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6265-6268: アートの国オランダからの便り 2020年9月28日(月)


No.1443 朝の子守唄_A Morning Lullaby

本日の言葉

He who is athirst is never satisfied with pleasures, as the fire, the friend of the wind, with fuel. Aśvaghoṣa

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本日生まれた9曲

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タイトル一覧

6265. 今朝方の夢/美的体験の持つ性質

6266.『実録·連合赤軍 あさま山荘への道程(2008) 』を見て

6267. 若松孝二監督の他の作品への関心

6268. "This Giant Beast That is the Global Economy (2019)”の第5話を見て


6265. 今朝方の夢/美的体験の持つ性質

時刻は午前7時を迎えた。今、辺りがようやく少しずつ明るくなってきている。サマータイムの終了が待ち遠しいが、今年は10/25(日)にようやく終わる。


まだサマータイムが継続していることに伴い、日の出の時間が遅くなる一方である。ここ最近は気温もめっきり低くなり、朝夕は随分と寒い。


昨日に引き続き、今朝もゆったりとした起床だった。一度午前2時半に目覚め、その時の目覚めが良かったので、そこから活動を始めてもよかったのではないかと今になって思う。仮に明日それくらいの時間に目が覚めたら、そこでもう起床してしまおうと思う。


今朝方も夢を見ていてのは確かだが、その記憶はほとんどない。肯定的な感情をもたらす夢だったことは覚えている。


場面で覚えていることがあるとすれば、私は立派なホテルの中にいて、ホテルの中を歩き回っていたことだ。そういえば、そのホテルの廊下には絵画がびっしりと飾られていて、美術館さながらの雰囲気を持っていたことを覚えている。


私の部屋の前にもいくつもの絵画作品が飾られていて、ちょうど中国人の家族が作品を見ていた。そこで小さな男の子がどういうわけか、持っていた鉛筆かペンか何かで私の部屋のドアに落書きを始めた。


私は急いで彼を止め、落書きを見てみると、それは落書きというよりも、ドアに彫られたメッセージか何かだった。それは暗号のようなメッセージであり、意味はわからなかった。そのような夢の場面があったのを覚えている。


その他にも、母方の祖母の家に訪れたのを覚えている。最初私は1人で母方の祖母の家に泊まっており、しばらくして祖母、母、叔父が帰ってきた。


私は早々と午後の6時過ぎに就寝していたようであり、3人が帰ってきたのは午後7時頃だった。3人は、私がそんなに早く就寝していたことに驚いているようだったし、私も3人がそんなに早く帰ってくるとは思ってもみなかった。


3人が帰ってきたところで夕食をみんなで食べようということになった。私は先ほどまで寝ていたこともあり、あんまりお腹が空いていなかったが、野菜や果物などの軽いものもあると祖母が教えてくれたので、私はそうしたものを食べることにした。そこからは4人で夕食を楽しんだ。そのような夢の場面もあったのを覚えている。


今、小鳥たちが元気良く鳴き声を上げている。昨日の感じとはまた違う。昨日は、1羽か、2羽ぐらいの小鳥たちが静かに鳴き声を上げていたが、打って変わって今日は大合唱である。


美的体験が持つ未知なる自己と未知なる世界に触れる感覚、そして自己を超えていく感覚。それは発達を後押しする知覚体験だろうということについて昨日考えていた。つまるところ、美的体験には未知性と超越性の双方がある。


ジョン·デューイが指摘するように、美的体験の質はコミュニケーションによって深まっていく。美的体験をもたらすものとの対話、さらにはそうした体験をもとに他者と対話をすることによって、美的体験の質が深まっていき、それは美的経験に昇華され、自己を深めていく。


今日もまた小さな美的体験を積み重ねていく素晴らしい1日になるだろう。フローニンゲン2020/9/28(月)07:34


6266.『実録·連合赤軍 あさま山荘への道程(2008) 』を見て


時刻は午後3時半を迎えた。今日もまた午後から映画を1本見た。先ほどまで見ていたのは、若松孝二監督の『実録·連合赤軍 あさま山荘への道程(2008) 』という映画である。


ここ数日見ている映画と同様に、今の自分の知識、そして自分が生まれてからの時代情勢などを考えると、理解が難しい部分も多々あったが、多くのことを考えさせられる優れた作品であったことは間違いない。


この作品が取り上げている「あさま山荘事件(1972)」については日本史を通じて名前を知っているぐらいの知識しかなく、この作品を通じて、この事件がいかなる時代背景により、いかなる思想によってもたらされ、そしてどのようなプロセスで事件にまで至ったのかについて多くを知った。


米国ではベトナム戦争、フランスではパリの5月革命、中国では中国文化大革命など、世界中が騒乱の中にあった1960年代。日本においても学生運動が高まり、連合赤軍が結成された。


ちょうど先日、自らの政治思想がいかなるものなのかを考える瞬間が訪れ、これまで見えていなかった自分の思想が浮き彫りになってきた。現代に生きる今の自分が客観的な視点で連合赤軍の思想や行動を見ると、それが極端なものであり、非常に歪なもののように映る。しかしながら、彼らが究極的な理想を掲げて生きていた姿や、当時の社会構造を変革しようと志す点に共感している自分もいたことは確かである。


私の世代においては「革命」なる言葉は完全に死語になっていたが、彼らが母国の状況と仕組みを憂い、それをなんとかしようと立ち上がった点にやはり共感の念を持つ。


映画の中で、「総括」という名の下に、連合赤軍のメンバー間で激しいリンチが行われ、死者が続々と生まれる描写は印象的であり、それは何か、オウム真理教における「ポア」という思想のもとに行われた虐殺を思い起こさせた。


映画の中で描かれていたように、連合赤軍のメンバーがどんどんと狂信化していく中で、「総括」という行為に疑問を持つ者も生まれていた。だが、カルト宗教の狂信化のメカニズムと同じようなものが連合赤軍でも働いており、活動に少しでも疑問を呈するものは次々に殺されていった。そうしたシーンはとても残虐であり、同時に思想の狂信化はこうした行為も正当化してしまうほどの力を持つのだということを改めて思った。


最後に浅間山荘に立て篭る状況の前からすでにメンバーの人数も減り、物資も尽きつつある中で、彼らの革命が実現しえないものであることをメンバーも気付き始めていただろう。しかし、だからこそ彼らの理想はより純化し、より高まっていき、物理的な次元の状況が見えなくなってしまっていたのではないかということも感じさせられた。


彼らのような純粋な理想を抱けなくなっているような現代社会。そして彼らのように社会を変革するべく行動を起こすことができなくなっているような現代社会。そうした現代社会の姿を見ると、当時と今を比較して、果たして社会はどれほど発達したと言えるのだろうか。また、社会で生きる個人としてどれだけ成熟を遂げたのだろうか、という問いを投げかけさせてくれるような作品であった。


今、変革を迫られる対象は彼らが敵視していた国家権力だけなのだろうか。個人そのもの、国家、そしてそれら以外にも変革を迫られているものが多々あるように思えてくる。


作中、ある登場人物が「総括の意味がもはや分からなくなってきている···」と述べていたことがとても印象的だ。私たち現代人にとって総括とは何なのだろうか。私たちが果たすべき総括というものがあるのではないだろうか。


彼らは総括を歪んだ自己批判の精神で行っていた。発達とは、絶え間ない健全な自己批判を通じて実現されるという性質を考えると、個人と社会の変容の実現において、連合赤軍が行ったのとは違う形での自己批判を自己及び社会に投げかけていくことが要求されているのではないかと思う。フローニンゲン2020/9/28(月)16:01


6267. 若松孝二監督の他の作品への関心


時刻は午後4時を迎えた。改めて、若松孝二監督の『実録·連合赤軍 あさま山荘への道程(2008) 』という映画はとても素晴らしかったことが実感される。素晴らしい映画は世界観を大きく変え、自己と社会を見る眼を変容させてしまうというのは本当かと思う。


若松監督の近年の作品である『キャタピラー(2010)』『海燕ホテル·ブルー(2012)』『11·25自決の日 三島由紀夫と若者たち(2012年)』『千年の愉楽(2012)』という一連の作品をまた見ていこうと思う。学術書や学術論文と同じで、ある1つの作品を起点にして、集中的にその作者の仕事を辿ったり、そこから思わぬ形で関心が広がり、数多くの作品に出会っていくプロセスは映画でも同じなのだということが実感される。


今日は午前中に、ロイ·バスカーの書籍を再読した。映画やドキュメンタリーを紐解いていく際に、できるだけこれまでの自分の専門領域の観点を用いないようにすることによって、自分の関心をさらに広げるようにしている。


ところが、自分の専門領域の観点を封印すると、知識と観点の不足を痛感するという状況に置かれる。だがそれによって、これまで自分が学習捨象してきた領域が浮かび上がってくる。


そのような形で浮かび上がってきた領域の中でも、今自分が関心を持っているのは社会学と政治学であり、それらの学問領域から映画を紐解いている専門書を近い将来に購入しようと思う。また、とりわけ後者に関しては知識そのものの土台を構築していくことが必要であり、今朝方の文献調査の際に、いくつか読んでおきたい書籍を見つけた。


いつもながらであるが、ある対象領域について第一線級の研究者たちが何をどのように研究し、それらの研究がいかなる歴史や背景のもとに成立しているのか、そしてその領域の最先端の学説を知る上で、いつもオックスフォード大学とケンブリッジ大学のHandbookシリーズを購入するようにしている。今回もまた、政治学に関しては、下記の書籍の購入を検討している。


- The Oxford Handbook of Political Ideologies

- The Oxford Handbook of Political Science

- The Oxford Handbook of Comparative Politics

- Political Philosophy: The Essential Texts 3rd edition

- The Oxford Handbook of Political Philosophy

- The New Handbook of Political Sociology


それらに合わせて、同大学出版から出版されている政治学と社会学の百科事典を購入しよう。今リストアップされている映画評論に関する35冊の洋書の中から、どれだけのものを購入するか分からないが、日本から帰ってきてからの探究の方向性は随分と明確なものになってきている。フローニンゲン2020/9/28(月)16:22


6268. "This Giant Beast That is the Global Economy (2019)”の第5話を見て


時刻は午後7時半を迎えた。先ほど、"This Giant Beast That is the Global Economy (2019)”の第5話を見終えた。今回のエピソードは死と経済に関するものだった。


昨日のAIと経済のエピソードに引き続き、今回もまた色々と考えさせられるエピソードであった。まず今回のエピソードでは、地下経済的な側面から死を取り上げていた。


わかりやすい例で言えば、人殺しビジネスであり、今回もこのビジネスに関する元潜入捜査官が登場し、裏話を色々と語っていた。そこからは、製造物責任リスクの観点を無視するような形で作られていく製品を取り上げていき、そこでは人の生命が完全に無価値のようなものとして扱われていることに驚いた。


もっと言えば、ある業界において、ある製品に安全装置を取り付ける費用と、それを取り付けなかったことに伴う諸々の損失(例:訴訟費用など)を比較し、安全上危険とわかっていながら安全装置を取り付けないというような意思決定が日常茶飯事で行われていることに驚いた。


そこからは葬式ビジネスの話題に移っていった。米国では150年前は、亡くなった人を家族で弔う習慣があったが、資本主義の台頭により、ここでもまた人間の生命——亡くなった人——が商品化され、形骸化した形で人を弔う行事が行われることになったことが描かれている。


仏陀の本来の思想は葬式の否定だったはずなのだが、いつの間にか日本でも葬式は1つの大きなビジネスになってしまっている。とりわけ葬式については、以前から少し考えていたテーマであり、自分がこの世から去った場合には、世間で一般的に行われているような葬式を決してするなと親族には伝えるだろう。


これは亡くなった人との別れの儀式を否定しているのでは全くなく、むしろ逆に、もっと意味のある形で弔う方法があるのではないかという問いかけをしている。見も知らぬ人間に弔いの儀式を外注するのではなく、親族同士でもっと時間をかけて、もっと別の方法で死者と別れる方法がきっとあるであろう。


生と死の取り扱いに関する現代社会の腐敗ぶりは凄まじいものがあるということを教えてくれるエピソードだった。もはや人間の命が商品化されているだけではなく、死そのものも商品化の対象なのだ。こうなってくると、何から何まで商品化され、金銭価値に換算されるような地獄絵図が浮かび上がってくる。


死に関する経済についての書籍を検索してみたところ、ほとんど書籍が見つからなかった。今のところ、“Economies of Death: Economic logics of killable life and grievable death (2015)”と“ The economy of death (1969)”という書籍を見つけたが、それらは葬式ビジネスを含めた、死に関するビジネスの裏について説明したものではなさそうだが、一応購入予定の文献リストに加えておいた。明日は、第6話のエピソードを視聴する。フローニンゲン2020/9/28(月)19:53

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