生まれているという感覚だ。一方で詩作においては、感覚的あるいは直感的に言葉を形にしているという側面があるが、詩の形に整えていくに際して、言葉を選び直したり、構文を考えたりと、思考が入る余地がある。
それは悪いことではなく、言葉を用いる詩作のある意味必然なことかと思う。降ってきた言葉を単に並べるだけでは意味を成す文章にならない。
そうしたことから、降ってきた言葉を捕まえることは感覚的に行っていながらも、それをどのように加工·配置させるかという点に意思が介入する。絵画との違いはそうした点にある。
最後に作曲実践であるが、これは絵画の創作と詩作の中間にあるような感覚だ。興味深いのは、音が降ってきてそれを感覚的に並べていくというのは絵画の創作に近いが、ここでも単に感覚的に並べるだけでは違和感が生まれる箇所があり、それについては音楽理論的な観点から音を配置するというように意思が介入するという点において詩作につながる現象が見られる。
もちろん、音楽理論というのは過去の偉大な作曲家たちの感覚の法則性の集まりのようなものであると見ることができ、音の配置に関しても自分の感覚を信じて音を選んでいると言えなくもない。
詩作と少し異なるのは、何か思考を巡らせるときに、その思考が自然言語ではなく、音楽言語を用いて生じているという点だろうか。思考の感覚質が全く異なる。そのような印象がある。
このように、それら3つの創作活動は、どれも違った感覚で営まれていて、脳の異なる部位を刺激していることがわかる。それによって、脳と意識空間が変容と拡張の歩みを日々着実に歩んでいることを感じている。そのようなことを昨夜就寝に際して考えていた。
静けさの中で今朝方の夢について思い出している。夢の中で私は、東京駅にいた。東京で何か用事を済ませたらしく、これから実家に帰るところだった。
私の隣には小中高時代の親友(HS)がいて、彼と話しながら駅構内を歩いていた。券売機を見つけ、そこで東京から実家までの切符を購入しようと思った。
今の時刻は午後2時あたりであり、2時半の新幹線であれば余裕を持って乗れると判断した。グリーン車に乗るかどうかを考えたが、今回は指定席でも十分のように思えたので、指定席を予約しようと思った。
すると、券売機の前に続々と人が並び始めた。見ると、近くのエスカレーターと券売機が目と鼻の先にあり、エスカレーターを降りてきた人たちがその券売機に流れていくような見えない導線があるように感じた。
私はその券売機を使うことをせず、少し離れた場所にある別の券売機を使うことにした。いざ券売機の画面にタッチしたところで突然場面が変わった。
私は、東京駅と隣接したビルの会議室にいた。そこで、小中学校時代の友人(KF)に英語を教えていた。
彼は英語の授業の単位が危ういらしく、彼を救うべく英語の勉強方法について教えていたのである。彼にまずやってもらうことにしたのは、英語の論文を10本見つけ、論文の中で自分が面白いと思った1ページを全て書き写すことである。
そのページに書かれていることの意味を理解しながら書き写し、音読をするということを10本の論文に対して行ってもらうことにした。10本の論文に対してそれができたら、同じことを別の10本の論文に対して行う。
10本の論文を1セットとして、2セット目が終了したら、3つ目のセットに移るのではなく、最初のセットと2番目のセットを復習し、それが終わってから3つ目のセットに移ることを彼に進めた。
定着度合いを図るために、確認テストを私の方で作成することにし、それはもちろん読んでもらった論文をもとに作成することを彼に伝えた。すると私の体は再び駅構内にあり、先ほどの券売機の前に自分は立っていた。
時計を見ると予約した新幹線を乗り過ごしたと思ったが、一度新幹線に乗って実家に帰り、今日はもう別の日だとわかって安心したところで夢から覚めた。フローニンゲン:2021/1/29(金)06:23
6598. 『写真家ソール·ライター 急がない人生で見つけた13のこと(2012)』を見て/ 不動産屋からの連絡を受けて
時刻は午後8時を迎えた。今日も充実感と共に1日が終わりを迎えようとしている。
今日は午前中に、『写真家ソール·ライター 急がない人生で見つけた13のこと(2012)』というドキュメンタリーを見た。この作品は、アメリカ人の写真家ソール·ライター(1923-2013)の半生を追ったドキュメンタリーである。
端的には、創作や人生について考えさせてくれる大変素晴らしい作品だった。この作品のように、自分の心を動かしてくれ、何らかの学びをもたらしてくれるような映像作品を今後も見ていきたい。
過去の伝統の水脈から伝統に内包されている普遍性を汲み取り、それを受け継ぐ形で創作物を生み出していこう。現代のコンテクストにおいてそうした姿勢で作品を生み出すと、そこに何らかの新しさが出てくるはずだ。
このドキュメンタリーの中で、無私無欲で創作に打ち込んでいるライターの姿に感銘を受けたことを覚えている。自分もそのような在り方で日々の創作をしていく。
1日映画を8本から10本ほど見る生活を集中的に送ったことにより、映画に関する土地感が養われ、そのおかげで今は毎日3本から4本見ることに落ち着いている。詩集や哲学書などで読みたいものが随分とあることから、映画鑑賞は毎日程々にしていこうと思う。
作曲、絵画の創作、そして詩作という3つの創作活動を行き来するのと同じく、インプットに関しても書物と映画を行き来し、インプットとしてのそれらの活動とアウトプットとしての創作活動の間を行き来するような流れが生まれていることは喜ばしい。それは大河のようであり、この大河の流れに乗って日々を過ごしていく。
先ほどメールを確認したら、不動産屋から返信があった。幸いにも、来週の木曜日に物件を見学できるとのことである。
今はコロナの影響で不動産屋が物件を案内することは制限されているらしく、オーナーが直々に物件を案内してくれるそうだ。例の一軒家はオーナーが自ら建てたものであり、私はてっきりオーナーは男性だと思っていたのだが、不動産屋のメールからすると、オーナーは女性とのことであり、少しばかり驚いた。
オーナーの顔を見れることはこちらとしても有り難く、向こうも借り手の顔が見れることは喜ばしいことだろう。その物件は今の自宅から歩いてそれほど遠くなく、ノーダープラントソン公園の近くでもあるから、当日に天気が悪くても心配はいらない。木曜日の夕方にオーナーに会えること、そして物件を見学できることが今から楽しみだ。
1月が終わり、2月が迫ってこようとしている。毎月恒例の書籍の一括注文を2月にも行おうと思っているが、引越しを考えると、引越し前の最後の注文になるかもしれない。
今月は、詩集だけではなく、哲学書も数冊ほど購入しようと考えている。今後も引き続き自分が関心を持つテーマに関する哲学書を購入し、その哲学書を読みながら喚起されたものを詩、音楽、そして可能であれば絵にしていく。今のところは詩と音楽の創作に哲学書は多大な影響を与えていて、その恩恵を今後も授かっていく。
自分の創作がいかに巨人の肩に乗ることの恩恵を受けていることか。そうしたことを考えれば考えるほど、自ら生み出した創作物は絶えず公共的なものにし、広く共有していきたいという思いが強まる。フローニンゲン:2021/1/29(金)20:28
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