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6375-6382: アートの国オランダからの便り 2020年11月4日(水)


No.1530 出発の朝_The Morning for Departure

本日の言葉

If you wish for great stillness, prepare to sweat white pearls. Hakuin Ekaku


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本日生まれた5曲

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タイトル一覧

6375.【大阪滞在記】出発の朝に

6376.【大阪滞在記】日本出発前夜の夢

6377. 思わぬ形でのバルト3国との接近

6378. アムステルダムに向かう機内より

6379. 機内で思うこと

6380. 始まりの始まり/多様な生命時空間

6381. 再出発

6382. アムステルダムの異変


6375.【大阪滞在記】出発の朝に


時刻は午前5時半を迎えた。つい先ほど朝風呂から上がってきた。湯船にゆっくりと浸かったおかげで、今、体が火照っている。


いよいよ本日、オランダに帰る。今から2時間半後にホテルをチェックアウトし、関空に向かう。


昨夜ベッドの上で、この1ヶ月の日本滞在を最初から順を追って辿っている自分がいた。アムステルダムから関空に到着したその日から、文字通り、1日1日を振り返っている自分がいたのである。


よくよく考えてみると、1ヶ月というのは意外と長いことに気づいた。それは年間の12分の1に該当する。


その期間を日本で過ごしていたこと。それも単に1ヶ月を過ごしていたのではなく、書物や人、さらには景観との素晴らしい出会いがあり、とても濃密な形で過ごしていたことを嬉しく思う。


そうした振り返りをした後に、再びオランダで生活をしていく気力のようなものが湧いてきた。早くオランダで落ち着いた生活を再び送りたいという思いと相まって、その気力は自然なものでありながらも、同時にどこか根底に力強さを持っていた。


関空に到着したら荷物をチェックインカウンターに預け、セキュリティーを通ってラウンジに向かう。来た時と同様に、関空はまだ閑散としているだろうから、セキュリティーは速やかに抜けることができるように思う。


そうであれば、ラウンジでは2時間弱、少なくとも1時間半はゆっくりすることができるだろう。そこで作曲実践をしたり、絵を描いたりしようと思う。必要であれば、少し仕事をする。


先ほど浴槽に浸かっている時に、ぼんやりと考え事をしていた。浴槽に浸かってゆっくりすることは、自分にとって極上の瞑想である。


そこでふと、アセスメントについて考えている自分がいた。アセスメントというのは、そもそもある研究者の主観的な関心事項と主観的な体験に基づいて開発アイデアが生み出される。


そこから信頼性や妥当性を高めるために、諸々の操作が加わるわけだが、結局のところ、完成したアセスメントは主観の産物であるということを忘れてはならないように思う。仮にそれが、どれだけ客観性を担保してくれたとしても、根底にはある研究者の主観性が横たわっているのである。


アセスメントの根源的なアイデアだけではなく、その信頼性や妥当性をどのように高めるかの操作に関しても、その研究者の主観的なバイアスが加わる。そのような形で生み出されたアセスメントに対して、それを客観的なものとみなすよりも、むしろ主観の塊とみなした方が健全のように思えてくる。


アセスメントを主観の塊とみなすことによって、間主観的な対話の余地が生まれてきやしないだろうかと考える。アセスメントが客観的な真実を開示してくれるものだと盲目的にみなしてしまうと、アセスメントの結果や、それを使う人たちとの間で対話が起こりにくいのではないだろうか。


一方で、アセスメントは主観的な産物であり、その結果については多分に対話の余地があるという考えがあると、結果そのものとの対話、そしてアセスメントを活用する人たち——アセスメントを提供する者と受ける者——との間に対話が起こる余地が生まれるのではないかと思う。


こうした余地の有無は大きい。これはおそらくアセスメントだけに限らず、対象を客観的なものだと盲信してしまうと、それが開示する客観性に疑いを挟むことができず、対話が生まれにくくなってしまう。


対話の未熟なこの現代社会にあって、この点は重要なことのように思う。そのようなことを先ほど入浴中に考えていた。大阪2020/11/4(水)05:53

6376.【大阪滞在記】日本出発前夜の夢


時刻は午前6時を迎えようとしている。この時間帯はまだ外は暗い。だが、大阪湾の上空に満月が浮かんでいるのが見え、その輝きに幾分恍惚感を覚える。


関空につながる高速道路は、この時間帯にもかかわらず意外と車が多い。本来は、ホテルから関空までシャトルバスが出ているようなのだが、コロナの影響でそれが運休になっている。


むしろ、関空までの道路が少し混雑している様子を見ると、電車で向かった方が早いように思える。宿泊しているホテルは駅と直結しており、関空まで1駅ほどのため、とても便利だ。来年もまた関空を使おうと考えていて、その時には今回宿泊したStar Gate Hotelにまた泊まりたいと思う。


少しずつ夜が明けてきた。今日の関空近辺は快晴のようであり、アムステルダムも天気が良いようだ。


確かにオランダの気温は寒くなっているが、まだ真冬のそれではない。朝夕は随分と気温が低いが、日中は暖かい格好をしていれば、それほど寒さを感じることはないのではないかと思う。


本日アムステルダム空港に到着したら、空港近くのホテルに向かい、自室でゆっくりと映画でも鑑賞しようと思う。明日は、アムステルダム国立美術館をゆっくりと鑑賞する。フローニンゲンに戻るのは明後日である。


今朝方は少しばかり印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、地元の海岸線を歩いていた。そこは、小学校の帰り道に時々歩いていた場所であった。私の横には、小中高時代の1人の友人(AF)がいて、彼と談笑しながら海岸線を歩いていた。


すると、また別の2人の友人(HY & SM)の家が近づいていることに気づいた。だが、見渡しても彼らの家はなく、不思議だなと思っていると、その辺一帯は開発が進み、彼らの家は別の場所に移動されたということを友人から聞いた。


以前友人たちの家があった場所は、テーマパークのような場所に様変わりしていた。ところが、そのテーマパークのアトラクションの中に、彼らの家があるように見えたのである。


端的には、時間の階層が知覚され、過去の階層のところに彼らの家がまだ残っていることが見えてきたのである。彼らの家が知覚されてきただけではなく、彼らの声もその時間層から聞こえてきた。


そして私は、彼らとその場で少し会話をし始めた。しばらく会話をすると、彼らはどこかに消えていった。それに合わせて、現在の時間層にいた友人もどこかに消えていた。


すると、これまで海が見えてきた景色が雪景色に変わった。私の隣には、運動神経の良い親友(NK)がいて、彼とスキーとスノボの双方を楽しむことにした。彼は特にスノボがうまかったので、滑る技術について色々と教えてもらった。


一緒に山からスノボで滑り降りていると、山中でカフェを見つけた。そこは木造りのカフェだった。


カフェの中に入ると、店員たちがみんなとても眠そうにしていた。話を聞いてみると、全員一睡もせずに働いているとのことであり、疲労困憊の様子だった。


そうした状態の背後には経営者の問題があると私は思い、経営者に直接会って話をしたいと思った。すると、マネージャーのような男性が出てきて、自分たちはまだ働けるから大丈夫だということを述べた。


マネージャーに続く形で、ある女性の店員がポツリと、私の母もこのカフェで働いていることを述べた。母は年齢の都合上、毎日ではなく、それも短い時間だけこのカフェで働いているようであり、母だけ無理なく楽しげに働いているようだった。


それを聞いて安心したが、母以外の人たちの状態が良くないことが心配だった。大阪2020/11/4(水)06:24


6377. 思わぬ形でのバルト3国との接近


時刻は午前9時を迎えた。今、関空内のラウンジ六甲にいる。


予定よりも早くホテルをチェックアウトし、午前7時半過ぎの列車に乗って空港に到着した。空港はとても閑散としていて、日本に到着した時よりも閑散ぶりが目立った。


空港に到着した時間は7時半過ぎであるから、それほど早いというわけではない。コロナの影響で人が本当にほとんどおらず、チェックインカウンターで荷物を預けようと思ったら、まだ開いていなかった。チェックインカウンターも軒並み無人のものばかりであり、KLMのカウンターは午前8時前にようやく開いた。


時間になると荷物を預け、セキュリティーに向かった。セキュリティーを通り抜けたのは私だけであり、パスポートコントロールもまたそうだった。


このようなことは初めてであり、国外に出かけていく人の少なさを身をもって体験した。KLMの搭乗は、北ウイングの11番ゲートであることを確認して、ラウンジに向かおうと思った。


チェックインカウンターで荷物を預けた際に係員の方から、「申し訳ございませんが、今はコロナの影響でKLMと契約しているラウンジが使えない状況になっております」と言われ、それはとても残念であったが仕方ないと思った。


その代わりに、クレジットカードと提携しているラウンジが空いているかもしれないと思ったが、関空内の店という店がほとんど閉まっていて、免税店ぐらいしか空いていない状況だった。


カフェやレストランは全くと言っていいほど開いておらず、カード提携ラウンジもダメかと思ったが、幸いにも今いるラウンジが開いていた。


ラウンジに入り、カードとボーディングパスを提示した時に、受付の方と少し雑談をした。空港の閑散とした状況についてと、今後の回復の見通しについてである。


空港のこの閑散とした雰囲気は、もう随分と長いとのことだった。また、回復の見込みについても一切目処が立っておらず、その方曰く、3年から5年ぐらいかけてゆっくりと回復していくのではないかということだった。


そこまで長期戦を予想しているとは思ってもいなかったが、確かに1年弱経ってもこのような様子が続いていると、回復の見込みがないのも無理はない。


北ウイングで開いているラウンジは唯一ここだけであり、そのことに感謝をし、受付の方にお礼を述べた。それにしても、本当に人がいない。ラウンジにいるのは自分1人だけである。


そもそも北ウイングから出発する便が少ない。アムステルダムに向けて出発する便にどれだけ人が搭乗するのかも不明である。


ビジネスクラスはほぼ空いており、昨夜の段階で埋まっている座席は4席ほどだった。それでもアムステルダムに飛んでくれることに感謝したい。


先ほどまで、ラウンジに置かれている『Transit(トランジット)』という旅行雑誌を眺めていた。これはかなりしっかりとした作りの雑誌であり、発刊第47号として、今回は『特集:永久保存版 バルトの光を探して』というものだった。


エストニア 、ラトビア、リトアニアのバルト3国については前々から関心があり、いつか足を運んでみたいと思っていた。この雑誌の中では、政治·経済·文化·歴史の観点からそれぞれの国について紹介しており、とても参考になった。


無知ゆえに、バルト3国はどれも似たようなものだと思っていたが、そもそも民族も異なれば、経済状況や言語も異なることに驚かされた。雑誌の説明を読む限り、フィンランドに最も近く、フィンランドの弟分であるエストニアに対する関心が強まった。


この国はITにも力を入れており、キャッシュレスの状況などは日本より上かもしれない。また、ラトビアについては、以前夢に出てきた「リガ」というのがこの国の首都であり、夢との繋がりの観点からラトビアにも足を運んでみたい。


最後にリトアニアであるが、雑誌の中で、ミカロユス·コンスタンティナス·チュルリョーニス(M.K. Ciurlionis: 1875-1911)という芸術家が紹介されていた。チュルリョーニスは、リトアニアで知らない者はないと言われるぐらいに有名な芸術家らしく、35歳で夭逝したが、300点ほどの絵画を残し、音楽に関しては交響曲を2つ、ピアノ曲を約200曲、合唱曲を60ほど残しているとのことだ。


カウナスという街に国立チュルリョーニス美術館があるらしく、いつかそこに足を運んでみたいと思う。コロナの影響で、当初予定していたラウンジが使えず、今使っているラウンジに入ったのだが、思わぬ形でバルト3国と近しくなることができた。これもまた運命なのかもしれない。ラウンジ六甲@関空2020/11/4(水)09:22


6378. アムステルダムに向かう機内より


アムステルダム行きの飛行機は、順調に空の旅を進めてくれている。今、眼下には白い雲海が見える。成層圏は透き通っていて、自分という存在を吸い込んでくれるかのようだ。


できることならば、小さな自我を溶解させ、そこに飲み込んで欲しいと思う。それは小さな自我の望みではないことを考えると、今の自分はすでに小さな自我の外にいるのかもしれない。地上を眺めている自分のように、小さな自我を眺めている自分がいる。


先ほど機内食を摂り終えた。ベジタリアン食を注文し、それをペロリと平らげた。


今朝チェックアウトしたホテルでは朝食をお願いしていなかったこともあり、またラウンジでは果物などの軽食ですら出されていなかったこともあり、半断食のような形でしばらくの間過ごしていた。


先ほどは前菜として3種類のチーズが出されたが、チーズを食べるのはしばらくやめにしておこうと思う。これまでオランダで食べていたバイオダイナミクス農法のチーズを食べることもやめ、本格的にヴィーガンとして生活をしていこうと思う。


ただしこれはオランダで生活を営んでいる時に限り、旅行中はベジタリアンとして、時にチーズを食べたり、日本に帰った時ぐらいは魚を食べようと思う。だが、これからヴィーガンとしての生活を始めることによって、もはやチーズや魚を受け付けないような身体が出来上がるかもしれない。


搭乗しているフライトのビジネスクラスの座席を見渡すと、客が数人しかいない。通路を挟んだ自分の隣にも、そして後ろの座席にも客はいない。


後ろの後ろに1人だけ客がいて、最後尾に2人ほど客がいる。関空の閑散としている様子から、航空関係の諸々の会社の経営を心配する。


先ほど、パソコンの時間を日本時間からアムステルダム時間に変えた。日本は13時を迎え、オランダは朝の5時を迎えた。


ちょうど日本にいる間にサマータイムが終わり、8時間の時差となった。ここからオランダは本格的に冬の時代に入り、5月末までの長い冬となる。


この長い冬がどれだけ自分の精神を鍛錬してくれることか。その恩恵は計り知れず、オランダでの生活が5年目となった今もまだ、この厳しい冬が自分の肥やしになっていることを毎年実感する。


最初の冬で体験したような精神的過酷さはもはやないが、それでも時に深遠な冬の世界に存在が浸る瞬間があることは確かだ。今年の冬はどのように体験されるだろうか。


何かの香りを嗅いで、ふと何らかの記憶を思い出すという「プルースト効果」がよく起こる。先ほどのラウンジでもそれが起こり、昨日はホテル近郊を散歩している時にそれが起こった。


過去のことを回想したり、夢を振り返ることを日々行うことによって、プルースト効果の強度が増しているように思う。そして、それが発揮されると、記憶のネットワークがより強固になるから不思議である。


昼食を摂りながら、機内エンターテイメントで『エジソンズ·ゲーム』を鑑賞した。エジソンが生きていた時代を再体験している実存体験があった。


映画を通じて、エジソンと同じアイデアを同時代に持っていた人物がいたことを興味深く思った。いつの時代も、意外と同じことを考える人がいるものだ。


これから少しばかり仮眠を取り、その後、"The Last Black Man in San Francisco”という映画を見ようと思う。サンフランシスコで2年半ほど生活してきた自分にとって、この映画はまた昔のことを思い出させてくれるに違いない。


映画から何かを知的に得ようとするのではなく、映画の登場人物の世界体験を感じるようにする。映画は、他者の人生を見せてくれるという外側の体験だけではなく、彼らの人生を生きさせてくれるという内側の体験もある。


内側から登場人物の世界を生き、彼らの社会を生きようと試みること。それが自己の新たな側面に気づかせてくれることや、自己の世界をさらに開くことにつながるだろう。アムステルダムに向かう機内の中2020/11/4(水)05:31(オランダ時間)


6379. 機内で思うこと


不思議と日記の執筆に向かう自分がいる。書くこと。それは呼吸と同じものになった。


曲を作り、絵を描くこともまた呼吸とほぼ同じようなものになっている。絵に関しては、最近朝と夜の2回だけしか描いていないが、曲に関しては、もしかすると言葉を用いて自己を表現するのと同じぐらいの感覚で創作活動に従事しているように思う。


オランダに戻ったら、さらにそれを徹底させていく。自然言語では手の届かない内的感覚と内的世界を音楽言語で表現していくこと。そのための努力は何一つとして惜しまない。


英文書籍を読む飢えが破裂寸前に差し掛かっている。密度の高い英語空間が存在していない日本に1ヶ月もいたのだからそれも無理はない。


英文への飢えを満たす際に、断食後の食事と同様に、何を取り入れるかに細心の注意を払う必要がある。変なものを取り入れてはならない。言語空間においても階層構造が歴然として存在しており、ゴミ同然の言語的構築物を自己に取り入れないようにする。


今のところ、フローニンゲンの自宅に戻ったら、音楽理論や作曲理論の学術書を大量に読み進めていこうと思う。すでに随分と多くの書籍を初読しており、そろそろそれらを再読かつ精読する時期に差し掛かっているように思う。


もちろん、音楽関係以外にも、引き続き社会学や政治学に関する英文書籍を読み進めていく。また、新居に引っ越してからは、映画評論関係の英文書籍に関して気になるものは全て購入する。今のところ、リストに30~40冊ほど映画関係の書籍がリストアップされている。


フローニンゲンに戻ったら、読書と並行して映画やドキュメンタリーの鑑賞にも力を入れていく。昨日は3本ほど映画を見て、今日は機内ですでに1本見た。後ほどまた機内で1本ほど見る予定だ。


今日は午後3時過ぎにアムステルダム空港内のホテルに到着する。今この瞬間に思っていることなのだが、いくらビジネスクラスという環境の良いフライトに搭乗したとしても、11時間ほどのフライトはやはり心身に影響を与える。


アムステルダムに到着して、そこから電車に乗って2時間半かけてフローニンゲン駅に到着し、そこからまた20分ほど歩いて自宅に戻るのはさすがにしんどい。


そうしたことを考慮して、今回はアムステルダム空港と目と鼻の先のホテルに2泊し、明日はアムステルダム市内の美術館に足を運ぶことにしたのだが、そのようにして本当に良かったと思う。


欧州国内の旅行であればこのような配慮をしなくていいのだが、日本と欧州の行き来だと、今後も同じように空港近くに少なくとも1泊してから自宅に戻ろうと思う。


来年もまた関空を活用するかもしれない。今年の成田や羽田の状態はよくわからなかったが、来年の関空の状態が今年よりも回復していることを本当に願う。コロナの検査は面倒であったし、ラウンジも思うように使えないというのでは大変不便だ。


来年もまたKLMにお世話になるか、来年はフィンエアーを活用してもいいかもしれないと考えている。実は今年はフィンエアーを活用する予定だったのだが、フライトが何度もキャンセルになったという事情があった。


当初は、ヘルシンキ郊外に何泊かして、将来フィンランドで生活する生活拠点の散策をしようと考えていた。今年はそれに縁がなかった。おそらくこれも縁なのだと思う。


来年仮にフィンエアーを使うことができたら、今年計画していた場所に足を運んでみようと思う。日本に戻る前にフィンランドで数泊し、日本からまたフィンランドに戻ってきて数泊するような計画を立てている。


来年は、今年よりも身軽な形で、機内持ち込み可能なスーツケース1つで日本に戻ろうと思う。来年は、青森や北海道を巡りたい。特に時間をかけて、北海道の何箇所かを電車でぶらぶらと旅したい。


今朝方の夢の中で、1週間の労働時間は1時間か多くても3時間だけだと述べた時、周りにいた人たちがキョトンとしていた。


ここからは2週間に1時間の労働をし、次のフェーズとして1ヶ月に1時間程度の労働にし、最終的には労働時間をゼロにしようと思う。すでに生活費を得るためだけの労働というものには一切従事していないが、もうしばらくしたら、数年間ほど他者との仕事上の接触を完全に断ち切って、創作活動や読書、そして映画やドキュメンタリーを数多く見ていく生活に入ろうかと思う。


今自分には、1人で集中して没頭したいことがいくつもあり、それらだけに全身全霊で没頭する状態を作り上げていこうと思う。自己や社会の深層に触れるためには、自己と社会の表層と接していてはならない。


より極端でいて、それが実は人間存在にとって自然である生活をしていく。オランダでの生活やフィンランドでの生活はそれを実現させてくれるだろう。アムステルダムに向かう機内の中2020/11/4(水)07:46(オランダ時間)


6380. 始まりの始まり/多様な生命時空間


自らへの癒しと励まし。それは書くことと作ることを通じてもたらされる。


書き足りず、作り足りないことを日々感じている自分。それは至極当然である。なぜなら、今の自分はまだ何も書いておらず、何も作っていないのだから。


今時点で日記の数は6379となり、曲の数は5428となった。この日記を書き終われば、6380の日記となり、日記の執筆後には曲を2曲ほど作ろうと思っていたので、曲の数は5430となる。


それがどうしたというのだろう。6380の日記と5430の曲は数のうちに入らない。それはほぼ無きものに等しい。


今まで書いてきた日記や作ってきた曲は1に過ぎない。下手をすると、1にも満たないかもしれない。


高田博厚氏がかつて自分が作った作品を全て壊す行為に出たことが思い出される。思索と創作を同一のものとして進めていった高田氏にとって、自分が作ったものを壊すというのは、思索上かつ創作上の脱構築だったに違いない。


この間、大阪にいた時かどこかにいた時に、ふと思い出したことがあった。幼少期の頃の記憶がふと蘇ってきて、子供の自分の世界と両親の大人の世界には別の時空間が広がっているような感覚があったということを思い出していたのである。


同じ物理的現実世界に生きていながらにして、異なる世界が存在しているというありありとした感覚だった。本当に人は異なる時空間を持つ異なる世界を生きているようだ。


そこに他の生命を加えれば、この物理的現実世界には実に多様な時空間が存在していて、それが織物のように絡み合っていることがわかる。つい先日、福井の街を歩いている時にもそれを感じた。


生物学者のユクスキュルが述べる環世界というものが確かに存在していて、他の生命の豊かな時間を感じていた。そうなのだ。自分という存在は自らの生命時空間に閉じられているのではなく、他の生命の生命時空間に触れることが可能であり、その時空間の一端を感じることができるのだ。


もっと言ってしまえば、他の生命の生命時空間の一端を通じて生きることさえできるのだ。おそらくそれが、命ある存在同士の交感なのだと思う。それは時空間的交感であり、それを通じてお互いの相互治癒や相互発達が生じるような気がしている。


1つの生命の生命時空間は、実に豊かな意味的·感覚的産物なのだ。それに触れて感激しないほうがどうかしている。


今、どのあたりを飛行しているのだろうか。フライトの残り時間は6時間半と表示されている。


昨日、人工的な匂いが漂い、近未来的な閑散とした雰囲気を発している関空近くの街を歩いていた。その時に、関空からオランダに11時間ほどで着けてしまうことについて考えていた。


ひとたび関空から飛行機に乗れば、あとは何もせず11時間ほど飛行機に乗っていれば、いつの間にかオランダという遠く離れた別の国に到着してしまう。


敬愛する高田博厚氏、森有正先生、辻邦生先生たちがパリに渡った時代は、40日間かけて日本からフランスに船に乗って移動していたのだ。船での移動には大変な側面もあっただろうが、少なくとも時空間的には連続的なものがあったに違いない。


正直なところ、日本と欧州を飛行機で移動するのは、自分の中では瞬間移動に等しいような、時空間的断絶感がいつも付き纏う。それによって、日本なり欧州なりに到着すると、ある種の変性意識状態となり、感覚が随分と変容していることに気づく。それはとても内省的かつ自己沈潜的な意識状態であり、内側に向かってどんどんと意識が向かっていくような状態である。


後ほどオランダに到着したら、おそらくそうした意識状態になるだろう。意識状態というのは一時期的なものなのだが、それが一時的である分、印象的な体験を伴うことが多い。


自分にできることは、こうした意識状態の変化は異常なものではなく、自然なものであり、状態の変化を見極めながらにして、ゆっくりと状態を整えていくことだろう。


意識状態の変化するグラデーションを感じ、それによって伴う思考や感覚を形に残しておくことも有益かもしれない。さて、そろそろ曲を作ろう。5429番目と5430番目の曲。それらもまだ1番目の曲に過ぎない。


全ての曲を1番目の曲とみなすことは、常に新たな出発だという認識ともつながるものであり、初心を忘れないという意味においてそれは大切な心がけかもしれない。アムステルダムに向かう機内の中2020/11/4(水)08:08(オランダ時間)


6381. 再出発


作りに作って作ること。寝ても覚めても作ること。


この世界のどこにいても、日記を書き、詩のような曲を作り、絵を描くこと。それを止めることはない。


厠上でも戦場でもなりふり構わず作りに作ること。作ることを妨害するものは排除すること。文明社会の中で無駄に人と交わることが最たる妨害物である。


ごく少数の親友たちを本当に大切にしよう。映画監督のクリント·イーストウッド監督の思想にあるように、国家など幻想的主体であり、人は国家のためになど生きることはできない。できるのは、愛する人たちのために生きることだけである。


今回の一時帰国に際して、神のようなゴキブリ、そしてゴキブリのような神を数多く見た。数多く見たというよりも、全員そうだった。自分もまたそうした存在である。


薄汚れた世界と神々しい輝きを放つ世界のはざまで、全存在者がその瞬間にその場にいること。これは奇怪なことであり、同時に奇跡的なことでもある。


自分は、種々の実存的時空間を行き来して、自己が確かにそこにあるという存在実感を得るたびに、妙な笑みが溢れる。逆に言えば、そうした笑みがなければ、自分は存在根拠を失ってしまうだろう。実存的笑いだけがなんとか自分をこの世界にとどめてくれる。


時刻はオランダ時間で午前10時となった。今朝の起床はゆったりとしていて、午前5時だったように思う。それは日本時間での話であり、今は日本時間で言えばもう午後6時となる。


アムステルダムに到着するまで、気づけば早いもので、あと4時間となった。再び始まる。再び新たな人生が始まることの歓喜で存在が爆発しそうである。


多くの人はなぜだかそうした実存的歓喜によって吹っ飛ぶことをしない。そうした歓喜に気づきもしないし、感じられもしない。


存在が木っ端微塵に吹き飛ぶことを体験することは、発達プロセス上の登竜門だと思うのだが、そうではないだろうか。


全部やり直すこと。オランダでの新生活は、新世界への足掛かりとすること。


文字通り、何から何までやり直す。自己の存在を木っ端微塵にすれば、精神的人生は何度でも再スタートさせることができる。それこそが、人生が死と再生のプロセスであと言われる所以である。


再始動の誓いを立てること。ここから数年後に、今の自分からは全く想像できない人間に向かっていくことへの誓いを立て、それを実行に移すこと。


本当に何から何までやり直していく。自分が探究など行っていないに等しく、創作など行っていないに等しいことは、過去の偉人たちがその仕事を通じて明確に示してくれている。


狂気さを超えた正常さの中で探究と創作に励む人生を邪魔する存在は徹頭徹尾排斥し、それを励ましてくれる存在は首尾一貫して受容していくこと。人はなぜかそうした選択をせずに、欺瞞的人生に流されていく。


存在の楔を自ら作り、自らの存在のうちにそれを打ち込む。その楔は固定的なものではなく、それが真に自己と人生を深めてくれるものであれば、それは可変的なものである。


ルーミー、リルケ、マラルメ、オーロビンドの詩を読み、そこから喚起されるものを曲の形にしていこうという考えがまた芽生えた。彼らの詩に加えて、万葉集や芭蕉の俳句などに対しても同様のことを行いたい。


ある1つの詩や俳句に喚起されたものを曲にして、引用元を明記しておき、またいつか同様の詩や俳句を読んだ時に喚起されるものと比較できるようにしていく。


詩的あるいは俳句的な音楽の探究。自分の関心はそこに向かっている。


4時間後、自分は再び自己を根底·深層から深めてくれるオランダの大地に再び足を着ける。全てはまたここから始まる。アムステルダムに向かう機内の中2020/11/4(水)10:20(オランダ時間)


6382. アムステルダムの異変


「何かがおかしい···」アムステルダムのスキポール空港に到着した時、そのような予感があった。


関空からアムステルダムに向かうフライトは極めて順調であり、予定よりも30分近く早く空港に到着したのだが、そのような体験は初めてのことだった。


空港に到着してみると、1ヶ月前の時よりも空港に人がおらず、とても閑散としていて驚いた。関空と同じぐらいに空港に人がいないことに素直に驚き、空港から活気が消え失せていた。


人がいない分パスポートコントロールは速やかであり、そもそも飛行機に搭乗している人もほとんどいなかったので、預けていた荷物もすぐにコンベアーで運ばれてきた。


荷物を受け取って、いざ搭乗口から外に出ようと思ったら、女性の係員に止められた。何やら引きずっていた2つのスーツケースの中身をチェックをしたいとのことだった。


ちょうど同じ便に乗っていた2人の日本人男性は、何事もなく外に出て行ったので、抜き打ちテストに引っかかったと思った。女性の係員に確認してみたところ、笑いながらそうだと言われ、2つのスーツケースを仕方なしに機械に通すことにした。


もちろん中には危険物や違法な物は入っていなかったので、官僚的な手続きとして検査が行われ、その場を速やかに後にすることができた。


空港に降り立ったのは午後3時であり、そこからフローニンゲンに帰れなくもないのだが、11時間のフライトを考慮して、今日と明日は空港直結のホテルに宿泊することにした。


ホテルに到着し、そこでも速やかにチェックインを行うことができた。何かがおかしいと思ったのは、ホテルの自室で明日の美術館巡りについて調べていた時である。


明日は、アムステルダム国立美術館に足を運ぼうと思っていたので、ホテルからの道順を調べてみた。チケットはウェブサイトを通じてオンラインで購入しようと思っていたので、ウェブサイトに行ってみたところ、なんと明日から2週間ほど美術館が休みになるとのことだった。


そうであれば、レンブラント美術館に足を運ぼうと思って調べてみたところ、そこまた明日から2週間休みだった。「これは何かおかしいぞ···」そのように思って、今回は足を運ぶ予定はなかったが、ヴァン·ゴッホ美術館とそのすぐ近くにある現代美術館を調べてみたところ、軒並み明日から2週間休みになるとのことだった。


そこで私はハッとして、アムステルダムがロックダウンされたのではないかと思って調べてみたら、部分的にロックダウンされていることを知った。そもそもそれは私が日本にいる間の10月中旬から始まっていたらしく、美術館の一時期的な閉館を含め、その措置を強化するのが明日からとのことだった。


まさかこのタイミングでオランダに帰ってくるとは予想だにせず、アムステルダムに宿泊することになったのも本当に偶然であった。どんなに探しても明日に開いている美術館は市内になさそうなので、明日は大人しくホテルの自室でゆっくり過ごそうと思う。


意外にもホテルには宿泊客がいたり、ビジネスミーティングのためにホテルのミーティングスペースを使う人もいることに少し驚かされる。


今調べてみたところ、公共交通機関については一応動いているようであり、明後日はなんとかフローニンゲンに戻れそうなので、それは一安心だ。アムステルダム2020/11/4(水)20:27

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