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6401-6403: アートの国オランダからの便り 2020年11月13日(金)


No.1550 誰?_Who?

本日の言葉

If you have a reason, you don't need to shout. Zen proverb


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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6401. 今朝方の夢

6402. 新たな食生活/映像作品をもとにした講座に向けて

6403. 戦争倫理/“aperspectival madness”について


6401. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えようとしている。真っ暗な外の世界を眺めながら、今朝方の夢について振り返っている。


最初の夢の場面では、私は父が運転する車に乗っていて、ナビ役を務めていた。目的地は不明だったが、北東の方向に進むことを父に告げていた。


そのような場面があったことを覚えていて、そこで1度目が覚めた。目覚めた時に、北東の方角について考えを巡らせていた。


今いるフローニンゲンから北東の方向には、コペンハーゲン、ストックホルム、そしてヘルシンキがある。それらの都市にはいずれも足を運んだことがあり、それらが一直線でつながっていることの不思議さを思う。


過去の旅を結び、旅での経験を再統合することを示唆している夢だったのだろうか。そして、ここからヘルシンキでの生活に向けて歩みを進めていくことを示唆している夢だったのかもしれないと思う。


次の夢の場面では、見慣れない日本の土地にいた。そこは山の中にある住宅地だった。そもそもその土地は、人口が多くなく、住宅地も閑散とした雰囲気を放っていた。


私は、ある集合アパートの近くを歩いていて、どういうわけか、アパートを仕切る壁をボルダリングのように登っていた。途中で数多くの洗濯機のようなものが壁に埋め込まれていることに気づき、手がかけれそうな部分を洗濯機に見つけながら壁を進んでいった。


あるところで私は、壁の天辺に置かれていた2つの小瓶を地面に落としてしまった。それらの瓶には何か飲み物が入っていたらしく、地面に落とした時、その飲み物が飛び散った。


地面には若い男性が2人いて、とてもびっくりした様子を見せており、「誰がこんなことをしたんだ!」というようなことを言葉荒げに叫んでいた。私はとっさに身を隠し、すぐさま壁から降りた。


幸いにも彼らには怪我がなかったようにであり、そこから私はさらに先に進んで行った。すると、目の前に分岐路が現れた。


片方の分岐路は、目の前に蜘蛛の巣が張られていて、もう一方の分岐路の方にも、その出口に蜘蛛の巣が張られていた。


私は足元に落ちていた棒を拾い上げ、それを使って蜘蛛の巣を払い避けた。ところが、思った以上に蜘蛛の巣が大きく、枝だけでは全ての蜘蛛の巣を払い避けることが難しかった。


それでもあらかた蜘蛛の巣を払い避けることができたので、そのまま進むことにした。すると、目の前に芝生の公園が現れた。そこには、小中学校時代の親友たちがいた。


何やら、私たちは今学校の宿泊訓練か何かに参加しているらしく、午後6時まで公園で遊ぶことが許可されているらしかった。日が暮れる時間が早くなっている時期でもあったので、もう20分ぐらい公園で遊び、早めに帰ってみんなでゆっくり風呂にでも入ろうということになった。


そこから私たちは、サッカーの鳥かごの遊びをみんなで行って盛り上がった。今朝方はそのような夢を見ていた。


とりわけ蜘蛛の巣のシンボルが印象的だったので、早速その意味について調べてみた。蜘蛛そのものが意味することと、蜘蛛の巣のシンボルにはかなり多くの意味があることがわかった。


夢の中では蜘蛛の姿を見ることはなかったので、蜘蛛の巣だけに限ってみた時に、夢の自分の行動と今の自分の現状とを鑑みてその意味するところを紐解いてみると、これまで取り組んできたことの成果を収穫する時期にあるのかもしれないと思った。


蜘蛛の巣を枝に巻き付けたことは、これまでの取り組みの成果を回収することを示唆しているように思えたのである。また、そもそも蜘蛛の巣は、インターネットやグローバルコミュニケーションを象徴しているという側面もあるらしく、その観点で言えば、世界との繋がりをより深めていこうとしている自分がいることを象徴しているのかもしれないと思った。それは意識下·無意識下、双方の意味での繋がりである。


今日は久しぶりに印象的な夢を見ることができた。今日はそれがなんらかの形で日常生活の中に流れ込んでくるかもしれない。フローニンゲン2020/11/13(金)07:12


6402. 新たな食生活/映像作品をもとにした講座に向けて


時刻は午前7時半に近づいてきており、空がダークブルーに変わり始めた。おそらくここから数週間が最も日の出の時間が遅くなり、日没の時間が早くなる期間だと思われる。


今日は午前中には太陽が少しばかり顔を覗かせるようだが、総じて曇りのようであり、夕方には小雨が降るらしい。そうしたこともあり、正午のオンラインミーティングを終えて、仮眠を少し取ったら、雨が降る前に近所のスーパーに出かけたいと思う。


オランダに戻ってからの食生活は極めて良好であり、チーズを食べることをやめてから、夕食がさらに軽いものになった。消化の速度の違いを実感していて、チーズの代わりにケールを取り入れることにした今の食事は自分に合っているようだ。


チーズを摂取しないことによって、完全に乳製品を断つことになった。以前から卵も摂取していなかったので、現在は完全にヴィーガン食を摂取していることになる。


乳製品や卵を摂取しないことに伴って、タンパク質やその他の栄養素については他の食品から摂取するように心がけている。今のところ、何か栄養が不足して症状が出てくるというようなことはなく、むしろ調子が良いので、引き続きこの食実践を継続していこうと思う。


今日はこれから絵を描き、早朝の作曲実践を行う。その後、正午のオンラインミーティングまでは映画を見たり、それと交互に作曲をしていく。


毎日、映画を選定する楽しみとそれを見る楽しみがある。結局、昨日はNetflixと契約することはなかったので、今日の午後にでも時間を作って契約を済ませたい。


Netflixで2作品、U-Nextで2-3作品ぐらいを毎日見ていくことがちょうどいいリズムだろうか。ここ数日間は毎日5本ほど映画を見ていて、それらの日はいずれもオンラインミーティングがあったので、そうした仕事がなければ、6本ほどは無理なく見れそうだ。


昨日偶然ながら、ある協働者の方と映画の話になり、今度、映画を通じて成人発達理論やインテグラル理論を学んでいくような講座を作るのはどうかという話になった。


学術書を取り上げると、どうしてもハードルが高くなってしまうようであり、映像作品であれば比較的それらの理論の学習に入っていきやすいのではないかという話になった。確かにそうだと私も思うため、今後は、そうした講座の実現に向けて、テーマごとの映画をリストアップしていくという観点で作品を見ていこうと思う。


読書よりも映像作品を見ることに時間を充てていることもあって、毎月一括注文していた書籍の数が自然と減ることになった。そもそも、今はそれほど購入したい書籍がなく、敢えて購入したい書籍を挙げるとするならば、映画評論関係の学術書と死生学(thanatology)に関する学術書ぐらいだろうか。


死生学に関しては、この分野の研究で有名な精神科医のエリザベス·キューブラー=ロスのことを以前から名前は知っていたのだが、まだ彼女の書籍を読んだことはなく、今度書籍を注文する際には、彼女の書籍を数冊ほど購入してみようと思う。


ここからしばらくは映像作品を主にして、書物を補助的なものとする形で探究を進めていきたい。フローニンゲン2020/11/13(金)07:37


6403. 戦争倫理/“aperspectival madness”について


時刻は午後7時半を迎えた。今日は午後にぱらつく小雨が降ったが、今は雨が止んでいて、穏やかな夜の世界が広がっている。


ここ最近は、本当に日暮れが早くなった。午後2時頃に買い物に出かけた際に、その時には小雨が降っていたこともあってか、もうその時間帯で随分と暗く感じられた。


ここからまだ日没の時間は早くなり、日の出の時間が遅くなっていくだろう。このところは天気予報が外れやすく、今週は晴れの日が多いという予報のはずだったのだが、それがすっかり変わり、終日雨マークになっている。


もちろん、オランダでは1日中雨が降るということは滅多にないのだが、やはり晴れマークを望む自分がいる。今この瞬間の天気予報も当てにならないので、もしかしたら今の雨マークが晴れマークに変わることもあるかもしれない。


今日も結局5本ほど映画を見た。いずれも印象に残っているが、『アイ·イン·ザ·スカイ 世界一安全な戦場(2015)』という作品を見て、ドローンによる攻撃は、まるでシューティングゲームのように感じられ、作中においては、そうした非道な攻撃に対して登場人物のほとんど——主人公の大佐は怪しい——が倫理的なジレンマを感じていた点は救いかもしれないと思った。


今後ドローンを用いた戦争の数が増えていくに従って、こうした倫理的なジレンマを感じにくくなってしまい、ドローンを用いた殺戮に関する倫理感が消失してしまうのではないかと大いに危惧した。そもそも戦争倫理とは何なのだろうか?そのような問いが改めて立つ。


その他の映画を見ながら、ケン·ウィルバーが指摘する“aperspectival madness”について思う。「真実など何もないのだ」という信念によって、つまりいかなる視点も普遍的な妥当性を帯びないという信念が推し進められることによって、社会の中に大規模な自己矛盾的現象が起こっている。


ウィルバーも指摘していることだが、視点が溶解してしまうこうした狂気によって、集合規模の進化は方向性を見誤ってしまう危険性がある。こうしたモチーフもいくつかの映画に見られることは見逃せない。明日もまたいくつかの映画作品を積極的に見ていこうと思う。フローニンゲン2020/11/13(金)20:00

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