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5242-5247:フローニンゲンからの便り 2019年11月25日(月)


本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5242. 断食11日目を迎えて:昨夜の不思議な知覚体験について

5243. 年末年始のマルタ共和国への旅行について

5244. 断食11日目の夢

5245. 年明けはミラノに滞在してみようという思いつき

5246. 新たな局面を迎える断食

5247. 断食11日目に得られた食に関する認識の転回

5242. 断食11日目を迎えて:昨夜の不思議な知覚体験について

断食11日目の朝を迎えた。今日からまた新たな週が始まる。そして、断食の日数を経るごとに、自分が新たに生まれ変わっていることを実感するため、今日もまた新たな自己の始まりである。

昨夜、就寝前に不思議な体験をした。これもまた、断食の効果が深まっていく時に生じる現象かと思う。

その現象が生まれる要因については、断食がもたらす生体的な影響によるということを、昨日読み返していた書籍を通じて再確認した。どのような体験であったかというと、端的には脳の働きが変化し、自分の内声が脳内で立体的に知覚されるという現象である。また、そうした内声が単に脳内をぐるぐると立体的に動くだけではなく、それは自分の内側に深く深く入り込んでいくという類のものであった。

日常私たちは雑多な考え事をしており、考えていなくても脳内には様々な雑念が浮かび上がっている。その数は、一日に数万や数十万とも言われる。

就寝前に私の脳内に湧き上がっていたのは、そうした雑念ではなく、雑念を生んでいる正体となる存在がそこにポカリと浮かんでいて、その声が明晰に知覚されるというものであった。そして、雑念を生むその主体が静かになっていくという体験をした。

その他にも、目を閉じ、脳内で知覚されるビジョンの鮮明さもより鮮やかになっていた。脳内で何かを想像すれば、いや想像せずとも、勝手に色鮮やかなイメージが溢れ出し、まるでそれを映画鑑賞のように眺めている自分がいた。

おそらくそれらのイメージは過去の記憶の合成であったり、ひょっとすると集合的な記憶が生み出すものなのかもしれない。中には美しい街並みや美しい自然のイメージがあり、それらのイメージが高速で変わりゆく姿を心眼を通じてただ眺めていた。

おそらく芸術家にとっては、こうしたイメージが想像力の源泉になっているのだろう。こうしたイマジネーションの産物と当人の技術によって、それが詩になったり、絵画になったり、曲になったりするのだと思われる。

日中は目を開けて生活をしているため、こうした心的世界の動きについてはあまり自覚的ではないため、もう少しそれに自覚的になり、観察を行ってみようかと思う。確かにそれは観察をせずとも、今このようにして執筆している文章の構成や言葉選びに何かしらの影響を与えているはずだし、作曲実践にも影響を与えているはずだ。

また、午後の仮眠の際にはそうした知覚現象の一端を常に体験していると言えるかもしれない。いずれにせよ、せっかく今現在断食をしている身なのであるから、そうした現象を覚醒意識の中でより自覚的になろうと思う。

今朝方の心身の調子に関して言えば、大変良い。昨日の朝は、途轍もなく心身が軽かったが、排便前に腹痛をきたし、この10日間見ないような類の宿便が排出された。それにより、断食のフェーズがまたさらに変化したように感じ、今日を迎えた。昨日のそれは、大きなデトックスの証のように思えた。

昨夜の就寝前に、少しだけ食欲が戻ってきたのかと思ったが、それはどうやら誤解かもしれない。このあたりの判断はなかなか難しい。昨日の大きなデトックスをもってして断食を終了するのではなく、ここからもまだ解毒は進んでいき、ある意味ここからが本格的な治癒が始まるように思える。

そうしたことからも、引き続き断食を続けていくつもりで今のところいる。とは言え、少しばかり終わりの姿も見え始めているような気がしており、14日間を過ぎてからそれがやってきそうな気配がある。フローニンゲン:2019/11/25(月)06:20

5243. 年末年始のマルタ共和国への旅行について

昨夜は時間ができたので、年末年始に過ごすマルタ共和国の旅行について計画を練っていた。すでにマルタ共和国のメインの島の美術館などを調べており、あとはどのあたりの地域のどのホテルに宿泊するかを決めることが求められていた。

ホテルを選ぶ際には、近くに新鮮な果物やオーガニック製品が入手できることを一つの条件としていた。もちろん、オーガニックな製品が入手できなかったとしても、例えばオイルや毎日飲んでいるパウダー類(例:小麦若葉、カカオ、ヘンプなど)は持っていくことができるので、とりあえず新鮮な果物が入手できそうなスーパーが近くにあることを基準にホテルを探していた。

マルタ共和国は、EU圏の中でも物価が安いためか、ホテルの値段もお手頃なものが多かった。もちろん、それはピンからキリまであるのだが、それでもEUの主要先進国に比べると、良いホテルがお手頃な価格で宿泊できる印象を受けた。

また何より、マルタ共和国のホテルはどれもお洒落であるという印象を強く受けた。なんと表現したらいいのか迷うが、あの独特の美しさを持つ街並みを生む石たちと同じ石を使って作られているホテルがたくさんあり、それはとてもマルタらしいホテルだと思った。

先進国に旅行に出かけても、ホテルが標準化されてしまっていることが多く、そこにお国柄を見出すことがなかなか難しくなってしまっているのが現実だろう。だがマルタのホテルは、その国のらしさを失っていないものがたくさんあることを嬉しく思った。

できれば、マルタの奥深い文化が滲み出ているようなホテルに宿泊したいと思う。そうしたことからホテル選びをしていると、最初私は空港近くに良いホテルを見つけた。そこは空港から徒歩で行ける。

評判を見ると、空港から近いという立地の良さや、内装と外装の美しさのみならず、受付の親切さなども含めて、とても良いホテルかと思った。一応評判においては、とても静かな環境とあったが、空港に近いということもあり、飛行機の音や空気の新鮮さ、そして何よりホテルからの景色を考慮して、そのホテルに宿泊することをやめた。

その後も少しばかり調査を続け、マルタ島の中で一番のリゾート地であるセントジュリアンのホテルに宿泊しようかという結論に今のところ達した。そこはレストランやカフェ、そしてカジノなどもあってナイトライフが華やかなのだが、私はそうしたものを求めているわけでは決してない。

旅行中、カジノは愚か、街中のレストランやカフェに入ることもほとんどない。先日のヴェネチア旅行で街中のレストランに入ったのは1回だけであり、しかもそれはトイレを使うという目的があったからだった。

確かに美術館のカフェでくつろぐことは時折あるが、基本的に私は旅先で飲み食いを外ですることはほとんどない。そうした特性があるにもかかわらず、なぜセントジュリアンを選ぼうとしているのかというと、ホテルから見える海の景色が素晴らしそうだと思ったからだ。

セントジュリアン以外にも、近くにスリーマという一角があり、そこもホテルは充実しているのだが、そこから見えるのは広大な海というよりも港のような印象を受け、その地域に宿泊することを選択肢から外した。

年末年始は夕日の沈む大海原や朝日の昇る大海原を眺めながら、ゆっくり過ごしたいという思いが強くある。まさに、これまで山口県の実家で年末年始を過ごしていたような形で、海を見ながら年越しを祝い、初日の出を拝みたいと思う。そうしたことから考えると、リゾート地のセントジュリアンが良さそうだと判断した。

調べてみると、リゾート地とは言え、そこにはマルタ独特の落ち着きがあるように感じられたため、日頃はリゾート地を避けるような私も、今回はそうした場所に宿泊してみようと思った次第である。

ホテルの目処が立ち、何日から何日まで宿泊するのかも決めたため、今夜にでも航空券とホテルの予約をしてしまおうと思う。いつどこに訪れるのかはまた後日ゆっくりと決めればいい。むしろ今回の旅は、マルタの観光名所をあくせくと回ることが目的なのではなく、マルタに流れる時間の中で、海や街並みを堪能しながらくつろぎ、落ち着いた年越しをすることが目的だ。フローニンゲン:2019/11/25(月)06:43

5244. 断食11日目の夢

時刻は午前7時半を迎えた。辺りはまだ真っ暗であり、明るくなり始めるのは午前8時を過ぎた頃からだろう。

いつものように今朝方の夢を振り返り、その後に作曲実践に取り掛かりたい。夢の中で私は、マルタ共和国のような、そしてイタリアの雰囲気を思わせるような国にいた。そこはリゾート地であり、とても明るい印象を私に与えていた。

どうやら私は、その地でゆっくりと過ごすことを目的にしていたようである。偶然私はその地で、小中高時代の親友(HO)と出会った。

私はそれを偶然の出会いだと思っていたのだが、どうやら今何人かの友人たちもこの場所に滞在しており、彼らは修学旅行か何かでこの場所を訪れているようだった。会って早々に彼は私に突然謝り始めた。

どうやら私は彼に腕時計を貸していたようであり、彼はそれを無くしてしまったようだった。厳密には、その時計を盗まれてしまったそうなのだ。

その時計は、父から譲り受けたもののうちの一つであり、大切な品であった。一応幸いなことに、それは父が私に譲ってくれたスイス製の高級時計ではなく、見た目は厳かだが、普段用のそれほど高価ではない時計だった。

彼は謝った直後、私に何かを手渡してきた。私は手のひらを開けると、そこには札束があった。

この国はEU諸国のはずなのだが、イタリアが昔使っていたリラのようなお金を使っていた。彼は私に、20,000現地通貨を渡してきたのである。

最初私は、それが一体何ユーロなのか、あるいは何円なのかわからなかった。少し思考を巡らせてみると、それは20,000ユーロとほぼ変わらず、日本円にして300万円超ほどだった。

盗まれた時計はそのような金額のものでは決してなく、弁償代としてその金額は受け取りすぎのように思えた。だが彼は、借りた時計が相当に高価なものだと思っていたようである。

親友:「あの時計の時価は3,000万円ぐらいするよね?それをうまいことを1,000万円ぐらいで手に入れたんでしょ?ごめんね、300万円ぐらいしか集めることができなかったんだ」

:「えっ、あぁ、うん」

彼は完全に時計の価値と値段を誤解しているようであり、私はそれを説明しようと思ったのだが、彼は何か焦っているようであり、札束を手渡したらどこかに消えてしまった。私は札束を握り締めながら、そこで茫然と立ち尽くしていた。

その札束は、わずか2枚であるため、札束とは言えないほどなのだが、それをいざユーロや円に換金するとなると、相当の紙幣量になってしまう。確かにわざわざ実際のお金に交換せず、銀行送金すればいい話なのだが、その国ではそれができず、どうしても実物通貨に変えて自国に戻る必要があった。私はそれが面倒に思え、誰か代わりにやってくれる人はいないかと思った。

すると、再び先ほどの親友が戻ってきて、そこでもまた私に誤り、近くの両替所でユーロに換金してくれると言う。私たちは一緒に近くの両替所に行き、私は彼が両替を済ませるのを待った。

何やら、少しの金額だけその両替所で換金することができなかったようなので、別の手段を探してくれとのことだった。そこで私は再度彼と別れ、近くのレストランに入って、そこの客に両替をしてもらうことにした。

ちょうど良さそうなレストランが近くにあり、そこに入ると、見知らぬ若い日本人客が何人かいた。彼らなら両替してくれそうだと思い、彼らに話しかけてみると、何やら大抵の人は同じような相談を受けたらしく、すでに両替済みの人が多かった。だが一人だけ、まだ両替をしていない男性がいて、その人に両替をお願いすることになった。

なんとか無事に全ての現金を換金することができた私は、レストランから外に出た。すると、目の前に一輪車の連なったような乗り物があり、それに乗って宿泊先のホテルに移動しようと思った。

早速その乗り物に乗ると、それは自動で動き出し、目的地に向かって出発した。その乗り物に乗っている乗客は他におらず、私だけがそれに乗っていた。

道の轍に沿ってうまく進んでいくその乗り物は、窓も何もなく、本当に一輪車が長椅子のように連なっているだけのものだった。途中、公園付近に差し掛かった時、フェンスにあわばぶつかるかと思うような冷や冷やする場面もあったが、それも織り込み済みの運転のようだった。

「そういえば、いったいこの乗り物はどのように動いているのだろうか?」という疑問が脳裏をよぎり、前方を見たところ、何やら一頭の動物がこの乗り物を引っ張っていってくれていることにようやく気づいた。よくよくみると、それは小さな恐竜であった。

目的地に到着すると、私はその恐竜にお礼を述べた。というのも、その恐竜は人間の言葉が理解できるようであり、何よりも頭の形と様子が人間とそっくりだったからだ。

お礼を述べると、やはり恐竜は人間の言葉を理解できるようであり、しかもそれだけではなく、人間の言葉も流暢に話した。

どうやらその恐竜は運転に疲れてしまったようであった。なぜなら、これは乗り物を操縦するというよりも、乗り物全体を自分の足で引っ張っていく肉体労働が要求されていたからである。

時間のあった私は、その場で恐竜の足を少しマッサージしてあげることにした。すると恐竜は、お客にマッサージしてもらうことは悪いと最初述べながらも、徐々に表情が緩み、とてもリラックスしていった。

しばらくマッサージをすると、恐竜はすっかり元気になり、私にお礼を述べた。恐竜は近くのカフェで一服すると述べ、私たちはそこで別れた。

ホテルに到着し、自室に戻ると、なぜかそこに三人の日系中国人の女性がいた。私たちは初対面であり、なぜ彼女たちがそこにいるのかわからなかった。

一人の女性は、巨大な煎餅をバリバリ食べており、そのうちの1枚を私にくれた。三人のうちの一人はすぐに部屋から出て行き、残りの二人のうち一人が私に話しかけてきた。

彼女の日本語は流暢なのだが、もう一人の煎餅を食べている女性は、母親か父親は日本人なのだが、日本語教育を途中でやめてしまったため、ある程度の日本語力しか持っていないとのことであった。実際に彼女と話をしてみると、それほど違和感なく日本語で意思疎通ができているように思えたが、彼女曰く、中国語で話すのが一番自然であり、日本語や英語で話すと冷たく硬いエネルギーに包まれてしまうとのことだった。フローニンゲン:2019/11/25(月)08:02

5245. 年明けはミラノに滞在してみようという思いつき

いつも旅先の決定は突発的であり、日時も滞在場所も単なる思いつきなのだが、先ほどもまた突発的に今年の年末年始の旅行についての計画を若干修正しようと思った。最初私は、マルタ共和国で1週間ほどゆっくりしようと思っていた。

しかし、今朝方少しばかりフライトの状況を見たときに、アムステルダムからマルタへのフライトは昼前のちょうど良いものがあるのだが、マルタからアムステルダムへの帰りの便はどう探しても朝の7時過ぎに出発するものしかなかった。

フライトは昼あたりのもの、そして空港ではラウンジでくつろぎたいと思っている私にとって、そうした早い便しかないのは残念であり、一瞬マルタに行くことをやめようかと思う自分がいた。しかし、マルタから程近いイタリアに向けてであれば、昼あたりのフライトがあるのではないかと思って、まずはマルタからローマに行く経路を調べてみた。仮にそこで良さそうなフライトがあれば、ローマに滞在してからアムステルダムに帰ろうと思ったのである。

すると、ローマ行きのフライトに関しても微妙な時間帯のものしかなく、それであればミラノ行きはどうかと思って調べてみたところ、とてもいい時間帯のものを見つけた。それをもって私は、年始の数日間をミラノで過ごすことにした。

とても突発的な思いつきであったが、すぐにミラノの美術館をいくつか調べてみた。すると、フィレンツェ、ローマ、ヴェネチアには劣るものの、ミラノにもいくつか興味深い美術館があることがわかり、年明けにはミラノに滞在しようと決めた。

少し馬鹿げた理由としては、フローニンゲンの年越しの花火の騒音や街中で大晦日にドンぱちと上げられる花火の音を避けるためにマルタに行く。もちろん、冬でも暖かいマルタで海を眺めながらゆっくりと過ごし、歴史的な街並みを堪能することや美術館を巡る楽しみもあるが、オランダの年越しを避けたいというのが正直なところだ。

オランダでも人がほとんどいないような場所であれば静かに年越しができるのかもしれないと思い、デ·ホーヘ·フェルウェ国立公園近くに年末年始に宿泊し、クレラー·ミュラー美術館に3回目の訪問をしようかとも考えた。だがやはり、まだ訪れたことない場所で年越しを経験してみるのもいいだろうと思い、出発日を遅らせて、大晦日の日の朝にフローニンゲンを出発し、そこから1/4か1/5をめどにマルタに滞在することにした。

その後、マルタからミラノに移動して、ミラノで4日間ぐらい滞在しようかと計画している。今回は通常期の旅行とは異なり、それほど多くの美術館を巡ることをせず、ホテルでゆっくりする日があってもいいと思う。

そもそもマルタに滞在する際には年末年始であるから、美術館がどれほど開館しているのかどうかもまだ調べてないのでわからない。マルタで3つぐらいの美術館を訪れ、ミラノでも3つぐらいの美術館を訪れれば十分であろうか。

すでにミラノで訪れる予定の美術館を3つほど決めた。もしそれ以外にも訪れたい美術館があれば、滞在日数を調整する。

再度どうしても訪れたい場所をマルタとミラノの双方で洗い出し、アムステルダムからマルタへのフライト、マルタからミラノへのフライト、ミラノからアムステルダムへのフライトを早々に確保しようと思う。今のところホテルに関しては、目星のホテルはなんとか空いているようだ。フローニンゲン:2019/11/25(月)08:20

5246. 新たな局面を迎える断食

つい今し方、本日3回目の排便があった。それを受けて、断食が新たな局面に入ったことを確信した。

昨日の朝に、これまでとは違った宿便が排出され、それによって心身の状態が大きく変わった。もちろんそれは良い方向にである。そして、夜にはあたかも自然な食欲が沸き始めてきているかのように感じられた。

そこから一夜開け、11日間固形物を摂取していないにもかかわらず、今日もまだ排便があり、しかも3回も排便があった。それを終えたとき、ようやく完全に解毒が終わったのではないかと思った。

もちろん、あとは舌の状態を確認する必要がある。それを見て、解毒が完了したかを確認したい。

昨日断食に関する書籍を読んでいなければ、私はここで断食をやめたかもしれない。解毒が完了したことをもって断食を終わらせてはならないのだ。それを知る。

なぜかというと、解毒の後にようやく初めて真の治癒が待っているからである。内臓器官は、やっとのこと積年の毒素を体外に排出し終えたのである。

ここから彼らが行うのは自己治癒である。つまり今度は解毒に向けて働くのではなく、治癒に向けて働き始めるのだ。

昨夜の段階で、そろそろ果物でも購入しようかと思っていたが、それを実行に移さなくて正解であった。断食11日目を迎えた今日から、根本的な治癒に向けて身体が動き出す。ここからどれだけ治癒に時間がかかるのかわからないが、もうしばらく断食を続けていこうと思う。

先ほど少しばかり、イタリアに何か惹かれるものがあることについて考えていた。ヴェネチアを訪れたときに感じたが、イタリア人の感性と何か響くものを自分が持っているように感じる。

イタリアで見た芸の細かさ、緻密さ·精巧さは見事であり、今朝方ふとミラノに行こうと思ったのも、再度イタリアの地に降り立ち、そうしたものを直接また目で見て、身体全体で感じるためなのだろうと思った。

そこでふと、大学時代に授業を受けて感銘を受けた大月康弘教授の『ヨーロッパ 時空の交差点』をまた読み返したいと思った。幸運にもそれはフローニンゲンの自宅の本棚にある。それを読み返しながら、ヨーロッパの歴史に思いを馳せたい。

世界史·経済史の観点に加え、そこに神秘思想の系譜と重ね合わせてヨーロッパの歴史に関する探究を細々と行っていく。また、先日ヴェネチアを訪れたことをきっかけに、とりわけ、宗教絵画が自分の内側に浸透し始めた体験をもってして、美術史を学んでいこうかと思う。ただし、それを単なるお勉強として学ぶのではなく、魂の肥やしにするような形で探究していきたい。

「魂の肥やし」という言葉で思い出したが、日本と欧州の美術館の違いについても先ほど少しばかり考えを巡らせていた。私の中では、前者は私の魂をくつろがせてくれる。一方、後者は自分の魂を震わせてくれる傾向にある。

圧倒的な量感と力強さで迫ってくる感覚があるのが欧州の美術館であり、優しさの中に偉大さがあるのが日本の美術館だろうか。どちらも畏怖の念を引き起こすのは間違いないが、そうした畏怖心の種類も異なっているように思える。この点についても、日本や欧州の美術館を今後も巡ることを継続させる中で探求してきたい。フローニンゲン:2019/11/25(月)11:38

5247. 断食11日目に得られた食に関する認識の転回

先ほど近所のスーパーに買い物に行くがてら軽くジョギングをしていると、食に関する認識の転回が起こった。それはそれほど大きなものではないが、自分にとっては大切な認識上の転回だった。

その前に、断食11日目にしてそもそも先ほどのように普通にジョギングできていることがおかしくて仕方ない。固形物を摂取していた11日前とほぼ全く変わらない足取りで今日も走っていた。

そのエネルギーがどこから生まれているのか不思議なぐらいである。こうしたことからも、そもそも食、とりわけ固形物からエネルギーを摂取しなければならないというのは嘘であり、それは食に関する固定観念に囚われているから生まれてくるものだということがわかる。

これは本当に断食をして、固形物を全く摂取しないという体験をしないと体感としてわからないものなのだろう。固形物を摂取しなければ生きていけないという思い込みの枠組みを完全に打ち壊してくれたのが今回の断食であった。以前の断食からも薄々それに気付いていてはいたが、明快な認識となってそれを身体が理解したのは今回の断食のおかげであった。

また、エネルギーの根源に関していうと、私はひょっとすると、植物のように光からエネルギーを得て、そして他の生物と同様に空気からエネルギーを得ている量が多いのかもしれない。さらには、創造活動に伴うなんとも言えない充実感と幸福感という感情が生命活動の維持に必要なエネルギーに転換されているようなのだ。

言い換えれば、私は自らの創造活動によって創造エネルギーと生命維持エネルギーを得ているかのようなのだ。残念ながら私は物理学に精通していないのだが、エネルギー保存の法則か何か、そうした類のエネルギーに関する諸法則のどれかがうまく自分の内外で適用されているかのようである。

今日は固形物を絶って11日目なのだが、これまで毎朝排便があった。そして今日はなんと4回も排便があった。それはこの11日間の中で一番多い回数である。

やはり昨日の宿便の排出を持って、腸内がほぼ完全に解毒され、今日の排便が最後の大掃除だったのかもしれない。実は後もう一回、本日5回目の排便がありそうな気配もしている。それほどまでに腸の運動はまだまだ活発であり、体外に排出できる毒素は全て排出してやろうという腸の気概を感じる。

以前の断食7日間ではやはり全くもって不十分だったのだと知る。とはいえ、あれぐらいの期間の断食を一度経ておかなければ今回の断食はなかったであろうし、さらにその前の4日間ぐらいの断食がなければ7日間の断食もなかったであろう。

さて、ジョギング中に起きた食に関する認識の転回についてであるが、それは上述で述べていることと重なる部分がある。私は年に1度か2度ほどアルコールを摂取する時があり、本当にその瞬間をアルコールと共に味わいたい場合にのみ、アルコールを飲む。

今年はすでにその機会があり、それは秋に日本に一時帰国した際に、両親と一緒に最初の晩餐を共にした時だ。その後、オランダに戻る間際の夕食時にもう一度ワインを飲んだような記憶がある。今年においてアルコールを摂取したのはそれぐらいだ。

私はこれと同じことを食に対しても適用しようと思ったのである。これまでの普段の食事も確かに質素ではあったが、今回の断食を経て、そもそもこれまで摂取していた固形物が本当に必要だったのか疑問に思い、もし食事をするのであれば、それは誰かと一緒に食事をするときや、何か自分にとって特別な日ぐらいにしようかと思ったのである。

もちろん、固形物を一切摂らない生活をこれからずっと続けていくわけではなく、さらに質素にすることが可能だと思っただけであり、固形物を摂取するような日が毎日なくてもいいと思ったわけである。

ぼんやりとだが、自分の体つきが室町時代や江戸時代の前期の人たちの体つきに近づいているような気がする。当時の人々には現代のように食生活からもたらされる病というのはほとんどなかったであろう。また、そもそも食べ物の種類も限定的であり、現代栄養学が述べるように、本当にあれこれと食品を体の中に取り入れないといけないのか甚だ疑問である。

断食後は果物を回復食の初期に摂取していこうと思っており、あたかも自分が畑で芋を耕し、山にキノコを取りに出かけているような生活を想像し、断食後しばらくしたら、サツマイモとシイタケだけを少しばかり夕食にしていこうかと思う。それにクロレラを和えた味噌汁さえあれば十分のような気がしている。

断食後の食事については、その種類と量を含めて、食べ始めてみなければなんともいえないことがあるため、そのあたりも様子を見ながら食実践をより良いものにしていこうと思う。いずれにせよ今回の断食を通じて、固形物を摂取することについて随分と大きな認識の転回がもたらされた。

小腹が空いたからといって何かをつまむような愚行を犯さず、とにかく自分の胃腸を労ることをしてあげたいと思う。胃腸を労ることは脳を労ることにつながり、それは身体全体、さらには精神全体の労りにもつながることをしみじみと実感する。

これまで30年強生きてくる中で蓄積した毒素を排出するのにこれだけの時間がかかった。そしておそらく、昨日読んだ書籍に書かれていたように、たかだが14日間ぐらいの断食を行っただけでは、数十年間に蓄積した毒素を全て排出できないのを知っている。

断食というのも他の実践と同じように、そして発達現象と同じように、それを習慣化させ時間をかけながら緩やかに進めていくことが大切だ。

たった一度断食を行ったことがあるというだけではほぼ無意味であり、それは一度歯医者に行ったことがあるという程度であったり、一度外国に旅行に出掛けたことがあるという程度のことに過ぎないことが理解される。

小さな断食を習慣化し、胃腸を労る期間を設け、その期間に食生活のみならず、身体及び自らの心に向き合うこと。それが自分の魂と向き合うことであり、自らの人生と向き合うことにつながるのだと実感する。今夜もまだまだ創造活動に励む。フローニンゲン:2019/11/25(月)17:05

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