本日の言葉
The real absence of thought consists in thinking of all objects without letting oneself be infected by them. Hui-Neng
本日生まれた10曲
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タイトル一覧
5552. 身体と外界の境界線:黄金比と作曲
5553. 治癒をもたらした今朝方の夢
5554. 永遠に向かって
5552. 身体と外界の境界線:黄金比と作曲
時刻は午前3時を迎えた。今朝は少しばかり早く、午前2時半前に起床した。正確には、2:19の起床だった。
起床した直後、自分が寝汗をかいていたことに気づき、すぐに服を着替えた。そして、夢について振り返りながら、また大きな発見をしたことに気づいた。その発見のおかげで、自己の深い部分のある箇所が大きな治癒を得たという実感があった。
夢が教えてくれることの大きさは計り知れない。夢と向き合う観点を増やし、夢日記を付けて夢と向き合ってきた成果の一つの形が今朝の一件にあったように思う。こうした治癒が行ったことは、自分の心身に健康をもたらす。
言うまでもないかもしれないが、“heal(治癒)”と“health(健康)”には密接な関係があり、それは言葉上にも現れている。夢の中の身体と覚醒時の身体のつながりが見えてきたところで、早朝の習慣であるヨガを行った。
その際に目を閉じてみると、ふと改めて、自分の身体の境界線が随分と曖昧であることに気づいた。それは昨夜も、電気を消した書斎から寝室まで目を閉じて向かっている最中にもなんとなく気づいていたことだった。
実は私たちはひとたび目を閉じてしまえば、自分の身体と外界を分ける境界線に気づくことができないのではないかと思う。仮に身体の隅々まで自分の意識を巡らせることを普段から行っていれば、この境界線はより明確になるかもしれない。
ここではなにも身体と外界を二分するようなことを推奨しているわけではなく、そもそもそうした分化を果たす前に、私たちの大半は外界とまだ未分化なのではないかということだ。身体的な自己と外界の区別を脱却し、身体と外界が統合されていく段階に至るには、まずは分化のプロセスを経なければならない。
そうしたことからも、私はまず、身体の隅々にまで意識を張り巡らせることを普段からより意識していこうと思った。身体感覚をより鋭敏なものにして、身体の輪郭を作っていく。
その輪郭は意識で構成されている。ひょっとすると、それが出来て初めてサトルボディの完成、ないしは明瞭な顕在化と言えるのかもしれない。
そう考えてみると、多くの人たちはサトルボディなど涵養できずにいるのではないかと思われる。毎日の食実践と適度な運動により、グロスボディの土台が出来てきた。ここからようやくサトルボディの開発·鍛錬に移行していく。
今日は午前中に1件ほど、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングがある。それ以外の時間は全て、読書と創造活動に充てたい。
今朝は午前2時半前に起床したこともあり、就寝準備を始める午後9時半まで十分な時間がある。本日行う読書と作曲実践は今から大いに楽しみだ。どのような発見があるだろうかと胸が躍り始める。
昨夜は、エッシャーの絵画に関する文献、芸術と数学に関する文献、そしてダイナミックシステム理論と幾何学に関する文献を眺めていた。そこでふと、Phi(ファイ:黄金比)を用いた作曲について小さなアイデアが芽生え、それを作曲ノートに書き留めておいた。それは文字として書き留めていたのではなく、黄金比の数列と黄金比を用いた黄金長方形の図示をしておいた。
円周率と同様に無限に続いていく黄金比。そして、永遠に相似形が生み出されていく黄金長方形。
黄金比で長さを分ける黄金分割を用いて曲を作ることも一案として書き留めておこう。近々その実験をしてみたい。フローニンゲン:2020/2/18(火)03:29
5553. 治癒をもたらした今朝方の夢
時刻は午前3時半を迎えた。辺りは闇に包まれており、とても静かだ。
自分の深層意識に新たな治癒をもたらしてくれた今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の解釈は自分の心の中ですでに行ったので、それについてはいつものように書き留めず、材料としての夢だけ記録しておく。
夢の中で私は、高校1年生の時に引っ越したアパートの部屋の中にいた。どうやら明日は学校の運動会があるらしく、運動会に着ていくためのユニホームの制作に取り掛かっていた。
1人でユニホームを作っていたのではなく、3人の親友(KF&NK&YU)と親友の母親と一緒にそれを行っていた。ユニホーム作りは楽しかったが、途中から、明日の運動会に間に合いそうもないことが見えてきた。
すると親友の1人(KF)が突然、部屋の中にいた数匹の蚊を殺虫剤で殺し始めた。彼が四方八方に殺虫剤を撒くものだから、私たちの頭にもそれが降りかかり、殺虫剤を呼吸で吸い込むことは有害のように思えた。
そのため私は、彼に四方八方に無闇に殺虫剤を撒くことをやめるように述べ、避難するかのように部屋から出た。殺虫剤が地面に落ちる頃を見計って、再度部屋に戻り、そこでまた彼に先ほどの件について少しばかり文句を言った。
殺虫剤など使わなくても、その場に転がっていた小さなゴムボールを投げつければ、蚊を殺すことができると教えたのである。実際に、以前に住んでいたアパートの私の部屋の天井には、天井に止まった蚊をボールを投げつけて殺し、それが化石のように天井に張り付いている話を親友にした。
その後、より一層ユニホーム制作が滞り始めた。すると、親友の母親が、自分の部屋の畳替えをしようと提案してきた。特に椅子の下の畳が歪んでいるらしく、それを交換することを提案してきたのである。
気分転換にそれも良いかもしれないと思った私は、親友の母と一緒に畳を持ち上げ、新しい畳に交換した。すると、別の親友(NK)が隣の部屋に移動して、電気回路をいじりたいと述べた。
親友の母も私もその申し出を快諾した。というのも、新たな電気回路の制作がユニホームの制作につながっていると直感的に感じ、また彼は電気回路をいじることが得意だったからだ。
彼が部屋に移動した後に、キッチンの方から父が私を呼び、そちらに向かってみると、父がリンゴをむいてくれているようだった。厳密には、普段私はリンゴを洗って皮ごと食べるため、父もそれを知っており、私に特別なリンゴを手渡してくれたのである。
そういえば、先ほど親友が部屋から出ていくときに、「夕食を食べずに電気回路をいじるよ」と述べていたことを思い出し、父からもらったリンゴは私が食べるのではなく、その親友にあげることにした。
親友のいる部屋に行き、彼にそのリンゴを手渡した。彼は喜んでいるようであり、早速一口かじった。すると、辺りにザクロのような良い香りが漂い、自分でも食べてみたかったが、一口も食べることなく全てを彼にあげた。
その後、再び部屋に戻ってユニホームの制作に取りかかり始めた。このままだともう間に合いそうになく、手持ちのユニホームで良いのではと親友の母に提案してみた。
それで良いなら楽だと親友の母は述べ、私も自分の時間をユニホームの制作に充てるのが馬鹿馬鹿しく思えたため、その案を他の親友たちに伝えた。すると、1人の親友(YU)はそれは嫌だと述べ、やはりオリジナルのユニホームを作りたがっていた。
すると、なぜだか父が私の部屋にいて、ユニホームの制作に手助けをしてくれることになった。父は手先が器用であるからそれはとても有り難かったのだが、些細なことで口論となり、最後には父に暴行を加えることになった。
ベッドのある壁に父の頭を叩きつけ、その後、地面にあった学生カバンで父の頭を殴った。カバンには重たい教科書が何冊も入っており、カバンは重厚なハンマーのような凶器になっていた。
暴行を加えられて静かになった父に私はふと、「お父さんに追いつくために今までやってきた・・・」と呟いた。すると突然、ベランダのドアが全て無くなり、父もその場から消えた。
すると、真っ暗な外の地上から、父が私の名前を呼ぶ声がした。どうやら父は、私の部屋から見て目の前にある別の棟の屋上から天体観測をするつもりらしかった。
大きな望遠鏡がすでに屋上に設置されており、夜空を見上げると、満天の星空が広がっていた。父は私の名前を呼んで、おそらく一緒に天体観測をしないかと持ちかけてくれようとしたのか、あるいは天体観測のために家に帰るのが遅くなると母に伝えてくれと述べようとしていたのかもしれない。
いずれにせよ、私は父からの呼びかけを無視した。すると父が怒鳴って私の名前を呼び、今度は自分も怒鳴り返した。そこで夢から覚めた。
夢から覚めた瞬間、夢の中で父に怒鳴られた時に、一瞬自意識と感情が切り離される現象があったことに気づいた。そして、それはある種の防衛反応だったと気づいたのである。
さらに、怒鳴った父に関しても、怒鳴るという行為もまた父にとっての何かしらの防衛反応であることがわかり、怒鳴った父とそれに対して攻撃性を剥き出しにした自分への赦しの念が生まれた。
早朝のヨガの実践と合わせて行う数分間の短い瞑想の中で、その赦しの念が心身を柔らかくほぐしていった。そこに新たな治癒が発露したのだと実感した。フローニンゲン:2020/2/18(火)04:01
5554. 永遠に向かって
時刻は午後7時半を迎えた。今朝は午前2時半過ぎに起床し、午後の仮眠を挟んでここまでとても充実した時間が流れていた。
このような時の流れと共に永遠に生きていたい。そのようなことを思った。
この人生が永遠でないことはわかっているが、それを希求する気持ちがあることを隠すことはできない。それほどまでに毎日この世界で生きていることは幸せだ。
そう思えるような毎日が与えられているということ。それにどれほど感謝をしたらいいだろうか。
その感謝の念を形として表していこう。自分の人生が永遠でなかったとしても、その形はきっと永遠のものとなる。
肉体を超えた朽ち果てない世界の中に永遠を形作っていくこと。自分にできる恩返しはそれぐらいしかできない。一方で、それだけならこの人生を掛けて取り組むことができるような気がしている。
闇。街灯。赤レンガの家々。書斎の窓辺に近寄って空を仰ぎ見てみたが、夜空に星は見えなかった。明日は見えるだろうか。見えるかもしれない。
今年の秋に一時帰国した際には、国語辞典を購入してオランダに持ち帰ろうかと思う。言葉の世界をより豊かにし、世界をより豊かに認識したい。
言葉の世界の深さ。そして、その色彩豊かな世界に浸っていこう。今よりも一層深く。
日本語をまだまだ勉強したい。それは勉強するようなものではないのかもしれないが、自分がこのようにして日本語を用いていることを改めて不思議に思う。
なぜ自分は日本語を母国語として持つに至ったのか。それは不毛な問いかもしれないが、自分の人生を支え、そして大きく育んでくれているのは間違いなく日本語である。
探究で用いる言語は英語に偏っているけれども、日本語をとにかく大切にしたい。
誰かが編んでくれた辞書を購入しよう。どんなに重たくてもオランダに持ち帰ってこよう。今回の一時帰国でそれが無理だったとしても、いつか必ず。
これからの大きな探究テーマとして、意識と脳の使い方、そしてそこに音楽を関連付けていく。そのようなことを今日もまた漠然と考えていた。
意識、脳、音楽。これらのキーワードを核に据えて、本気になって研究できる結晶化されたテーマを見つけたい。
それはもしかしたら、見つけるものではなく、作るものなのかもしれない。そうしたテーマをまさに結晶化させていく試みをこれからも継続していく。
毎日様々な領域の読書を小さく積み重ねていき、小さく作曲実践を積み重ねていく。没頭と弛緩の往復運動の中でそれを行っていく。
明日もまた良い1日になるような気がする。良き1日の積み重ねが良き人生になっていく。そうではないだろうか。フローニンゲン:2020/2/18(火)20:00