No.1773 無形神_Formless Divinity
本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)
No.18, Improvisation & Creation
My music, painting, and poetry emerge from improvisation. I can feel here and now in improvisation. Yes, improvisation has its inside. Once I enter it, I can have a sense of being alive. Aliveness is the source of life force. Aliveness is the mother of creation. Groningen; 06:14, 20/1/2021
No.19, A Creative Deluge
Fortunately, my creative garden is always flooded. The creative Noachian deluge comes to see me at every moment. It destroys everything, but creation comes after destruction. So, the inundation creates everything. When I create something, the creative deluge and I are one. Groningen; 06:26, 20/1/2021
No.20, Existence beyond Thoughts
Descartes stated “I think, therefore I am.” The statement is true, but partial. I can find the subject, which I can call “I,” exists beyond my thoughts. I can say: “I think, therefore a part of me emerges.” “I-Amness” is much deeper than thoughts. Groningen; 10:33, 20/1/2021
No.21, Beyond the Limitations of Language
When we overcome the limitations of the language that constructs our present reality, we can transform our reality. Since so many practical realms and domains in our reality are restricted by daily language including mathematical and programming language, poetic language could be helpful to liberate our reality from the constraints of those languages. In that sense, any practitioner should be a poet to some extent. Groningen; 15:48, 20/1/2021
No.22, A New Line & a New Reality
When I drew a new line in the sky, the appearance altered. It was interesting to me, so I tried it again. The result of the second time was the same; the face of the reality changed. Groningen; 15:54, 20/1/2021
No.23, A Collage of Words
We can notice that each word has a unique and distinct colour and flavour; it looks like each of us is special and different. Do you know that we can draw a picture by means of words? Yes, we are a unique painter with a tool of words. Why don't we create a collage of words, which makes others happy? Groningen; 16:04, 20/1/2021
No.24, Poetic Healing
If our mental and spiritual diseases derive from how we use language, we can heal them if we change the way we use language. Here, poetry could play an important role because it encourages us to use language differently or uniquely. Once we use poetic language to see our mental and spiritual diseases, they might be healed. Making a poem can be therapeutic. Groningen; 16:26, 20/1/2021
No.25, Visit of My Friends
Silence and serenity came together at night. I welcomed both friends. They touched the surface of my heart, then they gently caressed the depth. I gave them a shining letter in return. Tomorrow will be bright. Groningen; 21:01, 20/1/2021
No.26, Wonderlands and Reality
Wonderlands are omnipresent in this world. Yet, the door of a wonderland is often veiled by the shadow of our awareness. We need to clean out the veil. Once we enter a wonderland, we will experience a state of non-ordinary consciousness. In the wonderland, we set us free from constraints of daily life, and we will notice that our reality always has multiple rich dimensions. Groningen; 21:13, 20/1/2021
No.27, A Miraculous Moment
I’m astounded by the fact that a star is already dead hundreds of millions of light-year ago when I see it on the earth. It’s a miracle that I see the star.
When I see a person——it doesn’t matter whether the person is an acquaintance or not——, I want to consider him or her to be a shining star. It is a miraculous moment to see someone in this universe. Groningen; 21:32, 20/1/2021
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本日生まれた7曲
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タイトル一覧
6574. ロックダウン解除の延期/作曲家・画家・詩人のように生きること
6575. 今朝方の夢
6576. 情報次元での呼吸/小さな失敗体験を積み重ねること/教育的権威の不在
6574. ロックダウン解除の延期/作曲家・画家・詩人のように生きること
時刻は午前6時に近づいて来ている。今朝は少しばかり風があるようだ。風はあるが、雨は降っていない。
天気予報を確認すると、今日は気温も比較的高く、それでいて雨も降らないようなので何よりだ。午後にでも近所のスーパーに買い物に出かけよう。
昨日、街の中心部に出かけていき、髪を切ってもらおうと思ったのだが、店が閉まっていた。1/19までのロックダウンが2/9まで延長されることになったらしい。
自宅に帰ってからオランダ政府のウェブサイトに行くと、3/31までは国外に出てはならないという旅行の制限もかかっているようであり、この様子だと春になるまで旅行に出掛けられないようだ。
国外旅行が難しくても、状況を見て、オランダ国内の美術館には息抜きがてら出掛けて行ってもいいように思う。まだモンドリアン美術館に行くことができていないので、国外に旅行に行けない代わりにそちらに足を運ぶのも1つの手である。
1月は詩集を20冊以上購入したのだが、今、2月に購入したい詩集が30冊近くになっている。詩集に加えて、数冊は詩論あるいは詩に関する哲学を扱っているものもあり、そうした書籍を読むことを通じて、自分の詩作を深めていきたいと思う。
音楽を聴き、絵画を見て、詩集を読む。そして音楽を作り、絵画を作り、詩を作る生活。日々は音楽·絵画·詩に囲まれた形で至福さに満ちている。
日常を、作曲家の眼、画家の眼、詩人の眼を通して眺めてみようと昨日ふと思った。彼らの独特な眼は、この世界を絶えず新たに見ることに役立つだけではなく、日々を新鮮に生きることにもつながってくる。
あえて彼らの役割を演じてみること。つまり、自分が作曲家·画家·詩人であるかのように日常を生きてみること。そうしたロールプレイのような心がけもまた、日常生活に彩りを与えてくれるのではないかと思う。
毎日、自分の思考や感覚をメモするかのように詩を作っていく。思考や感覚のメモとしての詩を残す。
思考や感覚というものがそもそも詩的な何かであることに気づく。その詩的特徴を活かしながら、それを詩的な形で残しておくということ。
詩の形式として残しておくことの良さは、解釈の余地が多分に残ることであり、その余地、ないしは余白から、さらに新たな思考や感覚が芽生えていく。思考や感覚の培養装置のような形で詩として残したものが働き始める。
その瞬間の内的感覚を頼りに、ジャズ的に、すなわち即興的にそれを音·絵·詩の形にしていくことを日々行う。大切にしているのは即興性である。そうした即興性の中に今この瞬間を生きる生命感が宿る。
万有を生み出す根源者と同一化することによって、創造の洪水を引き起こしていこう。今日もそのような1日となる。フローニンゲン:2021/1/20(水)06:03
6575. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎えようとしている。辺りはまだ真っ暗であり、静寂さに包まれている。日の出の時間が少しずつ早くなっているとは言え、8時半を超えてからようやく明るくなり始める状況はさほど変わりない。
静寂さの声に耳を傾けながら、今朝方の夢について思い出している。夢の中で私は、小中学校時代を過ごした社宅のダイニングルームにいた。
私は高校時代のある友人を自宅に招いていて、彼とご飯でも食べながら話をしようと考えていた。いざ彼がやって来て自宅に入れると、いつの間にか、彼の雇い主が家にいた。
どうやら私はその人と面識があるようであり、それほど違和感がなかったので、3人で食事を摂ることにした。すると、友人の顔が曇りだし、今朝方の仕事の進捗状況を申し訳なさそうに彼の雇い主に話し始めた。
すると、雇い主の男性は、「気にする必要はない」と述べながら笑った。だが、友人はどうやら事態を重く受け止めているようであり、深刻な表情を浮かべたままだった。
飯が不味くなると思ったのか、それを見かねた雇い主の男性は、友人に再度励ましの言葉を投げかけようとした。しかし、友人は深刻そうな表情から不機嫌そうな表情に表情を変えたので、雇い主はその表情が気に入らなかったらしく、友人をその場で解雇した。
解雇された友人は家を飛び出してしまった。残った私たちの手元には茶碗があり、私の茶碗にはおかゆが入っていて、そこに立派な梅干しが5つぐらい入っていた。
私はその雇い主の男性に梅干しを分けてあげようと思って、「梅干しはいかがですか?美味しそうですよ」と声をかけると、「それでは2つほどいただきます」と述べたので、私は梅干しを2つほど取って、彼の茶碗に入れてあげた。
次の夢の場面では、私は一風変わった洞窟にある宿泊施設にいた。その宿泊施設はこじんまりとしているが、洞窟の中にあるという時点でユニークであり、その他にも設備の観点からユニークなところが多々あった。
施設に到着して共有スペースのソファに腰掛けてくつろいでいると、知人の画家の方が現れ、そこで久しぶりの再会を祝って話をしていた。すると、私たちのところに、中国系の眼鏡をかけた聡明そうな女性がやって来て、彼女を交えて3人で話をすることにした。
そこから随分と話が盛り上がり、気がつけば夕食の時間になっていた。私たちはその場で別れ、入浴後、また一緒に夕食を摂りながら話をしようということになった。そのような夢の場面があった。
この夢の場面の中で、将棋やカードゲームなどを行える空間が洞窟内にあったのを覚えている。またそこには休憩用のためなのか、敷布団がいくつかあり、洞窟内は複数の蝋燭で照らされていた。
最後の夢の場面を思い出している。夢の中で私は、真っ暗な空の下、実際に通っていた中学校の校庭に似たグラウンドの上にいた。そこで私は、黒曜石をドリブルしながら走る競技をしていた。
ちょうど今、私はその競技を行っているところであって、それはタイムを競うものだった。最初私は、自分のタイムは大したことがなさそうだなと思っていたのだが、周りの友人たちのドリブルをする姿を見ていると、随分とてこずっているようだったので、自分のタイムが結構早そうだと気づいた。
そこからはさらにスピードを上げていこうと思い、利き足ではない左足の方が早くドリブルできることに気づいたので、そこからは左足でドリブルをすることにした。
私がドリブルしている最中は、黒曜石が不思議な音を発していた。それは地面との摩擦によって生じるものなのだが、私はドリブルで黒曜石に触れる都度、スピンがかかるようなボールタッチをしていたので、黒曜石が回転しながら地面に擦れる音がその不思議な音を生み出しているのだと思った。
そのようなことを考えながらドリブルをしていると、いつの間にかゴールが目の前にあった。そこから私はラストスパートをかけ、ゴールに飛び込んだ。するとなかなかの好タイムであり、タイムを計っている人から、自分が蹴っていた黒曜石を記念に持ち帰れることを聞いた。
すると、私と同じぐらいに好タイムを出したアフリカ系の外国人が私のところにやって来て、私が持っている黒曜石よりも大きく、かつ綺麗な黒曜石を私に見せてくれた。そして彼はそれを私に手渡し、笑顔でどこかに去っていった。フローニンゲン:2021/1/20(水)07:12
6576. 情報次元での呼吸/小さな失敗体験を積み重ねること/教育的権威の不在
時刻は午後7時半を迎えた。今日も1日が静かに終わろうとしている。
今日は一日中雨が降らず、平穏さが漂う日であった。太陽の姿を拝むことができれば申し分なかったが、それは多くを望みすぎだろうか。ひるがえって明日と明後日は晴れ間が顔を覗かせるようなので、日光浴でも楽しみたい。
ふと改めて、呼吸について考えていた。息を吐くから息を吸うことができるという当たり前のことから、アウトプットがあるからインプットがあるということについて考えていた。
息を吐き、新鮮な空気を取り入れることで心身の健全さが保たれる。それを情報次元に当てはめて考えてみると、アウトプットの後に何を取り入れるのかということが大事になってくることが見えてくる。
確かにインプットがあるからアウトプットがあるという逆の側面もまた正しいのだが、こちら側面が過度に優位になってしまっては本末転倒であり、現代人はこちらに強く傾いてしまっている。
ヨガにおいて最も重要なことは息を吸うことではなく、息を吐く方であることを忘れてはならない。息を吐き、新鮮な空気を取り入れること。それを心や精神の次元でも行っていく。そして、創作の次元においてもそれは大切だ。
先日、現在進行中の「一瞬一生の会」の受講者のある方が、ジャグリングに関して興味深いことを述べていた。ジャグリングの上達プロセスにおいて、まずはボールを空中に投げ、それをそのまま落とすことを繰り返すところから練習を始めるというものだ。
実は自分も実践の際にはこの発想をとても大切にしている。とりわけ何か新しい実践を始める際には、あえて小さな失敗を意図的にするように実践に取り組んでいるほどだ。
絵画の創作においても作曲実践においてもそうだった。小さく始め、小さな失敗を積み重ねていくこと。それは実践の初期の段階だけではなく、今もなおそれを行って実践を深めていっている。
実践を深めていく際には新たな挑戦が不可欠であり、その新たな挑戦をする際に上記の心がけが大切になってくる。明日からもまた新しいことを試す際に、意図的に小さな失敗体験を積んでいこうと思う。そうすれば、自分の創作は日々前に進んでいくはずだ。
この間、何かの映画を見ていたときに、成長発達を導く存在としての教育的権威の不在は、人間関係におけるフラットランドの現れかと思ったことをふと思い出した。
価値あるものがいかような理由で価値があるのかを説く人間がいなければ、その価値は伝承されず、伝統が途絶えてしまう。伝統に立脚する形で変革を進めていくためには、価値あるものを伝承していく導く存在としての権威が不可欠である。
自己保全的、そして他者抑圧的な権威が不必要なことは言うまでもないが、それにしても伝統を継承し、伝統の価値を伝える権威がほとんど見られなくなってしまったことを大いに危惧する。
抑圧的な権威を否定する際に、本来必要であった権威までも否定してしまったのだろうか。まさに赤子をたらいごと流すようなものである。
権威が不在となり、価値と伝統を伝え、私たちを価値あるもの·高きものに導く存在が絶滅危惧種になってしまったことを憂う。これもまた人間関係の平坦化、すなわちフラットランド現象だと言えるだろう。フローニンゲン:2021/1/20(水)20:05
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