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6443-6445: アートの国オランダからの便り 2020年11月30日(月)


No.1597 夕方の雨を眺めて_Seeing the Evening Rain

本日の言葉

Having meditated on love and compassion, I forgot the difference between myself and others. Milarepa


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本日生まれた6曲

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タイトル一覧

6443. またとない1日と自己

6444. 今朝方の夢

6445. アルフレッド・ヒッチコックの映画から


6443. またとない1日と自己


時刻は午前5時を迎えた。今日から新たな週が始まる。それはまた1つ新しい週であり、この人生において1度しかない週だ。そう思うと大変貴重な週のように思えてくる。


このように、日々は常に新たなものであり、この人生においては1度しかないものなのだ。ヘラクレイトスが述べた「同じ川に2度入ることはできない」というのと同じであり、日々は絶えず新しく、またとないものである。


そのように考えてみると、今日存在する自分というのもまた2度とない存在なのではないかと思えてくる。自己を含めた万物はいずれもその瞬間に固有の立ち現れとして存在しているのだ。


今日の自分は、この人生における唯一の自分である。万物は皆そうした貴重性を持っている。


今の気温はマイナス1度であるが、思ったほどに寒くはない。書斎の中にいるのだから外の寒さが体感的にいかほどかは分かりかねるが、例年であれば、外の気温がマイナスの時には部屋のヒーターをつけていた。ところが今はヒーターをつけておらず、それどこから、寝室と書斎の窓は少し開けて換気をしている。


寝室のヒーターは少し前から入れるようにしているが、書斎のヒーターはまだほとんど使わなくていい状況なのだ。暖かい格好をしていれば、室内ではヒーターを使わなくても耐えられるので、しばらくこの形で生活をしていこうと思う。書斎が寒くて仕方なくなってきたらヒーターをつければいい。


ここ最近は映画を見る本数がさらに増え、昨日は8本ほど見ていた。一方で、映画評論関係の書籍や論文を読むことによって、映画を紐解く観点を得ていく必要性を感じており、もうしばらくしたらまた日中にも文献を読んでいこうと思う。


今は夜の就寝前ぐらいにしか文献を読んでいない。そんな折、昨日は米国カリフォルニア州パロアルトにあるソフィア大学のマーク·アラン·カプラン教授の仕事と出会った。カプラン教授は、インテグラル理論の観点から映画について研究を進めており、数多くの論文を執筆していることを知ったのである。


昨夜、ざっとカプラン教授の論文タイトルを眺めてみたところ、いずれも非常に興味深いと思ったので、全ての論文を読んでいこうと思う。とりあえずまず1つダウンロードし、それをデスクトップに保存した。合わせて、カプラン教授のYoutubeチャンネルも登録し、投稿されているビデオは料理をしながらでも全て音声で聞いていこうと思う。


昨日はマスメディアに関する映画を2本、ドキュメンタリーを1本見た。映画については『スポットライト 世紀のスクープ(2015)』と『ニュースの真相(2015)』を見て、ドキュメンタリーとして『i-新聞記者ドキュメント(2019)』を見た。このドキュメンタリーは森達也監督によって製作されたものなのだが、過去に見た森監督の作品はいずれも示唆に富む。


過去見たことがあるのは、オウム真理教に潜入し、そこでの記録を撮った『A(1998)』『A2(2001)』、そして2014年に作曲のゴーストライター騒動で世間を賑わせた佐村河内守(さむらごうちまもる)氏を追ったドキュメンタリー『FAKE』はいずれも興味深い作品だった。


森監督の作品でまだ見ていない『311』を今日の昼にでも見ようかと思う。その他にも、政治経済関係の作品と、引き続きゴダール監督の映画作品も見ていく。フローニンゲン2020/11/30(月)05:23


6444. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。昨夜、インテグラル理論の観点から映画を探究している研究者を探していたところ、ソフィア大学のマーク·アラン·カプラン教授の仕事と出会った。これから彼の仕事を丹念に追ってみようと思っていたところ、それではインテグラル理論の観点から音楽を探究している研究者がいないかを調べておきたいと思った。


先ほど少しばかり調べてみたところ、数名ほど研究者がいることを知った。彼らの論文のタイトルを眺め、少しばかり中身を調査してみたところ、それほど自分の関心を引くものではなかった。


私は別に音楽評論を行いたいわけではなく、あくまでも音楽を作り続けたいという思いを持っており、作曲に何か活かすものがないかと思って調べていたのだが、そうしたニーズに合致するものはほとんどなかった。とはいえ、論文ではないが、1冊ほど“Improvisation, Creativity, and Consciousness: Jazz as Integral Template for Music, Education, and Society (2014)”という書籍はまだ読んだことがなく、先ほど初めて知ったので、今後この書籍の購入を検討したいと思う。


文献に関してはまずは映画関係のものを読んでいく。とりわけ、カプラン教授の論文を全て読むことから始めていこう。


今朝方は1度夢で目が覚めた。その時に見ていた夢はかなり不気味な内容だった。具体的には覚えていないのだが、2つの選択肢が私に与えられていて、いずれも死と恐怖に関するものだったように思う。


どちらの選択肢を採用しても、いずれも結果がグロテスクなものに終わることが見えていて、選択することを躊躇している自分がいた。改めて考えてみると、「選択しないという選択」という第3の選択も本来存在するはずであり、そうした選択肢が浮かばなかった自分を思う。


夢の中の私はそうした選択肢が浮かばないほどに、恐怖に縛られていたのかもしれない。この夢の主題は間違いなく死だった。


1度目を覚ました後に見ていた夢の中で私は、実際に通っていた中学校のバスケコートの上にいた。時刻は午後、そして太陽が燦々と降り注ぐような天気だった。グラウンドには誰も人がおらず、バスケコートにもほとんど人がいなかった。どうやら今は、本来授業中のようだった。


私は、同じバスケ部に所属していた小中高時代の親友(SI)とテニス部に所属していた親友(AF)と一緒にバスケをして遊んでいた。3人で話しながら、気ままにシュート練習を楽しんだ後、私はふと、彼らにサッカーの変わったトラップの仕方を披露した。ちょうど近くにサッカーボールもあったので、私は上空に思いっきりボールを投げ、それを右足でトラップして見せた。


その時に、通常のトラップのように、ボールが落下する際の速度と重力を加味した、足の甲で行う通常のトラップではなく、ボールをわざと地面に着地させ、その着地の瞬間に、足首をひねりながらボールの勢いを殺すトラップを披露した。このトラップでボールを止めると、ボールにバックスピンがかかり、いったんはボールが自分の足元から離れるのだが、離れたボールがバックスピンによって再び自分の足元に戻ってくる変わったトラップである。


このトラップを見ていた2人の親友はとても面白がって、自分たちでもやってみたいと述べ始めた。私は彼らにその方法を教えようと思って顔を上げると、校舎の窓からは、後輩の女子たちが私たちが遊んでいる様子を見ていることに気づいた。フローニンゲン2020/11/30(月)05:56


6445. アルフレッド・ヒッチコックの映画から


時刻は午後7時半を迎えた。今朝方の気温はマイナス1度であり、そこから徐々に気温が上がり、今に至る。


夕方からの雨がまだしきりと降っている。予報では明日は天気が回復するようなので、午後にでも街の中心部に買い物に出かけようと思う。


今朝方にキッチンの電球が切れてしまったので、街の中心部で新しいものを購入したいと思う。サイズを確認するために、古い電球を忘れずに持参しよう。


今日は結局、合計7本ほど映画やドキュメンタリーを見ていた。今朝方に1時間半ほど音声ファイルを作っていたことを考えると、今日もまた十分に映像作品を見れたと思う。


今日見た作品の中でも、『ヒッチコック/トリュフォー(2015)』が印象に残っている。本作品は、映画監督にとってはバイブルである「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」にまつわるドキュメンタリーだ。


「サスペンス映画の神様」とも称されるイギリスの映画監督アルフレッド·ヒッチコックとフランスの映画監督フランソワ·ロラン·トリュフォーとのインタビュー音源と、10人の映画監督たちがいかにこの本から影響を受けたかを解説している。


ヒッチコックが大切にしていた「サスペンス」という概念は、元々は「吊るす(宙吊りにする)」という意味であり、本来は恐怖とは関係ないということが印象に残っている。この概念は作曲においても大切に思える。


聴衆を宙吊り状態にして次の瞬間に生じる音へ関心を持ってもらう状態を持続すること、つまりサスペンスの持続は作曲においても大事であり、ヒッチコックの映画作法から学ぶことが多いように思える。ヒッチコックはその他にも、沈黙によって何かを語らせる優れた技術を持っており、沈黙で聴衆に聴かせるという技術も作曲において重要であり、この点についてもヒッチコックの映画作品から学んでいきたい。


また、ヒッチコックは「時空間変容のマジシャン」とでも形容できるような作品を数多く残していった。ヒッチコックは映像を通して、時間と空間を巧みにコントロールしたのである。特に空間に関しては、カット割りの技術を使い、そこには数学的な正確さと美しさがあるとのことである。


時空間を変容させることを音を通じて行ったのはバッハであり、バッハとヒッチコックの思想や技術には共通したものがあるかもしれない。その点についても探求をしたい。


ヒッチコックのいずれの作品にも夢のような世界観があるという点も興味深い。ヒッチコックの作品には非日常的な何かが必ずある。ヒッチコック自身が、「平凡ではつまらない」と述べていることがそれを物語っている。


心理学の観点からすると、ヒッチコックの作品には人間の深層心理が描かれている。そして、「誰にも罪がある」「誰にも秘密がある」「誰にも善悪の葛藤がある」という点が巧みに描かれている点に共感する。罪、秘密、善悪の葛藤を消し去ろうとするのではなく、それらを引き受けながら生きるというのは、クリント·イーストウッド監督の思想に似ていると言えるかもしれない。


今日はヒッチコックの歴史的名作である『サイコ』誕生を映画化した『ヒッチコック(2012)』を見た。明日は実際に『サイコ』を見る予定であり、ヒッチコックのその他の作品も明日に見るかもしれない。フローニンゲン2020/11/30(月)19:58

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