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4754-4758:フローニンゲンからの便り 2019年7月27日(土)


タイトル一覧

4754. 欧州4年目の生活の始まりに

4755. 究極的な解放に向かって歩き出す魂

4756. 人間関係・メール・読書との付き合い方について

4757. 今朝方の夢

4758. 今後の居住国の候補と仮眠中のビジョン

4754. 欧州4年目の生活の始まりに

今朝は昨日と同様に、午前3時半に目覚めた。目覚めた瞬間には闇の世界が広がっていて、辺りはとても静かであった。そのような中、今日の活動に向けて活力が滲み出している自分の姿を見ていた。

起床直後から活動に向けての意思とエネルギーが充実しており、その瞬間に今日一日が充実したものになるであろうことがすぐに予感された。日々がこのように充実感に満ち溢れたものとして進行していく。

私にできることは、こうした生活があることに対してただただ感謝の念を捧げることだろう。そうした感謝の念が途切れることがなければ、今の生活を今後も長きにわたって続けていくことができると確信している。

この8月から始まる欧州での4年目の生活、そして欧米での8年目の生活において、自分は変わろうとしているのだと思う。それは多分に内的促しによるものであり、自分の内側の何かが変わることを希求して運動を始めている。

私にできるのは、その自然な運動を阻害しないことであり、その運動があるべき地点に到達するまでは見守り続けることである。阻害しないことにせよ、見守ることにせよ、それらを変化の体験者である自分が行うことは難しいのだが、それをしなければ変貌は完遂しないだろう。

内側から大きく変わっていくこと。その先に、外側の大きな変化がある。

内側の意識や関心が大きく変容し、外側の行為や活動が大きく変化していく。欧州での4年目の生活ではそれが起こるだろう。

どこか初めて欧州にやってきた年に体験した爆発体験と似ていなくもない。4年目という節目で私は再び別種の爆発体験をすることになるかもしれない。

望むのは完全なる爆死であり、爆死からの再生である。爆死なくして再生なし。そのようなことを思う。

欧州での4年目の生活は、外形上は落ち着きに満ち溢れていながらも、内面生活は激しく進行していくように思う。内面と外面に非対称性があったとしても、私自身はそれを見守る自己である。

内面と外面の双方に没入しながらも没入しない在り方。端的には、内面も外面も超えた内外面の世界にありながら日々を生きていくこと。そうした生き方が欧州4年目の生活の進行を形作る。

時刻はゆっくりと午前4時半に向かっている。昨日まで暑さの厳しい日が二日連続で続いていたからか、今日も小鳥たちはゆっくりと休憩を取っているようだ。

彼らの鳴き声はまだ聞こえず、もう少ししたら誰かが第一声を上げるだろう。第一声を上げる者に賛辞を送りたい。

何事においても、自ら率先して事をなすことほど勇敢なことはない。その行為の後にいつか誰かがついてくるだろう。

仮についてこなかったとしても、その勇敢な行為を見ている者はどこかにいるものである。まさに、今この瞬間に鳴き声を上げ始めた小鳥を見ている私が存在しているように。

自分がこれから日々率先して行う各種の行為や取り組みは、それが率先したものであり、自己の固有性が滲み出すものである限りにおいては、誰からも見られていなくていいし、後についてくる者などいなくてもいい。その行為や取り組みを絶えず見守っている自己を超えた自己が常にここにいるのだから。今、この瞬間のここにも、このようにこうしてここにいる。フローニンゲン:2019/7/27(土)04:27

No.2375: A Peaceful Inner World

My inner world this morning is very peaceful. Groningen, 07:04, Saturday, 7/27/2019

No.2376: A Gentle Saturday Morning

Saturday which has a gentle quality has come. Groningen, 07:54, Saturday, 7/27/2019

4755. 究極的な解放に向かって歩き出す魂

今日も日記を書きに書き、曲を書きに書く一日となるだろう。日々は綴るものであり、綴られるものである。

綴ることでしか前に進めなくなった人生。綴ることは人生であり、人生は綴ることなのだから、それは当たり前なのかもしれない。

呼吸をしなければ生きていけないのと全く同じことなのだ。それを考えてみると、ようやく自分の中で綴ることが呼吸のような次元にまで高まってきたことを知る。

だが、綴るという行為が呼吸と同じほどに存在に深く根ざしたものになるにはまだまだ時間がかかるだろう。いかほどに時間がかかったとしても、そこに向かって歩いていく。

走っては向かわない。ただここに在りながらにしてそこに歩いていく。

もはやそれは歩いていくことすらも超えて、存在の季節的移り変わりのような進行運動として実現されていくものなのかもしれない。今目の前に広がっている闇の世界が、気がつけば朝日に照らされた世界に変わるのと同じなのだ。

在りながらにして変わっていくこと。それが自分の内側にも確かに起こっていることを実感する。

欧州での4年目の生活がいよいよ数日後から始まろうとしている。4年目。

まさか自分が欧州の地に4年間もいるとは思ってもいなかったし、しかもオランダの一箇所に4年間とどまるということなど考えようもなかった。オランダにやってきた初年度においては、再びアメリカに戻ることを計画していたのだから。そして今年の初旬においてもまだアメリカに戻ることを考えていた自分がいたのである。

もはやオランダからは離れられなくなった。おそらく今後は、オランダ以外の欧州の国に生活拠点を設けることはあったとしても、オランダにも引き続き生活拠点を残しておくことになるだろう。

これまでの人生において、世界の様々な街に住んできたが、何も生活拠点は一箇所である必要はないのである。焦ることなく、吟味を重ねながら、自分の存在と共鳴する場所に生活拠点を設けていこうと思う。

運ばれてきた縁を頼りに、その土地と結びついていく。そうした結びつきを大切にしていく。

人間関係もこうでありたいものだ。とにかく、馴れ合いの人間関係を完全なるまでに排斥していく。

自分が変わるというのは、自己を取り巻く人間関係が変わることを意味する点を忘れてはならない。もし自分の内側から変わろうとする運動が起き始めているのであれば、人間関係を見直し、それを変えていけばいい。

それが一見極端に思えるものであったとしても、抜本的な人間関係の見直しを断行していく。自分の内側の何かがそれを強く求めているのだ。

自分の内側のそれに対して労わりの気持ちと優しさを持とう。それは自己の魂に他ならないのだから。

人間関係の構築に関しては、両親の賢明な行動に範を求めよう。二人とも、馴れ合いの馬鹿げた人間関係など持っていないのではないかと最近思う。

両親を取り巻く人間関係について何を知っているのかと二人から言われてしまいそうだが、人間関係について二人から学ぶことは多い。とにかく最小限の人付き合いしか持っていないことが学ぶべき最大の事柄である。

馴れ合いの人間関係で溢れ、それを助長するこのまやかしの現代社会の中にあって、二人の生き方には純粋に敬意を表する。特に最近は、ふと父の人間関係について思いを馳せることが多い。

私の知らないところで他者との交流があるのかもしれないが、究極的には父には家族しか人付き合いがないのではないかと思われる。ここでは何も、家族以外の人と関わりを持っていないことを称賛しているのではなく、家族以外との無駄な人間関係に束縛されることなく、自由に自分自身の内面世界を探求し、自らが打ち込むべきことに邁進している点を称賛しているのである。

端的に言えば、馬鹿げた人間関係の鎖から解放され、自分の魂が望むことに没頭して生きているのである。そのような姿を父の生き方に見出し、自分の生き方にも見い出す。

穏やかな、穏やかな、穏やかなフローニンゲンの土曜日の朝。

はち切れそうな、はち切れそうな、はち切れそうな存在エネルギーで溢れる自己。

ダークブルーに変わり始める早朝のフローニンゲンの空。一羽の小鳥が鳴き声を上げている。

そう、自分には彼らがいる。ここには空があって、小鳥たちがいる。

鎖のような、檻のような、足かせのような人間関係などいらない。それらを全て捨て去り、空の世界へ、小鳥たちの世界へ参入してみよう。そこに究極的な解放が待っている。フローニンゲン:2019/7/27(土)05:04

No.2377: A Song of the Blue Sky

The blue sky is singing a song that is very mellow. Groningen, 09:14, Saturday, 7/27/2019

No.2378: Facial Expressions of a Gentle Breeze

A gentle breeze shows its various types of facial expressions. Groningen, 10:59, Saturday, 7/27/2019

No.2379: An Order from a Palm Tree

Today is also summer-like. Groningen, 12:16, Saturday, 7/27/2019

4756. 人間関係・メール・読書との付き合い方について

人間関係の見直しと清算が着実に進み、メールとの自分なりの正しい付き合い方が徐々に確立されている今日この頃。人間関係については、先ほどの日記でも書き留めたとおりである。

心理学者のアドラーが指摘するように、私たちの多くの無駄な悩みや煩わしさは人間関係から生まれているのだから、それを一度冷静に見直すことは大切であろう。

多くの人は、誰かと付き合うことに邁進するが、私は全く逆である。いかに人と付き合わないかに邁進する。

いかに誰かと付き合うかに躍起になるのではなく、いかに人と付き合わないかを考えに考え、その結果として見出された真の人間関係を大切にしていく。得ようとして得られたものを保持するのではなく、得ようとせずして得られたものを大切にする。

誰かと関係を持とうとすることによって人間関係を構築していくのではなく、徹底して誰とも付き合わないという発想と行動から人間関係を構築していく。前者は積極的に思えて受動的であり、後者は積極性も受動性も超えている。

後者のあり方によって、人間関係は刻生されていく。小さな自我がこしらえた人間関係などに依拠していてはならない。それは自らを縛り、自らを苦しめるだけである。

小さな自我を超えて、刻生されていく人間関係だけを大切にしていく。そのようなことを改めて思う。

メールに関しても、自分なりの付き合い方が確立されている。一つ目に、基本的にメールには返信しないというスタンスを持つことができているということ。二つ目に、早朝から夕方まで自分のライフワークに十分打ち込んだ後に、最も集中力が下がる夕食後の余った時間に初めてメールを開き、必要なメールに返信をしていくこと。これら二つが自分の深層部分に根付き始めているのは喜ばしいことである。

もう少しあえて自分に言い聞かせておくと、メールというのはどうでもよく、どうでもいい時間に初めて開き、他の活動に十分に従事した後のどうでもいい状態で返信すればいいのである。こうした三つのどうでも良さを大切にして、今日からも自分の人生を生きて行く。

ここ何年も私の生活の中核を占めていたのは読書だった。だが不思議なことに、読書の位置付けが最近大きく変わりつつある。

端的には、メールと同様に、読書はどうでもいいものになった。実際に、ここ最近は何も書物を開かない日があるぐらいだ。

そうした日においては、ひたすらに日記を書き、ひたすらに曲を作っている。自分の内側の言葉と向き合い、それを具現化する日々が続いている。

ただし昨日は、夕食後に、書斎の机の上に置かれたウォルター・ピストンの“Harmony (1978)”に何気なく手を伸ばし、無心の中でページをめくった。すると、ちょうどその日に活用していた和音に関する解説が詳しく掲載されており、食い入るようにその箇所を読み進めていた。そこで得られた新たな観点と発見を見過ごすことはできない。

確かに今の私にとって読書はどうでもいいものだが、作曲技術をより高めていくために、作曲理論に関する書物を一日の最後に読んでいくことを習慣にしたいと思う。以前のように、隅から隅まで一冊の書籍を最初から最後まで通して読んでいくのではなく、その日その瞬間に自分の関心を引く箇所を、まるでつまみ食いでもするかのように読んでいく。

とりあえずは、ハーモニー関する上記の書籍をそのようなスタンスで読み進めていく。自分の関心に引きつけ、関心の赴くままに書物を少々読むこと。それを続けていけば、緩やかに、だが確かに存在の奥にまで知識や観点が染み込んでいくだろう。フローニンゲン:2019/7/27(土)05:28

No.2380: A Jolly Distortion of Time and Space

When I was taking a nap a while ago, I encountered a jolly distortion of time and space. Groningen, 15:03, Saturday, 7/27/2019

No.2381: The Summer Sun

I’ll go for a walk in order to enjoy the energy of the summer sun. Groningen, 15:53, Saturday, 7/27/2019

4757. 今朝方の夢

異常に気温が上がった二日間が過ぎ去り、今日からは再び穏やかな気温になる。確かに今日はまだ最高気温が30度に達するため、夏のフローニンゲンにしては暑いのだが、この一ヶ月の中での体験データを基にすると、30度であれば凌ぎがたいほどの暑さではない。

明日からは徐々に最高気温が低くなっていき、水曜日からは4日連続で最高気温が22度の日が続くという予報が出ている。とても過ごしやすい雰囲気の中で8月を迎えることができそうである。

早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、大学時代のゼミの友人(NY)と一緒に自転車の駐輪場にいた。そこは見慣れない場所であり、どうやら自分は自転車を持っていないことがわかった。友人が自転車を取りに行きたいということだったので、彼についてきたのである。

この駐輪場について説明するのは難しいのだが、一般的な駐輪場のように自転車が列をなして並んでいるわけではなく、大きな長方形の箱の上に数台の自転車が横たわる形で置かれていた。

友人曰く、彼の自転車はもともとは盗難車だったそうだ。誰かが誰かの自転車を盗み、駐輪場に投げ捨てられていたところを彼が拾ったらしい。彼の自転車を見ると、盗難が繰り返されたことを物語るような傷があった。

友人はおもむろに自転車を長方形の箱の上に寝かせた。

:「あれっ、鍵はしなくていいん?」

友人:「せんくて問題ないね。チェーンの鍵をしてもどうせ切られるだけやから」

友人のその自転車は、どこか盗難されることを宿命づけられ、盗まれる呪いがかけられているかのように思えた。箱の上に寝かされた友人の自転車をしばらく眺め、そこから立ち去った私たちは、駐輪場の近くにあったバスケットコートで足を止めた。

そこにはゼミのその他の友人たちがバスケをしており、私たち二人も混ぜてもらうことにした。それはバスケのようなゲームなのだが、ルールも進め方も若干異なり、何よりもリングが低く、誰でもダンクシュートができてしまうような高さだった。

一緒にコートにやってきた友人は、高校時代までバスケ部に所属していたわけではないのだが、すぐさまそのゲームのコツを掴んだようであり、「得点を量産できる方法を発見した」と周りの友人たちに嬉しそうに伝えていた。

その方法は大げさなものでは決してなく、単にゴール下までボールを運び、そこでダンクをするだけのことであった。だがそれが意外にも他の友人にとっては画期的な方法だったようであり、そうした得点方法を発見した友人に対して賞賛の声が上がっていた。そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、人が誰もいない欧州のある街の一角にあるビルの下にいた。そのビルはモダンな作りをしており、現代アートと見間違えてしまうぐらいの興味深い作りになっていた。

そのビルの一階の吹き抜けの道を通って反対側の通りに出ようとしていた時、高校時代の友人に偶然出くわした。この街にはその他に人がいなかったため、驚きもひとしおであった。

挨拶もそこそこに、私たちは逆立ちをしながらその街を進んで行くことになった。友人が見事に逆立ちをし、彼がゆっくりと進んで行く姿を眺めながら、私も逆立ちをしてみた。

だが、逆立ちをした時の足の感覚や重心を置く位置がまだ掴めておらず、かなりフラフラし、逆立ちが思うようにできなかった。そこで私は友人にお願いして、逆立ちの指導をしてもらうことにした。

やはり足を曲げる角度や足の使い方があまり良くなかったらしく、そのあたりを修正してもらった。するとある時突然見事にバランスが取れるようになり、そこから逆立ちに安定感が出た。

いざ逆立ちをしながら街を進んでいこうとすると、一つ前の夢に出てきた大学時代のゼミの友人が現れ、逆立ちのコツを掴む面白いゲームがあることを紹介してくれた。そのゲームの様子が私の脳内に現れ、それは二つの振り子の玉が一直線の紐につながれ、片方の玉がもう片方にぶつかる形で左右を行ったり来たりするゲームだった。フローニンゲン:2019/7/27(土)06:05

No.2382: In the End of a Day

In the end of the day, I’m looking back on what I’ve experienced today. Groningen, 20:08, Saturday, 7/27/2019

4758. 今後の居住国の候補と仮眠中のビジョン

時刻は午後の7時を過ぎた。つい先ほど夕食を摂り終え、一日の振り返りの日記を書き留めてから作曲実践を行いたい。

今日は昨日よりも5度ほど気温が下がったおかげか、とても過ごしやすかった。確かに30度ほどまで気温が上がったため、日中には暑さを感じることもあったが、一昨日や昨日と比較すると、その暑さは大したことはなかった。

昨日は暑さのためにジョギングをすることはできず、その代わりに散歩をしたのだが、今日は軽くジョギングを楽しむことができた。来週からは再び20度前半の気温となり、雨が降る日が続くようなので、ここ数日間夏の太陽のエネルギーを享受することができたことを嬉しく思う。

夕方の空が穏やかな歌を歌っている。小鳥たちもその歌に合わせて鳴き声を上げている。

今日もいつもと同じように、雑多なことを考えていた。夕方にジョギングに出かけた際には、今後の生活拠点として、オランダ、フィンランド、ポルトガルに家を購入しようかと考えている。

これまで欧州の様々な国に足を運んだが、今のところ、それらの3カ国が自分の肌に合っているような感覚を持っている。もちろん、それらの国のどの街に住むのかによって環境がガラリと変わってくるが、それら3カ国の中で足を運んだことのある街は、どこも落ち着いた生活環境を提供してくれる可能性を十分に持っていた。

今年の年末年始は、英語圏であるマルタ共和國に滞在する。その時には、少なくとも二つの異なるエリアに滞在し、それぞれの場所を比較してみようと思う。

英語が公用語であるという点や、気温が温暖であるという点、さらには税制上のメリットなどを考慮に入れると、マルタ共和國も今後の居住国の候補の一つである。調査と観光を兼ねた年末年始の旅行が今から楽しみである。

一日も終わりに差し掛かっている中で、午後に仮眠を取っている最中に見ていたビジョンについて思い出す。ビジョンが開示していたのは、世界のどこかにいる見知らぬ人の家の中であった。

家の中の一室の壁は白く、壁にかかったアートを眺めている自分がいた。そのアートには飾りのようなものが添えられていたのも覚えている。

そのビジョンの中には人は一切登場せず、飾りのついたアートが突然現れ、そこから視点がズームアウトするような形でビジョンが消えていった。その他にも幾つか断片的なビジョンを見ていた。

いずれにせよ、それらのビジョンの中に現れている物体や景色は見慣れないものであり、全く別の時空間に意識だけが移行したかのような体験がそこにあった。仮眠は20分そこらなのだが、それが数時間にも、いやもっと長く拡張したように感じられ、ビジョンから覚めた時はとても不思議な感覚に包まれていた。

肉体は瞬間移動することはできないが、人間の意識はいかようにも時空間を瞬間移動することが可能なのだと改めて知る。フローニンゲン:2019/7/27(土)19:32

No.2383: An Ameba of Tenderness

An ameba of tenderness is swimming in the peaceful sky at dusk. Groningen, 20:42, Saturday, 7/27/2019

7月27日(土)に生まれた曲

本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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