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6394-6396: アートの国オランダからの便り 2020年11月10日(火)


No.1544 夕暮れの感謝の気持ち_A Feeling of Gratitude in the Evening

本日の言葉

I await those moments when mystery comes to permeate everything, instilling itself into everything, and saturating everything with its splendour. Stephen Batchelor


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本日生まれた7曲

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タイトル一覧

6394. 新居での生活に思いを馳せて/今朝方の夢

6395. 霧深き日の友との語らい

6396. 自己の言葉について/メタクライシスの時代における表現物


6394. 新居での生活に思いを馳せて/今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。辺りはまだ真っ暗であり、どうやら薄い霧がかかっているようだ。


ぼんやりと街灯が光っている様子が見える。そんな中、数羽の小鳥たちが1日の始まりを静かに祝している。自宅周辺の落ち着きには本当に感謝したい。


昨夜は浴槽にゆっくりと浸りながら、改めて今の生活の落ち着きについて考えていた。ここからより静かな場所で生活を始めると、自己及び人生がどのように変わっていくのだろうと思った。


昨夜、街の空き物件に関するウェブサイトを見ていると、2つほど良さそうな物件を見つけた。どちらも共に少し前に空き物件として掲載されていたものであり、改めてそれらの物件を見たときに、何か響くものが自分にあった。


今夜にでもそれぞれの物件を管理している不動産屋に連絡をして、物件見学をお願いしようと思う。一方の家には、ガーデニングができる庭が付いていて、写真を見る限りだと、小さな畑を作ることができそうだった。


もし仮にそちらの家に引っ越すことにしたら、何か栽培してみようかと思う。ちょっとした野菜か果物を栽培することについてぼんやりと考えていた。


今回でなかったにせよ、いつか畑を持って野菜や果物を自分の手で育てたいと思う。その頃になれば、世界を旅することも少しは落ち着いているかもしれない。仮にまだ旅を続けていたとしても、旅の期間に生きていけるような植物を育てたいと思う。


暗闇を眺めながら、今朝方の夢について思い出している。幸いにも昨日からは、時差ぼけが完全に解消されたようであり、夕食後に睡魔に襲われることがなかった。眠りに関しても快眠であったことは喜ばしい。


夢の中で私は、オランダの街を思わせるような場所にいた。そこで数名の外国人の友人たちと歩きながら会話を楽しんでいた。


しばらく歩くと、ある外国人女性の友人の家に到着した。彼女にDVDの渡し物があったので、家のドアをノックすると、中から彼女の母親が笑顔で出てきた。


どうやら彼女本人は今手が離せないらしく、私は彼女の母にDVDを渡し、「よろしくお伝えください」と述べ、その場を離れた。そこからも友人たちと会話を楽しみながら歩いていた。


今朝方の夢は、総じて楽しげな感覚を持つものだった。この夢の場面の前にも何か場面があったことを覚えている。その時の私は日本語を話していたので、周りに日本人がいたのだと思う。


今日もまた作曲実践と映像作品の鑑賞に多くの時間を充てていこう。作曲に関していえば、やはりバッハの曲が自分の心を深く癒してくれることもあり、バッハの曲をまた参考にしていこうと思う。


いつも夜に曲の原型モデルを作ることを行っているのだが、その時に、フィンランドの作曲家たちの曲だけではなく、バッハの曲も1曲ほど原型モデルを作っていこうと思う。


過去の偉大な作曲家たちから汲み取れることはまだまだ無数にあり、それらを十分に汲み取るまで、彼らの曲を参考にしていきたい。フローニンゲン2020/11/10(火)06:44


6395. 霧深き日の友との語らい


今日はとても寒い1日だった。朝から外の世界は霧に包まれていて、午後3時半を迎えた今もまだ霧が濃いい。その雰囲気は、どこか推理小説の物語の世界の中で登場する街の一風景のようだ。


今日という1日を振り返ってみた時に、自分は今日という1日を何と形容するであろうか。美しき1日。きっとそのように表現するに違いない。それ以外に表現のしようがない1日だった。


今日という日の美しさを感じさせてくれたのは、友との語らいだった。そう、今日はかかりつけの美容師かつ友人のメルヴィンの店に行ってきたのだ。


以前髪を切ってもらったのは6週間前のことであり、日本に一時帰国する前のことである。メルヴィンの店にいく前に自宅を出発する時からすでにメルヴィンとの対話が楽しみであった。それは毎回のことであり、会って話すことが純粋に楽しみな友をこの国に持てたことには本当に感謝しなければならない。


メルヴィンはいつも私のために、他の客よりも2倍の時間を確保してくれていて、いつもゆっくりと話をする。店に到着すると、そこで挨拶を交わし、メルヴィンはすぐにダブルエスプレッソを淹れてくれる。


メルヴィンの店のダブルエスプレッソは美味なのだ。おそらく豆はオーガニックなものでもなんでもないと思うのだが、彼が淹れてくれるダブルエスプレッソには心がこもっている。それは味に大きな影響を与えている。


今日のメルヴィンとの対話も、実に多くのテーマを話した。やはり最初にコロナの状況について話をした。


私が日本に一時帰国していたことはメルヴィンも知っており、この1ヶ月間の日本の状況についてこちらから話をし、メルヴィンからはオランダの状況について話をしてもらった。


そこから本当に多くのことを話していたので、今この瞬間にそれらを全て取り上げることはできない。だが1つ印象に残っているのは、コロナを受けて経営として大変な状況にありながらも、メルヴィンは引き続きホームレスやその他の支援が必要な人たちの髪を無料で切っているということである。


普段メルヴィンは月曜日が休みなのだが、毎月最初の月曜日は、どこかの施設の人たちのために店を開け、無料で彼らの髪を切っている。いつも私はメルヴィンから、サービスというものがなんたるかを教えてもらっているような気がする。


奉仕の精神がメルヴィンには体現されていて、彼は自らの使命を知り、それを全うする過程の中で自らの存在を輝かせている。そう、彼の輝きはそうしたところに由来しているのだ。


メルヴィンは最近、レイキをはじめとしたエネルギーワークに関心を持っていて、本日店に到着した時には、読みかけのオランダ語の学術書の話をしてくれた。テーブルにその書籍が置かれていて、メルヴィンはその書籍のタイトルを英訳してくれ、それを日本語訳するならば、「創造の幾何学(The Geometry of Creation)」とでも訳せるだろうか。


私がメルヴィンを尊敬しているのは、奉仕の精神だけでも、愛の精神だけでもなく、もう1つには彼の学ぶ姿勢というものがある。彼こそが学徒という名にふさわしい。


メルヴィンの学ぶ姿勢は、大学機関に所属する数多くの偽物の学者たちとは比べものにならないものである。メルヴィンは高卒であるが、彼が獲得·体現している叡智は、決してそこらの学者には一生かけても得られないものである。


メルヴィンとの対話が自然と頭の中で繰り返される。彼の店でなされる対話は、お互いにとって治癒と変容をもたらすものであり、私たちはその点についても話し合っていて、お互いにそれを実感している。一見すると治癒と変容と関係なさそうな対話の断片がふと思い出される。


メルヴィン:「ヨウヘイ、今回日本に帰った時の感覚は、母国に戻ってきたという感覚だったの?それとも、観光で訪れたという感覚だったの?」


:「それは面白い質問だね。おそらく···どちらでもなく、異邦人性を突きつけられたという感覚だったように思う」


そのような回答が自然と出てきた。欧米での生活の年数を経るごとに、筆舌しがたい異邦人性の感覚が年々強まってきており、それが日本を旅している時にふと襲って来る。


今回の一時帰国の最中にもそれがあった。不思議と実家にいる時にはそれをあまり感じないのだが、東京や大阪などの大都市に滞在している時や、地方都市を訪れている時にそれを感じる。


その感覚にも発達段階のようなものがあり、確かに以前であれば、それは感傷的な感覚だったかもしれないが、今はそうした感傷性は希薄になってきており、より実存的な性質を強めている。


その他に、何か印象に残っている対話があっただろうか。あぁ、メルヴィンのチェスの先生でもあったホームレスのヨハンについて書き留めておかなければならない。


今から2年前、メルヴィンが自分の店をオープンする前に、店を自らリノベーションしていた時にヨハンと出会ったらしい。


ある休日の朝、メルヴィンが店のリノベーションをしていたところ、ヨハンという高齢のホームレスが店の扉を開けたそうだ。


ヨハン:「こんなところで何やってんだ?」


メルヴィン:「自分の店をオープンするためにリノベーションをしてるんだ」


ヨハン:「何の店だ?」


メルヴィン:「美容室だよ」


ヨハン:「美容室?辞めとけ。この街には腐るほど美容室があるんだぞ」


メルヴィン:「わかってるよ。でも人と対話をしながら彼らの髪を切ることが自分の使命なんだ」


ヨハン:「そうか」


メルヴィン:「よかったら、僕が君の髪を切るよ」


ヨハン:「俺はホームレスなんだ。カネを持ってねぇ」


メルヴィン:「カネ?そんなものはいらないよ。カネの心配はせずに、今度うちの店に来なよ」


ヨハン:「気が向いたらな」


後日、初老のホームレスのヨハンはメルヴィンの店にやってきた。ヨハンはメルヴィンの何かを感じ取ったのかもしれない。


「最初ヨハンはあまり心を開かなかった」とメルヴィンは言う。どこか自分を防衛するような姿勢を取りがちだったヨハンは、徐々に心を開いていき、途中からはメルヴィンに心を開いて色々な話をし始めたそうだ。メルヴィンは、出会った頃のヨハンが背中を丸めていた姿勢を真似し、そこから背筋がピンと伸びたヨハンの真似をした。


ヨハン:「おい、お前、チェスはやるのかい?」


メルヴィン:「いや、やらないよ。でも興味はあるんだ」


ヨハン:「だったら俺が教えてやる」


メルヴィン曰く、ヨハンはチェスに関してプロ並みの腕前を持っているらしい。実際にヨハンは、チェスのプロを目指していたこともあるそうだ。


:「最近のチェスの進歩はどうだい?」


メルヴィン:「実はチェスから少し離れてるんだ」


:「どうしたの?」


メルヴィン:「ヨハンがしばらく店に来てないんだ···」


メルヴィンから話を聞くと、コロナウィルスが蔓延し始めたことをきっかけにして、ヨハンはパタリとメルヴィンの店に来なくなってしまったそうだ。


メルヴィン:「この間、新聞で死亡広告を見たんだ。3人のホームレスのうち、1人は知っているホームレスだったよ。でもその中にはヨハンはいなかったんだ」


そこからメルヴィンの話を聞くと、メルヴィンはつい先日、街の中心部でヨハンが歩いている姿を見かけたらしい。


メルヴィン:「ヨハン!久しぶり!元気にしてた?」


ヨハン:「おう」


そこで交わされたのはそれだけだったそうだ。ヨハンは静かにメルヴィンの前から去っていったらしい。


その話を聞いた時、ヨハンは何か思うことがあってメルヴィンの店に通わなくなったのだと思った。私は言葉を選びながら、ヨハンもメルヴィンも、人生のプロセスにおいて、新たな一歩を歩み始めたのではないかとメルヴィンに伝えた。


霧がますます濃くなっている。霧に覆われた世界の中に、輝く粒子が見える。


この世界は、いつでも暗く、その暗さは増す一方であるが、いつでも光が存在している。フローニンゲン2020/11/10(火)16:21


6396. 自己の言葉について/メタクライシスの時代における表現物


静かに流れ出て来る言葉。自分の言葉は自分のものではなくなった。それは確かに自分という1人の固有の人間から発せられる言葉かもしれないが、その所属は自分だけの中にあるのではなく、自分を超えたところにある。また、言葉が向かう対象も、もはや自己だけではない。


メルヴィンの店から自宅に戻っている最中、ふとこんな考えが芽生えた。一連の日記は、もはや自分のために書いているわけでもなく、誰かのために書いているわけでもなく、自己を含めた誰でもない誰かのために書かれているものなのかもしれないということを思った。


深い深い霧の世界。今日のフローニンゲンは濃い霧に包まれている。そして気温がめっぽう低かった。


昨日から、ドストエフスキーの悪霊を基にしたロシアのテレビドラマを視聴し始めた。今日のフローニンゲンの雰囲気は、どこかドストエフスキー的な世界を思わせる。


雪とはまた違った独特な白銀世界が目の前に広がっている。確かにそれは少し濁った白銀なのだが、その濁りがむしろ、この世界に存在している光を見させてくれる。


霧のために姿を確認できない小鳥たちが近くで鳴き声を上げている。彼らにとってこの夕方の時間帯は、朝と同様に、祝いの対象なのである。


私たち人間は、1日のどの時間帯に祈りを捧げているだろうか。現代人は、そもそも祈ることをやめてしまい、それがなんたるかを忘れてしまっているのではないだろうか。


世界が廃れ、人々が直面する実存的課題が深まれば深まるほど、優れた表現者がこの世界に現れるという。それは多分に真実を内包している。


現代は危機の時代、それも複数の危機が複雑に絡み合った「メタクライス」の時代であることは明らかである。そうした危機的状況の中だからこそ生み出される表現物というものが確かに存在しうることを思う。


今日は午前中にオンラインミーティングを1件行い、午後はメルヴィンの店に行って髪を切ってもらっていたので、今のところ6曲ほどしか作れていないが、映画に関してはすでに2本見た。


可能であれば、今日はもう1つ映画を見たいと思う。本日見たのはどちらも洋画であったから、これから見るものは邦画にしようかと思う。


映画がもたらしてくれる非日常体験と、それによる癒しと変容について改めて思う。そこから、いつか映画を題材に多くの人と語らい合いたいという気持ちが芽生えてきた。


まずは自分で数千ほどの映画鑑賞体験を積んでいき、身近な人に映画の感想を共有していこう。現在積極的に映像作品を見ていると、映像作品には、作り手の発達段階だけではなく、世界観や問題意識、さらには時代精神が投影されていることがわかる。


作り手の世界観の中に入り込むことや、自分の人生では生きることのできないであろう作品中の登場人物の人生の中に身を置き、そこで擬似的な体験を通じて他者の世界を感じることができるというのは映画の魅力の1つだろう。今夜の1本を何にするか、これからゆっくりと決めていこう。フローニンゲン2020/11/10(火)16:36

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