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4800-4804:フローニンゲンからの便り 2019年8月7日(水)


8月7日(水)に生まれた8曲

本日の8曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

4800. フローニンゲンの夏:永住先の候補地について

4801. 昨日と今日の作曲実践について

4802. 今朝方の夢

4803. 雨上がりの午後に

4804. 見知らぬ外国人からの感謝のコメントより

4800. フローニンゲンの夏:永住先の候補地について

今朝は5時に起床した。少し前までであれば、午前4時を迎える頃には小鳥たちの鳴き声が聞こえていたのだが、今はまだ彼らの鳴き声が聞こえてこない。

フローニンゲンはいつの間にやら秋のような気候になっており、朝晩はめっきり寒くなった。小鳥たちもそうした季節の変化を敏感に察知しているのかもしれない。

今週と来週は、一日の中で小雨が降る日が多い。今日も昼前から午後にかけてシャワーのような小雨が降るとのことである。

数日前に協働者の方とオンラインミーティングを行い、その際に日本は猛暑であると聞いていた。それとは対照的に、フローニンゲンは肌寒い。

来週の月曜日や水曜日は、いよいよ最高気温が20度を下回り、最低気温に関しては12度とのことである。最低気温が12度に至るのは明日もそうだ。

7月末に数日間ほど猛暑日があったが、あれは夏の最初で最後の輝きだったのかもしれない。大きな命が懸命に燃える日であった。

フローニンゲンで8月を丸々過ごすのは初めてのことであり、今回の体験を通じてフローニンゲンの夏の特徴を掴むことができたように思う。やはり北欧に近い場所にあるためか、北欧諸国と同様の涼しい夏であることがわかった。

月間の予報を見る限りにおいては、8月においてもう25度を超えるような日はないようであり、今の気温の感じが9月中旬まで続くようだ。そこからは若干寒さが増す。

昨日は歯科医に定期検診に行った。検診を終え、帰りに街の中心部のオーガニックスーパーに立ち寄った。その道中、市場の前を通っていると、フローニンゲンの街には上品な滑らかさがいつも漂っていることを改めて感じた。

この街の落ち着きを考えてみたとき、フローニンゲンを永住先候補の一つにしてしまってもいいのではないかと最近思っている。ここ最近考えているのは、資金的に余裕があれば、居住物件というのは何も一つである必要はなく、二つ以上あってもいいのだということだ。

可能であれば、オランダ、フィンランド、ポルトガル、マルタ共和國のそれぞれの国に居住用の物件を所有したいと思う。季節やその時の自分の関心や状態に合わせて、いずれかの場所で生活をしていく。そんな日々を過ごしている自分の姿がぼんやりと浮かんでくる。

オランダに関しては、フローニンゲンか、空港に近いライデンあたりに物件を所有したい。フィンランドに関してはヘルシンキの郊外かヘルシンキの街の落ちついた場所に、そしてポルトガルに関してはリスボンに居を構えることができればと思う。

マルタ共和國についてはまだ足を運んだことがないのでなんとも言えないが、今年の年末年始にマルタ共和國に訪れる際には、ぜひともその国の中で居住地候補を見つけることができればと思う。

今日も柔らかい時の中で瞬刻を味わっていこうと思う。フローニンゲン:2019/8/7(水)06:01

No.2462: A Rain of Light

A rain of light is falling down to the earth. Groningen, 07:50, Wednesday, 8/7/2019

No.2463: Bluff

Bluff might be the last resort of the world. Groningen, 08:21, Wednesday, 8/7/2019

4801. 昨日と今日の作曲実践について

時刻は午前6時を迎えた。空には薄い膜のような雲が見られるが、空の青さも確かに確認できる。そんな空が広がっている。

どうやら昼前から午後にかけて小雨が降るようだが、それ以外の時間帯には青空を拝むことができるのではないかと期待している。

気がつけば今日もまた新たな一日が始まった。フローニンゲンでの日々は、本当に水の如しである。

水のごとく淡々と進行していく。そうした進行の流れを確認するかのように、自分の中から言葉や曲が生まれていく。

そうした言葉や曲は、水の如し流れそのものであり、自分の日々の進行そのものに他ならない。自分が生み出す形は、進行の化身だったのだ。

ここ最近は、夜の就寝前に楽譜を眺めることが習慣になっている。過去の偉大な作曲家の楽譜を眺めていると、非常に学びが多い。

そうした学び以外にも、単純に視覚的な美しさを楽譜に見いだすことができる点も見逃せない。一つ一つの楽譜は、背後に音楽世界を携えた絵画作品なのである。

音が鳴る絵画作品としての楽譜の鑑賞を今夜もまた楽しみたい。そこでの行為は分析というよりも、鑑賞という言葉がふさわしいだろう。

それにしても、一つの音楽が持つ癒しや励ましの力には改めて感銘を受けている。幼少期の頃の記憶を遡り、目には見えない形で影響を与えてくれた音楽について思いを馳せる。

最近は、アニメ映画やゲームにおける音楽にも注目している。実際に、アニメ映画やゲームで使われた音楽のピアノ曲バージョンに関する楽譜を何冊か持っている。それらを眺めてみると、純粋にクラシック音楽の楽譜とはまた違った発見や学びがある。

今後はジャズなどにも幅を広げていきたい。ゆっくりと自分の音楽的関心を育み、ゆっくりと実践を積み重ねていこう。

昨日は、久しぶりにシューベルトに範を求めて作曲をした。そこでは興味深い発見がいくつかあった。今日もまたどこかのタイミングでシューベルトの曲を参考にしていく。

早朝の最初の作曲実践においては、以前フローニンゲン郊外にある楽譜屋で購入した楽譜を参考にしていきたい。それは、カリブ海に浮かぶオランダ領の国キュラソー島出身の作曲家Jan Gerard Palm(1831-1906)が残したものである。

昨夜、ふと彼の楽譜に手を伸ばしてみたところ、まだ一度も彼の作品に範を求めたことがないことに気づいた。そして、楽譜の中に掲載されている作品群に関心を持ったこともあり、今日は楽譜に掲載されている最初の曲を参考にしてみようと思う。

昨日の作曲実践の中で、裏コードを積極的に使ってみようとしたが、なかなか難しかった。そもそもそれは積極的に使うようなものではなく、ここぞという時に使うようなものなのだと実感した。

今日も少しばかり、裏コードを使うタイミングを模索していこうと思う。新たな発見と新たな課題が次々に生まれてくる作曲実践に今日ものめり込んでいく。フローニンゲン:2019/8/7(水)06:23

No.2464: With a Gentle Breeze

I’ll go far away slowly, being blown by a refreshing breeze. Groningen, 09:31, Wednesday, 8/7/2019

No.2465: A Frozen Horizon

It is the morning as if I could see a frozen horizon. Groningen, 10:25, Wednesday, 8/7/2019

4802. 今朝方の夢

目の前の通りを走る車の音に耳を傾けてみると、湿った通りを走る独特の音が聞こえてきた。見ると、どうやら昨夜未明に小雨が降っていたようである。濡れた道路を走る車の音が時折聞こえて来る。

今日はそよ風が少々あり、昨日以上に涼しげな世界が広がっている。

早朝の作曲実践に取り掛かるために、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、一軒の家の中で、小中学校時代の友人(YK)と話をしていた。

その家は見慣れないものではあったが、別段違和感もなく、むしろそこにいることに安心感を感じるような場所だった。友人と私が何を話していたかというと、私の体重と体脂肪率についてだった。

驚いたことに、すでに成人である私の体重は15kgになっており、体脂肪率は6.1%になっていた。食生活を変えることによって、体が健康的なものになったことは間違いないが、さすがに体重が15kgというのは少なすぎだろうと思った。

自分の体を見ると、15kgというのが信じられず、以前と同じような体型に思えた。友人はふと、「15kgって、幼児の体重じゃん」と笑いながら述べた。

確かに幼児の体重とほとんど変わらないかもしれない、と私は思った。そこで夢の場面が変わった。

今朝はその他にも幾つか興味深い夢を見ていたと記憶しているが、具体的な場面については思い出せなくなってしまっている。かろうじて覚えているのは、小中高時代から付き合いのある二人の女性の友人と何か話をしていたことだろうか。

話題は学校の勉強ではなく、投資か何かに関するものだったように思う。その他の夢について何か思い出すことがあれば、また書き留めておきたい。

上述の夢に関して、自分の体重が15kgになっていたことは興味深い。ここ最近はこれ以上体重を減らさないようにするように心がけながらも、基本的には固形物の摂取は必要最低限にとどめている。

摂取するものに関しては、本当に良質な栄養が多く含まれるものだけにしており、無駄なものは一切摂取しないようにしている。おそらくこれ以上体重が減ることはないと思うが、そのあたりのモニタリングについては引き続き継続していく。

昨日歯科医で経験したように、右側象限の知識世界は奥深く、たいていの場合において私たちは多くの領域で無知である。自分の歯の磨き方一つを取ってみてもそうであるし、食実践においてはなおさらそうだろう。関心の輪を閉じることをせずに、世界の多様な側面に関心を持ち続けていきたいと思う。

今日もまた日記の執筆と作曲実践に集中していく。今週末はいよいよオンラインゼミナールの第6回目のクラスがある。当日に向けての事前準備に関する音声ファイルを今日の午後にでも作成したい。

また、質問Boxに投稿されている受講生からの質問に対しても、幾つか音声ファイルを作成したいと思う。午後2時半あたりをめどに、そこからは集中的に音声ファイルを作成していきたい。フローニンゲン:2019/8/7(水)06:54

No.2466: Dreamy Drizzle

It started to drizzle, which looks dreamy. Groningen, 11:14, Wednesday, 8/7/2019

No.2467: In Tranquility of the Afternoon

I’m in the tranquility of the afternoon, which implies that I’m in supreme nirvana. Groningen, 12:52, Wednesday, 8/7/2019

No.2468: Summer Fineness

The fineness of summer is exquisite. Groningen, 15:01, Wednesday, 8/7/2019

4803. 雨上がりの午後に

時刻は午後の2時を迎えようとしている。今、午後の穏やかさの中にいる。それは即、涅槃の中にいるような感覚を引き起こす。

目の前には青空が広がっていて、心を深く落ち着かせ、大いなる心にしてくれる。それにしても、なんと美しい青空が広がっていることだろうか。

昼前には天気予報の通り、小雨が降ってきた。最初はまどろみのような小雨が降ってきて、その後数分間ほど激しい雨となった。雨音が大変心地よく聞こえるような雨が降っていたことを懐かしく思う。

冷たい風が書斎の中に流れ込んできている。外の世界はそよ風が吹いており、爽やかな風に乗ってどこへでも遠くに行けるかのような感覚が生まれる。

ゆっくりと遠くへ行こう。自分なりのペースで遠くへ行き、そして自分に最も近い場所へと向かって行こう。

遠くへ行くことは近くへ行くことである。そんなことは当たり前なのだが、あえてそれを述べておく。遠くへ遠くへ行くことは、究極的に自己の最も近くに向かっていくことである。

ここからはもう一曲ほど曲を作りたい。気がつけば早朝から数えると七曲目になる。

日記の数よりも曲を作る数の方が最近は多くなった。それでいい。ようやくそれが実現され始めていることを嬉しく思う。

日記を書くように曲を作っていくこと。言葉では捉えることのできない内的感覚を曲として形にしていくこと。しかもそれを絶えず行っていくことを何よりも実現させたいと思っていた。

ここからは、形を生み出すことを通じて、未だ形にならないものをさらに探求していき、形を生み出すものそのものを深めていきたい。

作曲実践を始めてから3年目を迎えようとしている。最初の2年間は大学院での研究やその他の仕事もあり、作曲に集中することはほとんどできなかった。だが今は幸いにも作曲実践に存分に打ち込むことができている。ここからはさらにその度合いを強めていきたい。

昨日も街を歩きながら、ここから4年間ほど作曲実践に集中したらどのような状態にあるのかを想像していた。それは作曲の技術に関するものである。

4年後、10年後、20年後、30年後にまで時間感覚を広げて想像してみた。フローニンゲンの街に張り巡らされた運河の一つを眺めながら、今後の自分の作曲実践についてぼんやりと考えていた。

言うまでもなく、現在は成人発達理論やインテグラル理論よりも音楽理論と作曲理論に関心がある。成人発達理論やインテグラル理論に関する探究を意識的に行っていくことは今後はほとんどないだろう。

それらの理論の探究は、具体的な協働作業や何らかの形で自然と育まれていけばそれでいい。それらの理論に関しては、探究のための探究をもうしない。

これから午後の作曲実践に取り掛かりたいが、創造活動にも麻薬的な中毒作用があるのだろうか。少なくとも作曲実践にはそれがある。

そこには陶酔があり、そして醒めがある。陶酔と覚醒を繰り返しながら、何か自分がまた想像もできない場所へと歩みを進めているのを実感する。

フローニンゲン上空の青空がその実感の正しさを裏付けてくれている。フローニンゲン:2019/8/7(水)14:13

No.2469: Be Gentle

I can hear from the evening sky: “Be gentle. Be gentle.” Groningen, 20:30, Wednesday, 8/7/2019

4804. 見知らぬ外国人からの感謝のコメントより

時刻は午後の8時半を迎えた。「柔らかく、柔らかく」そんな声が夕暮れ時の空から聞こえてくるかのようだ。

夕方の空はとても穏やかで、優しい夕日が街路樹をねぎらっている。今日一日を深く生きたことに対するねぎらい。それを夕日から感じる。

どこか全く違う世界へと繋がっているかのような夕焼け空。それを眺めながら、今日を十分に生きることができたことに対する感謝の念が溢れてくる。

呼吸のように静かに、深く溢れてくる充実感と感謝の念。現在の日々の生活は、充実感、幸福感、感謝の念しかない。

それらの感覚と思いしかない生活の中にあって、私は残りの人生について考えることが多くなった。あと何年人生があるのかは誰にもわからない。

仮にあと90年ほど人生があったとしても、それは長いようでいて短い。必ず終わりが来るこの人生について静かになってしまう。何も言えず、何も考えられなくなる自分がいる。

昨日もフローニンゲンの街を歩きながらそんな自分がいた。その自分は充実感と幸福感に包まれているのだが、なぜか終焉が不可避にあるこの人生について静かに思いを巡らせていた。

つい先ほど、過去に作った曲をMuseScoreのウェブサイトにアップロードしようとしたところ、見ず知らずの外国人から曲に対するコメントが寄せられていた。これまでも何度かコメントをもらっているが、今回のコメントはOp.1630の「満ち溢れた優しに感謝して」という曲に対してだった。

コメントをそのまま転記させてもらうと、“These recent uploads of yours have brightened my afternoon. Thank you.”というものだった。翻訳すれば、「ここ最近のあなたの曲は、私の午後を明るいものにしてくれています。どうもありがとう」というような内容になるだろうか。

この世界に住む、面識も接点もない人から受け取ったコメントを静かに読んでいた。むしろこうしたコメントをもらえた自分の方が明るい気持ちになる。

自分が産み出した曲というのは自分の分身であり、子供のような存在であるから、これを言うのは恐縮なのだが、少なくとも10,000曲を作るまでは、その途中の作品はどれも失敗作であり、欠陥作だと捉えている。

音楽理論という文法体系があることを承知だが、未だにそうした文法を大いに無視して曲を作っている自分がいることを知っている。そんな形で曲を作っているのだが、それでも大切にしていることがあるとすれば、やはり一つ一つの曲には、言葉にならないその瞬間の自分の内側の感覚が表現されているということだろう。

内側の感覚というのは主観的なものなのだが、それが何かしらの客観性を帯びて、他者が共鳴しうるものになる点に改めて感銘を受ける。コメントをくれた人は、あの曲に内包された自分の感覚と何らかの共鳴をしてくれたのかもしれない。ここに究極的に主観的なものが客観性を獲得しながら間主観的なものに至る道を見る。

大作を作る気など毛頭なく、芸術性の高い作品を作る気も毛頭ない。ただ、自分がその日その瞬間を確かに生きているということを、その日その瞬間を生きていたということを綴るような曲を作り続けていきたい。

これからも試行錯誤と実験に次ぐ実験を積み重ねながら曲を作っていく。フローニンゲン:2019/8/7(水)20:54

No.2470: Geniality Before Daylight

I’m feeling geniality right now before daylight. Groningen, 04:49, Thursday, 8/8/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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