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4671-4677:フローニンゲンからの便り 2019年7月8日(月)


タイトル一覧

4671. 麗しき小雨降る月曜日のフローニンゲンの朝に

4672. 新たな自己の芽生えと解放へ向けて

4673. 死を達観し、第3頸椎を意識する夢

4674. 今朝方の夢の続き

4675. 正午前に思い出す今朝方の夢の続き

4676. フローニンゲンが与えてくれる幸福感:何者でもない何者かを超えた何者でもない者に向かって

4677. 幸福感の滲み出す日々に有り難さを感じて

4671. 麗しき小雨降る月曜日のフローニンゲンの朝に

今日の起床はとても遅く、午前4時半に目が覚めた。今、時刻は午前5時を回ったところである。

今日は朝から冷え込み、書斎の窓を開けていられないほどなのだが、換気のため、さらには小鳥の鳴き声をより近くに聞くためにも、もう少し窓を開けておこうかと思う。

今この瞬間のフローニンゲンは小雨が降っている。それは本当に微量なのだが、たまった雨滴が垂れてくる音がどこからともなく聞こえて来る。小鳥たちの鳴き声がそうした音の上に重ねられている。

フローニンゲンの夏における雨の朝もまた趣が深い。今、「夏」という言葉を用いたが、まだまだフローニンゲンは肌寒い。

今日の最高気温は16度であり、最低気温は10度とのことである。この時間帯は最低気温に近く、どおりで寒いわけである。

風が全く吹いておらず、街路樹が静かに、そして堂々とそこに存在している。今朝の小雨を彼らは喜んでいるように思えてくる。

新たな週がゆっくりと始まりを迎えようとしている。月曜日を迎えた今週も、自分のライフワーク及び協働プロジェクト関係の仕事に従事していく。

今年度まではいくつかの協働プロジェクトに従事していくが、来年度からは関与するプロジェクトの数はごくごく少数のものにしていく。そして理想としては、来年度の途中かその次の年度においては、協働プロジェクトに関与することを控えたいと思う。

これまで涵養してきた自らの専門性を完全に手放す形で、全く異質な領域の実践に本格的に着手していく。それらの代表は、作曲であり、投資である。

コンサルタントや研究者としての自己は一度完全に手放してしまい、作曲家及び投資家としての自己を形成していく。コンサルタントや研究者としての活動に伴う喜びよりも、作曲家や投資家としての活動の方により大きな意義と喜びを見出している自分が芽生えている。

その芽生えを決して摘んでしまうことなく、それを大切に育んでいく。それを大切に育んでいく時に重要なことは、外側からの干渉から徹底的にそれを守ることである。

他者や社会は、そうした芽をほぼ間違いなく、意識的・無意識的に摘もうとする。そうした動きから徹底的に芽を守らなければならない。

他者や社会から本格的に距離を置こうとしているのはそうした理由によるところが大きい。それはもちろん、他者や社会に一切関わらないということを意味しない。この点については何度も書き留めていることである。

新たな自己を持ってして他者や社会により深く関与していくために、それらとの馴れ合いの関係を捨て、必要な距離を取っていく必要がある。メールの使用を極力控え、必要最低限のメールにだけ返信をすること、4年間の休養生活に入ったこと、これから客死を遂げるまで日本の外で生活していこうと決断していることなどは、全てそのためである。

新たな自己の形成と新たな関与を実現するために、それらの行動は必要不可欠である。そのようなことを改めて思わせてくれる月曜日の朝だ。フローニンゲン:2019/7/8(月)05:35

No.2211: On a Drizzling Morning

Although it was drizzling this morning, I felt refreshed very much. Groningen, 07:24, Monday, 7/8/2019

4672. 新たな自己の芽生えと解放へ向けて

少々寒さに負け、今、書斎の窓を閉めた。だが、いつものようにピアノ曲を書斎に流すのではなく、今しばらく外の世界に響き渡る小鳥たちの鳴き声に耳を傾けたい。

また、天から降り注ぐ小雨の音にも耳を澄まし、小鳥と小雨の二重奏を静かに楽しみたいと思う。今この瞬間に、その二重奏から喚起される固有の内的感覚があったため、それを後ほどの作曲実践で形にしておきたいと思う。

昨日の夕方に見た、暮れゆく夕日を思い出している。それは優しく、そして美しかった。まるで新たな週の到来を祝福しているかのような優しさと美しさがそこにあった。

そうした夕日を眺めながら、私は一日の終わりに最後の願いを持っていた。それは明日もまた充実感と幸福感で満たされたものであってほしいというものだった。

その願いはすでに成就され始めているようだ。まさに今この瞬間の私は、すでに充実感と幸福感に満たされている。

こうした日々を今後一生涯続けていこう。そのためには、徹底的に己の生活をすることである。

「己の生活をする」と安易に述べたが、この現代社会においてそれがいかに難しいことか。心身を疲弊させる無駄な人間関係やそうした疲弊をもたらす社会の思想や仕組みの存在。後者に関しては、政治経済的なものに留まらず、食や医療や芸術などにも波及している。

それらの諸々の不純物を完全に避けて生きることは難しく、現代人の一人として生きている者として、それらから目を背けてはならないのだと思う。それらに積極的に関与していくことが各人に求められるのだが、関与を生み出す活動エネルギーを確保するためには、それらの存在によって疲弊してはならず、自己を弱体化させてはならない。とにかく距離を置くことが必要だ。

ふと私は、欧米でこれから8年目の生活を始めようとしているにもかかわらず、まだまだ日本との距離が近いことを知る。これまでの私は、日本に関与しているというよりも、単なる馴れ合いの関係性からの癒着的実践しかしていなかったのではないかと思わされる。

日本社会との中途半端な距離感が、これまでのほぼ無意味な活動を生み出していたのではないかと思う。発達というのは、健全な自己批判を伴うプロセスでもあり、どう冷静に眺めてみても、これまでの自分の取り組みはほぼ無意味であったように思う。そこにあったのは、無意味という小さな意味であった。

今後は断固として、日本社会との馴れ合いの関係性から生まれるような活動には従事しない。自分が本当に大切だと思う活動にのみ従事する。

日本社会と本当の意味で距離を置き、本当の意味で関与し始めようとするのに、欧米での7年の生活が必要だった。その期間が長いのか短いのかはわからない。そして、その長短を問うのは愚かだろう。

自分の場合においては、それは欧米での8年目の生活の始まりの前にやってきたというだけのことである。日本社会からもたらされる呪縛に7年間も捕らえられていたことには確かに驚くが、その呪縛からの解放が今ようやく始まったことを実感できていることは喜ぶべきことだろう。

ここから自分の人生が全く新たに始まり、日本社会との関係性もまた全く新しいものになるだろう。フローニンゲン:2019/7/8(月)05:57

No.2212: A Dance of Drizzle

A dance of drizzle started again. Groningen, 08:25, Monday, 7/8/2019

4673. 死を達観し、第3頸椎を意識する夢

今朝の起床時間は午前4時半と随分遅かったのだが、その分多くの夢を見ていたように思う。忘れずに、それらの夢について書き留めておきたい。

夢の中で私は、実際に通っていた中学校の教室にいた。それは間違いなく、中学校一年生の時に使っていた教室だ。

どうやら休憩時間らしく、私は教室の左列の一番後ろの席に座っていた。その席は、ベランダに面しており、席の後ろには掃除道具を入れるロッカーがある。

ちょうどその時間帯は、ポカポカとした太陽の光が窓から教室に差し込んでおり、私はぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。すると、私の席に近寄ってくる一人の男性の姿を見た。彼は確実に部外者であり、体も大人であった。

無表情で私の方に向かってきたその男性は突然、「今から自分の言うことを聞け」と述べた。その男性は、悪人のようであり、知性と身体能力に優れた泥棒のように思えた。

その男性は、手に小さな袋を持っており、その中身を私に見せた。袋の中には、どこかから盗んできた大量のダイヤモンドが光り輝いていた。

私にそれを見せた時、先ほどまでは無表情だったその男性は、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。そして、懐からピストルをおもむろに取り出し、ダイヤモンドを持っていそうな教室内の友人に向けて発砲をしようとした。私はすぐにそれを止めようとした。

するとその男性は、「そうか」とため息を交えながら述べ、私を席に座らせた。席に座り、ベランダの方を向けと私に指示をし、私は彼の指示に従った。

ベランダの方を向くと、太陽の優しい光が自分を包んだ。そしてその瞬間、銃口が自分のC3——第3頸椎(けいつい)——に押し付けられたのを感じ、私は銃殺されることを思った。

「銃弾がその部位を貫けば、間違いなく私は死ぬだろう」そのようなことを思った。そして、男性はトリガーを引き、無言のまま発射した。

私はもうその時点で死を覚悟していたのだが、どうやら銃弾が切れているようだった。それがわかった瞬間に、私は反転して、一気に攻撃に出た。具体的には、彼の手元からピストルを素早く奪い、また彼が手に持っていた袋からダイヤモンドを取り出し、それをピストルに詰めて発砲したのである。

ダイヤモンドは彼の体を貫通し、鮮やかな血しぶきが出た。それを見た私は特に何の感情も抱くことなく、とにかく自分の身を守るため、さらには教室にいる友人の身を守るために、何度も何度も発砲を続け、その男性の体を蜂の巣にしていった。そこで夢の場面が変わった。

上記の夢は、随分と自己の攻撃性が現れているように思えるが、勇敢さと正義感を感じさせてくれるものでもあった。また、より興味深いのは、死を受け入れ、死を達観している自分がいたことである。

そして、夢の中の私が銃口を突きつけられた時、「その部位はC3だな」という極めて専門的な認識を持ったことも興味深い。C3という言葉を知っているのは身体構造について学んだ医療関係者やヨガのインストラクターぐらいだろうか。私もその部位を知ったのは、ヨガを通じてであった。

現在、特に頸椎にまつわる問題を抱えているわけではないが、夢の中でその部位に意識が向かったのは確かであり、頸椎は運動感覚を司る大切な骨であるから、日常生活において、その部位及び他の頸椎にも意識を向けてみようと思う。フローニンゲン:2019/7/8(月)06:22

No.2213: On a Chilly Morning

Is it summer now? This morning is so chilly that I can think of such a question. Groningen, 09:43, Monday, 7/8/2019

4674. 今朝方の夢の続き

時刻は午前6時半を向けた。起床してから2時間が経ち、先ほどまで降っていた小雨が止んだ。

今、朝日が天から差し込む光景を目の当たりにした。そして再び太陽は雲に隠れた。

天気予報を見る限りでは、今日は晴れとのことである。今日は午後に仮眠を取ってから、街の中心部にあるABN AMRO銀行に立ち寄り、起業家ビザの申請に必要なビジネスアカウントを開設しようと思う。

その際には、その場で事業開始に必要な資金をビジネスアカウントに移動させ、残高証明書の発行を忘れずに行う。その証明書を入手することができれば、ビザの申請に向けてまた一歩前進したことになる。

銀行に立ち寄った後は、オーガニックスーパーに足を運び、そこで有機豆腐とカカオニブを購入する。後ほど冷蔵庫を確認する必要があるが、玄米味噌も購入しておいたほうがいいかもしれない。

今日は本当に冷えるため、先ほど寝室と書斎の窓の双方を閉め、暖かい格好をしている。昨年の7月は、これほどまでに寒かっただろうかと首をかしげる。

昨夜の就寝前にも、夏の盛りを感じられる時期はもう少し後だろうということを考えており、過去3年間のフローニンゲンの夏の光景を思い出していた。

確かに8月は、外を自由に半袖で移動できるような暑さを感じさせてくれる日もあるのだが、その期間は長くない。紛れもなく夏だと実感させてくれるような時期に入ったら、もちろん日焼け対策はするにせよ、存分に太陽の光を浴びたいと思う。

つい先ほどまで今朝方の夢について振り返っていたように思う。今朝方はその他にも夢を見ていたので、それについても書き留め、その後、早朝の作曲実践に取り掛かりたい。

夢の中で私は、コーチングか何かのセミナーに参加していた。私は講師としてその場にいたのではなく、一人の受講者としてその場にいた。

見ると、自己啓発関係で非常に著名な日本人の方がそのセミナーに参加者として参加しており、私はそれに驚いた。すぐにその方に近寄り、挨拶をし、初対面ながらもその場であれこれと話をさせていただいた。

その方は、様々な学問分野に造詣が深く、非常に話が面白いことで有名である。私はその方を「先生」と呼び、先生からいろいろと興味深い話を伺っていた。

話の途中で、別の受講者が私たちの話に加わった。その時、私はどういうわけか、数学の小難しい論点を一つ選び、それについてその受講者に説明をしていた。すると先生は、私の説明に補足を加え、それはそれとなく私の説明の不十分さを指摘するかのようであった。

しばらく三人で話をしていると、セミナー講師が部屋に入ってきて、円形に配置された椅子に腰掛けるように参加者に促し始めた。私は、引き続き先生の話を聞きたかったので、先生の横に腰掛けてもいいかを確認したところ、先生は笑顔で快諾をしてくれた。有り難いことに、先生も私に関心を持ってくれたようであり、そこから引き続き話に花が咲いた。

円形に配置された椅子に腰掛けてしばらくすると、席の後ろにおしゃれな洋服が折りたたんで置かれていることに気づいた。それはどうやら、今回のセミナーに参加した記念に配られたもののようだった。

セミナー中には、置かれた服から1着ほど自由に選んで着られるそうであり、さらに別のデザインやカラーのものが欲しければ、その場で購入できるということだった。洋服に付けられている値札を見ると、通常よりも70%引きで販売されているようであり、折りたたまれた洋服の一番下には、購入用紙があった。

オランダではサイズの都合上、なかなか洋服を購入できないので、セミナーの帰りにでも、そこに置かれている洋服を数着ほど購入しようと思った。そのようなことを考えていると、セミナーが始まり、それは着実に進行していった。

セミナー終了後、居酒屋の座敷のような場所で懇親会が始まった。懇親会の席でも、私は先生の隣に座るようにしていた。

するとしばらくして、小中学校時代の友人(MS)が姿を現し、先生と私の間にすっと座った。最初私は友人との再会を喜んでいたのだが、話し終えた後も友人はその場を去ることはなかったので、先生の隣の席に再度座るために立ち上がって移動した。

先生の横に再度座ると、先生はコンサルティング活動やセミナー活動などを一切止め、投資活動に専念し始めたということを述べていた。そうした活動の転換は、まさに私がこれから行おうとしていることと全く同じであり、大変興味深く思った。

先生は、周りに座っている人たちに、投資について学習し、実践することを勧めていた。私はそれに同意をしていたが、結局ほとんどの人は種々の思い込みと無知から、投資など始めないのだろうと思っていた。

先生は、投資に関してある程度話をした後に、ふと立ち上がり、近くにいたプロのダンスグループのメンバーを集めて、その場でいきなりダンスを披露し始めた。さらには、先生はダンスを披露するだけではなく、プロのダンサーたちに技術指導をし始めたのである。

私は、先生のダンスの上手さに驚き、しばらく先生のダンスに釘付けになっていた。そのような夢も今朝見ていた。

上記でも言及しているが、夢の中で何かしらのシンボルとして立ち現れた男性が、コンサルティング活動やセミナー活動などを金輪際行わないと述べており、投資活動に専念すると表明していた点は興味深い。現実世界において、来年度に向けて私もそのような活動転換を図ろうとしている。

無意識の世界においても、着実に何かが新しく動き出しているようだ。フローニンゲン:2019/7/8(月)07:04

No.2214: Clouds in the Solemn Morning Sky

Clouds in the solemn morning sky is singing a unique song. Groningen, 11:03, Monday, 7/8/2019

4675. 正午前に思い出す今朝方の夢の続き

時刻は午前11時半を過ぎ、正午の時間が近づいてきた。厳粛な朝空に浮かぶ雲が、固有の歌を奏でている。

果たして今は夏なのだろうか?そのような疑問が生まれてしまうぐらいに今朝は寒い。ヒーターをつけようかと迷ってしまうぐらいに足元から冷えている。

早朝より小雨が降ったり止んだりを繰り返している。天気予報を確認すると、ここからはもう雨が降らないようなので、午後には当初の予定の通り、銀行に行って、ビジネスアカウントを開設しようと思う。その際には、春秋用のジャケットを羽織っていく必要があるだろう。

正午を迎えようとしている今になって、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、開拓された山の中の車道を歩いていた。隣には、大学時代のゼミの友人(TA)がいて、海外で生活することについて話をしていた。

彼はニューヨークにあるコロンビア大学でMBAを取得し、その後については話を聞いていない。夢の中の会話の様子だと、日本へ戻ったのかもしれない。

私たちが歩いていた道は、とても森閑としていた。霧のようなものが辺りにかかっており、視界はあまり良くなかった。だが、取り巻く空気は新鮮であり、山道のひんやりとした感覚がとても心地良かった。

彼の言葉の中で印象に残っているのは、「海外で挑戦することは大変ではないか?」という問いかけである。私はその問いを聞いた時、ひどく驚いてしまった。

もはや私の中で、海外で生活することが「挑戦」という言葉で表現される類のものではなくなっており、彼の言葉がとても陳腐なものであり、かつ違和感を覚えさせるものだと感じていた。逆に言えば、今の私にとって、仮に日本で生活をするようなことにでもなれば、それは途轍もなく重たい挑戦だと言える。

いや、それは挑戦という言葉に内包される肯定的な側面を帯びているようなものでは決してなく、何としてでも避けたいアクションだと言える。ひんやりとした山道を歩きながらそのようなことを考えている自分がいた。

そこで夢の場面が変わり、今度は海辺に佇む謎の学校の中にいた。海辺に佇むその学校は、ポルトガルのリスボンにある「発見のモニュメント」を思わせる建物であった。

夢の中のその学校は、発見のモニュメントよりも大きかったが、雰囲気がどことなく似ていた。私は学校の教室の中にいて、突然トイレに行きたくなった。

なぜだかトイレに行くためには、教壇の上に置かれている名簿に名前を書き、黒板の前で待っていなければならなかった。私はこの仕組みに違和感を覚え、他の教室でも同じことが行われているのかを確認しようと思った。

実際に隣の教室、そしてさらに隣の教室を覗いてみると、大勢の男性生徒が黒板の前に立っており、トイレの個室の使用を待っているようだった。私は、これではらちがあかないと思い、学校の中にあるトイレを使うのではなく、外のトイレを使おうと思った。

その学校の規則では、放課後になるまで建物の外に出てはならないと決められていたが、私はその規則に従うことなく、建物を抜け出し、浜辺に面した小屋のような場所にあるトイレを使うことにした。

男子トイレに入ろうとすると、外側から見て明らかないように、そこには個室がなかった。そのため私は、女子トイレに入り、個室を使おうとした。

実際に個室の一つに入ると、小中高時代からの知り合いである女性友達(NI)が私の個室をノックした。私は女子トイレに入る際に少しばかりためらいがあったため、男子が女子トイレに入っていることを気づかれないように、彼女のノックに対しては声を出すことをせず、ノックで返答した。

すると彼女は、私の個室の二つ後ろの個室に入り、用を足し始めた。それを確認して、私も用を足すことに集中し始めたところで夢から覚めた。

この海辺の学校があった場所は、以前訪れたリスボンの海辺の雰囲気によく似ていた。それがとても印象に残っている。

そういえば、上記の最初の夢においては、山道を歩いている場面のみならず、その山道を走る車を父が運転しており、その車の中に私がいて、連続するカーブに揺られながら視点が動いている場面があったのを思い出した。フローニンゲン:2019/7/8(月)11:59

No.2215: A Melodic Line in the Chilly Afternoon

It suddenly started to drizzle again. Hoping it to stop, I’ll take a nap shortly and then go to a bank at the center of the city. Groningen, 13:10, Monday, 7/8/2019

No.2216: Opening a Joyful Casket

A joyful casket opened in a sudden. Juice of enjoyment overflowed into my reality. Groningen, 16:53, Monday, 7/8/2019

4676. フローニンゲンが与えてくれる幸福感:何者でもない何者かを超えた何者でも ない者に向かって

時刻は午後7時を目前に迎えた。つい今しがた夕食を摂り終えた。

今日は午後に街の中心部にあるABN AMRO銀行に行き、そこでビジネスアカウントを開設しようと思った。銀行内に入ると、いつものように行員がすぐさま対応をしてくれたのだが、その方の説明によると、ビジネスアカウントの開設はオンラインからできるそうであり、銀行で並んで待つよりも自宅で開設手続きを行う方が早いと教えてくれた。

銀行の窓口で手続きを行うならば、今日は一時間以上待たなければならないそうだったので、オンラインで開設をすることにした。その行員の男性はとても親切であり、オフィス内に置かれている客が利用できるパソコンに案内してくれ、そこで開設手続きの方法を教えてくれた。そのおかげで開設手続きのイメージがつき、手続きは非常に簡単だと思った。

私は、行員のその男性にお礼を述べ、すぐさま銀行を後にしようと思ったが、せっかく銀行に足を運んだのだから、ABN AMROのプライベートバンキングサービスについて少しばかり情報を収集しようと思った。以前銀行に足を運んだ時、ABN AMROが提供するサービスについて解説したパンフレットが置かれており、その中にプライベートバンキングサービスについての説明があった。

今の私は、一般的な商業銀行が提供するプライベートバンキングサービスにはあまり関心がなく、老舗のプライベートバンクのサービスに関心があるのだが、それでも興味としてABN AMROのプライベートバンキングサービスについて改めて調べてみようと思った次第である。

また、フローニンゲンのABN AMROは昨年リノベーションされ、客がくつろげるスペースがあり、さらには各種のコーヒーが自由に飲めるスペースもあり、せっかくなのでそこで少しばかりくつろいでから銀行を後にすることにした。

基本的に私は自宅ではもうコーヒーを飲んでいないのだが、空港のラウンジや機内、今回のようにコーヒーを飲める機会があれば、一杯ほどコーヒーを楽しむようにしている。

銀行内のコーヒーマシーンに歩み寄り、そこでダブルエスプレッソを入れてから、ABN AMROのサービスについて紹介されているパンフレットを読むことにした。今回のパンフレットは全てオランダ語で書かれていることもあり、内容の把握が難しかったのだが、残念ながらプライベートバンキングサービスについての説明はなく、不動産を取得する際の融資条件などについての説明が主に取り上げられていることだけがわかった。

結局今日は、銀行にエスプレッソを飲みに来た形となったが、自宅から銀行までの道のりを散歩することは良い気分転換になった。

今日は早朝より、小雨が降ったり止んだりを繰り返し、午後になってからようやく天気が安定した。一日を通して肌寒く、もう7月の第2週を迎えたというのに、マフラーをして街中を歩く女性の姿もあった。そんな天気の中を歩いていたのだが、私はどこか幸福感に包まれていた。

最近は妙に何をするにも幸福感に包まれている自分がいる。仮に自分にオーラのようなものがあるならば、そのオーラは幸福感で構成されているようなのだ。

街中を歩いている最中の私は常に多幸感に包まれており、もうこれから4年目を迎えようとしているフローニンゲンでの生活にあって、この街を絶えず新たな眼で見つめている自分がいる。その視線の先には、常に新しいフローニンゲンの顔があり、そうした新たな表情を発見するたびに、私は幸福感を感じてしまう。

欧米で過ごしてきたこの7年間の生活を経て、これから8年目の生活に突入しようとするこの時期になって、私はようやく何者でもない者から何者かになり、その何者は完全にこの世界にくつろげるようになっているのを実感する。

ここから私は再び、この何者かの自己を手放し、再び何者でもない者に変貌を遂げていくだろう。そこで待つ何者でもない自分は、今もよりも遥かに自由で解放された存在であるはずだ。フローニンゲン:2019/7/8(月)19:17

No.2217: A Ring of Geniality

A ring of geniality appears in the sky above Groningen. Groningen, 20:07, Monday, 7/8/2019

4677. 幸福感の滲み出す日々に有り難さを感じて

再び小雨が降り始めた夕方のフローニンゲン。明日の最高気温は今日のそれよりも高いが、最低気温に関しては今日のそれよりも低く、8度とのことである。

明日は、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に午後から足を運ぶ予定であり、その時には肌寒くないことを願う。

それにしても今日は7月とは思えないほどの肌寒さであった。室内においては冬の時期と同じ格好をしており、あまり窓を開けられないほどであった。また、ヒーターを少々つけようかと思ってしまったぐらいでもある。

とはいえ、夏が過ごしやすというのは私にとっては有り難く、むしろこのような肌寒さが続いてくれた方が快適だというのが正直なところである。

結局今日は銀行の窓口でビジネスアカウントを開設することをしなかったので、これから作曲実践をした後に、オンライン上で開設手続きをしておきたい。なにやら開設手続後、一日ほどで開設通知とカードが届くようである。

その通知を受けてから、ビジネスアカウントに事業を始めるにあたって必要な最低資本金4500ユーロを移し、再度銀行に立ち寄って、残高証明書を発行してもらう。その際にも、銀行内のくつろげるスペースでダブルエスプレッソを飲もうと思う。

これまで生活をしてきた様々な場所でその街の銀行にお世話になってきたが、フローニンゲンのABN AMROは、一般的に想像される銀行のお固さがなく、アットホームな雰囲気が滲んでいる。

今日は銀行で結局何をしたのかというと、若く背の高い行員の男性と立ち話をし、握手を交わし、その後にダブルエスプレッソを飲んだだけである。なぜだか私はそのシンプルな事柄の中に幸福感を見出し、銀行の中で幸福感に浸っていた。

また、銀行を後にし、銀行の目の前にそびえ立つマルティニ塔を眺めた時にも、えも言わぬ幸福感に包まれていた。そこから市場を抜けてオーガニックスーパーに行く道中も、そしてスーパーの店員とのやり取りも、それらのどれもが幸福感を感じさせてくれるものだった。

そういえば、スーパーの味噌売り場の前で、大学生ぐらいの若い女性が耳にイヤホンを当てながら真剣な表情で味噌を選んでいたことを思い出す。以前も私は、味噌を選んでいる中年男性に声をかけ、おせっかいながらもどの味噌がお勧めかを伝えていた。

今回も同様に、私はその女性に声をかけ、彼女が手に持っていた八丁味噌は良いチョイスだと伝えた。どうやら彼女は味の濃い味噌を求めていたらしく、隣に置かれている麦味噌や玄米味噌よりも、八丁味噌の方が味が濃いため、私はそれを勧めた。

彼女は嬉しそうな表情を浮かべながらお礼を述べ、八丁味噌を手に持ってレジに向かっていった。そのやり取りも幸福感を感じさせてくれるには十分であった。

その後私は、改めて新鮮な眼を持ってスーパーに置かれている商品を確認していった。すると嬉しいことに、これまでは瓶詰めのものしかないと思っていたカカオパウダーが、袋詰めのものでも売られていることに気づいた。

製造原価の都合上、瓶詰めの方が当然ながら高く、カカオニブのように袋詰めのものがないかを以前から探していたのだが、これまで見落としていた一角にカカオパウダーの袋詰めのものが置かれているのを発見することができた。

改めて、新鮮な目で見ることの大切さを教えられたように思う。何事も新鮮な目で眺めてみれば、必ず何かしらの新しい発見があるのだ。

今日購入した袋詰めのカカオパウダーは、瓶詰めのものと製造元は異なれど、量も多く、価格もお手頃である。今の瓶詰めのものが切れたら、今日購入した袋詰めのものを瓶に移したいと思う。

一ヶ月半ぐらい前から、消化を考慮して、固形物のナッツを摂らなくなった。だが本日ふと、スーパーのある一角を眺めていると、アーモンドバターが売られているのを発見し、少しばかり試してみようかと思って購入した。

自宅に戻って早速、カカオパウダーとヘンプパウダーを混ぜたものにアーモンドバターをスプーンひとさじ入れてみた。すると、これがまた美味であることに気づき、とても嬉しくなった。

もちろん、アーモンドバターもオーガニックなものであるから、それほど甘味がないのだが、カカオ、ヘンプ、アーモンドの三つが組み合わされることによる独特の美味しさがあった。明日からも同様の飲み方を試すか、午前中にバナナを食べる際に、バナナにアーモンドバターを塗ってみようかと思っている。

この街で暮らす中においては、人とのやり取りにおいても、街中を何気なく歩くことにおいても、自宅で自分のライフワークに打ち込むことにおいても、日々の一挙手一投足、一呼吸の全てに幸福感が染み渡っていることに対して、この上ない有り難さを感じる。フローニンゲン:2019/7/8(月)19:41

No.2218: In the End of a Passing Day

Now today is approaching the end. I’m being embraced by a merciful feeling.

7月8日(月)に生まれた曲:8曲

本日誕生した曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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