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4597-4603:フローニンゲンからの便り 2019年6月23日(日)


タイトル一覧

4597. 創造活動に適した早朝に思うこと

4598. 死にまつわること

4599. 今後のオンラインゼミナールやセミナーについて

4600. 今朝方の夢とそれが示唆する事柄

4601. 一昨日と昨日の夢を改めて振り返って:不穏な力と平穏な力

4602. 明日からのモスクワ旅行と4年間の休養に向けて

4603. 一日の終わりに思い出す今朝方の夢

4597. 創造活動に適した早朝に思うこと

時刻は午前5時半を迎えた。この時間帯は、辺りがすっかりと明るくなっており、とても穏やかな雰囲気を発している。

平日も休日も変わらずに鳴き声を上げている小鳥たちの様子を見ると、どこか自分の姿と重なる。平日も休日も関係なく、自分に与えられた役割を全うし続けること。それが、小鳥たちと私に共通している事柄である。今日も自らに与えられた役割を全うしていきたいと思う。

早朝の時間は兎にも角にも、創造活動に充てる時間とする。世界と交差することによって生み出された自分の内側の思考や感覚を言葉や音の形にしていくこと。早朝の時間帯はそれに集中していく。

こうしたことも日々の習慣にしてしまえば、何も意識することなくそうした活動に従事できる。具体的には、日記の執筆と作曲実践は完全に早朝の習慣となり、そしてそれは早朝のみならず、一日のうちの様々な時間帯においても実践される対象となった。

その中でも、早朝の時間帯は外の世界も静かであり、そして自分の心身もクリアな状態であるから、創造活動に最も適した時間帯であると言えるだろう。こうした時間帯をその他の無駄な活動などに使ってはならないとつくづく思う。

ちょうど明日からは4年間ほどの休養期間かつ旺盛な創造・探究期間に入るが、その期間においてはメールの使用頻度を徹底的に減らしていく。メールの確認は、これまでもすでに夕食後にしか行っておらず、それはとても良い習慣だと思う。

創造活動に適した朝にメールを確認したり、返信したりするという馬鹿なことを行わなくなってから、日々がより充実したものになっている。他者から送られてくるメールを確認してしまうことは、それだけで身体エネルギー・意識エネルギーを随分と使ってしまうため、創造活動の妨げになる。

他人に自分の人生を制限させることを許容するのではなく、自らの人生は自らで舵取りをしていく。明日からはメールからも大きく解放されることになるため、今後の日々はより一層精神的な解放感に溢れ、充実感で満たされるだろう。

いよいよ明日からはモスクワ旅行が始まる。偶然ながら今回の旅行は、4年間の休養期間の始まりを祝すかのような旅となった。

再度明日のフライトの時間を確認すると、アムステルダムのスキポール空港を出発するのが13:15であるため、いつもの時間に起床すれば、自宅を出発するまで随分と余裕がある。明日も空港内のラウンジで3時間弱ほどくつろぎたいため、自宅を午前8時前に出発し、10時過ぎにスキポール空港に到着するような列車に乗ろうと思う。

アムステルダムからモスクワまでのフライト時間は3時間半ほどだが、時差の都合上、現地に到着するのは17:45とのことである。モスクワ到着の初日は、ホテルに直行し、ホテル近くのスーパーに立ち寄る。そ

のスーパーは、オーガニック食品が置かれていることで定評があるようなので、どのような食材が手に入るのか楽しみだ。これまで、オーガニック食品を意識しながら様々な国のスーパーに置かれているオーガニック食品を比較しており、今回はロシアのオーガニック食品市場について観察をしたい。

そのようなことを考えながら、オーガニック食品を専門に扱っているオランダの上場企業があれば、そこに投資をしたいと思う自分がふと姿を見せた。フローニンゲン:2019/6/23(日)05:46

No.2105: A Dance Floor of the Sky

I’m being embraced by the atmosphere right now that makes me feel as if I were dancing on a dance floor of the sky. Groningen, 09:47, Sunday, 6/23/2019

4598. 死にまつわること

いと高き場所へと導かんとする小鳥たちの清澄な鳴き声が辺りに響き渡っている。そうした鳴き声に耳を傾けていると、自分の意識はますます洗われていき、本当にどこか高い場所へ向かって上昇していくような感覚がする。

そこでふと空を眺めると、そこには広大な青空が広がっていて、早朝の朝日が、空に浮かぶ小さな白い雲にほのかな赤みを与えている。赤レンガの家々の屋根に朝日が照らされるとき、それは黄金色の輝きとなって知覚される。

心を洗浄してくれるのは小鳥たちの鳴き声だけではなく、フローニンゲンの街を駆け抜ける微風もそうである。今、微風が街路樹の葉を優しく揺れ動かしており、それを眺めるだけでも心が洗われていく。

そういえば、昨日街の中心部に買い物に行き、自宅に戻っている最中に、モズのような一羽の小鳥の死骸を道端で見かけた。ちょうど前を行く女性が地面の方に視線を落としたため、私もその場を通る時に視線を地面に落とした。

すると、そこには小さく愛らしい小鳥が息を引き取っている姿があった。ネコか他の鳥か何かに襲われてしまったのだろうかと思ったが、小鳥には外傷は見られず、もしかしたら老衰か何かだろうかと想像した。そうであればいいなと私は思った。

日本人の寿命は年々微増しているようである。だが気をつけなければならないのは、健康で長生きをしている人たちというのは本当にごく一部であるということだ。

それに関する統計データを見たことがあるのだが、健康な心身を持って老衰という自然死を迎える人は本当に一握りであり、大半の人たちはガンや生活習慣病などによって息を引き取る。

心身を患いながら長く生きるのではなく、心身を健康に保ち、そして人生を絶えず深めながら長く生きていくこと。不健康に単に長らく生きるのではなく、もし長く生きるのであれば、私は心身の健康を大切にし、そして人生を日々少しずつ深めながら生きたいと思う。

結局のところ、自らの不摂生が原因となって生み出されたガンや生活習慣病によって命を失う人たちは、孤独のうちでは死ねないのではないかと思う。

以前よりぼんやりと思っているのは、自分の死という体験は自分のものでしかないという点において、基本的に人は独りで死ぬのだが、真に孤独のうちで死ぬことができた時に初めて、孤独さを超えたより大きな世界の中に溶け込んでいくのではないかということだ。言い換えると、究極的な孤独さを伴う死を経験して初めて、究極的な普遍性が存在する世界に参入できるのではないかということである。

そのようなことをふと考えながら、真の孤独さを味わいながら生涯を閉じていくことの大切さを感じ、自分の不摂生が原因で生み出されるガン細胞などと一緒に生涯を閉じていく人が多いことへの残念さを感じた。

赤レンガの家々の屋根に照らされる朝日の量が増し、辺りはよりいっそう黄金色に輝き始めた。世界は穏やかな光で満たされている。フローニンゲン:2019/6/23(日)06:10

No.2106: A Bitter Taste in Pomposity & Grandiosity in a Bitter Taste

There is a bitter taste in pomposity and grandiosity in a bitter taste. Groningen, 11:00, Sunday, 6/23/2019

4599. 今後のオンラインゼミナールやセミナーについて

気がつけば、監訳を担当した書籍『インテグラル理論』が出版されてから一週間以上が経った。全く意識していなかったが、昨日が出版からちょうど一週間の区切り目であった。

本書の出版を記念したオンラインゼミナールが、再来週の金曜日から始まる。オンラインゼミナールを開講するのは、『能力の成長』を出版して以来のことであるため、実に2年振りとなる。

毎回ゼミナールを行う際には、そこで取り上げたテーマに関するゼミナールは繰り返し行わないことを意識しており、今回も上記の書籍を取り上げた最後のゼミナールになるだろう。もちろん、同じ書籍を取り上げて繰り返しゼミナールを行う意義もあるかと思うが、私の性格上それはできない。

そうした意味において、今回は『インテグラル理論』を取り扱う最初で最後のゼミナールであるから、色々な意味で楽しみでもある。

前回のゼミナールと今回のゼミナールの間には、2年間ほどの空白期間があった。ここのところ思うことがあって、今回のゼミナールは『インテグラル理論』を取り上げることにおいて最後となるだけではなく、もしかしたら自分が行う最後のオンラインゼミナールになるかもしれない。

もちろん、数年後に気が変わり、いつかまたオンラインゼミナールをする日がやってくるかもしれないが、少なくとも明日からの4年間ほどの休養期間にゼミナールを開講することはないであろうし、休養期間が終わる頃にはまったく違う自分がそこにいるであろうから、オンラインゼミナールを行う可能性は極めて低いように思う。

もちろん、成人発達理論やインテグラル理論以外のテーマであれば、何かしらのオンラインゼミナールを行う可能性がある。いずれにせよ、今後しばらくは、成人発達理論やインテグラル理論を取り扱うようなゼミナールは基本的に開講しない。

ここ最近思うことがあってそのような方針を固めており、それは企業からのセミナー依頼においても当てはまる。直近でも何件かセミナーの依頼を受けたが、結局それらの依頼は全てお断りさせていただいた。

自分の中で思うことがそうさせたのである。今後は、直近数年間にお付き合いのある企業や、現在密に協働している企業を除き、基本的にはセミナーの依頼を受けることはないかと思う。とにかく自分の時間を捻出し、自分がこの世界で本当になすべきことに集中していく。

午前6時半を迎えようとしているフローニンゲンの今この瞬間は、幾分肌寒い。より肯定的な表現に書き換えるならば、とても爽やかな朝だと言える。

幸いにも、午後に向けて気温が上がっていくようなので、今日は夕方に、近所の河川敷にジョギングに出かけたい。そして、夕食を食べ終えてから、さっと明日のモスクワ旅行の荷造りをしたいと思う。

それと今日は昼前に大事なこととして、出版記念オンラインゼミナールの補助音声教材を作りたいと思う。実際のクラスの場だけではなく、今回は私の方でインテグラル理論や成人発達理論に関する様々な論点を選び、それらについて自分のペースで理解を深めていけるような録音音声教材を作成することにしている。今日は幾つかの論点を選び、それらについて音声ファイルを作成しようと思う。フローニンゲン:2019/6/23(日)06:27

No.2107: A Fragment of a Feeling in the Afternoon

A trip to Moscow will begin from tomorrow. I’ll pack up my things after dinner. From now, I’ll go jogging for a change. Groningen, 15:47, Sunday, 6/23/2019

4600. 今朝方の夢とそれが示唆する事柄

早朝の作曲実践に取り掛かる前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。

夢の中で私は、夜の運河沿いを歩いていた。そこは日本のようでいて、オランダのようでもあった。そこがどの国なのかはよくわからず、また私はそれを気にもしていなかった。

しばらく運河沿いを歩くと、そこに一棟のビルを発見した。地上から見るとそのビルは極めて高いのだが、すぐさま中に入って確認すると、なぜだかエレベーターの押しボタンが2階までしかなく、階層の数は少ないのだが、一階一階が極めて高い作りになっていることに驚いた。

私はエレベーターを使って上の階に行ってみることにした。エレベーターのドアが開くと、そこには、小中学校時代の友人が二人(TO & DN)いて、興奮気味に何かを話していた。何を話しているのか気になったので彼らに早速話を聞いてみると、なにやらサバイバルゲームをやっている最中とのことであった。

:「サバイバルゲームの最中なん?」

一人の友人:「うん、そうなんよ」

別の友人:「あっ、下からモンスターが来たっちゃ。早く行かんとやばいけん、先に行くわ」

二人の友人はそのように述べ、エレベーターを使って下の階に降りようとし始めた。一人の友人が述べた「モンスターがやって来る」という言葉が気になっており、私はどのようなモンスターかを確認するよりも先に、二人の慌て具合いから、モンスターの強さを察し、私もエレベーターを使って逃げることにした。

地上階に到着した私たちは、すぐさまビルの外に飛び出し、そこで別れ、お互いがお互いの行きたい方向に向かって逃げることにした。私は来た道を戻る形で走り出し、運河を掛ける橋を越えて行こうとした。

すると、私の後をつけてくる、人間の形をした黒いモンスターがいることに気づいた。それは、黒い粘土と石油を混ぜたような物質で作られたモンスターであり、人間の言葉を話すことができた。

私は走って逃げるのではなく、そこから空を飛んで、運河の向こうに見えるアパートのどこか一室に逃げ込もうと思った。空を飛んでみると、そのモンスターはどうやら空を飛べないらしく、私はそのモンスターを振り切ることできた。

そして、アパートに到着してみると、そこは私が高校時代に住んでいたアパートだった。アパートの各部屋のベランダには、たいてい様々な植木鉢が置かれていて、花や植物を育てているようだった。

私は直感的に、自分は目の前の1階の部屋に住んでいると思い、ベランダから家の中に入ろうとしたが、そうはせず、きちんと玄関から入ることにした。玄関のある場所には洗濯機と乾燥機が置かれており、そういえば自宅を出る前に乾燥機を回していたと思い、乾燥機の扉を開けてみると、見慣れない衣類がたくさん見えた。

その瞬間、自分が乾燥機を回していたのは昨日のことだったと思った。すると、1階の反対側の部屋のドアが開き、中から小柄なオランダ人の男性がにこやかに外に出てきた。

そして、私が開けた乾燥機の前で、「申し訳ないね。今すぐに中のものを取り出すよ」と日本語で述べた。彼は外見はオランダ人なのだが、日本語はネイティブのそれだった。

彼は笑顔でせっせと衣服を乾燥機から取り出し、その中には封筒に包まれた手紙が何通も混じっていた。そこで夢の場面が変わった。

毎回の夢と同様に、この夢にも興味深いシンボルがいくつも現れている。一つ印象的なものを挙げれば、それはやはり黒いモンスターだろう。

それは人間の形をしており、人間の言葉を話すことができた。しかもその言葉は日本語であった。そうしたことを考えてみると、それは日本語空間で形成された私のシャドーであることは間違いないだろう。

確かに、夢の中でそれは私の後をつけていたが、私に危害を加えるような雰囲気はなかった。ひっそりと私の背後にいるような存在。あのモンスターは、私が抱えるシャドーのどのような側面を表しているのだろうか。

少しばかり情報が足りないのでなんとも言えない。もう一つ印象的だったのは、アパートの1階の乾燥機の中にあった封筒に包まれた手紙である。

それは形も崩れておらず、郵便ポストに届けられたままの綺麗さを保ってそこにあった。しかもその数はかなりの数であり、衣類よりも多く乾燥機に入っていたように思う。

未開封の綺麗な手紙が象徴していることは何なのだろうか。直感的に、それは自分自身の未だ開かれぬ発達の可能性やこれからの人生の可能性を象徴しているようにも思えてくる。

手紙が未開封であったことから、自分の中でまだ開かれていないことを示唆しているのではないかと捉えるのは比較的妥当なことだろう。また、それは自己や自分の人生にまつわる秘密を暗示しているとも解釈できるかもしれない。フローニンゲン:2019/6/23(日)07:02

No.2108: On the Morning of a Trip to Moscow

It is 6AM now. The sky above Groningen is beautiful, which looks like as if it were celebrating my trip to Moscow from today. Groningen, 06:00, Monday, 6/24/2019

4601. 一昨日と昨日の夢を改めて振り返って:不穏な力と平穏な力

起床してから4時間ほどの時間が経つが、夢見心地が続いている。思考は明晰なのだが、世界を知覚する感覚が夢を見ているそれと似ているという不思議な感覚がある。

そういえば一昨日は、ティラノサウルスが現れる夢を見ていたことをふと思いだす。人間を殺戮することに関しては一切感情を持ち込まず、緻密な計算に基づいて正確無比に人間を殺す力を持ったあのティラノサウルスは、同時に優しい心を持っていたことが改めて興味深い。

サイコパスのようでありながら、そうではないあのティラノサウルスは何を象徴していたのかをまた改めて考えている自分がいる。結局それが自分の夢の中で現れたのだから、あのティラノサウルスは自分の何かしらの側面を象徴していることは確かなのだろう。

そして、思い当たる節に関してはいくつもあることは確かであり、それらについては文章の形にせず、今、日曜日の早朝の穏やかな青空を眺めながらそのシャドーが示唆する事柄について思いを馳せている。様々なものが浮かび上がってきたが、それらを自己から分離することなく包摂していく。

それらの側面も自分という一人の人間の心を構成する要素であるから、決して分離をしてはならない。重要なことは対象化を経た包摂である。それを行うことによって、徐々に自己が健全に育まれていくだろう。

ティラノサウルスの巨体が、鋼のようなボールに変化したことを改めて思い出している。やはり私には、あのような形の鋼の意思しかないのだろう。

何かの資質に恵まれているわけではなく、鋼のような意思だけがあるということ。それが自分の特性なのかもしれない。

一昨日の夢を思い返していると、今度は昨日の夢についてもふと思い出した。教室の中で一人の女子生徒が手から釘の光線を出し、それを友人向かって放射していた光景を思い出す。そしてその光線は、私のロッカーを直撃し、ロッカーは随分と損傷してしまった。

また、それをあまり気にしない自分と、それを修復してくれようとする友人。自分の中には、まだ何か釘をさすような存在がいるということだろうか。だが、そうした存在がいたとしても、もはや自分の行動指針や生き方の方針というのは、変化はあってもぶれることがないということを示唆しているのだろうか。

昨日の夢の後半では、自分の身体が何か磁力のような力によって地面にひれ伏すような場面があった。その場面でも私は、磁力のような巨大な力に屈することなく前に進もうとしていた。

地面を這いつくばりながら、そして何とか立ち上がって前に進もうとしている夢の中の自分の姿をふと思い出す。夢の中の磁力はひょっとすると、目には見えない社会的な力、とりわけ風潮や行動習慣のようなものを暗示しているように思う。

それは確かに巨大な力なのだが、それに屈することなく、自分の内側にある根源的な推進力によって自らの歩みを進めていこうとする自分が夢の中にいて、それは現実世界の自分ともどことなく重なる。大いなる自然が生み出す平穏な力には寄り添いながらも、現代社会が生み出す集合的な不穏な力には徹底的に抵抗を企てていくこと。

確かに、その相容れない二つの力の間で板挟みになることは決して楽ではないが、その板挟みを超えていくような根源的な力が自分に備わっている可能性を最近見出している。フローニンゲン:2019/6/23(日)08:47

No.2109: A Pastoral View in Assen

The train that I took passed by Assen. The view from the window of the train is very peaceful and pastoral. Assen, 09:00, Monday, 6/24/2019

4602. 明日からのモスクワ旅行と4年間の休養に向けて

つい今しがた、ジョギングから戻ってきた。時刻は午後5時を回り、もう少ししたら入浴をし、夕食を摂る。

今日は午前と午後に分けて、『インテグラル理論』の出版を記念したオンランゼミナールの教材を作成していた。具体的には、受講生の方から事前に頂いた質問に対する回答や、書籍では言及されていない事柄を事前知識として獲得していただくための音声ファイルを作成していった。

一つのテーマに対して一つの音声ファイルを作成していると、気がつかないうちに随分と多くの音声ファイルを作成していた。実際のゼミナールはまだ開始しておらず、それが始まるのは再来週の金曜日からであり、そこから二ヶ月間の間に、かなり多くの音声ファイルを作っていくことができるのではないかと思う。受講生の方々からの質問がとても楽しみだ。

明日からいよいよモスクワ旅行が始まる。それに向けて、夕食後にメールの返信をした後に、荷造りを行う。

結局今回のモスクワ旅行では、マックス・レーガーが執筆した“Modulation (2007)”ではなく、ショーンバーグが執筆した“Fundamentals of Musical Composition (1967)”を持参することにした。その理由としては、確かにレーガーが執筆した書籍に掲載されている譜例は、転調を学んでいく上では有益なのだが、一つ一つの譜例が極めて短く、それを拡張して小さな曲にするのが難しいと思ったからである。

一方で、ショーンバーグの書籍に掲載されている譜例は、アレンジを施し、それを拡張させる形で短い曲を作っていくことが比較的容易であるというイメージを持つことができた。今回の旅の道中では、普段書斎で作っているよりも短い詩のような曲でいいので、普段と変わらずに毎日曲を作っていく。

モスクワ郊外のチャイコフスキー博物館に行く日を除いて、基本的に旅行最中の観光は昼前から行うことが多いため、早朝と午前中はホテルの自室で作曲実践を行う。そのために、今回はラモーの楽譜を持参することにした。

なぜラモーの楽譜を選んだのかは自分でも定かではなく、直感的に今回の旅に持参するのはその楽譜がふさわしいと判断した。これにて、持参する書籍と楽譜が決まったため、荷造りは30分もあれば十分であろう。

明日からはモスクワ旅行だけではなく、4年間の休養生活が始まる区切りの日でもある。そういえば、ウィルバーも、『進化の構造』を出版するまでの3、4年間において、隠遁者のような生活を送っていたことを思い出す。

今回、私が4年間ほど休養生活をしようと思い立ち、それを始めることは何らおかしなことではないのかもしれないと思う。人との接触をできるだけ避け、とにかく自分が大切にしている事柄に集中し、自分の時間を何よりも大切にしていく。自己に慈しみを与えることのできない者が、他者に慈しみを与えることはできない。

今後少なくとも4年間ほどは、人からは一切姿が見えないのだが、言葉と音楽だけが積み重なっていくようなあり方で日々を生きていければと思う。オランダの落ち着いた環境の中で、これから4年間、人との付き合いを最小限にし、自分の時間と関心事項を最も大切なものとする形で毎日を生きていこうと思う。フローニンゲン:2019/6/23(日)17:15

No.2110: Under the Sky of a Trip

I’ll arrive at the Schiphol airport shortly. At this moment, I’m having various feelings under the sky of the trip to Moscow. Near the Schiphol Airport, 09:31, Monday, 6/24/2019

4603. 一日の終わりに思い出す今朝方の夢

時刻は午後7時半を迎えた。今、日曜日の穏やかな夕日を眺めながらこの日記を綴っている。

つい先ほど夕食を摂り終え、これからメールの返信を少々行い、その後、明日から始まるモスクワ旅行の荷造りを行いたい。この時間帯になって、今朝方の夢の断片をふと思い出した。

夢の中で私は、コンサート会場の中にいた。私は観客の一人ではなく、コンサートの舞台で何かの楽器を演奏するのか、あるいは指揮をするのかを任されているようだった。

控え室で待っていた私は、ガラス窓から観客席の方を眺めた。するとそこには、おびただしい数の観客がいて、これから始まるコンサートを今か今かと心待ちにしているようだった。

控え室の中を見渡すと、他の演奏者はすでに舞台袖の方に移動しており、数人ほどしか控え室にいなかった。そこになぜだか、同じ大学に通って居た女性友達(MI)がいて、彼女と少しばかり話をすることになった。

彼女はすでに子供がいて、最近また職場に復帰したそうなのだが、仕事があまりうまくいっていないとのことであった。しばらく彼女の話を聞いた後、私も自分の近況報告として、これまで行っていた会計士の資格試験に向けた勉強をやめることにしたことを伝えた。

それに対して彼女は驚いていたが、私の意思は固く、会計の分野とは全く異なることをし始めようと誓っていた。その時突然にして控え室が姿を変え、前職時代の会議室の一室に変わった。

私は会議室の外に立っており、会議室の中には上司や先輩社員が多数いて、何やら私について話をしているようだった。私がわずか2年で退職することについて、あれこれと様々な意見を述べているのが聞こえた。

一人の女性の上司の方は、「もっと加藤に色々な仕事を任せてあげればよかった」と有り難いことを述べていた。一方で、私が退職をして留学することに否定的な意見を述べている人もいた。

二つの異なる意見に耳を傾けた後、私は会議室の中に入り、その場にいた全てのメンバーにお礼の言葉を述べて会議室を去った。その時の私には一点の迷いもなく、ただただ力強いエネルギーが内側から湧き続けていた。そこで再び夢の場面が変わった。

次の場面においては、どのような物理的な場所が舞台になっていたか記憶にないが、そこには高校時代の化学か生物を担当していた先生がいて、「加藤君はいつもニコニコしているね」と私に述べた。それに対して私は、「いつも教室が楽しげな雰囲気ですから」と答えた。そのようなやり取りがあったことを覚えている。

一日が終わりを迎えようとしているこの時間帯において、なぜ今朝方の夢の断片を思い出したのか不思議である。上記の夢に関しても色々と思うことがあるが、確か最初の夢の場面の中で、大学時代の友人がさらに年収を上げるために転職しようとしており、それをあまりお勧めしない理由について私が説明していたのを覚えている。

すでに年収が1千万円を超えている彼女はさらに高い年収を期待しているようだったが、2千万円であろうと、5千万円であろうと、日本の所得税の枠組みから、高い年収を得ようとするのは馬鹿げており、労働収入ではなく、投資収入を得るという発想に一刻も早く切り替えた方がいいことを伝えていた。

彼女も私と同じく会計学を学んでいたから、私の説明の理屈はわかったようなのだが、実際に投資収入を得るための学習や実践になかなか踏み切れないと嘆いていた。「そうした行動に踏み切れないのは労働者的な発想が染み付いているからだ」というような、かなり厳しことを私は素直に述べていたように思う。

次の夢の場面においては、特に最後会議室を出た後の自分のエネルギーの高まりには注目をしている。会社を退職して新しいことに挑戦しようとする決意の固さと、その挑戦に向けた溢れんばかりのエネルギーが印象に残っている。

今、それに匹敵するような、いやそれを遥かに凌ぐような決意とエネルギーを持っている自分がここにいる。明日からのモスクワ旅行、そして明日から始まる人生の根本的に新たな一日がやってくることを、今から非常に楽しみにしている。フローニンゲン:2019/6/23(日)19:45

6月23日(日)に生まれた曲たち

Op.1297 続く夢見心地

Op.1298 天空の踊り場

Op.1299 華やかさの中の苦味と苦さの中の華やかさ

Op.1300 午後の気持ちの断片

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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