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6501-6502: アートの国オランダからの便り 2020年12月25日(金)


No.1661 朝の森_A Morning Forest

本日の言葉

If you students of the Way wish to become Buddhas, you need study no doctrines whatever, but learn only how to avoid seeking for and attaching yourselves to anything. Huang Po


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本日生まれた4曲

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タイトル一覧

6501. 早朝の考え

6502. 今朝方の夢


6501. 早朝の考え


時刻は午前4時半を迎えた。今日はクリスマスであり、特別な日として祝われているが、いつもと変わらない形で今日という1日を過ごしていこう。クリスマスが特別な日というよりも、毎日が特別なのだから。


幸いにも今日は晴れとのことであり、午後に近所スーパーに買い物に行こうと思う。予報を見る限りだと、午後に日光浴ができそうだ。


昨夜、この秋の日本への一時帰国の際にオランダに持って帰って来た『音楽美学(1953)』という書籍の初読を終えた。この書籍は、作曲上有益な洞察が随所に散りばめられている名著であった。本書の狙いはタイトルにあるように音楽美学なのだが、単に音楽に関する理解を深めるだけではなく、今後の作曲実践の新たな方向性を考えさせてくれるものだった。


ここ最近は探究の材料を映画とし、書物を読むのは夜に少しばかりに留めていた。現在書斎の机の上に置かれている書物を全部読み終えたら、そこからは書から離れ、曲の原型モデルの作成により多くの時間を充てたい。


今朝方もふと考えていたが、成人発達理論やインテグラル理論を主軸にした活動をするのは後一、二年ぐらいだろうか。仮にそれらの理論に触れるとしても、現在の活動のコンテクストではなく、映画鑑賞というコンテクストになるだろうか。


いずれにせよ、それらの理論を活用した既存の活動からはどこかで卒業をし、新たな活動に本格的に乗り出していきたいという思いがある。作曲実践により本腰を入れたいというのは変わらない思いであり、徐々に活動の重心をそちらに移していく。


先日イギリスの書店にシネマセラピーに関する書籍を3冊注文し、また新たな書籍がやってくるわけだが、未読の書籍を全て読んだら、いったん読書から離れ、実際の楽譜を写譜しながら音楽的パターン認識を深め、写譜されたモデルをもとに作曲をしていく。


古典的名作を、現代を生きる自分を通じて新たな曲として蘇らせていく実践を日々小さく進めていく。とにかく作るという実践行為が最大の学びなのだ。


音楽の本質と人間の本質が重なり、それらに共通する本質は多分に霊的なものであるがゆえに、霊性を育んでいくことが、音楽を作る際にも鑑賞する際にも重要になるだろう。霊性の涵養。それもまた来年以降も重要なテーマの1つになる。


現在の平穏な生活を継続していくこと。より平穏な環境を求め、いずれはそこを拠点にして自分の取り組みに励むこと。


これまでの活動に面白みを感じられなくなったら、それらの活動に見切りをつけ、新たな活動に乗り出していくこと。来年はそうした方向転換をする年なのかもしれない。フローニンゲン2020/12/25(金)04:59


6502. 今朝方の夢


時刻は午前5時を迎えた。クリスマスの朝はいつもと変わらずに静かだ。


昨夜は遠くの方で花火が上がっていた。先日も数発ほど花火が上がり、それと同じぐらいに短い花火が打ち上げられていた。コロナの影響を受けてか、控え目の印象であり、大晦日の花火もそれぐらいに控え目のものにして欲しいと思う。


クリスマスの朝方にいくつかの夢を見ていた。最初の夢の中で私は、「世知辛い世の中」という言葉を述べていた。世知な人が増えたこの世の中ではどうも暮らしにくいという、その言葉通りの感覚が自分の身を纏っているようだった。


次の夢では、私は小中学校時代を過ごした社宅の父の部屋にいて、父と投資の話をしていた。実際のチャートを見ながら、ある投資対象の値動きについて意見交換をし、その売却タイミングについて話し合っていた。


その投資対象に素人のイナゴ投資家が集まり、価格が高騰するタイミングで売るという最も基本的な投資方針について話をし、イナゴが集まり出すサインとして、その投資対象が新聞に取り上げられることを挙げた。


父へのお願いとして、新聞にその投資対象に関する記事が出たら教えて欲しいと述べた。その記事が出たことによって、2回、あるいは3回ほど波をつけて価格が上がっていくという原則的な動きを確認し合った。


話が終わりに近づくと、父の部屋に愛犬がやって来た。そしておもむろに糞をした。糞をし終えたかと思った愛犬は、父の部屋をゆっくりと出ていき、廊下を歩いて私の部屋に入っていった。


愛犬の後を追うと、愛犬はそこでもおもむろに小さい糞をした。私はすぐさま母を呼び、キッチンペーパーを持って来てもらうことにした。


母に愛犬の肛門を拭き取ってもらい、自分は畳に落ちた糞を拭き取ることにした。どういうわけか、愛犬は糞をした後すぐに仰向けに寝転がり、赤ちゃんがオムツを変える際に見せるポーズを取ってじっとしていた。


最後の夢の場面では、私はスペインの名門サッカーチームに所属していて、試合をベンチから観戦していた。私は選手としてそのチームに所属していたのではなく、選手たちの知性を育むアドバイザーとして参画しているようだった。


しかし日々の練習や試合の前のウォーミングアップには選手のように参加し、選手たちと密な交流をしていた。その試合が始まる前には、まだ中学生ぐらいの年であるにもかかわらずトップチームに昇格した非常に若い選手と話をしていた。


彼であれば技術的にはすぐに試合に出ても問題ないだろうが、体格的な面で少し厳しいように思えた。彼もそれを承知のようであり、焦らずに身体を作っていくとのことだった。


彼とベンチで話をしていると、いつの間にやら試合が始まっていた。フィールドに視線をやると、フォワードに見覚えのある顔があった。大学時代に同じフットサルサークルに所属していた先輩がニット帽をかぶって試合に出ていたのである。


その先輩はよくニット帽をかぶっていて、当時の姿を懐かしく思い出した。その先輩は体格的に大きな選手ではないのだが、なぜかこちらはワントップを採用して、その先輩にポストプレーを任せ、先輩がボールをキープしている間に他の選手たちが攻撃参加するという戦略を取っていた。


相手のディフェンダーが屈強な選手であったから、ワントップを先輩に任せるのは酷のように思えた。ところが先輩は奮闘しており、ボールをよく収めていた。


ただし、ボールを収めてターンをして、やたらと遠い距離から次々にシュートを放つことが目立っていた。もちろん積極的にシュートを打つことはいいことなのだが、如何せんその数が多すぎであり、もう少し他の攻め方もあるだろうと私は考えていた。


するといつの間にか私がフィールドに立っていて、試合が行われていた場所から瞬間移動して、そこが住宅地の道に変わった。そこでストリートサッカーが行われていて、私はその試合に参加していたのである。


先ほどまでは仲間だった先輩がどういうわけか敵チームにいて、しかも私をマークしていた。味方からロングボールが蹴り上げられ、それを大学時代のサークルの同学年の友人が身体を張ってキープした。


私はリターンパスを要求し、彼は私にボールを預けてくれた。そこからは自分一人でドリブル突破をしようと思い、マークに付いていた先輩を手をうまく使いながら抑え込み、ドリブルで進んで行った。


そしてゴールのラインが近づいてくるのを見て、浮き球のシュートはゴールにならないというルールに従う形で、ボールを地面に転がすかのようなシュートを優しく放った。フローニンゲン2020/12/25(金)05:24

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