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5225-5227:フローニンゲンからの便り 2019年11月22日(金)


本日生まれた11曲

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タイトル一覧

5225. 断食8日目の朝の状態及び今朝方の夢

5226. 今朝方の夢の続き

5227. 優しい太陽の光を浴びながら

5225. 断食8日目の朝の状態及び今朝方の夢

断食8日目の朝を迎えた。今朝の起床は午前6時であり、非常にゆったりとした起床であった。9時半あたりに就寝し、そこから一度も目覚めることなく6時まで寝ていた。

内臓器官は消化吸収に向けて活動するのではなく、排出及び治癒に向けてまだ活発に活動しているかのようだ。興味深いのは、今日のように比較的遅く起きる日と、午前3時半あたりに起きる日がサイクルのようになって現れることである。この現象についてはまだよくわかっていないが、明日はひょっとすると今日よりも早く起床するかもしれない。

断食も8日目を迎えた。これは準備期間を含めたものではなく、固形物を一切摂らなくなってからの期間である。準備期間を含めてしまうと、この7ヶ月か全て準備期間のような形の食生活を送っていたため、それを含めてもしょうがないだろう。

前回の断食は、固形物を一切摂らない期間が7日間のものであったため、今日からは未知の領域に入る。未知とは言え、それほど身構えるものでもなく、どこか淡々と過ぎていくような気がしている。

ここからはもう、断食を終える内的必然性ないしは内的要求を待つだけであり、それがやって来たところで断食をやめる。逆に言えば、それが来るところまでは断食を続ける。

起床直後にオイルプリングをし、いつものように舌磨きをしてから舌診をしたところ、舌の調子がさらに良いものになっている。内臓器官及び身体の皮膜の調子が日増しに良くなっているようだ。

固形物は一切摂っていないが毎朝便は出続けており、宿便の排泄を通じたデトックスがまだ続いている。今日も観察を続けながら、静かに淡々と一日を過ごしていこうと思う。

早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。今朝方はいくつかの夢を見ていた。

夢の中で私は、どこか地元を思わせる町にいて、河原沿いの道を自転車で走っていた。河原沿いの野原は美しく、河原の水は太陽の光で煌めいていた。

どうやら私は合宿所に向かっているようだった。それは勉強と運動の両方を目的とした合宿であった。

しばらく自転車を漕いでいると、河原沿いを抜け、住宅街に入った。あるところで右折をしたところ、後ろから「今のすごい!」という声が聞こえた。

どこかで聞き覚えのある声だったので後ろを振り返ると、小中学校時代の女性友達が2人(AS & MK)いた。2人のうち片方の友人(AS)が私の運転を見て、それを褒めてきたのである。

私は別に褒められるほどの運転技術を披露したわけではないのだが、その友人曰く、自転車の漕ぎ方が見事とのことだった。確かに自転車をうねらせるようにして道を進んだりしていたが、それは大したことではないように思えていた。

いずれにせよ、そこからは3人でしばらく自転車を漕いで目的の合宿所に向かった。合宿所に到着すると、そこにはもう何人かの友人たちが先に到着しているようであり、みんな楽しげに話をしていた。

自転車を停めて、私もすぐさまみんなの話の中に入っていった。すると、今から高校時代の友人(HH)が出場している陸上大会の男子100m走の決勝の様子がテレビで中継されるとのことだったので、みんなで応援をしようということになった。

その時まで私たちは屋外にいたのだが、屋外に突如としてテレビモニターのようなものが現れた。それは物理的な実体を持っておらず、何もない空間に映像が投影されるような不思議なモニターだった。

100m走の決勝のはずなのだが、なぜだかコースは直線ではなく、カーブのある形になっていた。スタートを知らせるピストルが鳴り、友人はカーブの地点までトップであった。そこから外国人選手が追い上げを始め、ゴール地点付近まで来ると、2人の接戦となり、もうどちらが勝ってもおかしくない状態になった。

カーブを曲がってからの友人の走るフォームが変わり、なぜか両腕を同時に振るという奇妙な走り方になっていたが、それが彼にとってのラストスパートのフォームのようだった。彼は外国人選手を見事振り切り、なんとかトップでゴールラインに辿り着いた。そこで私たちは盛大な拍手を送った。

彼のタイムは10.5秒とのことであり、彼は陸上部でもなんでもなくサッカー部に所属しており、さらにはそれは中学生の大会であったから、そのタイムは立派のように思えた。彼の優勝を見届けたところで、小中高時代の親友(HO)が遅れて合宿所に到着した。私は彼の到着を待っていたため、無事に到着できたことを安堵した。

彼は急いで自分の荷物を部屋に持っていき、私たちの輪の中に入ろうとしていた。そうこうしているうちに時刻は夕食の時間となり、今日の夕食は果物だけとのことだった。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/11/22(金)07:22

5226. 今朝方の夢の続き

つい今しがた、2階の洗濯スペースに降りていき、洗濯機を回し始めた。螺旋階段を降りていく最中、寒さを実感した。昨日に比べれば今日の気温はマシなのだが、それでも随分と冷え込んできたことを感じる今日この頃である。

今朝方の夢の続きについて思い出している。いくつかの断片的な夢がある中で、一つとしては、蚊を退治している夢の場面があった。

私は白い壁と向き合っていて、そこに止まる蚊を叩き潰して退治しようとしていた。何かティッシュあるいはトイレットペーパーのような白い紙を持って、それで蚊を潰そうとしていた。そのような場面があった。

その他には、小学校時代の友人(TM)と一緒に、友人の父親が経営する個人塾に遊びに行った場面がある。そこはお互いに中学校時代に通っていた塾であり、もう何年も先生と会っておらず、久しぶりに挨拶をしておきたいと私たちは思っていた。

先生の家のベルを鳴らすと、中から友人の母親と妹が出てきた。2人に挨拶をし、友人の妹が随分と大きくなっていることに私は驚いた。実際には歳は3つぐらいしか離れていないのだが、夢の中では私たちは大人であり、友人の妹はまだ中学生2年生であり、それでももう中学2年生になったのかと私は驚いていた。

玄関口でそうした驚きを得ていると、廊下の奥から先生が顔を出し、「おぉ、加藤君とOO君か」と微笑みながら述べた。友人と私は家に上がらせてもらい、そこから先生と少し話をしようと思ったところで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は学校の体育館にいた。そこは実際に通っていた中学校の体育館のようでもあり、近くの市営体育館のようでもあった。どこか2つの体育館が混ざったような体育館であった。

私はそこでバスケの練習をしていた。周りを見ると、バスケ部の友人たちが何人もいて、彼らもシュート練習をしていた。私はチームの中でも背の高かった2人の友人(SN & HY)のシュート練習を見ることにした。

2人のシュートは共に、距離と角度に関して課題があるようであり、特に距離感について課題があるように思えた。私はその点について2人にフィードバックをし、少しばかり手本のシュートを見せた。

すると、体育館の入り口から顧問の先生が入ってきた。先生は何も言わず、みんなのシュート練習を眺めていた。

2人の友人に手本を見せた後、私は先生が下に立っているゴールに向かって遠くからシュートを放った。しかし、実際にはそこにはゴールなど最初からなく、ボールは放物線を描きながら先生の頭に見事に命中した。

一瞬、その場にいたメンバーたちは笑ったが、私はそれをわざと行ったようでもあり、同時に真剣にゴールに向かってシュートをしたようでもあったので、不思議な雰囲気が体育館の中に流れた。一応私は先生に謝り、そこからスリーポイントシュートの練習をすることにした。

真正面から2本連続で決めた後、ちょっと角度をつけたところからシュートを打ってみたところ、それは外れてしまった。すると、背後から2人の女性がやって来て、見ると1人は前職時代の上司だった。

何やら、吹き矢を飛ばしてゴールに入れて欲しいとお願いされ、それをやってみることにした。だが、それは思っていた以上に難しく、なかなかゴールに入らなかった。というよりも、スリーポイントの地点からゴールまで吹き矢を届かせることが至難の技であった。

そこで2人の友人(KM & FF)がやって来て、一緒に吹き矢の練習をし始めた。そこで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面では、大学時代に知り合った友人の近況について、ある後輩から話を伺っていた。その友人はそもそも別の大学に通っていて、私が彼について知っているのは、香港のファンドマネジャーを務めているところまでだった。それ以降、彼がどのようなキャリアを歩んでいるのかは知らなかった。

そんな友人の近況について教えてくれようとしている後輩もまた別の大学を卒業していて、彼と私の繋がりはどのようなものだったかもう定かではなかった。というよりも、その後輩はどこか初対面のように思えていたのである。そんな後輩が友人の近況について教えてくれた。

何やら彼は、世界的に有名な組織のパートナーになり、相当に出世をしているようだった。後輩が教えてくれた組織の名前を私は知っておらず、最初頭に「?」が浮かび、後輩はそれを察して、「えっ、知らないんですか?」と述べた。

そこから後輩は、その組織の凄さを語り出し、友人の凄さについても熱く語り始めた。一方で、後輩の話の節々には、彼の所属する組織を知らない私に対する皮肉が滲み出ており、あまりいい気分ではなかった。

後輩が話せば話すほど、随分と失礼なことを言われているように感じたのである。あるところで私はボソリと、「もうそういう世界にはおらず、今は芸術の世界にいるから」と述べた。

すると後輩はポカンとした表情を浮かべ、私は彼にすぐさま帰ってもらうようにお願いをした。フローニンゲン:2019/11/22(金)07:56

5227. 優しい太陽の光を浴びながら

今日はとても良い天気だった。穏やかな太陽の光が朝から夕方まで顔を覗かせていて、世界を優しく包んでいた。

書斎の窓から外を眺めると、世界が輝いて見えた。思わずそうした世界の中に飛び出していきたくなったので、午後3時あたりに散歩に出かけた。

いや実際には、もう足が勝手にジョギングを始めていたのである。断食8日目にして、このようにジョギングを楽しむ自分がそこにいた。

昨日は太陽の光をほとんど浴びることができなかった。いや、フローニンゲンの冬の時代においては、太陽の光は本当に貴重なものだ。そうしたことから、今日は太陽の光を目一杯浴びたい気分であった。

そうした思いを満たしてくれるような形で先ほどまで外にいた。再び書斎に戻ってくると、非常に新鮮な気持ちでまた自分の取り組みに向き合えるような気がした。

小さな曲を作っては日記を書き、日記を書いては小さな曲を作る。その合間合間に読書を挟み、また日記を書いたり、曲を書いたりする。そのような時間が緩やかに進行していく。

作曲について、毎日小さな反省と発見が必ずある。私は音をだらだらと積み重ねていきがちだが、そうするのではなく、必要な音を浮かび上がらせるようにしていくこと。音の剪定を行っていくことの大切さを改めて思う。

一音成仏の境地には程遠いが、それを絶えず意識の端に置いておきながら、その境地に向かって進んでいこう。

必要な音を浮かび上がらせるために大切なことはなんだろうか。それは自分の中に主題と言えるものがあるかないかだろうか。いやもしかすると、そうした主題よりも大事なことは、自分の存在そのものの一瞬の輝きがあるかどうか、自分の存在が歌う歌があるかどうかなのではないだろうか。

そうした輝きや歌を表現するのに必要な音だけを選び取っていくこと。そのようなことを意識してみよう。

また、自分が日々生み出す一つ一つの曲は、それが即全てであって、全ての曲はそれが即一つの曲であるということにも改めて気づく。毎回生み出される曲は小さなものであっていい。だが、それは必ず即座に全てでなければならない。

いや、そうしなければならないというよりも、それは最初から全てでしかあり得ないのかもしれない。仮に一つの曲が全てでなければ、それはもはや自分の曲ではない。

自分の曲は、それが自分の全てを表すものである必要がある。曲の大小は一切関係ない。一つの曲は全ての曲であり、同時に自分の全体なのだ。

今日の夕日は本当に美しい。夕日を背景にして微風に揺れる裸の街路樹の佇まいもどこか美しい。

明日もまた天気が良いようなので、明日は街の中心部に散歩に出かけよう。フローニンゲン:2019/11/22(金)16:07

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