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5344-5346:フローニンゲンからの便り 2019年12月15日(日)


本日生まれた10曲

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

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タイトル一覧

5344. 12音技法の鍛錬

5345. 死の光:今朝方の夢

5346. 批判の矢、仮眠中のビジョン、作曲スタイル

5344. 12音技法の鍛錬

時刻は午前4時を迎えた。今朝はちょうど3時を迎えたところで起床したので、起床から1時間ほど経ったことになる。今日もまた良質な睡眠を取ることができ、目覚めは非常にすっきりとしたものだった。

日曜日の本日も、自分の取り組みに集中し、没入することができるだろうと期待される。昨日に、今週の金曜日からいよいよ開催されるゼミナールの音声ファイルを作った。

昨日の段階で、事前にいただいている質問の全てに答える形で音声ファイルを作り終えたので、今日は音声ファイルを作成する必要はないだろう。その代わりに今日は午後に、ある一つの協働プロジェクトに関する資料のレビューを行おうと思う。そうした仕事に加えて、その他の時間は旺盛な創造活動と読書に充てていきたいと思う。このように日々を自らの取り組みに邁進する形で過ごしていると、いつの間にか時が流れていく。

2019年最後の月も、気がつけば折り返し地点を迎えた。それはまた、あと2週間ほどすればマルタ共和国へ旅に出かけることを意味している。年末のマルタ共和国への旅に向けて、今日からもまた一歩一歩を積み重ねていこうと思う。

ここ最近は、意識的に12音技法を活用した作曲実践を行っている。先月から今にかけて、教会旋法、対位法、フーガの技法を活用した作曲実践を行っており、それらの技法に付け加える形で12音技法を改めて鍛錬をし始めている。

以前に12音技法を活用して作曲をしていたときには、この技法の持つ魅力に気がつくことはほとんどできず、継続してその鍛錬をしていなかったのだが、ここにきて種々の魅力に気づき、今はできるだけ毎日1、2曲はこの技法を用いた曲を作るようにしている。

端的には、12音技法を用いることによって、その他の手法にはない音楽世界を表現できるということが最大の魅力である。それはすなわち、他の技法では決して表現できない自己の内面領域を表現できるということを意味している。

作曲においてはそれこそ多種多様な技法が存在しているのだが、それらは全て表現の手段なのであって、決して目的なのではない。そして表現の手段が異なれば、それによって開示される表現領域が異なるということにも着目し、自分の作曲の幅を広げ、内面領域を様々な方法で表現していくために、12音技法をまた少しずつ探究し始めた。今日もまたこの技法を使って数曲ほど曲を作ってみようと思う。

アントン·ウェバーンやヨーゼフ·マティアス·ハウアーが12音技法を活用した曲の楽譜を眺めてみると、彼らはうまく複数の音を縦に配置し、印象的な響きを持つ和音のような音響体を組織している点に注目した。今、これと同様のことを行うことを意識した取り組みを行っている。今後は、12音を活用したフーガなどを作ってみるのも面白いかと思っていたら、それはすでにショーンバーグやメシアンが行っていたようなので、彼らの楽譜をまた調べてみようかと思う。

先日購入したハウアーに関する書籍が届いたら、彼がどのようにして霊的な世界とつながるような曲を生み出していったのかを探究していく。個人的な感情や感覚を超えて普遍的なものに向かっていく曲。出発点は個人的なものだが、それが霊的な世界とのつながりを生むような曲。そうした曲を作っていきたい。作曲においては知識と技術の習得に向けて絶え間まい探究と実践を行い、それに加えて、霊感を涵養していくことも決して忘れてはならないことである。フローニンゲン:2019/12/15(日)04:21

5345. 死の光:今朝方の夢

時刻は午前4時半を迎えようとしている。先ほど一つ日記を書いた後に、大麦若葉とソイプロテインを組み合わせたドリンクを作った。今はその暖かい飲み物を飲んでいる。

その飲み物を作っている最中に改めて、人生の終わりのことについて考えていた。おそらく欧州で生活を始めて2年目あたりからだろうか、それぐらいの時期から突如として、自分の人生には終わりがあるという当たり前のことを強く自覚するようになり、死というものへの意識が高まった。そうした意識の高まりをきっかけにして、死という現象ないしは体験というものについて探究を始めることになり、今に至る。

自分の人生の終わりを意識することは、とりわけ米国での4年間の生活においてはほとんどなかったように思う。もちろん、友人の中で、死と意識について探究している人がいて、彼の研究に触発される形で死について関心を示す自分はいたが、今のように明瞭かつ自覚的な意識で自らの死を考えることはあまりなかったように思われる。

死という終わりから人生を放射すること。死という光の体験を起点にして、そこからそこに向かう全過程を死の光で照らしていくこと。

死の光に照らし出されたものを発見し、それと触れ合い、それを味わいながら生きる日々が自ずから実現され始めている。

この現象は自分にとっても新しく、それが持つ意味はもっと深いものがあるのだと思われる。その意味を焦ることなく紐解いていこう。そしてその意味をさらに豊かなものにしていこう。そうすれば、人生の終焉に向けた過程がまた意味と意義に満ち溢れた豊かなものになるであろう。

それでは早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。偶然ながら、昨日、オンラインゼミナールのための音声ファイルのテーマも夢日記やドリームワークに関するものだった。そこで随分と多くの説明をし、改めてシャドーワークとしての夢日記やドリームワークの意義を感じる自分がいた。

夢の中で私は、現在住んでいるフローニンゲンの自宅付近を散歩していた。見慣れた景色の中、運河沿いをゆっくり歩いていると、普段よく足を運ぶ近所のスーパーの近くまでやってきた。

すると突然、雨が振り出し、瞬く間に運河の水が増水し、道は水浸しとなった。そこからさらに雨は激しくなり、見る見るうちに道は水の下に埋もれていってしまった。まだ散歩を楽しみたいと思っていた私は、困ってしまい、どうしようかと考えていた。

すると、運河をかける橋の上に、小中学校時代の友人(KM)が歩いている姿が目に入った。そこで私は彼に話しかけるために、橋の方に行こうとしたのだが、もう道の上を歩くことは不可能なぐらいに浸水していたため、橋の上まで飛んでいくことにした。

橋の中腹に着地し、彼に声を掛けると、「飛んできたんだね」とびっくりしたような表情を彼は浮かべた。そして、「飛んでいる姿を人に見せても大丈夫?」と彼が述べたので、「もうこうした状況であれば平気さ」と私は述べた。

彼もまた空を飛べることを私は知っていたので、そこから私たちは、浸水仕切った道の上を飛んで移動することにした。すると途中で、浸水した道の上をボートか何かに乗って移動している白人の男性がいて、彼の頭の上を通り過ぎていったとき、彼は驚いた表情を浮かべていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は小中高時代の友人(SS)の家にいた。彼の部屋で話をしていると、彼は私の影響で、水彩色鉛筆を購入したようだった。それを用いて毎日何かの絵を描いているそうだった。

するとそこで、彼の母親が部屋にやってきて、彼が今、色鉛筆の魅力を伝えるための活動に従事していることを教えてくれた。何やら色鉛筆の良さを伝えるためのオリジナルステッカーを作り、それを2人で街中で配っているそうだった。

ステッカーを見せてもらうと、そこには可愛らしいキャラクターが描かれていた。とても微笑ましい気持ちになったところで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、私は小中学校時代の親友(HS)と一緒にお互いの似顔絵を描いていた。厳密には、私の横にはもう1人友人(YU)がいて、彼もまた親友の似顔絵を描いていた。

3人で和気藹々と話しながら似顔絵を描いていると、あるところで無事に描き終えた。3人でお互いの絵を見せ合い、そこでもまた和気藹々とした会話がなされた。

最後に、お互いが誰の顔を描いたのかを記録しておくために、相手の名前を入れておこうということになった。私は親友のフルネームを漢字で書き、最後に「君」という文字を付けた。普段はニックネームで彼のことを読んでいるのだが、なぜかそのときには姓名の後に君をつける形を取った。

すると、私の横にいた友人が、フルネームを漢字で書くと、それが誰かが特定されてしまいあまり良くないないのではないかと述べた。私は逆に、誰を描いたのかがわからない方が問題なのではないかと思ったし、絵に相手の名前を入れることもまた何かしらの表現であると考えれば、それもまた自由に作り手に委ねられることなのではないかと思った。

なぜだかその友人はその細かな点に執着しており、向こう側にいたまた別の2人の友人(TK & AF)にその点を確認していた。そんな些細なことに執着し、いちいち別の友人に尋ねなくてもいいと私は思った。

そこで私は、友人が身を投げ出す形で向こう側にいた2人の友人に質問をしていたのを見て、彼のお尻に思いっきり鉛筆を突き刺した。最初私は彼の肛門に鉛筆を突き刺してやろうかと考えたが、それは相当に残虐であると思ったので、代わりに臀部に鉛筆を突き刺すことにした。思いっきり突き刺したつもりだったのだが、彼のズボンは硬く、彼はそれほど痛がる様子を見せず、ただし随分と驚いた表情を浮かべていた。フローニンゲン:2019/12/15(日)04:56

5346. 批判の矢、仮眠中のビジョン、作曲スタイル

時刻は午後4時を迎えようとしている。今、書斎の目の前を数羽のカモメが横切って行った。すると、再び彼らがまた近くにやってきた。空を優雅に旋回する彼らの姿をぼんやりと眺める。

今日は天気の変化が激しく、雨が降ったり止んだりしている。ちょうど先ほどは雨が止んだので、そのタイミングを見計らって、軽くジョギングしながら近所のスーパーに行ってきた。帰り際にまた雲行きが怪しくなり始め、これから再度雨が降るようだ。

スーパーに向かう最中に、アイルランドの詩人オスカー·ワイルドのある言葉について考えていた。その言葉と発達の原理である健全な自己批判との関係から、しばしば自分が熱気を持って何かを語る際には、そこに過去の自分に対する自己批判の衝動が含まれていることに気づかされた。

何かに対して批判の矢を向ける時には、往々にしてそれは過去の自分に対する批判の矢となって現れ、それは過去の自分から完全に脱却しようとする行為のように思えてくる。そうしたことを考えさせられる出来事がここ最近あった。そうしたことを考えながらスーパーに立ち寄った。

午後に仮眠を取っている最中、北欧の森の中の一軒家がビジョンとして現れた。それは湖畔にあり、木材できたお洒落な小屋のように見えた。

そこで私は、自分にとって大切な人と一緒に、日本の懐かしのクリスマスソングを聞いていた。その時の時刻は夜であり、家の周りは静寂さに包まれており、家の中は幸福感で満たされていた。そして、自分の心の中もまた幸福感で満たされていた。そのようなビジョンがあった。

午前中に、ストラヴィンスキーが執筆した“Poetics of Music in the Form of Six Lessons”を読み進めていた時に、作曲に関していくつかのアイデアが芽生えた。聴き手が一瞬立ち止まって、そこから何かを感じ取ってもらえるような曲。自分の内側の感覚に対して共感してもらうことが目的なわけでは決してないが、その場で一瞬立ち止まるようなきっかけを与えるような曲を作りたい。

そして、聴き手自身が自分の内的な感覚と向き合ってもらい、自分自身の内的時間を経験できるような曲を作っていきたい。そうした触媒になるような短い曲を作っていきたいという静かな思いが立ち現れていた。

そこから私は、作曲のスタイル(様式)について考えていた。作曲のスタイルを衣服のスタイルと見立てた場合に、場所に応じてスーツを着たり、和服を着たりするように、場にふさわしいスタイルというものが作曲スタイルにもありそうだ。いや、スーツを好む人はスーツ一辺倒かもしれないし、和服の場合もまたそうである。衣服のスタイルと同様に、作曲スタイルには作曲家の好みが現れ、衣服の鑑賞者にも好みがあるように、音楽の聞き手にもスタイル上の好みが当然ながらある。

同時に2つの服を着ることはできないのと同じように、作曲においても異なるスタイルを同時に適用することはできない。基本的には一つの曲は一つのスタイルで書かれる。あるいは、作曲家の個性が育まれ、自分独自の書法が確立されていけばいくほどに、スタイルはある統一的な唯一性を持つものになっていく。そうなってくると、どの曲もその一つのスタイルで書かれることになるから、当然ながらそれを好む人と好まない人に別れてくる。

好みの作曲家が異なるというのは当然であり、万民が好む作曲家というのは本質的には存在しないのだと思う。もし仮に万民から愛されるような作曲家がいたとしたら、それは独自の作曲書法を確立していない偽物か、作曲上の神か仏なのだろう。フローニンゲン:2019/12/15(日)16:07

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